21 状況
状況は好転した。そう言い切るにはちと厳しい。
戦力差は依然4対1、アスカはスタミナ切れでへろへろ、油は一本のみ。ポーションもあと二本しか無い。
だがどん詰まりからの抜け出し方は分かった。油はトカゲ族の鱗を変質させ、変色は鋼の剣でも切り裂ける程に軟化した合図と知った。
後は残りの油を確実に弱点に浴びせ、鱗が変色するまで耐え、そこに鋼の剣を突き立てる。それでいい。
「ぷはっ」
真っ赤なポーションを飲み干したアスカが、一度剣を鞘に収めて深呼吸する。パチンと両手で両頬を叩き、ポーチから鋼鎚を取り出す。
勿論、囲まれぬように、ソニーくんからのアングルを意識した位置調整も忘れない。
『ハンマーって事はピヨらせて油かな。ピヨ油だな。ブーストて時間どうなん?』
「そのとーりでーす! 少ない油を無駄にしない為に、気絶させてから頭か首に油を浴びせたいと思いまーす!」
言い終わるや否や、アスカは鋼鎚を短く持って、向って右のトカゲ族へと距離を詰める。
大森林の浅部での戦闘は、時折樹木を大きく揺らしながら、トカゲ族の奇声と勇者の独り言を織り交ぜ、激しさを増したのだった。
◇
アスカの戦う大森林浅部より、少し奥。視界が開けていれば視認出来る距離で、もう一つの戦闘が行われていた。
そう、アスカの居る所から微かに光が見えた方角である。
一対一で、目にも止まらぬ速さで移動と攻撃を交える双方が出会ったのは、十数分前。奇しくもアスカが生配信を始めたその時だった。
少し前。
「その者、お前は勇者か?」
頭上からそう声を掛けられた男は、黒く引き締まった身体に黒光りする鎧を纏い、圧倒的な存在感を放つ剣を腰に下げていた。
「やっと遭遇できましたか。如何にも私は勇者。アナタは四天王ですね?」
振り返る事なく腰の剣をゆっくりと鞘走らせ、銀の短髪に銀の瞳の男は落ち着いた口調で言った。
日光を通さぬ程に繁った、頭上を覆う枝葉。声は後ろからのようでもあり、前からのようでもあった。
「……セトか」
名を言い当てられた男……勇者セトは眉間に皺を寄せた。
セトは仲間の勇者達が、次々に或いは度々四天王と名乗る魔獣に襲われ、トラウマを抱えて成長が鈍っている事を憂慮していた。
そこで勇者を監督する導師に話を聞いて回り、四天王を討伐する為にここ大森林を巡って居たのだ。
だが……。
「何故私の名を? 何処かで逢いましたかね。そしてもう一度聞きます。四天王ですね?」
四天王の情報を集めた時、他の勇者の名を聞かれたなどと言う話は無かった。
ただ勇者かを確認して、四天王と告げ、そして殺す。それだけだった筈だ。
自分の名を知っていると言う事は、勇者を襲う以外の場面で情報を収集していると言う事になるのではないか? セトはそう考え、自分の認識が少し甘かったと認めた。
力が全てに優先する。そんな単純な体制と考えていた魔獣の世界。だが勇者個人の名が知れる程に情報は収集分析されているとしたら……。
「アタシは四天王。勇者を滅ぼす者」
言葉と共に膨れ上がる殺気。
この時点で、勇者セトは四天王を討伐するか、捕縛して情報を引き出すか、まだ決めかねていた。
そして今。
(何という速さだ。俊敏増強と意識加速だけではキツイか)
セトは四天王を名乗った鳥型の魔獣の、速さに驚いた。
速すぎて細部までは解らないが、全長2メートル翼幅2メートル半の鳥型魔獣は、周囲の森に溶け込む緑まだらの羽根で全身を覆い、鉤状の嘴と鋭い爪を持っていた。
時に木の幹を蹴って直線的に、時に木々の間を縫うように曲線的に、頭上から地面スレスレまで、空間を目一杯に使った攻撃を四天王は見せる。
だが……。
数多の勇者を一撃の元に光の塵に変えた四天王の攻撃を、セトはその手の長剣で受け流し、華麗な体捌きで回避し続ける。
(蛮族でこの速さ。やはり要注意)
相対する四天王も、地を這う虫の如き存在である蛮族が、その姿のままで自分の速さに対応しているのに驚いていた。
飛び上がる愚を犯さず、精を巧みに操り、この速度での攻防中でも術を行使してくる。
セトと四天王の戦う周囲には、風が渦を巻き木の葉が舞い上がり、瞬間的な発光が数多く見られた。
戦闘開始5分。
セトは四天王の捕縛を諦め、こう呟いた。
「まさか風精の協力が得られんとはな」
速さには対応出来たセトだが、風精がまるで協力してくれない事に驚いていた。
四天王の影響か、相当量のエーテルを与えても、風精はセトの呼び掛けに応えない。
風精を使って随時浮力や揚力に影響を与え、思うような空中戦をさせない。普段無意識に行っていた行動に意識を割かねばらなぬ時、その隙は命取りになり得る。それがセトの対空戦闘の基本の基であった。
更に、どういった方法かは不明だが、風に関わる他の法術までもが発動寸前に掻き消えてしまう。
発動寸前まで構築された術は突如としてその構成を失い、不発に終わった術に込められたエーテルは行き場を失ってその場で短く発光して消失する。
法術に依る搦め手が封じられた以上、直接斬り伏せるしかない。そしてその距離での手加減ミスは、思ったより近くに後悔を潜ませている。
「手加減して逃げられても厄介か。素直に討伐させて貰おう」
セトは初めて空中高く跳び上がって、四天王の攻撃を回避した。
そして静かに唱える……。
「ロウアストラル、アーツマイグレーション、インヴォルヴメント、スキル……」
初めて上空へ退避したセトを見た四天王は、油断なく下方斜め後方の死角から一気に距離を縮め、その爪は光の尾を引いてセトの無防備な背中へと迫る。
「……プリシーディング」
セトの背後に迫る四天王。
そのさらに背後。
半透明なセトが長剣を振り上げ、宙に浮いていた。
読んで頂き有難う御座います。
時間が掛かった21話です。どこを悩んだか分からない?
なら悩んだかいがありました。




