15 遭遇前編
岩陰から姿を表したソレは、馬より二周りも大きな「狐」の特徴を持つ魔獣だった。
〈蛮族の言葉しか使えないように、縛られているのですか?〉
その魔獣は、返事をせぬアースバットに、再び問うた。魔物の言葉で。
〈あっしは縛られてなんかいないでやんす! 自分の意志で旦那のお供をしてるでやんす!〉
アースバットの返答に小首を傾げた後、何かを言おうとした魔獣が口を開くより先に……。
〈一緒。ジブン。考え。〉
片言で口を挟んだのは、なんと、ドローンを押しのけて前に出ようと頑張るアスカだった。
意外そうに、しかしどこか愉快そうに狐の魔獣はゆっくりと笑い、一歩二歩と距離を詰める。
そして、三歩目で直立すると、四歩目で縮んで人型になり、五歩目で耳と尻尾までが消えて、人の男と見分けがつかなくなった。
灰色の艶のある長髪、長い前髪の奥の糸目、細身だがいかにも俊敏そうな引き締まった肉体。
驚くアスカとドローンの眼前で、さっきまで狐の特徴を持つ魔獣だったソレは、人の言葉を話した。
「お前たちの言葉はこの姿の方が発しやすい。どこで我らの言葉を覚えたかより先に聞くことがあります。貴方は勇者ですか?」
静かな佇まいと穏やかな口調とは裏腹に、その言葉は周囲の木々を震わせる程の威圧感を持っていた。
ドローンが身の毛を逆立てて本能が伝える恐怖を体現し、アスカをその体の影に隠そうと頑張る。
「通じたんだねー。チューブで見た向こうの言葉に似てたからさー。そして俺はアスカ! 勇者さ! お前は誰だ!」
ソニーくんを起動し、録画を開始するとアスカは声を張って応えた。鋼の剣を構え、一脚杖をドローンにぐりぐりと押し当てて前にでる。
アスカの返答を聞いた狐目の男は、すかさず行動を起こした。
消えていた尻尾が現れて先端が淡く光る、同時にだらりと下げていた両腕は胸の高さに上げられ、左右の人差し指が同じように光を帯びる。
「天と地を隔てる線、過去と未来を隔てる線、有と無を隔てる線……」
言葉を紡ぐのと同時に、光を帯びた左右の指と尻尾の先は、それぞれ空中に法術陣を描く。
「……隔絶牢」
狐目の男が指で三角の牢を組み、その向こうにアスカとドローンを透かし見る。
何事かとアスカが思うまもなく、甲高い音が一度だけ山中に響くと、アスカとドローンは何処からとも無く出現した黒い三角錐に捕らわれてしまった。
そしてその漆黒の牢は、脈打つようなリズムで徐々に縮んでゆく。
「蛮族の国に潜入しようと近づいて、よもやこんな所で勇者に出会うとは調査不足でしたが……よい実験対象が手に入りました。不死性、万能性、急成長、とことん調べさせて頂きましょう。上手く再現できれば……」
そう言ってヒゲを摘む仕草をし、ヒゲが無いのに気付く狐目の男。
ふるふると首を振ると、鼻の下にエンゼルコンチネンタル髭が現れ、改めて満足気にヒゲを摘む。
「ふむ、本命はあの国でなにやらコソコソと動き回っているという勇者。セトと言いましたか。何を知り、何を企むやら」
狐目の男が視線を転じると、漆黒の牢は既に手のひらに収まる程の大きさになっていた。
小さくなった漆黒の牢を拾い上げようと伸ばされた手は、常に無い牢の挙動に気付いた。
微かな振動が共鳴を生み、漆黒の牢はぼやけて見える程に震えている。
「なん……ですと……」
指先でコツンと漆黒の牢を突付くも、震えは止まらない。
「光も刻も重力さえ通さない、世界から完全に隔絶された空間。それが隔絶牢。これを破るには、個体のエーテルが相当量無くては術が……たかが蛮族のマテリアルで……」
その間にも震えは増し続け、漆黒の牢は太鼓の上の小石の様に、地面で踊った。そして遂に……。
「ば……ばかな!」
キィィィィイイン!
一際甲高い音を立てて漆黒の牢は微塵に砕け、中から囚われた時と全く同じポーズのアスカとドローンが現れた。
「さあ! レアモンスターよ、名乗るのです!」
声を張るアスカに、牢に囚われた感覚は一切感じられない。アスカはドローンとアイコンタクトするとソニーくんを手渡し、ドローンは宙へと舞い上がって空撮を開始する。
一方の狐目の男。
驚いた表情を見せたのはほんの数秒、男は表情から一切の感情を消すとこう言った。
「私は……そうですね、私も四天王と……」
一瞬だった。
音が伝わるより早く。
理解するより早く。
痛みが神経を伝わるより早く。
だがアスカとドローン、それぞれの瞳には、たしかに狐目の男が拳を振りかぶる姿が映っては居た。
◇
ズズン!!
王都アビリ。
広場近くの馬車屋でアスカの聞き込みをしていた導師ミアは、大きな振動に思わず頭を抱えた。
「じ、地震……!?」
食器が割れる音や、悲鳴が聞こえた広場は、振動が収まるにつれいくらか静かになった……が。
「おい! キドゴ山脈で噴火らしいぞ!」
「山麓から噴煙が上がってるってよ!」
「噴火なら煙はあんなもんじゃねえよ、がけ崩れだろ」
「逆にがけ崩れであんなに土煙あがるかよ!」
不確実な情報が行き交う中、市場の商人達は素早く値札を高い物に差し替え、買い占めを図る仲買人との駆け引きを始める。馬車屋は荷の積み込みを一旦全て取りやめ、すぐに使える馬を確保した。
「警戒をブロンズに! 避難民が来るかも知れんから門は閉めるな! 事態が掌握されるまで王都から出ないように!」
「城と各門へ伝令だ!」
門を預かる士官が、大声で指示を飛ばす。
急ぎ調査団が派遣されるだろうが、訓練遠征に出ていた王国軍に帰還命令は出されるのか、軍人の動きも慌ただしくなった。
ピー。
メイド服を思わせる制服に身を包んだミアの、胸のブローチが小さく鳴る。緊急招集のサインだ。
もしこれが自然現象でなかったら。この呼出しはその可能性を示唆するものだ。
魔王軍が予言より早く侵攻してきたとなれば、勇者の出番となる。
成長と共に大陸奥地へと深く侵入し魔王を討つ「刺客」である勇者に、防衛戦が務まるのか。そもそも成長途中の勇者で魔王軍に対抗できるのか。
騒々しさを増す広場からも、立ち上る土煙が見えた。
プローチをきつく握り、不安そうに土煙をみやるミアは、不安を振り払うかのように走り出すのだった。
キドゴ山脈に吹き上がった土煙は、大地だけでなく王都アビリを強く揺さぶったのである。
明けましておめでとうm(_ _)m
寒い日が続いておりますが、お体ご自愛下さい。




