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同室騎士の恋愛事情【書籍化】  作者:


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22/25

ヴェールの願い☆

「ゲホッ、ゴホッ……ヴェール、無事か!?」


 煙を手で避けながら部屋に入る。

 そこでは、ヴェールがベッドに座ったままオレを見上げていた。その足元と部屋の四隅に香炉が置いてあり、モクモクと白煙をあげている。


「シュバルツ? どうしたの?」


 さすがに、これだけ部屋に香の匂いが充満していれば、ヴェールの匂いはほとんどしない。

 ただ、この中で平然と過ごせている方も凄いが。


「……香が多すぎないか?」


 樹木の爽やかな中にスパイスのピリッとした香りが混じる。

 不快な匂いではないが、煙は煙。さすがに、これだけの量だと息をするだけで喉をやられそうだ。


 咳込まないように息をしているとヴェールが困ったように綺麗な眉尻をさげた。


「ボクも多いと思ったんだけど、ベンノがセットしてくれたから」

「ベンノ?」

「昼にこのお香を持ってきて火をつけてくれた使用人だよ」


 その説明に黒褐色の髪の青年を思い出す。

 使用人の中でも一際動きが良く、気が利くが、若干過保護な感じもする。


「あいつか」


 オレがヴェールに近づくことを反対していたし、あいつならこれぐらいやりかねない。

 ただ、さすがにこれだけ香の匂いが充満していれば、ヴェールの匂いに惹かれることもないし、オレとしても安心して話せるのが癪だ。

 しかし、逆に言うとヴェールはこれぐらい香が必要な体調ということでもあり……


「もう少し体調が落ち着いてから話すか?」

「え?」


 不安混じりの声音とともに翡翠の瞳が儚く揺れ、縋るようにオレを見つめる。


 その表情に胸がドキリと跳ねた。


(お、落ち着け、オレ。ヴェールは人質のような状態でナーシュ国に行くわけだし、不安なのは当たり前だ。だから、あんな表情になっているんだ。だから、間違っても変な気は起こすな、オレ!)


 改めて気合いを入れ直したオレは軽く頭を振ってドアを閉めた。


「いや。せっかくだから、少し話そう」


 そう言うと、ヴェールの表情が和らぐ。

 明らかにホッとした顔でオレに微笑んだ。


「ありがとう」

「ゴフッ!」


 その天使のような笑みに心を撃ち抜かれ、反射的に胸を押さえた。


「どうしたの!? どこか、調子が悪い!?」

「だ、大丈夫だ。ちょっと、香の煙が喉を刺激しただけで」


 そう誤魔化しながら顔を背ける。


(あぁ、もう! その顔だけで可愛いすぎて……クソッ! 耐えろ! 耐えるんだ、オレ!)


 それから、オレはサッと部屋の中を見まわした。


 国境近くの警備兵の宿舎のため、王族が泊るような部屋ではない。綺麗に掃除はされているが、ベッドと小さな机と椅子という最低限の調度品しかない。


(同室の頃ならお互いのベッドに座り、向かい合ったまま話したり、場合によっては隣に座って雑談をしたが、今は違う。主従の関係だ)


 オレはスッとマントを翻して、ベッドに座るヴェールの前に片膝をついた。


「で、ここに来るまでの話だが……」


 さっさと話を始めようとしたオレに対して、ヴェールは翡翠の瞳を丸くしたあと、今にも泣きだしそうな顔になった。


「ど、どうした!?」


 慌てて腰をあげて涙が溢れそうになっている翡翠の瞳へ手を伸ばす。

 すると、小さな顔がバッと逃げた。


「ご、ごめん。急に悲しくなって。言葉使いは変わらないけど、やっぱり主従なんだなって」


 オレの手が触れる前に自分の腕で目元を拭くヴェール。


「あの、発情期だと感情のコントロールが難しくて……その、ごめん。ボクのことは気にしないで、話を続けて」


 そう言いながら腕で顔を隠すヴェール。

 ふわふわの亜麻色の髪がしゅんとさがり、体を猫のように丸める。


 その姿にオレの体は勝手に動いていた。


「シュ、シュバルツ?」


 困惑する声がオレの腕の中から聞こえる。けど、オレはかまわずに体を密着させた。


「オレの方こそ、悪い。ヴェールは不安定な状態なのに、それを助けることができなくて」

「そ、そんなことないよ。一緒にいてくれるだけで、どれだけ心強いか。野盗に襲われた時も、シュバルツが来てくれて、それだけでボクは……」


 ギュッとヴェールが騎士服を掴む。

 その手がまるでオレの心臓も鷲掴みしているようで、切なく苦しいのに微かな喜びも混じる。


 その感情を封じるようにオレは口を動かした。


「オレは特例で学校を卒業してヴェールの近衛騎士になった。ナーシュ国へ行く任務に就いたことで、家は男爵から子爵になって家督は弟に移った。だから、これからはずっとヴェールの側にいる」


 オレの端的な説明にピクリと亜麻色の髪が動き、小さな顔が恐る恐る上を向いた。


「ほ、本当?」


 不安気に揺れる翡翠の瞳を安心させるようにオレは笑った。


「あぁ。こんなことで嘘を言って、どうする?」

「で、でも、そんなに都合がいい話って、ある?」


 その疑問にオレは思わず噴き出した。


「オレも最初はそう思った。都合の良い夢を見ているんじゃないかって。でも、現実だ。ただ、書類の手続きが多くて出発が遅れたが」


 ヴェールが食い入るように覗き込んでくる。


「本当に? 本当に、ずっと一緒に?」

「あぁ」


 オレが大きく頷くと翡翠の瞳が嬉しそうに細くなり、騎士服を掴んでいた手が離れた。

 そして、その手がオレの首にまわり……


「よかった……」


 ヴェールが全身で抱きついてきた。


 白百合や薔薇やジャスミンなどの花の香りがオレの鼻に直撃する。さすがに、これだけ近いと香をどれだけ焚いていても意味がない。

 しかも、オレの顔のすぐ隣には亜麻色の髪がかかった白いうなじがあり、艶やかに誘惑する。


 オレはその光景を消すように強く目を閉じた。


(耐えろ! 耐えるんだ、オレ! オレはヴェールの近衛騎士! 主に仕える騎士なんだ! 騎士としての役目を、本分を忘れるな!)


 唇の端を噛んで理性を総動員して話を締める。


「ここに来るまでの話はこれで全部だ。明日はナーシュ国に入るからな。今日はしっかり休め」


 だが、ヴェールは離れるどころかますます腕に力を入れて抱き着いてきた。


「ど、どうした? 何か不満があるか?」


 同室だった頃に比べれば会話が短いし、あっさりしすぎている。それは自覚がある。ただ、これ以上はオレの理性が持たない。せめて、もう少し距離を置きたい。


 そんなオレの葛藤を、鋼の意志を崩すように、甘い声がオレの名を呼んだ。


「シュバルツ……お願いがあるんだ」


 艶を含んだ声がオレの下半身に直撃する。一気に血が集まり、固くなろうとしているが、必死に意識をそらす。


「お、お願いって、なんだ? オレにできることなら、なんでもするぞ」


 この時のオレはこの状況を何とかすることに必死で、つい口走ってしまった。

 そのことを、この後すぐ盛大に後悔することになるのだが。


「本当に、何でもしてくれる?」


 少しだけ離れたヴェールが確認するようにオレを下から覗き込む。


 本能を刺激する甘い匂いが離れてホッとしたのも束の間。今度は目の前いっぱいの超絶可愛い顔という視覚の暴力に襲われ、反射的に上半身を引く。


「あ、あぁ。オレにできることなら」


 必死に頷くオレに翡翠の瞳が切実に訴える。


「シュバルツにしかできないことなんだ」


 艶やかな中にも必死さが垣間見え、思わず眉間にシワを寄せた。


「オレに、しか?」


 その問いにヴェールがおずおずと頷く。


「うん。その……」


 声が小さすぎて聞こえない。


「どうした?」


 首を傾げて耳を近づける。

 すると、少しだけ声が大きくなり……


「いや、あの……ボクの、その……」


 そう言って息を吸った後、ヴェールの体に力が入った。


「うなじを噛んで、ほしい……んだ」

「はっ!?」


 言葉を失ったオレにヴェールがもう一度、大きな声で言った。


「ボクの、うなじを噛んでほしい!」


 そう言って、まっすぐオレを見つめる翡翠の瞳。キラキラと輝き、どんな宝石よりも美しい。その下にある微かに紅潮した頬と、熟れた果物のように瑞々しい唇。

 そして、何よりも魅惑的にオレを誘う甘い香り。


 すべての理性を放り投げて本能のまま襲いたい。その白いうなじを噛み、全身を余すことなく舐め尽くし、すべてをオレのものにしたい。


 という、欲情を根性で殴り、踏みつけ、地の底へ封じ、平静な顔を張り付ける。


「ま、待て。いきなり、どうした?」


 オレはヴェールの肩に手をのせた。

 しかし、翡翠の瞳が体ごと迫るように訴える。


「お願いだから」

「いや、その理由を……理由があるんだろ?」


 心の中で血を吐きながら理性を維持しようとするオレに対してヴェールが目を伏せた。


「昼に、野盗に襲われた時……うなじを噛まれそうになったんだ」


 その言葉に昼間の光景が蘇り、怒りがマグマのように沸き上がる。遠くから髭面男がヴェールに迫っている姿しか見えていなかったため、まさかうなじを噛もうとしていたとは。


(あのヤロー、そんなことをしていたのか!)


 腸が煮えくり返り、魔力がどす黒い色を持って噴き出す。その圧力に部屋の柱が軋み、ミシミシと小さな音が響く。

 その状況にヴェールが飛びついた。


「シュバルツ、落ち着いて! ボクは何ともなかったから! シュバルツが助けてくれたおかげで!」


 その声にグッと殺気を堪える。


「そ、そうか」


 そう言って無理やり笑顔を作ったが、心の中では全身の骨を折っておけばよかったと怨嗟が渦巻く。どうやっても、この怒りは収まりそうにない。

 この後で収容所へ髭面男の骨を折りに行くかと考えていると、ヴェールが言いにくそうに口を動かした。


「それで、あの……隣国に行っても、その、同じようなことがあるかもしれないから……」


 その話にオレはハッとした。

 たしかに、あり得ないことではない。

 ナーシュ国がΩをどういう扱いをしているのか不明なため、何が起きるか分からない。もしかしたら、ヴェールを人質としてナーシュ国に縛り付けるために、無理やりうなじを噛むかもしれないし、それ以上のことをしてくる可能性も……


(いや、Ωとはいえ王族にそんなことをするのは無礼を通り越して国際問題だ。そうなった時は、全力で隣国を焼き払ってヴェールだけでも逃がす)


 敵だらけの状況で、一緒に逃げられるほど己の力を過信してはいない。だが、ヴェールだけでも逃がすぐらいならできる。


 苛立ちを通り越して急に頭が冷えたオレは淡々と訊ねた。


「だが、どうしてオレなんだ?」


 その質問にヴェールが傷ついたようなショックを受けたような顔になった。


「シュバルツは、他の人がボクのうなじを噛んでもいいの?」

「そ、それは……」


 嫌だ、と即答したい。何者であろうと、他の誰かがヴェールのうなじを噛むなんて、想像するだけでそいつを殺したくなる。

 しかし、オレはヴェールの護衛騎士であり、従者であり、番ではない。


 口ごもっていると翡翠の瞳が悲しみに染まっていき……


「そうだよね……ボクのうなじなんか噛みたくないよね」


 今にも消えそうな声はオレの心を握りつぶした。


「違う! そうじゃない!」


 叫ぶオレにヴェールが負けじと叫ぶ。


「じゃあ、噛んでよ!」


 ヴェールは王子であり、オレは騎士。身分が違い過ぎる。


「それはダメだ!」

「どうして!?」


 ついには翡翠の瞳からボロボロと涙が零れた。


「どうして!? ボクはこんなにシュバルツのことが好きなのに! Ωだから? Ωだから、好きな人にうなじを噛んでもらうのはダメなの!?」


 その言葉にオレは雷に打たれたように体が硬直した。


「……オレのことが、好き?」


 まったく考えていなかった。むしろ、オレの一方的な片思いだと思っていた。

 衝撃で固まるオレにヴェールがボロボロと涙を零したまま俯いた。


「わかってる。優秀なαのシュバルツには、ボクなんかよりもっと立派なΩと番になった方が良いって。でも、うなじを噛まれるならシュバルツがいいんだ。だから、番にならなくていいから、うなじだけを噛んで……んっ」


 気が付けば白い顎を掴み、上を向かせてその唇を奪っていた。


「ふっ、んぅ……ぁ……」


 空気を求めるような苦しげな声が漏れるが気にしない。

 それよりも、これまで堪えていた感情が爆発して抑えられない。

 深く口づけをしながら、柔らかな唇を、口内を蹂躙していく。


「……シュバル、ツ……待っ……」

「っ、無理だ」


 亜麻色の髪に手を差し込み、名を呼ぶ声さえも呑み込むように口を塞ぐ。


「ん、ふっ……はぁ……」


 オレの想いに応えるように必死に絡みつく小さな舌。漏れる吐息。そのすべてに溺れていく。


 気が付けば、オレはヴェールをベッドに押し倒していた。




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