使用人たちの事情~ヴェール視点
「まったく。優しすぎると思うんだがなぁ」
「でも、あのままだったら、みんな死んでたから……」
単騎で馬を走らせるシュバルツが馬車と並走しながらボクと会話をする。
「だからって、治癒魔法を使って野盗の火傷を治すか? 魔力が勿体ないだろ。あ、危ないから窓から顔は出すなよ」
注意されたボクは開いた窓から顔を出さずに大きな声で言った。
「完全には治してないし、警備兵が来るまで眠り続ける魔法をかけたから逃げられないし、それぐらいならいいでしょ?」
「だが、あの中にはおまえのうなじを噛もうとしたヤツもいるんだぞ。あー、思い出したら腹が立ってきた! やっぱり腕の一、二本折っておくか」
シュバルツが眉間にシワを寄せて、もと来た道を振り返る。その目は怒りに満ちており、腕の一本や二本では済まない気配だ。
その様子にボクは慌てて声をかけた。
「そ、それより、シュバルツはどうして、ここに? 家や学校は大丈夫なの?」
ボクの質問に黒い瞳がサッと周囲を確認する。
「それについては今夜、話す。もうすぐ町に着くからな。念のために窓を閉めて、オレが声をかけるまで馬車から出るな」
そう言うとサッと馬を操って先へ進んだ。
たぶん、この先にある町の安全の確認に行ったのだろう。ちゃんと護衛としての仕事をしている……のだけれど。
「……今夜」
その言葉がボクの頭に響いて離れない。
「べ、別に寮にいた頃は毎晩、同じ部屋だったし、寝る前に話をするのは当然だったし、そんな気にすることじゃあ……」
そう。何も気にすることはない。それなのに胸が全力疾走した後のようにドキドキして収まらない。
激しい動機なのに、体はふわふわとして嬉しいような、幸せな感覚に包まれていく。
「ハッ! だ、ダメだ! 意識したら……」
シュバルツを意識して発情をしてしまった、あの日に気づいてしまった、この気持ち。
この国に置いていくつもりだった、この感情。
それが、ここにきて……
ボクはすべてを振り払うように大きく頭を振った。
「こうなったら」
懐に入れていた抑制剤を取り出す。
小さな薬紙に包まれた非常時用に持っている丸薬。それを全部、手のひらにのせて……
ゴクン。
一気に飲み込んだ。
~~
国境の近くにある町へ入り、町人たちからの好奇の視線を浴びながらシュバルツが警備兵に野盗たちを縛っている場所を伝えた。
それから、今晩の宿泊場所へ移動したのだけれど……
「ヴェール、着いたぞ。もう馬車から降りても大丈夫……って、どうした!?」
停車した馬車のドアを開けたシュバルツが素早く腕で鼻を塞いだ。
「な、なに? なにか変?」
普通ではない様子にボクは慌てて自分の体に視線を落とす。
(べ、別に変なところはない……はずなんだけど)
顔をあげて誤魔化すように笑うボクに対して、黒い瞳が険しくなり、すぐに馬車から離れて使用人に指示を出した。
すると、ベンノが大きなマントを持って駆けてきて、それをシュバルツが奪い取るように持って……
「これを羽織って、顔を隠せ!」
「え?」
馬車に乗り込んできたかと思ったら、フード付きのマントをボクの頭から被せてグルグル巻きにした。
「このまま部屋まで運ぶ」
「ど、どうして? ふぇっ!?」
ボクの問いに答えはなく、それどころか肩に担がれたまま馬車から降ろされた。
「な、なに!? ボク、自分で歩けるよ!?」
「いいから、黙って運ばれろ」
そう言ったシュバルツがボクを肩に担いだまま人目を避けるように素早く動き、建物の一番奥にある部屋へ飛び込んだ。
「ど、どうしたの?」
訳が分からないボクをシュバルツが無言のまま優しくベッドにおろす。
すると、すぐにやってきたベンノが閉まっていた部屋の窓をあけ、持っていたお香に火をつけて香炉に入れた。
「このお香はΩの匂いを中和します」
ベンノの説明にシュバルツが感心したように頷く。
「そんなのがあるのか。対応も慣れているな」
シュバルツの評価にベンノが顔をあげ、小声で言った。
「今回、ヴェール様に仕えている者はΩか、身内にΩを持つ者たちです」
思わぬ内容にボクはグルグル巻きでベッドに座ったまま固まった。と、同時に納得する。
(だから、ボクへの対応が普通だったんだ)
Ωがボクだけではないという不思議な安堵感と、Ωへの対応に慣れている人が近くにいるという安心感。
そこに、シュバルツが質問をした。
「使用人の中にΩがいるのか? 体調は、その、大丈夫なのか?」
「はい。発情期は抑制剤で制御できているので、みんな表立っては言っておりません。もし言えば、国によって強制的に連れて行かれますから」
そう言いながらベンノが目を伏せた。
その気持ちがボクは痛いほど分かる。抑制剤で発情期を調整できるなら、Ωと分からないなら、このままβとして生活したい。他の人と同じように生活をしたい。
「……だから、この国から出たかったんだ」
ポツリとこぼしたボクの言葉にベンノが大きく頷く。
「他の国では蔑まれることなく生活できるという話を聞いて。もし、そんな生活ができるなら、私はΩの妹をその国へ連れて行きたいのです」
たしかに、国に連れて行かれたΩがどうなるのか。それは家族でも分からないという。それなら、自由に動ける他国へ連れて行きたい。その家族を想う気持ちも分かる。
そこで、ボクは野盗に襲われた時、ベンノが飛び出してきたことを思い出した。普段の冷静なベンノなら絶対にしない行動。
(もしかして、ボクと妹が重なったのかな。だから、あんなことを……)
思い返していると、シュバルツの鋭い声が鋭い声でベンノに訊ねた。
「その話を誰から聞いた?」
黒褐色の髪がゆっくりと横に揺れる。
「それは言わない約束ですので」
「それなら仕方ないね」
ボクがここでこう言えばシュバルツはこれ以上、言及しない。護衛騎士なら主の意向に従うはずだから。それは騎士学校で学んだ。
ちょっと卑怯だけど主としての立場を利用させてもらう。
「……そうか」
ボクが考えた通り、シュバルツがそれで話を終わらせた。
その様子に少しだけチクッと胸が痛む。
想定通りだけど、それは二人の関係をハッキリとさせた。
(もう、同室ではない。同等な関係ではない。主と騎士なんだ……)
直視したくない現実から逃げるように目を伏せる。
すると、追及が終わったことにホッとしたベンノがボクに声をかけた。
「あとのことは私たちがいたしますので、ヴェール様はお休みください」
「あ、うん。そうだね」
グルグル巻きになっていたマントを外していると、シュバルツが踵を返して背を向けた。
その動きに合わせて、シュバルツのマントが目の前をヒラリと舞う。
その様子を見送っているとシュバルツが振り返った。
「どうした?」
少しだけ眉間にシワを寄せ、怪訝な……というより困惑したような顔。
でも、ボクはシュバルツがそんな表情になる理由が分からない。
「なにが?」
首を捻ると太い指が一点を差した。
そこにあるのは、マントの端を握りしめたボクの手。
「あ、ご、ごめん!」
完全に無意識だった。
慌ててマントを離して自分の手を握りしめる。
(ど、どうして、こんなことをしたんだろう……)
俯いて考えていると心配するような声が降ってきた。
「……心細いのか?」
「そ、そういうわけじゃあ……」
恥ずかしくて顔があげられない。
そっと横を向くと、そこにベンノの固い声が入った。
「あなたはαですよね? これ以上はヴェール様の近くに居ない方がいいです。この奥の部屋には、使用人以外の者は近づかないように警備兵の方々にも言いました。護衛をするなら、途中の廊下かこの部屋の入り口が良いかと」
今までも途中の町で宿に泊まったけれど、ここまで防御を徹底していなかった。
これまでと違う物々しい雰囲気にボクはベンノに訊ねた。
「どうしたの? 何かあった?」
ボクの質問にシュバルツが目を丸くする。
「……気づいてないのか?」
「何が?」
首を傾げるボクにシュバルツが言いにくそうに口を動かした。
「発情しているぞ。匂いが、その、この前より酷い」
そう言ったシュバルツは匂いを嗅がないようにしているのか、顔を背けている。
けど、それよりもボクは声を出して驚いた。
「えっ!? さっき、抑制剤を飲んだのに!?」
ボクの言葉にベンノが素早く反応する。
「もしかして、抑制剤を大量に飲みました?」
ズバリな指摘に言葉が詰まる。
「そ、それは、その……」
ズイッとベンノがボクに詰め寄る。
「抑制剤の飲み過ぎで逆に匂いが暴走しているんですよ。薬も多過ぎれば毒となる。ご存知でしょう?」
「……はい」
まさか薬について説教されるなんて。
しょぼんと項垂れていると、シュバルツがベンノの肩を掴んだ。
「近い。離れろ」
その言葉に茶色の瞳が負けじと睨み返す。
「私はβなのでΩの匂いの影響は受けません。それより、αであるあなたの方が離れたほうがいいと思いますが? それとも、ヴェール様の番なんですか? そもそも、護衛騎士なのにその言葉使いもどうかと思いますが」
その指摘にシュバルツがグッと唸りながら足をさげる。
「たしかに、そうだが……」
黒い瞳がチラリとボクを見る。
同室から主従関係になり、寂しさを覚えているのに、言葉使いまで変わったら……
「話し方はこのままでいいよ。その方がボクも慣れているし、安心できるから」
ボクの訴えにベンノが渋々とさがる。
「ヴェール様がそう言われるなら」
ホッとしているとシュバルツが声を挟んだ。
「さっきの話の続きだが、ヴェールの世話は任せる。だが……」
黒い瞳が鋭くベンノを睨んだ。
「絶対に変な気を起こすなよ」
本気の忠告に対して、茶色の瞳が呆れたように細くなり鼻で笑った。
「その言葉をそっくりそのままお返ししますよ。ほら、さっさと出て行ってください」
まるで未練を断ち切るように黒い髪が揺れ、ドアへと歩く。
その後ろ姿にボクは慌てて声をかけていた。
「よ、夜! 夜に、ここに来るまでの話を聞かせてくれるって約束! ちゃんと守ってね!」
「……わかった」
そう言うとシュバルツは部屋から出て行った。
その様子を眺めながらベンノが息を吐く。
「ヴェール様」
咎めるような声音にボクは思わず俯いた。
「ご、ごめんなさい。でも、どうしても話がしたくて」
「あの護衛騎士はヴェール様の番なんですか?」
率直な質問にボクは俯いたままモジモジと答えた。
「つ、番じゃないけど、その……」
「その? どういう関係なんですか?」
まるで親が子どもの交際関係を問い質しているような雰囲気。
「えっと、その、同室……なんだ」
ボクの答えにベンノの気配が緩む。というか、訳が分からないという様子。
「……どうしつ、とは何ですか?」
「えっと、それは……」
ボクはΩであることを隠して騎士学校の寮にいたこと。その時の同室がシュバルツであることを説明した。
「はぁ。では、護衛騎士はヴェール様と六年ほど同室で、その間は何もなかったということですか」
「そうなんだ。だから、夜に話すのもいつものことなんだ」
必死に話すボクをベンノが見つめる。
「まぁ、ヴェール様がそれでいいなら私はお止めすることはできませんが……」
茶色の瞳がグッとボクに迫る。
「ちゃんとお心を決めてから行動してください。特に今はナーシュ国への旅の途中です。軽率な行動はなさらないように」
まるでボクの考えを見透かしているかのような忠告にドキドキしながら頷く。
「わ、わかってるよ。シュバルツとは話をするだけだから」
「あと、Ωの匂いを中和するお香を切らさずに焚きますからね」
その言葉にボクは身を乗り出した。
「そうだ! そういえば、そのお香って何でできているの!? どこで手に入れたの!? ボクが読んだ本にはなかったんだけど!」
ベンノがしまった、という顔になる。
「……これは私が妹のために独自に作ったお香です。妹の匂いを分析して、その匂いを打ち消す匂いを探して作りました」
「凄い! ベンノは鼻が利くんだね。詳しく教えてくれる?」
茶色の瞳が呆れ混りにボクを見つめる。そこには年上として弟を見守るような優しい色があり……
「わかりました。荷物の片付けの指示を出したら戻りますので。それまでは、こちらで我慢してください」
そう言いながら火をつける前のお香をボクに差し出した。
「え? これ、崩して分析してもいいの?」
「どうぞ、ご自由にしてください」
「ありがとう!」
こうしてボクはお香の分析に夢中になった。




