危機~ヴェール視点
それから馬車に揺られること四日。
旅は順調で、もうすぐ国境近くの町に到着するところ。
「ナーシュ国に入っても数日は大丈夫なように、この町で買い物をしておかないとね」
国境を越えて半日ぐらい移動すれば宿泊できる町があるというが、ナーシュ国の地図はなく、ナーシュ国の地理を知っている者もいない。そのため、道に迷ったり不測の出来事が起きれば予定通りに次の町に辿り着けない可能性も十分あり得る。
そのため、数日は野宿ができるぐらいの食料は買っておきたい。
「あとから来るって言ってた護衛の人はまだ合流してないけど……まあ、ナーシュ国の王城で合流できればいいしね」
国境沿いは治安が悪いことが多いが、今のところは問題ない。このままなら護衛がいなくても大丈夫そうだ。
「突然のことだし、遅れるのはしょうがないよね」
一緒についてきている使用人たちは年齢が近い者が多く、気軽に会話ができるし、ボクがΩであっても関係なく普通に接してくれる。
「城にいるより、ずっといいかも」
そう呟いたところで馬の嘶きが響き、馬車が停まった。
「全員、馬車から降りろ!」
突然の怒声に腰をあげて窓から外を覗く。
すると、十数人ほどの武装した男たちが馬車を囲んでいた。
「野盗!?」
馬車の中で驚いているボクの前で男たちが前方の馬車の荷台に剣を向ける。
「抵抗したら斬り捨てるからな!」
「さっさと降りろ!」
殺気立つ男たち。それに対して使用人たちが動く様子はない。
(もしかして、反撃しようとしているんじゃあ……)
使用人たちはボクのように騎士学校で戦闘訓練を受けているわけではない。下手な反撃は逆効果だし、怪我どころでは済まなくなる。
ボクは急いで馬車のドアをあけて大声で言った。
「金品はすべて渡す! だから、使用人たちに手を出すな!」
馬車から降りたボクに対して、野盗の一人がジロリと睨む。
髭面でリーダー格のような気配を纏った男が濁声で威嚇するように怒鳴った。
「その馬車に乗っているってことは、てめぇがΩの王子か。捕まえろ!」
素早く他の男がボクの手を後ろにまわして縛り上げると、髭面の男の前に連れて行った。
「王に身代金でも要求するの?」
ボクの質問に髭面が鼻で笑うように答える。
「そんなことをすれば国から追ってがかかるだろ。それより、売るんだよ。Ωは高く売れるからな」
そういうとボクの顎を薄汚れた手が掴んだ。
「男だが見た目はいいからな。薬で発情期を起こしてΩが壊れるまで襲い続ける物好きな変態が、ちょうどΩを探していて、高値で買うって言っているんだよ」
欲情混じりのドロッとした視線。王城でも一部の貴族から向けられていた下卑た目と同じ。
慣れたと思っていたのに、久しぶりなせいか怖気が走る。
無意識に口の端を噛んで堪えていると馬車の荷台から何かが飛び出した。
「ヴェール様から手を離せ!」
馬車の荷台に隠れていたベンノが走ってくる。いつもの穏やかな雰囲気はなく、怒りに満ちて我を忘れている。
その様子に他の野盗たちが一斉にベンノを囲み、剣を振り上げた。
「危ない!」
ボクは考えるより先に口を動かしていた。
『天翔ける疾風よ、その欠片を我が子羊に分け与えん』
突如、竜巻が発生して剣を振り上げていた野盗たちを巻き込んで吹き飛ばす。
「ヴェール様!」
一方で無傷だったベンノがそのまま駆け寄ってきた。
「大丈夫!? 怪我はない!?」
ベンノが伸ばした手がもう少しで触れる……というところで髭面が怒鳴った。
「それ以上、動くな! 魔法も使うなよ!」
数歩ほど離れたところでベンノの足が止まる。
そこで、飛ばされなかった野盗たちが他の使用人を捕まえ、引きずるように連れてきた。その首元には鈍く光る剣。
「少しでも変な動きをすれば、こいつらの首を順番に斬っていくからな!」
「……わかった」
覚悟を決めたボクの声に気を良くしたのか髭がニヤリとあがり、首元を隠していた襟巻を乱暴に剥いだ。
「魔法封じも必要とは厄介だな」
じっとりと汚れた指が品定めをするようにボクの首をなぞっていく。
まるで虫が這っているような感触に寒気が走るが、表情には出さずにひたすら耐える。
そんなボクに髭面が喉の奥を鳴らしながら楽しそうに言った。
「いっそのこと、うなじを噛んでおくか? たしか、Ωはうなじを噛んだヤツに従うんだろ?」
よくあるΩに対する間違った知識。
うなじを噛むことで番関係となり発情期の症状が抑えられるが、それで従順になることはない。それなのに、何故か従うとか奴隷になるとか言われている。
「そんな効果はない!」
慌てて否定するボクに下劣な目がニヤリと笑った。
「うなじを噛むだけだ。特に問題ないだろ」
問題大ありだ。
Ωはうなじを噛んだ相手が番となり発情期の症状が抑えられると同時に、番にしか発情しなくなる。そのため番以外との性交はできなくなり、酷い拒絶反応が出る。
中にはその姿を楽しむ者もいるというが、それはΩにとっては死よりも辛く、そのまま衰弱死する。つまりΩにとって、番以外にうなじを噛まれることは死を意味している。
そのため、Ωは襟足のある服や襟巻でうなじを隠していることが多い。
「ヤメろ!」
反射的に体を動かしたボクに対して髭面が嫌な笑みを浮かべる。
「おっと、動いたらこいつがどうなるか……」
ベンノの首に赤い線が浮かんだ。灰色の刃に血が流れる。
動きを止めたボクにベンノが叫ぶ。
「ヴェール様! 私のことは……私たちのことはかまわず、お逃げください!」
その訴えにボクは息を呑んだ。
たしかにボク一人なら逃げられる。それぐらいの技量はある。
でも、そんなことをしたらベンノが、他の使用人たちがどうなるか。
それなら……
ボクは大人しく俯き、立ったままうなじを見せるような姿勢になった。
そのことに髭面が体を寄せ、荒くボクの頭を掴んだ。頭に容赦なく指が食い込む。
「一度、噛んでみたかったんだよな」
下品な笑いとともに首元に生温い息がかかった。
「ヴェール様!」
ベンノたちから悲痛な叫び声があがる。
でも、ボクの心は凪いでいた。
(何を勘違いしていたんだろう……ボクはΩで、未来を選ぶことはできない存在。それなら、ここでうなじを噛まれても何も変わらないじゃないか)
すべてを諦めたボクは静かに目を閉じた。
『我が怒りよ、黒炎となりて燃やし尽くせ!』
懐かしい声が耳に触れた瞬間、醜い叫び声が一斉にあがった。
「ぎゃぁぁぁ!」
火に包まれた野盗たちが熱さに苦しみ転げ回っている。
「なにが……」
「ヴェール! 大丈夫か!?」
顔をあげたボクを知っている温もりが包み込んだ。
月雫草と白百合をモチーフにデザインされた胸章をつけた騎士服が目の前を覆い、爽やかなミントの香りがボクの記憶を刺激する。
「……まさか、シュバルツ?」
ボクをキツく抱きしめていた逞しい腕が緩み、少し上から黒曜石の瞳が覗き込んだ。
「そうだ。遅くなって、すまなかった」
綺麗な眉がさがり、叱られた犬のような顔になる。
その表情にキュンと胸がときめいたが、それより気になったのが……
「遅くって、どういうこと?」
「護衛の騎士が遅れるって、聞いてなかったのか?」
「それは聞いてたけど……」
「なら、護衛の騎士がオレだって聞いてなかったのか?」
思わぬ言葉に目が丸くなる。
「シュバルツが護衛の騎士!?」
驚きのあまり瞬きも忘れて呆然と黒い瞳を見つめる。
再び会えるなんて思ってもいなかった。それなのに、会えただけでなく、護衛なんて。つまり、ずっと一緒にいるというわけで……
まるで夢でも見ているような感覚に浸っていると、シュバルツが困ったように笑った。
「いろいろ手続きがややこしくて遅くなった。本当に、すまない」
騎士学校で何度も見てきた表情。
ボクがドジをした時にも、こうして困ったように笑って受け止めてくれた。でも、今はそういう場合じゃなくて。
懐かしい思い出に浸りながらも、意識を頑張って現実に戻す。
「ややこしい手続き……って、それよりも、家の再興をするんでしょ!? こんなところにいる場合じゃないよ! 学校はどうしたの!?」
「そこら辺については話すと長いんだが……」
そこにベンノが恐る恐る声をかけてきた。
「あの、危ないところを助けていただき、ありがとうございました。あなたは……遅れていた護衛の方ですか?」
半信半疑の視線にシュバルツが頷きながら胸に付けている胸章を見せる。
「ヴェールの近衛騎士に任命された、シュバルツ・アノーだ」
ボクの近衛騎士!?
不覚にも驚きより嬉しいという感情が勝ってしまった。
にやけそうになる口元に必死に力を入れていると、シュバルツが話を続けた。
「遅れて悪かった。ところで、そっちに怪我人はいるか? 馬は走れそうか?」
その問いに、走ってやってきた他の使用人が答えた。
「多少の打ち身はありますが、全員動けます。荷台は問題ありませんので、馬が落ち着いたら走れます」
「よし。じゃあ、馬を落ち着かせて走れる状態になったら移動する」
シュバルツの指示にベンノが視線を横へずらした。
「あの、野盗たちはどうしましょう?」
そう言われて周囲を見れば、火は消えたが呻き声をあげたまま転がる野盗たち。全身にやけどを負っているが一応、全員生きている。
「全員、そこの木に縛りつけておいて、国境の近くにある町の警備兵に捕まえてもらえばいい」
「あ、それならやりたいことが……」
ボクの提案にシュバルツが露骨に嫌な顔をして、ベンノが呆れた顔になった。
それでも、最後はボクの言う通りに動いてくれて……




