新たな世界へ
オレの宣言に学長がニヤリと口の端をあげる。
「その言葉に二言はないな?」
「当然だ!」
オレは怒鳴りながら学長に迫った。
控えていた教師がかまえるように体を動かしたが、学長がほっほっほっと笑いながら止める。
「よい、よい。若いのう」
和やかな声音にこれまで学長室内に漂っていたピリッとしていた空気が緩む。特に威圧を放ってオレを見据えていた教師が力を抜いていた。
(どういうことだ? なんで警戒を解いた? いや、そもそも何を警戒していた?)
訝しんでいると、学長が声を出した。
「では、もう少し話を進めるぞ。この件を受けることで報酬が出るのじゃが」
「報酬?」
思わぬ単語にこれまでの勢いが削がれる。
「無償でやれとは言わぬよ。まず、アノー家は男爵家から子爵家となる」
「は?」
聞き間違いかと自分の耳を疑っていると、学長が話を続けた。
「一代限りの男爵家が護衛では恰好がつかないからのう」
大人の事情にイラつきながらも納得する。
(ムカつくがオレの目的は達成された……が、本当にこんなのでいいのか? それに、話が早すぎる。本当に子爵になるのか? そもそも、爵位については王が最終決定権を持つはずだ)
訝しんでいる間に学長が説明を進めていく。
「で、家督はお主の弟に移る」
「なぜ……!?」
「和平条約を結ぶとはいえ、ナーシュ国から生きて帰れる保証はない、ということじゃ」
現実的な内容に気が引き締まる。
むしろ、あやふやな言葉で誤魔化されなかっただけ良かったかもしれない。それに、家や跡継ぎのことを考える必要がなくなり、護衛に専念できる。
「……そういうことですか」
戦地で死亡した場合、二階級特進の栄誉が与えられる。
今回の任務はいつ死んでもおかしくない状況のため、あらかじめ二階級特進に近い報酬を与えておくということなのだろう。
そう考えると爵位が上がるのも頷ける。ただ、手回しが良すぎることが気になるが。
「あと、お主は特例で騎士の称号が与えられる」
思わぬ言葉につい叫んだ。
「なっ!? でも、さっきの説明では!?」
「これだけの好条件を示せばすぐに承諾すると思ってのう。あえて嘘を伝えた。それでも護衛をする覚悟があるのかどうか確認をしたわけじゃ」
理由を言われれば当然のこと。
だが、オレには衝撃が強すぎた。
(騎士を諦めたのに……それが、嘘、だった? 子爵の爵位を与えられるだけでなく、騎士にもなれて、ヴェールの側にもいられる? なんだ、これ? 都合のいいオレの夢か?)
唖然としていると、学長の低い声がオレの意識を現実に戻した。
「それと、お主を護衛に提案したのは、ナーシュ国から指名があったためでもある」
「ナーシュ国からの、指名……?」
成績やヴェールと同室であったことを考慮した騎士学校がオレを護衛として指名したなら分かる。だが、まったく無縁のナーシュ国が指名をしてきた理由が分からない。
訝しむオレに学長が説明を続けた。
「あぁ。和平条約を結ぶ条件として、末の王子と一緒に数名の者を交換するように名指しで指名してきたのだが、その中にお主の名もあったのじゃ」
「どうして、ナーシュ国がオレを……?」
首を捻るオレを学長と教師が探るように見つめる。
「心当たりはないか?」
「はい。そもそもナーシュ国に知り合いはいませんし、行ったことさえありません。どうしてオレの名を知っていたのか皆目見当がつきません」
「やはりそうか」
学長が思案するように険しい顔で白い髭を撫でる。
話が読めないオレは姿勢を正したまま訊ねた。
「あの、どういうことでしょうか?」
「他の名指しで指名された者たちも同じでのう。何故、自分の名がナーシュ国に知られていたのかすら分からぬのだ。皆、ベガイスター国で名が知られている者でもなく、爵位も低い者たちばかりじゃ」
ここで教師が口を開いた。
「最初はおまえがナーシュ国と繋がっているのかとも考えたが、その気配もなかった」
その言葉と同時に足元が光る。ふわんと魔法陣が浮かび上がり、消えた。
「……これは嘘を見抜く魔法陣?」
尋問などをする時に使用するのだが、存在にまったく気が付かなかった。いや、学長室に入室してから教師が飛ばす威圧に意識を奪われ、足元の確認が疎かになっていた。
(ナーシュ国との関係を持つ密偵として疑われていたのか)
疑われたことへの怒りなどはなく、冷静に現状を分析していた。
あの会話からどう判断したのかは不明だが、隣国と関係はないという結論になったのだろう。
納得していると、学長がふむ、と白い髭を揺らした。
「隣国はかなりこちらのことを調べているようだのう」
それから息を吐いてオレを見据えた。
「情報は協力な武器になる。ナーシュ国がどれだけの情報を持ち、どれだけの力があるのか、不明な状況じゃ。それでも、お主は末の王子の護衛としてナーシュ国へ行く道を選ぶか?」
「当然です」
オレの即答に学長が立ち上がり、ゆっくりと歩いてきた。庭師として見かけていた時とは違う、品格を纏い悠然とした動き。王の親族である公爵家の気品が漂う。
学長は正面に立つと、まっすぐに背筋を伸ばしたまま細い目でオレを見上げて口を開いた。
「シュバルツ・アノー。本日をもって貴殿は本校を卒業し、ヴェール王子の近衛騎士へ配属と課す」
「ハッ!」
踵を揃え、右手を胸にあてて返事をする。
そこに学長が蓋のない小さな箱を差し出した。
「これは末の王子の近衛騎士の証である胸章じゃ」
薬草として有名な月雫葉と白百合をモチーフにデザインされ、中央に翡翠の石をあしらった胸章が輝く。
その石に大きな翡翠の瞳を思い出した。
ふわふわの亜麻色の髪を揺らし、柔らかな笑みを浮かべ、何気ない会話をしていた日々。勉強も実技も大変だったが、二人で過ごす時間は穏やかで心地よかった。
もう、同室としての気安い関係には戻れない。だが、護衛としてでも側にいられるなら。
胸章を前に決意を固めていると、学長が低い声でオレに言った。
「ヴェールを頼む」
その声音は学長の時とも、庭師の時とも違う。身内を心配する年長者の声で……
(そういえば、学長は王と血の繋がりがある公爵だから、ヴェールと血縁関係の可能性もあるのか?)
このことにオレは改めて学長に視線を落とした。
纏う威厳のためか大きく見えていたが、実際はオレの胸ぐらいの背しかない。年齢の割に姿勢は良いが、筋肉は全盛期より確実に減っており、肌にはシワが寄っている。
「……こういうことはお主たちのような未来ある若者ではなく、ワシが担うべきなのにな」
悔やむような無念混じりの声音。
オレはその憂いを飛ばすように胸章が入った箱を受け取りながら、しっかりと言った。
「いえ。こういう時こそ若い者に任せてください。必ずヴェールを守り抜きます」
オレの言葉に学長が表情を隠すように踵を返す。
「……あの子はその生まれゆえ、本来なら受けるべき恩恵を受けられず、人と触れ合えず孤独に育ってきた。その中でお主と過ごした学校生活は楽しく宝物だと言っておった」
つい最近、会話をしたような口調にオレはつい声が大きくなった。
「ヴェールに会ったのですか!?」
「あぁ。お主も準備が終われば会える。だから、いましばらく待て」
その言葉に逸る気持ちを必死に抑える。
「わかりました。早急に準備を終わらせます」
「そうだのう。早く終わらせて、あの子に会いに行っておくれ」
そこ声音には肉親としての親しみと願いが込められていた。
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こうして、オレはヴェールの護衛として隣国へ行く準備をするため、実家へと戻った。
準備を終えればヴェールに会える。
その一心で早く準備を終えようと頑張っていたのだが。
「なんで、終わらねぇんだ!?」
実家に戻ったオレは男爵から子爵へ変わるための書類の手続きや、それに伴う新たな領地や仕事の手続き。
そこから、家督を弟へ譲る書類の手続きに加えて、護衛としてナーシュ国へ行くための書類の手続き。
その合間に旅立つための荷物の整理。
とにかく細かい作業と手続きが多い。
家督と弟に譲るとはいえ、弟はこの複雑な書類作業をこなせる年齢ではないし、母は母で他の書類の手続きをしている。
「これじゃあ、いつまでたってもヴェールに会えねぇ! このままだと、ナーシュ国に出発する時に再会することになるじゃないか!」
そう叫んだオレの言葉は後日、少しずれた形で現実のものとなった。




