手紙とシュバルツの決意
(王城での生活はしんどかっただろうな)
爵位が絶対であるのは王家でも同じこと。侯爵とはいえ、王族内では身分が低い。それくわえて、Ωであればその扱いはますます悪くなることは想像に容易い。
それなのに、ヴェールはそんな暗く重い背景を感じさせず、いつも笑顔で周囲を癒していた。
「オレはヴェールのことを、なにも知らなかったんだな……」
漫然と過ぎていく時間。
窓から見える夜空に月が現れ、沈んでいく。
そのうち空が明るくなり、廊下からザワザワと寮生たちの声が聞こえてきた。
「……隣国のナーシュ国と友好条約だって」
「なら、戦争はどうなるんだ?」
「終わるんじゃないか? もしかして、騎士も必要なくなるかも?」
「いや、敵はこのナーシュ国だけじゃないから騎士はまだまだ必要だ」
「そうだよな」
騎士の必要性を再確認しながらホッとしている後輩たちの声。
その会話に自分の目的を思い出す。
「……そうだ。オレは騎士になって、爵位を、家の復興を……」
呟きながら体を起こした。
足元がふらつき、支えるためにドアへ腕をつく。
そこにふと柔らかな声が脳裏に蘇った。
『大丈夫? また徹夜で勉強をしたの? 騎士になる前に体を壊したら元も子もないよ』
耳に馴染んだ心地よい声音。
呆れ混りに注意する口調も、しょうがないな、という目で見つめる翡翠の瞳も、すべてが愛おしく懐かしい。
「……クソッ!」
同室が危険な状態なのに、自分は安全なところで生活をしている。その歯がゆさ、腹立たしさ、不甲斐なさ、そして何もよりも自分の力のなさが悔しい。
怒りが魔力となり体内を暴れ回る。ドロリとした闇がオレを底なし沼に引きずり込むように手を伸ばす。
このまますべてを解放できたら、どれだけ楽になれるか。
目を閉じて口の端を噛む。
――――――ふわっ。
微かな甘い香りが鼻をかすめた。
「この匂いは……」
懐かしい感覚に顔をあげる。
ヴェールの荷物はすべてなくなり、その痕跡はどこにもないはずなのに。
『シュバルツ』
聞こえるはずのない声が耳に触れる。
導かれるように足が動き、気が付けば自分の机の前に立っていた。
ふと視線をおろした先、机と壁の隙間に白い紙の切れ端が顔を覗かせている。
「……なんだ?」
切れ端を摘まんで引き抜くと、それは封筒だった。
「なんで気づかなかったんだ?」
封をあけると同時に、花のような甘い香りがふわりと広がる。それだけで、この手紙を書いた主が誰か分かった。
『シュバルツへ。
この手紙を読んでいるってことは、ボクに何かが起きて五日以上、部屋に戻ってきてない状況なんだと思う。
あ、でも、もし、ボクがドジをして部屋に帰って来られていないだけなら、この手紙は読まずに返してね、恥ずかしいから。
えっと、それで、ボクが何も言わずに部屋に帰ってこれていない状況だと思って話を進めるね。たぶん、そういう状況だったら、ボクはきっと何も言えずに姿を消したと思うから。
あの、ボクの同室になってくれて、ありがとう。シュバルツが同室だったおかげで、ボクは今までで一番楽しい時間を過ごすことができたよ。どれだけ礼を言っても言い切れないぐらい感謝しているんだ。
だから、突然ボクが消えても、ボクは最初からいなかったと思って。ボクのことは忘れて、立派な騎士になって。そして、家を復興して。
本当にありがとう……』
文面からヴェールは自分が五日以上、部屋に戻らなかったらこの手紙が見つかるように魔法をかけていたのだろう。
ただ、それより気になったのは……
「……泣くぐらいなら、書くなよ」
最後の礼の文字のあとにある滲んだシミ。一見すると水が落ちた跡のようにも見えるが、微かにヴェールの魔力を感じる。
くしゃりと手の中で音が響く。
そこに、ノックの音と後輩の窺うような声がした。
「あの、シュバルツ先輩。学長室まで来るようにと先生が呼んでいます」
学長室……あれだけ探しても見つからなかった学長と会える。
「わかった」
オレは手紙を懐に入れると早足で部屋を出た。
騎士学校の中でも一番奥。普通に学校生活をしていたら、訪れることのない場所。
長く伸びた廊下の先にある重厚な両開きのドアの先に学長室はあった。
廊下に漂う重苦しい空気に身を引き締めながらドアをノックする。
「シュバルツ・アノーです」
「入りなさい」
年齢を感じる嗄れ声。
学長が庭師に扮していた時に聞いていた声と同じなのに、纏う重みが違う。
音をたてないようにドアを開けると、磨き上げられた重厚な机が目に入った。その奥には革張りの大きな椅子にゆったりと座った老人。見慣れた庭師の服装ではなく、騎士服を着ており、威厳と風格が漂う。
簡単には室内に入れない威圧感。学長室という荘重な雰囲気だけではない重圧が圧し掛かる。
その原因の一つは学長の隣に立つ剣術担当の教師。
年齢的には四十前後だが、体はしっかりと鍛えられ、衰えを知らない。こげ茶色の髪をしっかりと頭に撫でつけ、剣よりも鋭いと言われる茶色の瞳でオレを見据える。
「失礼します」
教師の威圧に負けずに学長室へ足を踏み入れたオレに学長が声をかけた。
「よく来た。お主を呼んだ用件だが、この度のナーシュ国との和平条約については耳にしておるか?」
感情の読めない細い目が問いかけとともに軽く弧を描く。
この内容だけでは先が読めないオレは素直に頷いた。
「はい。噂程度ですが、耳にしております」
白い髭がふむふむと満足そうに揺れる。
「ベガイスター王国からは末の王子がナーシュ国へ参るのだが、王子の護衛を募っておってのう」
その内容にオレは考えるより先に叫んでいた。
「自分が行きます!」
身を乗り出していたオレを鎮めるように学長がシワシワの手で制した。
「まあ、落ち着け。そもそも、お主は学校を卒業して騎士となることが目標だったのではないか? 今回、護衛として行くことを選べば、学校は中途退学となり騎士にはなれぬぞ」
その説明にハッとする。
護衛として隣国へ行くというのは、騎士になれないだけではない。戦場に行かないため、戦果をあげにくい。つまり、家の再興が難しくなる。
男爵から上の爵位になるため、戦果をあげやすい戦場へ配属されるように学校ではずっと首位を維持してきた。それなのに騎士になれないどころか、すべて無駄になる。
その現実にオレは思わず俯いた。黒い髪が頬を流れ、視界を隠す。
(どうすれば……)
ふと最期に言われた父の言葉が脳裏に過ぎる。
『おまえがαでよかった。みんなを頼む』
太い鎖のように重くオレに絡み続けている言葉。
幼い頃からαだからと期待されてきた。αだから優秀なのは当たり前。何かあってもαだから大丈夫。αだから何とかできる。
そう言われ続け、その期待に応えるように頑張っていた。
そして、いつからかそれがオレの存在意義のようになっていた。
その期待を、すべてを裏切ることになる。
悩むオレの耳に学長の静かな声が触れた。
「即答できないのであれば、やめておくことじゃ。この国としても、お主のような優秀な者を手放すのは惜しいからのう」
その言葉にオレはバッと顔をあげて学長を睨んだ。
「では、友好条約のためにナーシュ国へ行く末の王子は惜しくないということですか? Ωというだけで優秀じゃないと決めつけ、本人を見ない。いや、見ようとしない!」
思わず語彙が強くなったオレに飄々とした声が返る。
「国として末の王子が惜しいか惜しくないかは、ワシが判断することではないから、そこは何とも言えん。それで、末の王子の本質を知るお主は、どうするのじゃ?」
その問いにオレは目を伏せた。
共にいられるなら、護衛でも何でもいい。今すぐにでもヴェールの下へ行きたい。泣いていないか、その身は無事なのか確認したい。
だが、現実がそれを許さない。
現状と願望で揺れるオレに揺さぶりをかけるように学長が話す。
「お主はお主の目的があって騎士学校に入学した。だから、ここでこの話を断っても誰もお主を責めることはない。他の優秀な者が護衛として末の王子とナーシュ国へ行くだけじゃ」
その言葉にふわふわの亜麻色の髪が脳裏に浮かんだ。
いままで、その隣に立っていたのは、同室のオレ。それが、知らない男が隣に立つ。しかも、その男はヴェールがΩだと知っている。
なら、どういう扱いをするか。
この国ではΩに対する扱いが悪い。Ωというだけで見下し、場合によっては無理やり襲うようなヤツもいる。
そう想像しただけでブワリと全身の毛が逆立った。
「……無理だ」
オレの言葉を控えている教師が素早く咎める。
「言葉と殺気に気を付けろ」
だが、オレは無視をして言葉を続けた。
「あいつの隣はオレの場所だ」
そこに探るような学長の声が入る。
「だが、お主の父は王に処刑されたのであろう? 己の父を殺した者の子に仕えることができるのか?」
「親とか家とか関係ない! ヴェールを守る! それだけだ!」
無意識のままオレは叫んでいた。




