敵国との友好条約
数日後。
突如、数人の使用人が現れて寮の部屋からヴェールの荷物を運び出し始めた。
「おい、どういうことだ!?」
「私たちはここの荷物を運べとしか言われておりませんので」
冷淡な答えとともに、あっという間にすべてを持ち出していく。
突然のことに理解が追い付かないオレは教師たちにこの状況を訴えたが、何も問題はないと言われ、こうなれば学長に直接確認を……と思ったが不在のままなため聞くこともできず。
そして、ヴェールの荷物は綺麗になくなった。
「こうなったら、もう一度あの銀髪ヤローのところに……」
そう考えて、授業が終わると同時に再びリアハの屋敷を訊ねたのだが、そこには誰もいなかった。
入り口である門はしっかりと施錠され、誰も入れない状態。あれだけ綺麗に咲き乱れていた白薔薇の庭園は花弁が地面に散り乱れ、掃除もされていない。
「どういうことだ!?」
門の前で呆然とするオレに通りすがりの男が声をかけてきた。
「そこの住人から、少し前に国へ帰るって出て行ったよ」
オレは慌てて声をかけてきた男の肩を掴んだ。
「それは、どこの国だ!? どこの国に帰るって言ってた!?」
「そんなの知らねえよ。ただ、えらい手際がよかったから、引っ越し慣れしている感じだったな」
「……そう、か。教えてくれて、ありがとう」
そう呟いて歩き出す。
いまさらながらにリアハの仕事も国も知らなかったことを悔やんだ。
「もっとしっかり問い質しておけばよかった……ヴェールは無事なのか? まさか、ヴェールも一緒に連れ去られた!? いや、それはないな。それだと、ヴェールは行方不明扱いにはなるが学校に籍があるから、寮の荷物はそのままになるはずだ」
それに、ドジが多いとはいえ騎士学校の生徒として実力は十分あり、並大抵のことなら対応できる。だが、最後に別れた時は発情期で体が思うように動かない状態だった。
「あの不審者め……ヴェールに何かあったら、タダじゃおかないからな」
そう悪態をつきながら、これからについて考える。
「こうなったらヴェールの実家に確認するか……手紙だとはぐらかされるかもしれないから、直接行くか……そうなると、ダクテュリオス家がどこにあるか調べないといけないな。よし!」
やることが決まったオレはヴェールの家について調べるため役所へ足を向けた。
人通りが多い大通りを抜け、広場に出る。そこから、すぐ目の前にある白壁の役所。
そこへ向かって一直辺に歩いていると、空気を裂くような大声が響いた。
「号外! 号外だよ! なんと、ベガイスター国王が隣国のナーシュ王と友好条約を結ぶことを発表! その証として末の王子を隣国へ嫁がせるってよ!」
威勢の良い声とともに号外が書かれた紙の束を見せる。
情報に敏感な数人は金を払い、号外を早々と手にして内容を読んでいる。
だた、ほとんどの人は興味なく眺めるだけで、その中の数人が疑問を口にした。
「王子を嫁がせるって変じゃないか? 普通なら婿入りだろ」
「そんなことも分からないようなヤツが書いてる記事なんて読む価値もないな」
そこに号外を売っている男がニヤリと笑った。
「それが、この末の王子は、なんとΩだって言うんだから驚きだ! Ωなら相手がαであれば性別は関係ない!」
その話に傍観していた人々が賑やかになる。
「へぇ、それなら嫁ぐだな」
「隣国は何でΩなんかを欲しがったんだ?」
「いや、Ωって知らなかっただけじゃないか?」
「それなら、知らずに王族を迎えたらΩだったってか? そりゃ傑作だ。おい、その号外を一枚くれ」
「おれもくれ!」
一気に人々が集まり、号外が飛ぶように売れていく。
「末の王子は側室のダクテュリオス侯爵家の娘の子だってよ」
聞き覚えのある家名にオレの耳がピクリと動く。
「侯爵? それだと側室でも一番爵位が低そうだな。他の側室は公爵か他国の王族だろ?」
「それだけ爵位が低い家の子なら、王家としても厄介払いとして丁度良かったんじゃないか?」
「そうだな。そのうえ、Ωの王子って言ったら醜聞が悪いだけだし」
その言葉の羅列にオレは殴りたくなる衝動を抑えた。
(Ω、Ωって、そんなの本人と何の関係もないだろ! いや、それより今は……)
オレは群がる人々を押しのけ、どうにか号外を買うと急いで寮へと戻った。
バン!
自室に戻ったオレはあがった息を整えつつ、手にした号外に目を落とした。
「……」
クシャクシャになった紙に書かれた内容を一文字残さずに読んでいく。
そこには、長年戦争関係であったナーシュ国と新たな関係を築くため、両国の王族を一人ずつ交換することを条件に和平条約を結ぶことが書かれていた。
「嫁ぐなんて書かれてないじゃないか。あの嘘つき男が」
それも号外に興味を持たすための嘘だったのだろう。
そのことにホッとしつつ読み進める。
そして、ついに問題の一文に辿り着いた。
「……王の側室であるダクテュリオス侯爵家の娘の子であるヴェール第六王子がナーシュ国へ。ヴェール王子はΩであり……」
無意識に出ていた声が静かな部屋に響く。
ふいに入学した時のことを思い出した。
『ボクの名前は、ヴェール・ダクテュリオス。ヴェールって、呼んで』
そう言って、ふわふわな亜麻色の髪が揺らしながらオレに白い手を差しだした。その柔らかな翡翠の瞳が、どこかはにかむように笑った顔が、すべてが昨日のことのように鮮明で。
「……まさか、本当に」
ガタッ。
耳に響いた音で自分が床に座り込んだことに気が付いた。
己の体ではないように腰が抜けて動けない。
「どうして……」
背中に触れるドアに全身を預け、色のない天井を眺める。
無事なことは分かった。けど、ヴェールは手の届かない存在になっていた。
いや、それどころか……
「ヴェールが、王子……」
父を冤罪で処刑した王。どれだけ無実を訴えても耳を傾けることもしなかった王。それだけに飽き足らず、アノー家を伯爵から男爵まで降格させ、自分や家族、使用人たちの人生まで狂わせた王。
その王を憎んでいないと言えば嘘になる。何度、憎しみの刃を向け、何度、怨嗟を吐いたか。どれだけの怒りと恨みをため込み、何度、怨讐と憤怒に身を焦がしたか。
だが、そのことを表に出せば反逆者として家は断絶される。
そうさせないため、激情のすべてを騎士になり家を再興するという方向へ変えてきた。そうでなければ、とっくの昔に剣を片手に持ち、王城へ乗り込んでいただろう。
「まさか、ヴェールが……」
憎みつくした王の息子だった。
信じられない……いや、信じたくない。同性同名なら良かったが、Ωの希少性を考えるとありえない。
「クソッ、なんでよりにもよって王の……」
ヴェールから家の話を聞いたことがなかった。
本人が話そうとしなかったからだが、王族なら当然だ。
侯爵家が騎士学校に入学したというだけでも騒ぎになったのに、王族となると騒ぎどころではない。だから、隠していたのだろうが。
オレは改めて号外に視線を落とした。
「これじゃあ、人質じゃないか」
単身で敵対関係であった隣国のナーシュ国へ。
しかも、王族とはいえ、ヴェールはΩ。ナーシュ国でどんな扱いをされるか分からない。
その上、両国の間で何かが起きたら、どうなるか。
あらゆる暴力にさらされ、最悪の場合は殺されてもおかしくない。普通に生活できたとしてもストレスを感じる日々。
そんな環境に身を投じなければならないとは。
「……ヴェール」
夕焼けに染まった部屋に同室の名が虚しく響く。
魂が抜けたように呆然と座り込んだまま。窓の外では静かに陽が沈み、夕闇から夜空へと変わる。
(なんで、こんなことに……)
とにかく首席で卒業して騎士となり戦果をあげ、家を再興する。
それだけを考えていた学生生活。そんなオレの隣でヴェールが王の側室の子なんて気づきもしなかった。しかも、側室の中でも一番身分が低く、そのうえΩだったとは。
様々な衝撃とともに苦しい気持ちがオレの中を駆け抜けた。




