隠していた理由
「ずっと黙ってて、ごめん。学校で他の生徒に知られるか、人前で発情したら即退学っていう約束で入学したから……」
ベガイスター王国ではΩとわかった時点で管理という名目で収容所に集められる。だが、そうならなかったのは侯爵という爵位のおかげなのか……
オレの疑問に答えるようにヴェールが説明した。
「ボクは発情期の症状が凄く軽いんだ。フェロモンも凄く薄くてαでも気づかないぐらいで、抑制剤を飲んでいればボクがΩだと気づく人はいないほどに。それに、ボクは自分の体に合った抑制剤を自分で調合できたから、その薬さえ飲んでいればβと変わらない生活ができていて……」
「だから、騎士学校に入学できたのか」
Ωは定期的に発情期と呼ばれる時期があり、その間は風邪のような軽い発熱と気怠さが現れ、まともに動けなくなる。そして、厄介なのがその時に発せられるフェロモンで、その匂いは強烈でαを狂わす。
そのため、Ωは抑制剤という薬を飲んで症状を抑えてながら国が存在を管理しているのだが。
「うん。昨日は抑制剤の残りが少なくなっていて、その材料の薬草を買いに行っていたんだ。ただ、キミに抑制剤のことを知られたくなくて……」
「それで、様子がおかしかったのか」
「そんなにおかしかった?」
「なんか隠しているような感じがした」
ヴェールが顔を動かして困ったように眉尻をさげた。
「シュバルツに隠し事はできないね」
「同室だからな」
自信を持って言った言葉に、翡翠の瞳がどこか嬉しそうに笑う。
「……ありがとう」
その表情に胸が高鳴ったオレは慌てて顔を窓の外へ向けた。
「で、これからどうするんだ?」
「もう少し休むよ。今の状態だと寮には帰れないから」
騎士学校にはオレ以外のαもいる。
同室のオレだから耐えられたが、他のαだと耐えられないだろう。ヴェールは体調が落ち着くまではの他のαがいる場所には行かないほうがいい。
ただ……
「休むって、ここで休むのか?」
「それはリアハさんと相談してからかな」
その名前にオレは顔を歪めた。
「あの不審者をそこまで頼って大丈夫なのか?」
「リアハさんはボクと同じΩだからね」
信じられない単語にオレの目が丸くなる。
「Ω? αの間違いじゃないのか?」
「αだったら抑制剤を持っているわけないでしょ?」
そのことにハッとなる。
「Ωなのに、あんなに自由に動いているのか?」
オレの問いにヴェールがどこか羨ましそうに表情を緩めた。
「Ωが自由に動ける国もあるんだって。普通に生活をして、普通に働いて……発情期の間だけ休むけど、それ以外はαやβと変わらない生活をしている。そんな国もあるらしいよ」
「そんな国が……」
他国については戦争に関する情報はよく目にするが、Ωの扱いに関しての情報は見たことがなかった。いや、もしかしたら国が意図的に情報を入れないようにしていたのかもしれない。
(そういえば、Ωは優秀な子を産むという話もあったな。だから、国がΩを管理して生まれた優秀な子も国が管理しやすいようにしているとか……? いや、まさか……)
考えこむオレにヴェールが声をかける。
「だから、ボクのことは気にしないで。それより大変なのはシュバルツだよ。学校はどうするの?」
「ウッ」
忘れていたわけではないが、なるべく考えないようにしていた。ただ、いつまでもそういうわけにはいかない。
オレは目を伏せて言った。
「……学長に説明してみる。元は卒業生が仕掛けてきたことだし、そこら辺を説明すれば退学は避けられるだろう」
首席での卒業はあやしくなるが、騎士にはなれるはず。
「うん。……ごめんね、ボクのせいで」
今にも消えそうなか細い声にオレは顔をあげた。
「気にするな。学長ならきっとわかってくれる」
「そうだね。ボクを入学させてくれた学長なら話せば考慮はしてくれると思う」
「そういえば、学長はヴェールがΩだって知っているのか?」
「知っているよ」
当然のように言われたオレは拍子抜けしながら次の質問をした。
「じゃあ、なんで一人部屋にしなかったんだ? その方がΩだってバレにくいだろう?」
「……ボクが騎士学校に入学する条件の一つに、他の生徒と同じ扱いをする、っていうのがあったからね」
「なんか、他にもいろいろ条件をつけられていそうだな」
「そんなことないよ。それに、他の生徒と同じ扱いをされる方がボクは嬉しかったし」
「そうか?」
よく分からないため首を捻ると、ヴェールが嬉しそうに口元を綻ばせた。
「Ωってだけで、いろいろ我慢しないといけなかったけど、それが自由にできたから。それに……シュバルツと同室になれたし」
言葉とともに大輪の薔薇が咲き誇ったような笑みが広がる。同時に、甘い香りがオレの体に直撃した。
「グハッ!」
反射的に胸を押さえて呻き声を吐き出したオレにヴェールが慌てて体を起こす。
「どうしたの!? どこか調子が悪いの!?」
オレに伸びてくる白い手。それに合わせて甘い香りが艶やかにオレの本能を誘惑する。
(お、落ち着け、オレ! 落ち着け、下半身のオレ! とにかく、落ち着け!)
必死に教本の冒頭を暗唱して心と下半身を鎮める。
「だ、大丈夫だ。ヴェールは寝ていてくれ」
理性を総動員して本能を押さえつける。
(抑制剤を飲んでいるとはいえ、これはヤバい)
そう判断したオレは椅子から立ち上がった。
「とにかく、オレや学校のことは気にするな。ちゃんと説明しておく」
「うん、ありがとう」
「また様子を見に来るからな」
オレの言葉にヴェールが微笑む。
「……うん、ありがとう」
この時のオレは気づいていなかった。この儚い笑みの裏にあることを……
~
こうして部屋から出て一階に降りたオレは大きく深呼吸をした。
「ふぅ。同室のオレじゃないと耐えられなかったな」
「なかなか面白いことを言うねぇ」
突如、背後から声をかけられ、慌てて振り返る。
すると、そこには軽く口角をあげて銀髪を揺らすリアハがいた。
「そんなに警戒しなくてもいいよ」
「……」
そう言われて緊張を解くわけにはいかない。
ジッと見据えながら周囲に神経を払う。
(ここは、こいつの屋敷だ)
油断しているつもりはなかった。それなのに、まだ卒業していないとはいえ、騎士学校の生徒であるオレがこうも簡単に背後を取られるとは。
「……本当に、おまえは何者だ?」
オレの質問に真意が見えない灰色の瞳が細くなる。
「まあ、強いて言うなら曲者、かな」
「……不審者の間違いじゃないか?」
オレの言葉に見えないところにある気配が揺らぎ、空気が鋭くなる。
だが、リアハがその雰囲気を飛ばすように笑った。
「そうだね。キミたちから見ればそうなるだろう」
フッと笑い声が消え、冷えた目がオレを見下ろす。
「そんな不審者のところにヴェール君を置いていてもいいのかい?」
まるでオレを試すような声音。
「……ヴェールが大丈夫と言った。それなら、オレはそれを信じるまでだ」
こいつとの間に何があったのかは知らないが、ヴェールはこいつをかなり信用している。
それに、現状として今はこいつにヴェールを任せるしかない。
(かなり悔しいけどな!)
いろんな感情を堪えて見上げていると、灰色の瞳がフッと緩くなり、目尻にシワが寄った。
「今にも噛みつきそうな顔でそう言われても説得力がないぞ、若者。ヴェール君については、私も気に入っているし、悪いようにはしない。だから、あとはキミ次第だね」
「オレ次第? 何をしたらいい?」
まったく話が見えないオレにリアハがニッと口の端をあげる。
「これから分かるよ。もう少ししたら、キミは選択を迫られる。その時にどう動くか……」
言葉を切り、大人の余裕をまとった色男がオレを覗き込む。
「楽しみにしているよ」
そう言った灰色の瞳が愉悦だけではない、微かな同情の色を含んでいた。
~~
翌日。
あれから無断欠席について学長へ説明しようとしたが不在。
そのため、ヴェールがΩということは隠したまま卒業生三人がやらかしたことと、そのためヴェールは動けなくなり知人の屋敷で療養していると説明をした。
その結果、オレの処分は学長が戻ってから決定するので保留という形になり、普段通りの学校生活に戻った……はずだったのだが。
――――――数日後、ヴェールの荷物が寮から消えた。




