第8話 〈しろみ〉と〈きみ〉きゅいきゅいきゅいきゅい
カフェを出てバスで十五分。
最寄りのバス停の名前にもなっている薬師池公園の横を通り、坂を上がっていくと、アパートがぽつんと立っていた。
「こちらです」
静影荘という表札がかかった現代的な作りの二階建て木造アパート。
外壁は明るいベージュ。敷地は生け垣に囲まれていた。
神社の境内を思わせる広い庭の奥には古民家風の建物が見える。
【怪異、神秘、呪遺物の反応四百六十二。悪性反応十七(全て封印済み)】
〈霊コム〉がそんなメッセージを表示した。
事前に聞いた説明通りではあるが、少し驚いた。
「町田にこんな場所があったとはね」
一級の霊地、聖地に近い性質の空間だ。
「最初は納戸からご案内させていただきます。さっき言った呪遺物の収容をしている場所です。帆置さんなら問題ないとは思いますけれど、ここがだめだとちょっとどうしようもなくなってしまいますので」
そう告げたミユキは敷地奥の古民家風の建物、いわゆる離れへと帆置知彦を案内した。
玄関の引き戸を開けると、畳敷きの広間になっている。
「この離れは共用スペースになっていて住人が交流したり、作業したりする場所にしています。昔はこちらが本館で明治時代から下宿をやっていました」
「いい雰囲気だね」
「納戸はこちらになります。万が一、気持ち悪くなったりしたらすぐ教えてください」
広間を通り抜けて廊下に出ると異能で封じられた納戸の扉があり、隣には怪能庁による一級封印施設の認定証が掲示してあった。
「一級封印施設?」
放置または悪用されれば激甚な霊的災害を引き起こしかねない一級呪物や聖遺物を管理・封印することを認可された施設だ。
数は全国で四件。帆置知彦がいた櫻衛建設でも自前で所有していたのは二級封印施設までだった。
「はい、規模が小さいので扱い点数は少ないんですが、一応認可をいただいています」
さらりと言った白河ミユキは扉に鍵の絵を当てロックを解除する。さらに普通の南京鍵を外して帆置知彦を納戸に導き入れた。
◇◇◇
年季の入った納戸には、和箪笥や収納ケースが大量に、迷路のように並んでいた。
「ここで一級呪遺物の預かり業務を?」
古民家としての風格はあるが、封印施設らしくは見えなかった。
「ほとんどは普通呪遺物とか準用呪遺物ですね……たとえば、こんなものとか」
ミユキは和箪笥の引き出しを開ける。同時に、軽い妖気が漂ってきた。
取り出されたのは桐の箱に入った、がたがた動くダルマだった。
「無限ダルマと言います。こうして立てると」
ミユキは箱から出したダルマを和箪笥の上に乗せた。
ダルマはぴょんと宙返りをして逆立ちをした。そこからしばらくすると、また宙返りをして元に戻った。
「これだけかい?」
人によってはこれでも怖いかも知れないが実害はないだろう。
「はい、持ち主の方が海外赴任することになった関係で、こちらでお預かりしているものです」
――呪遺物版のペットホテルといったところか。
「一級呪遺物は奥のほうにしまってあるんですが、さすがにそちらは不用意にお見せするわけにも……そうだ」
ミユキは金網で封鎖されたスペースに入り、収納ケースをひとつ引っ張り出した。
「細かい事情はお話しできないんですが、こちらはある怪異事件に関わる呪物を預かっていた箱になります」
――証拠呪遺物あたりか。
怪異事件の場合、捜査や裁判に必要な証拠品が司法関係者の手に余るほど危険な呪物や聖遺物であることも珍しくない。
そういった証拠呪遺物については怪異・異能庁の認可を受け、協定を結んだ民間封印施設に管理を委託することが許されていた。
「ちょっと開けますね」
そう言ったミユキが収納ケースを開くと、ぞわりとするような妖気が溢れ出した。
中身はもうないのだが、極めて獰悪、かつ高次の呪物を封じ込めていたようだ。
周囲のタンスや収納ケースに収められていた中小の怪異たちが驚き、慄くように反応するのがわかった。
宙返りを繰り返していた無限ダルマが腰を抜かしたように横倒しになり、ごろごろと転がっていく。
〈霊街〉の住民たちも警戒態勢に入った。
――問題ない。残り香だ。
心のなかでそう告げて住民たちを落ち着かせた。
「ごめんなさい、閉じますね」
帆置知彦と納戸の怪異たちに謝ったミユキは再び収納ケースを閉じ、定位置へと戻そうとしたが、その途中でつまずいた。
「大丈夫かい?」
「すみません、私、だいぶ不器用でして」
冗談めかしてはいたが、実際に不器用らしい。白河ミユキは収納ケースを元の位置に戻すのにも苦戦していた。
「手伝おう」
「……お手数おかけします」
ミユキから収納ケースを受け取り、元の場所に収める。
並びの収納ケースにはどれも強力な呪物が収まっているようだ。
ミユキの異能〈オートロック〉によって封じられており、はっきりした妖気の類は感じられないが、ひとつひとつが一級事故物件の開かずの間を思わせる気配を漂わせていた。
「ありがとうございました。いったん出ましょうか」
納戸を出て、鍵をかけたミユキは帆置知彦の顔を見上げると「いかがでしたか」と言った。
「さっきくらいの妖気のあるものと、近くで暮らすことになるんですが」
「ああ、問題ないだろう」
納戸の外に出てしまえば何も感じられないし、さっきの妖気にしても未体験のレベルではない。
怪能系の建設会社の社長として各地を渡り歩いていれば、たまに遭遇する程度のものだった。
「気に入った。ぜひ入居させてもらいたい」
帆置知彦は即決した。
◇◇◇
「一応お部屋のほうも内見してみてください。普通の何もない空き部屋と、ショートステイ用の家具つきのお部屋あるんですが」
「当面はショートステイ用の部屋を貸してもらえるだろうか」
そう答えながら、帆置知彦は周囲に視線を巡らせた。
バレている、と気付いたのだろう。あちこちの物陰から白い影の群が浮かび上がった。
卵、あるいはハムスターのようなサイズのもふもふした小動物――狐のような顔と耳、尻尾を持った何かがふわふわと動き、知彦の前にやって来る。
見える範囲で六十匹程度、静影荘全体ではさらにいるような気配がある。
〈霊コム〉を通じて〈霊街〉の住民たちが告げた数百の反応というのは、ほとんどがこの狐ともまんじゅうともつかない小怪異のものらしい。
きゅっきゅっ、きゅきゅっ。
小さな声で可愛らしく鳴く小怪異、もしくは神秘たち。
「やぁ、はじめまして。入居予定者の帆置知彦だ」
きゅい。
「〈しろみ〉と呼んでいます。私が生まれる前からここに住んでいる神秘……のようなもの、みたいです」
「ようなもの?」
「はい、敷地の北の方に古い稲荷堂があって、そっちの関係なんですが、それ以上のところはよくわからなくて」
白河ミユキにとってもよくわからない存在らしい。
この静影荘の土地神といったところだろう。
神というにはいささか小動物すぎる気もするが。
「気に入られたようだ」
「そうみたいですね」
白河ミユキは笑顔でうなずいて、〈しろみ〉たちも同意するようにきゅきゅっと鳴いた。すると離れの外、軒下や植木、物干し台の影などから大量の〈しろみ〉、それと色の違う黄色い小動物の群れがわっと集まり、群がってきた。
「一体何匹いるんだ君たちは」
毛玉生物たちのとまり木、もしくは風変わりな着ぐるみのような状態で、帆置知彦はそう聞いた。
「〈しろみ〉は二百五十匹くらい、こちらの黄色いほうは〈きみ〉と言って百匹くらいいます。そろそろ離れなさい。熱中症になっちゃうかもしれないから」
きゅいきゅい。
ミユキの言葉を受けた二色の毛玉はふわりと散らばっていく。
「ごめんなさい、暑かったですよね」
「この季節なら問題ない、真夏は勘弁してもらいたいがね」
「夏場はこの子たちも暑がりますから」
何匹かの〈しろみ〉〈きみ〉を頭に乗せたミユキは無邪気な表情で言った。
そのまま毛玉生物に囲まれて本館に向かい、空き部屋のひとつに入る。
日当たりの良い1DK。
壁も床もきれいで、トイレ・バス別、洗濯機や冷蔵庫、エアコン、ベッドや寝具なども備え付けられていた。
「こちらのお部屋です。怪能関係の事件の証人保護だとか、霊的災害の被害者の緊急避難先として提供しています」
「僕が使ってしまっていいのかい?」
「幸か不幸か、空き部屋はまだいくつかありますので。ちょっと狭いかも知れませんが、いかがでしょうか」
「ああ、問題ない。会社をクビになる前は年の半分くらいは現場で寝泊まりをしていたからね」
残りの半分はホテルや飛行機、あるいは車中泊となる。
「一年の半分ですか……」
「そうドン引きされると照れるな。怪異関連の仕事は夜が本番みたいなところがあるからね。ある程度は仕方がないのさ」
あくまである程度であって、年の半分というのはやはり褒められたものではないのだが、それは言わない帆置知彦であった。
「照れるところではないと思うんですが……」
そんなツッコミを受けつつ、帆置知彦は東京町田の奇妙なアパート、静影荘への入居を決めたのであった。
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〈File No.1-01 無職 帆置知彦――帰国から入居まで〉終了
〈File No.1-02 住人 帆置知彦――脱走から籠城まで〉に続く
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ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回からは〈File No.1-02 住人 帆置知彦――脱走から籠城まで〉をお送りします。
二話で終了、平和な小騒動エピソードになります。
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