第6話 〈怪異性火災〉ヴォカロ声の美少女消防士
怪異『四号車のスリ』を颯爽と処分した帆置知彦だが、結果的に町田付近に現れたという情報が出回ってしまった。
自分から出ていくぶんには問題ないが、誰かに見つけられるというのはなんとなく気に入らない。そんな幼児的な感情から町田駅近辺に居座り、無闇にデパートの喫茶店に長居したりして追手をやり過ごし、JRの町田駅のほうまで出てくると、頭の中で声が響いた。
(『市長』、火の怪異、気をつけて)
『四号車のスリ』のときとはまた違う、電子的な反響を帯びた少女の声。
ヴォカロ、バーチャルシンガーなどと呼ばれる歌声合成ソフトウェアから出力したような声だった。
――霊的治安が悪すぎやしないかこのあたりは。
黒い帽子を被り直しつつ周囲を見渡すと、頭上から爆音が響いた。
振り向くと、JR町田駅に接続するステリーネ町田というビルの高層から煙が上がっていた。
――ガスか。
普通のガス爆発なら消防署の仕事だが、どうやら怪異絡みらしい。
怪異・異能関連施設の設計、施工、管理、営繕、解体を手掛ける怪能系建設業者としての目で、煙をあげるビルを観察した。
ガラス壁の内側、緊急停止したエスカレーターの上にへたりこんで動けなくなった女性の姿があった。
長めのボブカット、黒のボレロにアイボリーのワンピース。
細身でどこかおっとりした空気。
明らかにわけがわかっていない様子で目を瞬かせ、周囲を見回していた。
(『市長』また爆発する)
少女の声が再び警告した。
――仕方がないな。
タイミング的に目立つことは避けたいところだが、そうも言っていられない。
群衆をすり抜けた帆置知彦はビルの脇から真上に八メートルほどジャンプ。エスカレーター真横のガラスの前まで到達した。
常人ではありえない、一発で大騒ぎになるレベルのジャンプ力だが、ビルを見上げる人間たちの目に映ったのは、かすかな光のゆらぎだけだった。
さらにはビルのガラス壁を幽霊のようにすり抜け、取り残された女性の側に着地する。
その刹那、二度目の爆発。
悪意と敵意を感じさせる炎と衝撃が雪崩のように押し寄せて来た。
「失敬!」
女性の体を抱き上げて加速。爆発を上回る速度で駆け抜けて、デパートのエントランスから飛び出し、一瞬だけ振り返る。
迫る爆炎に左の手のひらを向け、帆置知彦は異能を行使する。
――アクセス『熱圧区画』
召喚顕現『耐火』!
(ウー! カンカンカンカン! 霊街消防隊! 出動しまーす)
先ほどと同じ少女の声と共に、帆置知彦の手のひらから光の球が放たれた。
光球は見る間に大きくなり、サイバーパンク風の防火ジャケットに、青く透き通った髪色の少女に変わる。
有名な歌声合成ソフトウェアのキャラクターを消防士風にアレンジしたような姿である。
「現場状況確認完了、水弾消火モード起動──鎮圧開始」
物理的振動を伴う声で告げ、消火ホースを構えた防火ジャケットの少女『耐火』は、蒼い光を帯びた水球を砲弾のように撃ち出す。
水球は空中で閃光を放って弾けると、押し寄せる爆風とぶつかりあって相殺。無害化して消し去っていく。
「鎮圧完了。だいじょうぶ?」
「ああ、いい仕事ぶりだ」
「いえい。上の方、ちょっと見ていっていい? けが人がいるかも」
炎の少女はビルの上層を指さす。
「いいだろう、僕は一旦離脱する。適当なところで戻ってきてくれ」
「おっけー、じゃあまたあとで」
のんびりした調子の声と共に、炎の少女はビルに突入していった。
帆置知彦もまた、再度跳躍してデパート前から離脱する。
まだ状況を理解できていないらしい女性を抱きかかえたまま町田駅の屋根の上を駆け抜け、雑居ビルの上へと退避した。
「怪我はないかな?」
「……えっ、あ、はい、大丈夫です。びっくりして腰が抜けちゃってたみたいで。もう立てると思います」
女性は気恥ずかしそうな表情で言った。
「あの状況では仕方がないだろう」
抱きかかえていた女性を足からそっと降ろす。
「では、ここで失礼させてもらうとしよう」
救出目的とはいえ、見ず知らずの女性を同意もなく抱きかかえ、ビルから攫ってきている。
いつ悲鳴をあげられてもおかしくない。
事によっては通報、訴訟リスクも発生しているかも知れない。
さっさと逃げ出そうとしたそのときには、既に捕まっていた。
カチャン。
金属的な質感を持つ、半透明の手錠型の何かが、帆置知彦の手首を近くの柵に繋ぎ止めていた。
「?」
物理的な手錠ではなく、異能の類で生み出された概念的な拘束具。
「……もしかすると、警察関係の異能者かな?」
解除方法を脳内で探りつつ問いかける帆置知彦。
「あ、ああっ、いえ、滅相もありませんっ!」
女性は全力で首を横に振った。
「警察とは無関係……でもないですが、警察官じゃありません。条件反射でつい……すぐに外します! ハイっ!」
「条件反射で人に手錠を?」
「はい、そういう異能で……すみません、少しだけお待ちいただけますか?」
女性はトートバッグからペンと小さなスケッチブックを取り出すと、手慣れた筆致で手錠用の鍵のイラストを描き始めた。
「本職だろうか」
慌てぶりとは裏腹に、ペンの動きは堂に入っている。
「あ、はい、イラストレーターをやっています」
そう告げた女性は、鍵のイラストをスケッチブックからはがし、帆置知彦の手錠に触れさせた。
絵の中の鍵が立体感を帯びて浮かび上がり、手錠の鍵穴に入り込み回転した。
澄んだ金属音と共に、拘束がほどけた。
「助けていただいたのに、失礼なことをしてしまって申し訳ありません……それで、あの、もし良かったら、少し、お話をできませんか?」
興味を持たれたようだ。
やけに目がキラキラしていた。
「話をするのは構わないが、実は追われる身でね。迷惑をかけてしまうかも知れない」
「追われる身、ですか?」
「ああ、マスコミや当局にね。自己紹介をしたほうがはやいか。『黒帽子』、憑依解除を」
帆置知彦が黒い帽子を取ると、怪盗めいた衣装が姿を変えて、カジュアルなポロシャツにスラックス、ジャケットへと変化した。
「僕の名前は帆置知彦。前職は会社経営者だが今は無職。今朝日本に戻ってきた世界の大男児だ」
ドヤ顔で名乗りをあげる帆置知彦。
しかし女性の反応は、彼の想定とは少し違っていた。
「社長さんをしていらしたんですか」
一応感心はしている様子だが「あの帆置知彦っ!」という反応とはほど違い。
わあ、とか、おお、程度の一般的な感心のようだった。
――帆置知彦を知らない?
必要以上に自我が肥大した帆置知彦は妙なショックを受ける。
「申し遅れました。白河ミユキと申します。サブカルチャー系のイラストレーターをやっています。たてこんでいらっしゃるんでしたら無理にお引き止めはできませんね。すみません、変なことを言ってしまって。絵になる雰囲気の方だと思ったらつい……」
今頃になって変な申し出をしたと思ったのか、白河ミユキは気まずそうにそう言った。
「忘れてください」
「待ちたまえ」
お辞儀をする白河ミユキに、帆置知彦はやや複雑な表情で言った。
「追われてはいるが急ぎの用事があるわけじゃない。話をして行こうじゃないか」
――少し話せば思い出すだろう。
帆置知彦は無闇に自尊心が高い男である。
『認知ゼロ』的な雰囲気のこの女性をどうにかしないことには引っ込みがつかない気分になっていた。




