第5話 〈四号車のスリ〉電車内での重機(油圧ブレーカ)の運用はお控え下さい
【ピックアップニュース:09:52配信】
ホワイトハウス爆破事件で米当局の聴取を受けていた
元櫻衛建設社長の帆置知彦氏(29)が、
本日朝、成田空港に到着しました。
関係機関によりますと、
帆置氏は入国審査を通過した後、
所在を確認できなくなっているということです。
政府関係者は「安全上の問題は確認されていない」としています。
◇◇◇
新宿から小田原方面に向かう電車の中。
ニュースを表示する液晶ディスプレイの下に黒い帽子にサングラス、スーツ姿の男が立っていた。
百八十センチ足らずで細身、サングラスがなければ優男系の風貌である。
朝から報道が続いている櫻衛建設元社長、帆置知彦の写真と同じ風貌だが、どういうわけか、目を留める人間はいなかった。
【櫻衛建設の桃井氏、怪能庁の古西長官ほか関係各所から電話、メールが千件を超えました】
AIクライアント風アプリ〈霊コム〉が、男のスマホにそんな通知を表示する。
――意外に少ないな。
【個人アカウントへの問い合わせのみになります】
頭の中で呟いただけで〈霊コム〉は反応する。
――ならそんなものかな、定型文で処理しておいてくれ。
【かしこまりました】と表示した〈霊コム〉は、続けて新たなメッセージをポップアップさせた。
【後方、四号車にて怪異の反応を確認。悪性怪異の可能性大】
――穏やかじゃないな。様子を見にいってみようか。
現在の車両は一号車。時刻は午前一〇時三〇分。土曜の下り各駅停車。立っている人間は少なく、移動の障害になるのは車両間のドア程度。手間取ることも無く三号車まで移動すると、濃い怪異の気配があった。
重く冷えた空気。照明や液晶ディスプレイが不規則な明滅を繰り返している。
ぞぞぞ、ぞぞぞ……。
そんな擬音が似合いそうな気配の中、乗客たちは怪異の放つ霊的圧力に押しつぶされ、金縛り状態になっていた。
逃げることも、悲鳴をあげることもできず震え、うつむき、凍りついている。
ガラス越しに見える四号車では、小学生くらいの女児の前に泥人形のような姿の黒い怪異がぶら下がっていた。
全高でいうと一メートル半。ただし、下半身がない。上半身の切断面で天井に張り付いて、シートに座った女児の顔を左右から掴み、無理やりに自分のほうを向かせていた。
車両を支配する邪悪な空気を意に介することなく、男は最後の扉を開く。
怪異の声が聞こえた。
「……オマエダロ? オマエノセイダロ? オマエノセイデシンダンダ。アヤマレヨ! アヤマレッテイッテンダロ! キイテンノカ! ナァ……」
「ガラの悪い怪異だな。情報はあるかい?」
気楽な調子で確認すると、頭の中に回答が響いた。
(インターネット、ファントムネットにて〈四号車のスリ〉という都市伝説がヒットしました。とある電車の四号車で小学生に「泥棒」と叫ばれ逃走し、線路に転げ落ちて死んだスリが怨霊となり、東京各地の電車の四号車に出没。児童の前に現れて謝罪を迫りますが、恐怖のあまり謝ると「オマエカ」と言って線路に引きずりだし、轢き殺させてしまうそうです)
「理不尽だね。助かる方法はあるのかい?」
(ホオキトモヒコと三回繰り返せ、という情報がありましたがデマかと)
「ははは、そりゃあいい」
愉快そうに男は笑う。
目の前の異形を、それが撒き散らす悪意を笑い飛ばすように。
その声に振り向いた怪異は、男に向けて黒い手を突き出す。
重油にまみれたような質感。
異常に長い指は片手で八本。さらには一本一本の指の先端が赤ん坊の手のようになっていた。
〈四号車のスリ〉という名に相応しい速さで伸びた異形の手は、だが、男には届かない。
――アクセス『痛快工兵駐屯地』
限定顕現『右腕』
油圧ブレーカ装着。
迎撃だ。
虚空より突き出した長さ二メートルに及ぶクロムモリブデンの鏨が、怪異の手を迎え撃つ。
油圧ショベルのアームに取り付けて使う、油圧ブレーカと呼ばれる対岩盤、コンクリート用アタッチメントの先端部。
見た目は杭に似ているが、正体は一分間に五〇〇回の衝撃を打ち出す単発ピストン式ハンマーとなっている。
ガンガンガンガンガンガンガンガン!
四号車どころか列車全体に轟く打撃音と共に鏨が異形の手に突き刺さり、腕もろとも、跡形もなく消し飛ばす。
怪異は体をのけぞらせ、絶叫するが、その声もまた、打撃音に押しつぶされていく。
異音に気付いた車掌が「緊急停車いたします!」とアナウンスし、運転士が列車にブレーキを掛ける。
――おっと、危ないな。一旦戻してくれ。
頭の上のパイプに捕まり、男は急ブレーキの慣性をやり過ごす。
それと同時に、謎の鏨も引き戻される。
油圧ブレーカの咆哮がぴたりと止んだかと思うと――。
「そこだ」
再び突き出した鏨が窓ガラスをびりびりと震わせながら怪異のもう一方の腕に襲いかかり、消し飛ばす。
「アアアアアアッ!」
怪異は悲鳴をあげ、頭を振り回す。
――こんなところか。迷惑だからここまでにしておこう。
パイプから手を離し、鏨を引き戻した男は、続いて投げ縄を放つ。
工事現場で使う黄色と黒のトラロープ。
怪異の首にトラロープを引っかけると、そのまま簡単に天井から通路へと引き落とす。
そのあたりで、列車が完全に停車した。
「車内で異常な音を確認したため、緊急停車を行いました。乗客の皆さまはそのままお待ちください」
「アアアアアーーーッ!」
車掌のアナウンスが響く中、怪異はのたうち、絶叫する。
「観念したまえ、小学生専門の怪異など見苦しいことこの上ない」
男はトラロープで怪異を縛り上げ、猿ぐつわをかませる。
周囲を支配していた怪異の圧力が弱まり、乗客たちが息をつく。
そこに確認にやってきた車掌が「失礼します! こちらで何か……うわぁぁぁぁっ!」と悲鳴をあげた。
「見ての通り、悪性の怪異が出たので緊急対応を行った。すまないが他の列車の運転も止めて、あちらのドアを開けてもらえるだろうか。最後の処理を行いたい」
「線路上で、怪異の処理を……?」
「ああ、次の駅まで待ってもいいが、今度はホーム上の利用客の誘導が大変だろうからね。どちらでやるかはそちらの判断に従うよ。一応名乗っておこうか、僕の名前は帆置知彦、今は無職だが怪異解体のエキスパートだ」
サングラスを取り、帆置知彦は名乗りをあげた。
ついでに「帆置知彦氏帰国」のニュースを表示したスマホ画面を警察手帳のようにかざして見せる。
「し、少々お待ちくださいっ!」
車掌が司令所に連絡を取って数分後。
安全確保のため上下線の全列車を停止。この場での処理を帆置知彦に依頼するとの決定が下った。
◇◇◇
鉄道側の準備を待つ間に、帆置知彦は怪異に狙われていた女児に声をかけた。電車には一人で乗っていたようだが、今は近くにいた女性達が付き添っている。
「災難だったが安心したまえ、この怪異はこの帆置知彦が責任をもって処分する。僕自身もさっき知ったんだが、この怪異はホオキトモヒコと三回言えばどうにかなるらしい。ホオキトモヒコ、これで三回。いや四回か。何にせよ、この怪異の命運はもはや尽きたというわけだ」
帆置知彦が冗談めかした口調で告げて間もなく、上下線の全列車が停車。四号車の乗客は帆置知彦と〈四号車のスリ〉を残して前後の三号車、五号車へと退避した。
「四号車左側、進行方向より二番目のドアを開放しますっ!」
車掌のアナウンスが響き、ドアの一枚が開く。
乗員、乗客が固唾を呑み、一部がスマホを構えて見守る中、気負った様子もなく動き出した帆置知彦は、縛り上げた怪異を「よっこらせ」と声をあげて持ち上げ、ドアの前へと移動させた。
――アクセス『痛快工兵駐屯地』
限定顕現『左腕』
グラップル装着。
処分を頼む。
開いたドアの向こうで空間が歪み、木材やスクラップの運搬に用いるグラップルと呼ばれるアタッチメントを付けた油圧ショベルのアームが突き出す。
〈四号車のスリ〉を捕まえたアームは、見えない渦へ怪異を引きずりこむように戻って行く。
怪異はもがき続けているものの、運命は変わらない。
なすすべもなく虚空へ引き込まれ、静かにその姿を消した。
帆置知彦は列車の乗客たちに一礼する。
「お騒がせした。ただ今を持って当車両に出現した怪異の処理を完了した。引き続き今日という日を楽しみ、業務に勤しんでくれたまえ」
◇◇◇
その後、帆置知彦と被害女児は混乱防止の為運転室へ移動した。
「こいつはお守り代わりだ。困ったことがあったら連絡してくれたまえ」
名前とメールアドレスを書いた個人用の名刺を女児と車掌に手渡した帆置知彦は、直近の町田駅で電車を降り、そして再び行方をくらませた。




