第32話 ハシバミと鮭と叡智
”お仕事の相談があります”
白河ミユキからメッセージを受けた時、帆置知彦はショートステイ用の部屋から借り換えた二つの空き部屋に、新しい家具やデスクを運び入れ、新生活と新規開業の準備を進めていた。
一階に借りた部屋のドアには、鴻鵠建設という新会社のプレートが貼り付けてある。
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。
燕や雀のような小物には鴻や鵠のような大物の志を理解することはできない、という意味の故事成語からとった会社名。
つまり大物建設という意味である。
記念すべき最初の相談を入れてきた白河ミユキは現在フォースウォールプロダクションというVTuber系芸能事務所の車で移動中らしい。
帆置知彦のほうから電話をかけ、相談内容と現状を確認した。
「ハシバミと鮭と叡智か、ケルトのフィン・マックールの逸話を思い出すな」
パソコンのブラウザで開いた〈霊コム〉の画面を眺めながら呟く。
「ゲームで聞いたことがあります。アイルランドでしたっけ」
「ああ、そっちの神話だ。アイルランドにはハシバミの実には知恵の聖霊が封じ込められている、という詩もあるらしい。そのありがたいハシバミの実を餌に育った鮭を口にした英雄フィン・マックールは難題に立ち向かう知恵を手にいれた、という逸話だな。話の構成要素が共通している」
「同じタイプの怪異ということでしょうか」
「ケルトのハシバミが日本に来て妙な変化をしたのかも知れないな。『副官』がまとめた情報によると、榛寿谷が最初に記録に登場したのは一八〇〇年代。大規模な隠田として当時の代官に摘発されたそうだ」
「オンデン?」
「隠し田と言ったほうがわかりやすいかな、年貢を逃れるために作られた秘密の田んぼのことだ。ここで重要なのは地名だな、この時点での呼称は榛谷と呼ばれていたが、この時点で既に榛というワードが入っている」
「一八〇〇年代から生えていたということでしょうか?」
白河ミユキは少し驚いた声を出す。
「恐らくはね。榛谷の隠し田はそのまま歴史から姿を消したが、一九五〇年代に入ってダムの建設が始まり、榛谷に資材置き場と労働者宿舎が作られた。ダムの完成後は一旦放棄されたが、ダム建設に参加していた黒島建設の会長、黒島義徳がダム工事の殉職者の遺児を中心に孤児を集め、榛寿谷育英村という共同体を作った。それが今の榛寿谷の起源だ」
〈霊コム〉の画面に二〇人ほどの少年少女に囲まれて笑う黒眼鏡に禿頭の実業家、黒島義徳のモノクロ画像が表示された。
「スタートアップの時点では黒島義徳の持ち出しの慈善事業だったが、発足から一年そこそこで人材の産出が始まっている。英才教育やらスパルタ教育で説明できる育成速度と人数じゃない。最初から〈えいちさま〉を軸にした人材育成を目的に作られた集落だったんだろう」
「黒島義徳という人が黒幕なんでしょうか?」
「もとはといえば、という意味ではそうだろうね。ただし、一九七五年にはもう死んでいる。現在の榛寿谷を牛耳っているのは『大樹の会』と呼ばれる榛寿谷出身の有力者連絡会だ」
〈霊コム〉の画面に有力企業の経営者、高級官僚、政治家などのプロフィールが表示されていく。
〈はしばみゆべし〉を送りつけてきた堀川保のデータも混じっている。
肩書は榛寿谷総合病院院長となっていた。
「どう対応するべきなんでしょう」
「白河くんなら〈えいちさま〉くらい封印できそうだが、そこはどうなんだい?」
「異能的にはできなくないと思いますが、〈えいちさま〉をロックするには、〈えいちさま〉のことを理解して、封じるべきものだと認識する必要があります。なにをどこまで封じるのかの認識も。そのためには、榛寿谷に乗り込んで〈えいちさま〉と向き合わないといけません……ですが、私はインドア系陰キャなもので……」
最後のほうは内緒話の声量になった。
「なるほど」
白河ミユキは強力な異能の持ち主だが、奥多摩山中の怪しい集落に殴り込んだり潜入したりするキャラクターではない。
体力や運動神経を考え合わせると〈えいちさま〉どころか榛寿谷に辿り着く前に力尽きたり遭難したりする可能性もある。
「では、やはり、我が社の出番だな。任せたまえ、パワフルかつダイナミックな解決をご覧に入れよう。だが、相手の規模がそれなりに大きい上、事務所のスタッフや所属タレントの保護も必要だ。予算についてはそれなりに確保してもらいたい。フォースウォールプロダクションの代表を交えて話をさせてもらえるだろうか、フロントロー株式会社だったか」
フォースウォールプロダクションの代表、小中大鯨を指名した帆置知彦だが、この時点では病院に行っていた。
一旦電話を切り〈霊街〉の力を借りて情報収集と整理を進めていくと、鷲寺ツバサが運転するライトバンが白河ミユキと沙津真ちぇすと、〈しろみ〉と〈きみ〉たちを乗せて静影荘の敷地に入ってきた。




