第31話 天才の里
「引戸祈というのは?」
以前沙津真ちぇすとの配信で流れていった祈ちゃんというコメントが脳裏に蘇った。
「沙津真ちぇすとの本名です。彼女は一五歳から一九歳までの間、この手紙にある榛寿谷という集落で暮らしていました。名産品はハシバミの実、いわゆるヘーゼルナッツと人材です」
「人材?」
「はい、この国の中枢を担うレベルの知的人材を数多く輩出し、昭和には天才の里と言われて持て囃されていました」
小中大鯨は厳しい表情で言った。
「てんさいのさと、ですか、すごい語感ですね」
「さすがに平成、令和までいくと時代にそぐわないということで言われなくなったそうですが、今でも天才を生むこと、日本の将来を担う有為の人材を輩出することを使命とし、ある種の秘教的儀式を繰り返しているそうです」
「どのような儀式なんでしょうか?」
白河ミユキの質問を受け、沙津真ちぇすとが口を開いた。
「榛寿谷では〈えいちさま〉と呼ばれる大きなセイヨウハシバミを祀っていて、毎年七月ごろ、二十歳になった女性がひとり〈えいちさま〉を祀る社に入り〈えいちさま〉の実、つまりヘーゼルナッツだけを食べて、五穀豊穣や国家繁栄、天下泰平などを願って過ごすという風習があります」
「これのこと、でしょうか?」
白河ミユキはロック状態の〈はしばみゆべし〉を示す。
「はい、実際にはゆべしどころか、実と水以外のものは与えられませんが」
「身体を壊しそうですね」
「壊すというか……溶けてしまいます」
「溶ける?」
きゅい……?
……キュイ?
〈しろみ〉と〈きみ〉たちの何匹かが身震いをした。
「〈えいちさま〉の社に入る女性のことを、ひらがなで〈みこ〉と呼びます。〈えいちさま〉の実だけ何週間も食べ続けた〈みこ〉は、徐々に思考力がなくなっていって、最後は〈えいちさま〉の前にある池に入り、どろどろに溶けて消えてしまいうんです。骨だけ残して」
沙津真ちぇすとはなにかおぞましいものを思い出したように目を伏せた。
「それからしばらくすると、社の近くの池の中に〈知恵の鮭〉と呼ばれる、よく分からないものが十匹くらい現れます」
「よくわからないもの?」
「一応動画を撮ってあります」
沙津真ちぇすとはスマホを取り出し、クラウドストレージに保存してあった動画を表示した。
防災用の調整池に似たコンクリートの池の中を、体長一メートルほどの金の魚影がいくつも淡く輝きながら泳いでいる。シルエットは鮭に似ているが、何かが違う。
致命的なレベルで。
きゅい……?
キュキュイ……。
「……なるほど、これは、よくわからない、ですね」
輪郭としては鮭に似ているが、内側にあるべき骨や内臓、エラといった、魚としてのパーツの存在が感じ取れない。
クラゲや粘菌などが、無理矢理魚の形に擬態しているような印象だ。
「こちらは〈えいちさま〉の写真になります」
続いて沙津真ちぇすとは一枚の静止画を表示した
樹高二〇メートルを超える巨大なセイヨウハシバミの樹影。
枝葉を含めた全体的な輪郭は巨大な人の脳に似ていて、幹や枝にも至るところに人の脳に似た瘤が浮かび上がっていた。
手前には〈知恵の鮭〉が泳いでいた池と、木造の社が見える。
「……SANチェックしたくなりますね……」
白河ミユキは身震いし、〈しろみ〉〈きみ〉たちもきゅいきゅい、キュキュイと声をあげた。
沙津真ちぇすとは続ける。
「そして、八月になると、高校三年生になった榛寿谷の男子は〈叡智浴〉という儀式を行います。この池に入ると、選ばれた男子が〈知恵の鮭〉と合一して叡智を授かり、この国の未来を担う人材になるんだそうです」
「合一、いうのは?」
「直接見たわけではないんですが〈えいちさま〉の池に入ってしばらくすると、選ばれた男子のところに一匹ずつの〈知恵の鮭〉が近づいていって、顔の穴から入り込むと聞きました」
「顔の穴、ですか」
寄生型のクリーチャー、という単語が白河ミユキの脳裏をよぎった。
沙津真ちぇすとは「はい」とうなずき、話を続ける。
「〈知恵の鮭〉と合一して叡智を授かった榛寿谷の男子は国公立の大学や名門の私大に入り、そのまま官公庁や大手企業などに入って地位や権力を握り、榛寿谷に利益や便宜を供与して行きます」
「それは、警察の中にも、ということでしょうか」
警察への通報を渋った理由がわかった気がした。
「はい、十九歳の時、私は榛寿谷から逃げ出しました。けれど、法的には私は家出人ということになっていて、警察に連絡されると、榛寿谷に連れ戻されてしまう可能性が高いんです」
「榛寿谷を告発することはできないんでしょうか」
「どこに相談したらいいのかもわからなくて。榛寿谷の人脈は政財界、マスコミなどにも及んでいますので」
「政財界、ですか……」
白河ミユキは無意識に額に手をやる。
そこまでの規模になってしまうと、沙津真ちぇすと個人や新興企業のフロントロー一社で太刀打ちできる相手ではないだろう。
「……打つ手がない、ということでしょうか」
白河ミユキは小中大鯨のほうに目を向けて言った。
「はい、お恥ずかしながら、今のところはなにも」
小中大鯨はそう応じ、沙津真ちぇすと、鷲寺ツバサも沈痛な表情で押し黙る。
きゅい。
キュイキュイ。
〈しろみ〉〈きみ〉たちの声だけが社長室に響く中、白河ミユキは一人の男の顔を思いうかべた。
「それなら一旦、私のアパートに避難しませんか? 怪異や異能、因習村に強い業者に心当たりがあります」




