第30話 〈はしばみゆべし〉
イラストレーターまやろく先生こと、白河ミユキが呼び出したのは、〈玉狐〉と呼ばれる神秘寄りの大怪異の右前足である。
白河ミユキが生まれる以前から静影荘の祠に祀られ、静影荘の土地神のように振る舞っているが、正確な由来や出自などは不明。
右前足が分解し〈しろみ〉〈きみ〉として散らばったことで分かる通り、ゲームでいう合体モンスター的な存在らしい。
なお〈しろみ〉と〈きみ〉を漢字で書くと〈白魅〉〈黄魅〉となる。
紙に鳥居を書くという〈こっくりさん〉めいた方式で静影荘の外にも召喚できるが、送還する方法はないので、多量の〈しろみ〉と〈きみ〉を普通に連れて帰らないといけないのが厄介なところである。
謎の〈新芽〉に取り憑かれていた小中社長は間もなく正気を取り戻し、「とんでもないことを言ってしまいましたが、私の考えではありません」と沙津真ちぇすとに謝罪し、念の為、怪異科のある病院で精密検査を受けることになった。
ことの経緯としては正午に届いた小中大鯨あての荷物が「どういうわけか」何のチェックも受けずに小中大鯨のところまで届けられ、小中大鯨もまた「どういうわけか」何の警戒もせずに荷物を開け、中に入っていた〈はしばみゆべし〉という菓子を口に入れ、見事に怪しい〈新芽〉に取り憑かれてしまっていたらしい。
小中大鯨や会社の人間が不用意というより〈はしばみゆべし〉自体が狙った人間の口に入り込む性質を備えていたのだろう。
まだパッケージに残っていた〈はしばみゆべし〉に鷲寺ツバサが手を伸ばしかけていたのでそちらもロックをかけた。
メインターゲットであるはずの沙津真ちぇすと本人は〈はしばみゆべし〉には魅入られていないようだ。
はっきり目視することはできなかったが、神秘よりの力を持つ何かに守られているようだった。
なにはともあれ怪異系不審物送付事件である。
すぐにでも警察に通報するべき場面だが、小中大鯨は難色を示した。
「警察への通報は、少し考えたいと思います」
「恐れ入りますが、猶予のある状況ではないと思います」
きゅいきゅい。
キュキュイ。
部屋中を飛んでいる〈しろみ〉〈きみ〉も同調するように鳴き騒ぐ。
「今回は偶然私が居合わせて対応できましたが、また新しい〈はしばみゆべし〉が送られて来る可能性もあります。警察を通してきちんと対応してもらうべきだと思います」
箱ごとロックした〈はしばみゆべし〉とポーチに閉じ込めたままの〈新芽〉を示してミユキは言った。
「それだと、向こうの思う壺になってしまう危険があるものでして」
小中大鯨は苦しげな表情で言った。
「まやろく先生に説明してもいいでしょうか、中村さん」
ーーナカムラ?
少し混乱しかけた白河ミユキに鷲寺ツバサが「身バレ防止用の偽名になります」と囁いた。
沙津真ちぇすとが「はい」と頷いて、小中大鯨は一通の封筒をテーブルに置いた。
「こちらは問題の〈はしばみゆべし〉に添えられていた手紙です。差出人は東京都奥多摩町榛寿谷の堀川保という人物です」
「拝見します」
早速文面を確認してみる。
◇◇◇
拝啓 時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
平素は貴社におかれまして、孫・引戸 祈の活動に格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて祈は、ご縁あって榛寿谷を離れ、今も都にて活動を続けております。家族といたしましては、その健やかな日々を案じつつ、久しく顔を見られぬことを寂しく思っております。
榛寿谷は小さな集落ながら、代々のしきたりや結びつきを大切にしてまいりました。祈にもまた、将来にわたり地域にとって欠かすことのできない役割が期待されていることは、本人も重々承知のはずです。
つきましては、せめて一度でも帰郷の機会を設け、家族や里の者に元気な姿を見せていただければと願っております。祈が日頃より信頼申し上げている小中社長からも、「たまには里に顔を見せておいで」とお声掛けいただければ、本人にとっても心強い後押しになるものと存じます。
同封の榛ゆべしは、谷の銘菓にてございます。お口に合いましたら幸甚に存じます。
末筆ながら、貴社のますますのご発展と皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げます。
敬具
東京都西多摩郡奥多摩町 榛寿谷
堀川 保




