第29話 狐まんじゅうの乱入
「座っていてください。引戸さんが榛寿谷に帰らないというならば、引戸さんの顔写真や個人情報をネットに放流することもできるんですよ。それでもというなら、フォスプロの所属タレントの個人情報をひとりずつ放流していくこともできます」
紳士的な表情のまま、常軌を逸したことを言い出す小中大鯨。
「な、なにを言ってるかわかっているんですか! 榛寿谷には全く関係のないタレントじゃないですかっ!」
沙津真ちぇすとは必死でそう叫んだが、小中大鯨は平然と「ええ」とうなずいた。
「フォスプロのタレントなんかより、〈えいちさま〉と榛寿谷のほうが大切ですからね。この国があるのも、私達のこの会社があるのも全部〈えいちさま〉のおかげです。榛寿谷にいた引戸さんが、なにをわからないことをおっしゃっているんでしょうか?」
当たり前のような口調で言った小中大鯨はスマホのキーパッドに電話番号を入力していく。
その背後で、社長室のドアからカチリと奇妙な音がした。
◇◇◇
鍵の開閉音に似ていたが、カードキー式の扉からはでない種類の音と共に、ドアの隙間が小さく開く。
そこから、狐風の耳と尻尾を生やした小さな怪異が三匹飛び込んで来た。
キュイ!
キュイ!
キュイキュイ!
一口まんじゅうのようなサイズの黄色い怪異たちは、小中大鯨のスマートフォンに体当たりをして跳ね飛ばし、素早くかすめ取る。
「うわっ!」
小中大鯨の混乱の声。
それと同時に、今度はキン、という金属音が響く。
その瞬間にはもう、小中大鯨は淡く輝く異能の鎖で縛り上げられ、その場に膝をついていた。
ドアが更に開いて、マネージャーの鷲寺ツバサが顔を出す。
更にその後ろから、20代前半、ショートボブの女性が現れた。
◇◇◇
「わ、鷲寺さん! これは一体なんのつもりですか! 物理で私を倒しても社長の座は手に入りませんよっ!」
謎の鎖に拘束されたまま、小中大鯨はややコミカルな怒りの声をあげた。
「お、恐れ入ります。まやろく先生が、社長室に怪異が潜んでいるとおっしゃいまして……」
ショートボブの女性の正体は、沙津真ちぇすとのキャラクターデザインを手掛けたまやろく先生のようだ。
少し困ったような表情を見せた女性は「どうも、はじめまして」と挨拶をした。
「イラストレーターのまやろくです」
「そんなことはどうでもいい! 誰の手引きでここに入って来た! 鷲寺さんのIDカードではこの部屋に入れないはずだぞ……っ!!!」
キン。
と再び金属音がして、小中大鯨の口がガムテープでも貼られたように動かなくなる。
「!?!?!?」
「申し訳ありません、後で説明しますので」
恐縮した表情で言ったまやろく先生は、カバンからスケッチブックを出すと、鳥居のマークを描き、逮捕状でも見せるように突き出した。
「たまこさん、たまこさん、おてをかしてください」
〈こっくりさん〉を思わせる口上。
次の刹那。
鳥居のマークを突き破って鋭い爪を備えた獣の前足が突き出した。
白い毛皮にところどころ金色の混じった、神々しいなにかの一部。
サイズはヒグマの前足以上。
人間などひとたまりもなさそうな爪を備えた前足がぶんと振り上げられ、小中大鯨の胴体を叩き潰すような勢いで一閃する。
「ひっ」
「きゃっ」
小中大鯨の内臓が飛び散る事態を想像した沙津真ちぇすとと鷲寺ツバサは悲鳴をあげたが、謎の前足は物理的な実体を備えたものではなかった。
小中大鯨の身体をすり抜ける形で振り抜かれ、静止する。
爪の先に、小さな植物の新芽のようなものが引っかかり、細く長い根を触手のように蠢かせて。
沙津真ちぇすと、鷲寺ツバサが息を呑む一方、まやろく先生は頼り甲斐のない声で「ええと、どうしよう、これ」つぶやきながら自分のバッグの中を探った。
キュ!
見かねたようにバッグの中に飛び込んだ狐まんじゅうがバッグから化粧品用のポーチを引っ張り出す。
「えっ? ああ、それかー……気に入ってたんだけどなー……うーん、でも、しょうがないよなー……オッケー! それでいこう。つかまえてっ!」
キュイ!
キュキュイ!
まやろく先生が中身を抜いたポーチを受け取った狐まんじゅうたちが空を飛び、謎の前足に引っ掛けられた〈新芽〉をポーチに押し込んだ。
〈新芽〉はポーチの中でもがくように蠢いていたが、再びキン、という金属音がすると、その抵抗もぴたりと止んだ。
「こんなとこ、かな。よし、おつかれ。〈たまこさん〉も散開して」
まやろく先生の言葉を受けた謎の前足はたんぽぽの綿毛が飛ぶようにばらばらになり、きゅいきゅい! キュキュイ! と鳴き騒ぐ白と黄色の狐まんじゅうの群に変わり、社長室を埋め尽くした。
謎の前足の正体は、謎の狐まんじゅうの集合体らしい。
狐まんじゅうも正体不明なので、結局のところ、何がわかったというわけでもないが。




