第22話 レトロサイト
「帆置さんの言った通りみたいやな」
パトカーを降りた刑部刑部は、異能〈過去視〉の観測時間を調整する。
深夜三時、学園の正門前に黒髪、おかっぱ頭の怪しい人影がたたずんでいた。
肘や膝は球体関節、肌は陶器、目玉はガラス玉。
〈花子さん〉と〈メリーさん〉の都市伝説を足して二で割ったという話だが、本物の〈メリーさん〉である『着信音』より旧式の陶器人形がベースになっていた。
隠しカメラを手に持った〈メナ子さん〉は、校門をふわりと飛び越える。
参内高校は生徒数約二千人のマンモス校だが、防犯カメラやセンサーは怪異・異能には対応していなかった。
敷地への侵入に成功した〈メナ子さん〉はまっすぐ校舎に向かっていく。
その前方に、人影が現れる。
貫禄のあるスーツ姿の壮年男性、もしくは幽霊風怪異。
――猿田彦三先生?
予備知識があったわけではないが、校門近くに立っている“参内高校初代校長・猿田彦三先生像”と同じ姿形だった。
初代校長の霊魂なのか、あるいは年期を経た銅像に魂が生じたものかまでは判断できなかったが、学校の守護霊的な存在が不審者の侵入に呼応して姿を現したようだ。
威厳ある表情で立ちふさがる〈猿田彦三先生〉だったが〈メナ子さん〉が取り出した裁縫バサミでぶすりと腹を刺され、悲鳴をあげるような表情を浮かべて地面に転がった。
あっけなく返り討ちになってしまったが、〈猿田彦三先生〉の介入は全く無意味というわけでもなかった。
〈過去視〉では音声情報は拾えないが、〈猿田彦三先生〉の悲鳴を聞き届けるように〈エムサ・バル・ネコ〉が姿を現す。
ヒーローのように包帯を靡かせた怪猫が“猿田彦三先生像”の頭の上で短く鳴いた。
振り向いた〈メナ子さん〉は〈エムサ・バル・ネコ〉目掛けて裁縫バサミを投げつける。
怪猫は鞭のように包帯を操り、あっけなくそれを巻き取った。
サイズは普通の猫と同等だが〈エムサ・バル・ネコ〉は本来中東バシュマール王国で宝物守護を担っていた番獣である。
良くも悪くも一教育者である〈猿田彦三先生〉とは訳が違う。
〈メナ子さん〉は後ずさり、距離を取ろうとしたが、包帯の怪猫は既に標的の目の前へと移動していた。
一閃する猫パンチ。
吹き飛ばされた〈メナ子さん〉は猿田彦三先生像の台座に叩きつけられて地面に倒れる。
そのまま立ちあがる暇もなく〈エムサ・バル・ネコ〉の包帯に巻き取られ、ミイラのようにされていた。
――ここから静影荘まで引きずって行かれたんか。
〈メナ子さん〉捕縛までの経緯は一応把握できた。
〈猿田彦三先生〉への攻撃を考えると、理不尽に攻撃、拘束をしたとはいえないだろう。
刺された〈猿田彦三先生〉だが、決定的なダメージは免れていたようだ。〈エムサ・バル・ネコ〉が〈メナ子さん〉を引きずって去って行く様子を、呆気にとられた様子で見送っていた。
◇◇◇
続いて刑部刑部らは参内高校の校舎を訪れ職員たちに話を聞く。
〈メナ子さん〉に関する直接の情報はなかったが「横浜の学校の先生が、警備員の人が〈花子さん〉を見たという話をしていました」との証言が得られた。
横浜の学校と教師の名前を確認し、〈過去視〉による調査を再開する。
ここからは参内高校にやってくる前の〈メナ子さん〉の動きを逆回しにして追っていく。
再びパトカーの後部座席に収まって追跡していくと町田駅近くのパーキングに行きついた。
「こいつやな」
ありふれたシルバーのハッチバック。大きく後ろに倒した運転席の上で一人の男が顔にタオルをかけた格好で横たわっている。
〈過去視〉で見ているだけなのでタオルを剥がすことはできないが、白眼を剥いて唾液を垂れ流しているようだ。
そのまま時間を遡って行くと、戻ってきた〈メナ子さん〉がぼんやりした光の塊に変わって男の体に重なり、消えていく様子が確認できた。
逆回しで見ているので、男の身体から出ていった分身が〈メナ子さん〉へと変化した瞬間となる。
取り急ぎナンバープレートを確認し、登録情報を照会する。
「登録は神奈川県横浜市在住の張子虎男、四三歳。神奈川県知事・張子辰子の私設秘書の張子虎夫です」
流石要にスマホで検索をかけてもらうと「元弁護士の知見で政策立案を補佐 張子虎夫」「次世代リーダーの片鱗? 張子虎夫氏、県政改革を献身的に支援」という応援ニュースや、逆に「張子知事は“操り人形”? 黒幕は息子秘書・虎夫」「法廷から県庁へ──“スラップ王子”張子虎夫の正体」といった批判的なニュースなどが引っかかった。
「政治秘書となるまえは企業や有名人に関するスラップ訴訟を多く手掛ける金権派弁護士として悪名高かったようです」
スラップ訴訟。批判者を沈黙させる為に行われる恫喝的、あるいは恫喝目的の訴訟のことである。
「面倒そうな肩書が出てきよったな」
そうぼやきつつ〈過去視〉で足取りを追っていく。
照会データの通り、車は横浜市内のマンションの地下駐車場に入った。
キャン。
「今日のところはここまでにしとこか」
現時点でも参内高校への不法侵入と〈猿田彦三先生〉への攻撃が確認できているが〈過去視〉の情報だけでいきなり逮捕拘束というのは難しい。
それにこのあたりは神奈川県警の管轄内となる。
県知事の息子で私設秘書、さらには“スラップ王子”などという異名を持つ人間を無策でつつき回してもろくなことにはなるまい。
現時点での深入りは避けておくことにした。
ここまでは二人と一匹で追ってきたが、刑部刑部はスタンドプレーを好むタイプではない。
警視庁怪能課のオフィスに戻り、上に報告をあげたところ「本件は怪能犯捜査三係と神奈川県警で対応する」という決定が下った。
それだけならば人員配分の問題に過ぎない。「よろしゅうお願いします」と事件を引き継いだのだが、その後すぐ、三係も手を引き〈メナ子さん〉については神奈川県警のみで対応することになった。
神奈川県警本部長が警察庁長官に〈メナ子〉事件は神奈川県警単独で捜査をしたいと直訴し、それが通ったらしい。
「きな臭くなって来た気がするんは気のせいやろか」
「暗雲低迷ですな」
キャン……。
張子虎夫は県知事の息子にして私設秘書。
そして元弁護士で“スラップ王子”という異名の持ち主である。
〈二重身〉を悪用して隠しカメラを仕掛けるという〈メナ子さん〉の手口を考えると神奈川県警のスキャンダルのひとつやふたつ握っていてもおかしくない。
空き時間を使って探ってみたところ、弁護士時代から「訴訟を取り下げさせるのが妙に上手い」「張子虎夫が敵に回ると証人が不安定になる」といった噂があり、母親である張子辰子の選挙戦の時も異様なタイミングで対立陣営のスキャンダルや関係者の失言、暴言などが週刊誌や暴露系配信者、SNSなどを通じて出回っているのが確認できた。
「異能の盗聴と盗撮で全部説明ついてしまわんか?」
やはり、一筋縄で行く相手ではなさそうだ。
このまま事件を有耶無耶にされる展開も十分ありえる。
そんな危惧を覚えた刑部刑部だが、事件はそこから想定外、急転直下の展開を迎えることとなった。




