第17話 盲導タヌキのキャン玉郎
「じ、人体発火っ!」
キャン!
流石要とキャン玉郎が悲鳴をあげる。
「人と機材、建物は燃えてない。精神だけに作用してるみたい」
「110番怪異は通信指令システムに根を張る怪異だ。自分の存在基盤を燃やすわけには行かないんだろう」
「自分の家に放火する放火魔なんておらんですしね」
刑部刑部はそう呟きつつスマホを取り出した。
「刑部です。多摩エリアからの110番受付、指令業務を警視庁指令センターに切り替えてください。西部総合庁舎が怪異に呑まれました。八王子駅刺傷事件の影響で110番通報が急増した結果、怪異の活動が活性化したようです」
時を同じくして帆置知彦のスマホに〈霊コム〉のメッセージが表示される。
【多摩地域全域で怪異性火災が大量発生。これに反応して多摩地域の怪異、神秘、異能者などが活動を開始】
続いてSNSからピックアップされた投稿や動画などが画面に表示される。
天香に現れたものと同じタイプの巨人型怪異が多摩地域各地に出現して発砲、火を放っている様子が映し出された。
【巨人型怪異の推定数は百体】
「さすがにまずいな、それは」
東京に住む怪異や神秘、異能者は110番怪異や静影荘の住民だけではない。
自分たちの生活圏を脅かされるような事件があれば自衛や反撃に出る。
そのため巨人型怪異全てが火災を起こせるとは限らないが、今度は110番怪異陣営VS地元怪異、神秘による同時多発市街戦という別の問題が発生する。
既に八重森八束が町田市街に出現した巨人型怪異を殴り倒す様子や、修験道の聖地である高尾山の天狗たちが巨人型怪異を成敗する様子がSNSや掲示板で話題になり始めていた。
「多摩地域全域が騒乱状態になる。早々に片づけるとしよう」
「こっち、急いで」
『耐火』の先導で移動した一行が行きついたのは、総合庁舎の職員たちが着替えに用いるロッカールームだった。
「さがってて」
『耐火』が虚空から巨大な消防斧を取り出して一撃、鍵のかかったロッカールームの扉を破壊する。
『耐火』が扉を開くと、そこには燃え盛るロッカーの列があった。
総数は六十台。
全てが地獄の業火を思わせる炎に覆われて、ごうごうと音を立てていた。
その中から、人の話し声が聞こえてくる。
”はい、110番センターです。事件ですか事故ですか?
”泥棒です強盗です闇バイトですひき逃げです人が浮かんでて”
”まだつかまらないんですか警察はなにをやっているんですか捜査状況を報告してください”
”聞いてるのかテメェ税金で喰ってるくせにこの税金泥棒がこっちは税金払ってるんだよっ!”
”通報ありがとうございます。すぐにパトカーを向かわせます”
「110番通報?」
流石要が呟くと、怪異の炎に呑まれた警官たちが廊下の向こうから飛び出した。
人数は五十人以上。猿やゴリラを思わせる姿勢と、ゾンビめいた表情で突撃してくる。
「こちらカケイ302!」
「こちらカケイ417!」
「こちらカケイ689! 現場に急行します!」
キャン!
悲鳴をあげるキャン玉郎。
「火の警察と書いて火警かな」
「火刑のほうの意味もあるかもしれまへんな。足止めは自分が」
「任せよう」
刑部刑部は腰に手を伸ばし、木の葉を貼り付けた呪符を三枚取った。
“化かすで”というハンドサインを出し、一枚ずつ投げ放つ。
盲導化けダヌキ、キャン玉郎がそれに合わせて三三七拍子のリズムで声をあげる。
キャンキャンキャン!
ドロン!
一枚目の呪符が煙を放つと、警官たちの前方の床が異様な音を立てて崩れ落ちた。
その下には、永劫に続く黒い穴が、本来あるはずの下のフロアの存在を無視して口を開けていた。
化けダヌキの〈化かし〉。
つまり実体を伴わない幻覚だが、勢い余って飛び出した警官たちは「落ちた」と認識に囚われて、床の上でもがき、転げ回り始める。
キャンキャンキャン!
ドロン!
二枚目の呪符が煙を放つと、警官たちの頭上の天井が不気味に歪む。
築二十年のビルの天井が、梁のついた和式の古天井に変化し、音もなく落下した。
吊り天井。
現代の建築物にはどうまかり間違ってもありえない仕掛けだが、警官たちは本能的に動きを止め、そのまま実在しない圧力に押しつぶされるように崩れ落ち、その動きを止めた。
刑部刑部は三枚目の呪符を投げる。
キャンキャンキャンキャンキャンキャンキャン!
ドロンッ!
最後は分厚い金属のシャッター、江戸時代の牢獄風の木の格子といった幻影の隔壁をやたらめったらに展開させて、刑部刑部とキャン玉郎は警官たちの足止めを完了した。
「こないなところやろか」
「さすがだね、こっちも分析が済んだよ」
帆置知彦は〈霊コム〉に表示されたレポートに視線を落として言った。
「K110という単語に覚えは?」
「通信指令部で試験運用していた通報情報処理システムになります。今は使用を停止しとりますが」
「それが110番怪異の中核のようだ。組み込まれたAIが怪異化し、通報で指定された座標に巨人型の火の怪異を送り込むシステムになった。最後は今日の刺傷事件をきっかけに庁舎そのものを飲み込み、多摩地域全体を脅かすレベルの怪異に成長した」
「一応こっちでも疑ってた線ですわ。サーバーは調べたんですが異変は見つからなかったそうです」
「本来のサーバー上に居座っていてはすぐに見つかってしまうからね。怪異化する前のバックアップデータを残してこちらに移動してきていたんだ。この場所にサーバーはないが、警察官の私物のスマホが常時、結構な量保管されている。それらを分散型の処理システムとして利用して住処にしていた。無論私物だからスマホは持ち帰られてしまうが、警官稼業は24時間のシフト勤務だ。一定の以上の数のスマホが常時置いてある」
「スマホの電源は切られているはずでは?」
流石要が口を挟んだ。
「通信系の怪異ってもんは電波も電話線もなくても普通に通話してきよる。持ち主の気づかんうちに電源を入れてプログラムを走らせるくらいのこと、難しくあらへんやろ」
”すぐに警官を向かわせますすぐに警官を向かわせますすぐに警官を向かわせます”
前方のロッカー群から、そんな声が聞こえて来た。
「ここからどうします?」
「あまり時間をかけては警官諸君や多摩地域の住民の身の安全が危ぶまれる。ロッカーごと撤去するとしよう。職員諸君のスマホと私物、ロッカールームの壁も消滅するが、君たちでうまく取り計らってくれたまえ」
朗らかな調子で乱暴なことを言う帆置知彦。
刑部刑部は軽くため息をつき、流石要は頬を震わせ、キャン玉郎はキャンと尻尾を逆立てた。




