第16話 こいつはもう間に合わへんわ
火の怪異による最初の天香襲撃から三日が過ぎた。
久堂柚巴が流石要刑事に「帆置知彦に相談する」と告げた期日。
三日を七十二時間と考えるとややフライング気味だが、事態は一刻を争う。
帆置知彦は朝九時ちょうどに刑部刑部という刑事に電話をかけた。
「おはよう刑部くん。帆置知彦だ。少し時間をもらいたいんだが大丈夫かな? ああ、もう動いていたのか、さすが刑部くんだね。うん、今から動こうと思っていたところでね――ああ、そいつはいい。クライアントに相談してみるから少し待ってくれたまえ」
それから約二時間後、帆置知彦は近所の中古車販売店で仕入れたライトバンで東京都立川市の警視庁西部総合庁舎に足を運んだ。
「お待ちしとりました」
エントランスで帆置知彦を迎えたのは、盲導犬用のハーネスをつけた大狸を連れたサングラスに白杖の二〇代後半の青年と、最初の天香襲撃で姿を見せた警視庁怪能課の刑事、流石要の二人だった。
「待たせたね。流石さんとは久しぶりかな。健勝そうでなにより」
陽気な表情で声をかける帆置知彦。
「ははッ、恐れ入りますッ! 恐縮至極にてッ!」
敬礼をし、引きつった声と表情で応じる流石要。
「流石さんは相変わらず愉快だね。キャン玉郎くんも元気そうで大変結構だ」
帆置知彦は大狸の前にしゃがみこむ。
化け狸のキャン玉郎。
勝手につけたあだ名でなく、本当にそういう名前の怪異であり、世界唯一の盲導タヌキである。
「あまりのんびりもしていられない。早速案内してもらえるかい?」
「ええ、こちらに」
サングラスに白杖、関西風イントネーションの刑事、刑部刑部警部は盲導タヌキを連れていることを感じさせない足取りで歩き出し、西部総合庁舎地下にある西部指令センターへ帆置知彦を案内した。
◇◇◇
警視庁西部指令センターは多摩地域、つまり東京の西半分の110番通報を受理し、現場のパトカーや警察署に指示を出す、警察機構の中枢機構のひとつである。
多摩地域各地で発生している怪異性火災事件は、この西部指令センターあての110番通報をトリガーにしている可能性が高い。
そこまでは警察も把握していたが、そこからどう対処すれば事件を解決できるのかについては、まるで手がかりを得られていなかった。
最初に疑われたのは一年前に導入したK110というAI利用の通信指令支援システムだった。しかし、サーバーをチェックしても不審な点は見つけられず、K110を停止しても怪異性火災は止まらなかった。
西部総合庁舎全体やその近隣施設、電話会社、桜田門の警視庁本部に至るまで調査、スタッフの身体検査を行っても、それらしい怪異、あるいは異能の痕跡は見つけられなかった。
実際に火災を起こしている巨人についても、通報で指定された座標にどこからか飛来するように発生、標的に火災を引き起こすとその時点で消滅。火災発生を阻止した場合でも十分も経てばやはり消滅するという使い捨ての鉄砲玉めいた存在で、現行犯逮捕的な対応も困難だった。
いっそ西部指令センターを一時休止し、110番業務を警視庁本部の指令センターに一本化するべきでは、という消極的な対応策が真剣に検討される始末だったが、そうしたところで怪異性火災が収まると言う保証もない。
八方塞がりになってきたところに戻ってきたのがホワイトハウス爆破男にして櫻衛建設元社長、帆置知彦と、ホワイトハウス爆破騒動の調査、対応のために内閣府に出向、渡米していた怪能犯捜査四係の係長、刑部刑部警部であった。
帆置知彦の帰還から一週間遅れで帰国。
ホワイトハウス爆破騒動についての全業務を完了し、警視庁へと復帰した刑部刑部は早速上層部に呼び出され「暗礁に乗り上げている」「帆置知彦が出てくれば西部指令センターも爆破解体されるかもしれない」と、泣きつくような状況説明を受けて、怪異性火災事件の捜査に乗り出すことになった。
一通りの調査報告を確認した刑部刑部は、あっさりと「こいつはもう間に合わへんわ。一から洗い直しとる時間もない」と匙を投げた。
「観念して帆置知彦に協力依頼を出しましょう。どうせ当人もじっとしてられるお人と違いますし。このままだと警察どころか内閣レベルで首が根こそぎ消し飛ぶ事態になりかねません。今のうちにこっちから依頼を出したほうがまだ恥が少なくなります」
そういって上層部を説得したところに帆置知彦本人から連絡があり、正式に協力要請を出したのが二時間前のことだった。
◇◇◇
どこかで怪異に聞かれている。
どの通報が怪異性火災のトリガーになるかわからない。
そんな状況での勤務を強いられている110番オペレーターたちが、憔悴を押し殺して勤務にあたる様子を見下ろして、消防服姿で空中に浮いたヴォーカロイド風怪異『耐火』は、合成音声で「ここじゃない」と告げた。
『耐火』はビル火災でスタッフの大半が焼死、解散したゲーム会社のデータから生まれた現代怪異である。
その起源から、火や火災に対する感覚が鋭い。
「いた気配はあるけど、今この場所にはいない。この建物の中の別のどこか」
「だそうだ、調査範囲を広げさせてもらおう」
当たり前のようにそう言った帆置知彦は「どっちにいそうだい?」と確認した。
「上」
『耐火』がそう応じた瞬間、西部指令センターの通信指令官が鋭い声をあげた。
「西部指令センターから各局、八王子署管内にて傷害事件発生! JR八王子駅北口ロータリー付近で通行人三名が刃物で刺された模様! 犯人は黒っぽい服装、四〇代の男性、徒歩で逃走中! 付近のパトカー、交番員は至急現場へ急行されたし!」
「じ、重大事態ッ! こんな状況で無差別傷害ッ!?」
流石要が言わずもがなの言葉を声に出して叫び、通信指令官に厳しい視線を向けられ小さくなった。
「が、汗顔至極にて……ッ」
テレビやネットにもニュースが流れ、110番通報が加速をし始める。
「八王子駅の北口、バスロータリーのとこで! 黒いコートの男が、男の人を刺して逃げました! 血が……いっぱい! 西放射線通りの方に走っていきました!」
「逃げた男、多摩銀の角を左に曲がりました! 右手に包帯みたいなの巻いてます!」
「駅前の防犯カメラ、録画確認しました。ちょうど男が被害者を刺して走り去る映像が映ってます。警備室で確認できます!」
「おまえらが加害者に甘いからこんな事件が起こるんだ!」
「たぶんその男、駅前の交番の裏で見たと思います。けど、もういないかも……」
「町田に天香というカレー店があるんですが……」
「動画で見たんですけど、犯人が『八王子駅南口』ってタグつけて投稿してました!」
「うちの息子が『刺された!』って連絡してきたんです! 今どこにいるか分からなくて!」
「……………………」
「一体なにしてんの? ちゃんと仕事しろよ公金チューチューがっ!」
「犯人が駅ビルの中で人質取ってるらしいですよ! さっきSNSで見ました!」
「隣の家の音楽がうるさいんだよ」
信憑性のある情報や乏しい情報、明らかな悪戯や迷惑電話など、無数の言葉、情報、感情が濁流のように押し寄せる。
それはどこかである種の呪詛へと転換され、指令センターと警視庁西部総合庁舎のスタッフ、そして施設そのものを侵食し、燃やし始める。
「……通報、ありがとうございます」
「西部指令センターよりカケイ001、八王子西放射線通りを焼却してください」
「……通報ありがとうございます」
「西部指令センターよりカケイ002、新多摩銀行八王子支店を焼却してください」
「通報ありがとうございます」
「西部指令センターよりカケイ003、セレブ八王子の焼却を」
「焼却を」
「焼却を」
「焼却を」
110番通報を受け付けるオペレーターたちの身体が、焼身自殺者のように炎に包まれ、奇妙な応答を繰り返し、物騒、奇怪な現場指示を繰り返し始めた。
<あとがき>
西部指令センター、西部総合庁舎あたりは実在の施設名からちょっと変えてあります。
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※本作はフィクションです。実在の団体・企業・宗教とは関係ありません。




