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15.『あなたに』


「――はぁ、はぁ……」


 もう一生分の運動はしただろうか。

 ただでさえ運動不足の私だ。

 この広い屋敷をちょっと走っただけで、簡単に息はあがってしまう。


 今日ほど怠惰を貪っていた以前の私が恨めしいことはない。


「もう撒いたかな……って、なんかお尋ね者の気分だわ」


「――ディアナ嬢。これは、一体どういう……」


 そう、困った顔で零すロルフ。

 今ではもう疑いようもなく私の想い人で間違いないのだが、その言い分にはなんだかムカついてきた。


「一体どういう……じゃないわよ! なんなのこれ、この手紙!」


「それは……」


 依然としてその困り顔を崩さないロルフに、私は一枚の紙を突き付ける。

 それはヒルパート伯爵から渡されたもので、他ならぬロルフが私のために残してくれた手紙だ。


 そこにはただ一行。こう記されていた。


『貴女はもう大丈夫です。どうかお幸せになられてください』


 ヒルパート伯爵家から町に戻る馬車の中で、一体どんな内容が記されているのか鼓動を早めさせながら開いたらこれだ。


 もしかして救いを求めているのだろうか、とか。

 もしかして突き放すような冷たい言葉なのだろうか、とか。


 そんな切迫感とともに広げた手紙には、ただ私を案ずる言葉しかなかった。


「何が貴女はもう大丈夫なの!? カッコつけて含みのあること言って! 全然大丈夫じゃない! 私の大丈夫を勝手に決めるな!」


「――――」


 抑えていた感情が破裂する。

 違う、こんなことが言いたいわけじゃないのに。

 だけど、一度決壊した堤防はもう収まってはくれない。


 もしかしたら目に涙すら溜まっていたかもしれないが、そんなところに気を回す余裕もなかった。


「ねぇ、ロルフ……私、わかったの」


「わかった、ですか」


「『こっち側』とか、『向こう側』とか、そんなものはなかった」


 世界に定められているとか、役割が決まっているとか、そんなものはまやかしだ。

 周りだけを見て、私が持っていないものを持っている人を見て、勝手にそう思い込んでいただけだ。


「私が立てなかった場所に立っている人を見て、あぁ、あの人はなんてキラキラしてるんだろうって思ってた。だけど」


 ただただ、当たり前の話だ。


「それだけ本気になってるってことだから。本気で生きることを諦めた私よりキラキラしてるのは、当たり前だった」


「そんなことは――」


「気を使わせちゃってごめんなさい。でもね、そんな簡単なことを、やっと思い出せた」


 そして――、


「思い出させてくれたのは――ロルフ、あなたなんだから」


「そんな……私は大したことはなにも……」


「してないって? 罪な男よね。見て、私の顔」


 頑なに目を合わせようとしないロルフの顔を両の手でガッチリと挟み、無理矢理私の顔の前に持っていく。


「どう?」


「あの、どうと言われましても、その……」


「赤いでしょ。恥ずかしいんだからね、これ」


 勢いでロルフの手を引いてから変なテンションになってくれたおかげでなんとか耐えられてはいるものの、向こう10年に渡って今日の日を思い出して悶えることは確定しているのだ。


 というか、少し平静に戻りつつあるせいですでにヤバい。

 だけどまぁ、今日の私は『もうなるようになれ』を信条にしている。

 理性と勢いが今まさに熾烈な争いをしているが、もうしばらくは勢いもいい仕事をしてくれるだろう。


「その……状況が呑み込めません。説明していただいてもよろしいでしょうか」


「あ、ごめんなさい。つい一人で盛り上がっちゃって……えっとね」


 真っ先に言うべきことだった。

 それじゃロルフの混乱も収まらないはずだ、反省しなければ。

 

 といっても、そんなに変わったことはしていない。


 ジュベール伯爵家に捜査が入る今日を狙って、私はこっそり侵入。


「で、あなたを攫いにきたってわけ」


「ええと……?」


「だからね。私、あなた、貰ってく」


 それだけの話なのだが。

 あまりにも単純すぎて、逆に脳内が散らかってしまったか。

 正直、これ以上わかりやすく説明しろと言われても自信が無い。


「いえ、言葉は聞き取れているのですが……私を攫う、というのは、どういった意味でしょうか。私に義理を返そうとして頂けるのは光栄の至りです。ですが、貴女にも危険が降りかかりますし、当家を失えば私の身寄りもなくなります。ヒルパートとの縁は切るという約束になってますので――」


「え?」


「――え?」


 あぁ、また私の悪い癖か。

 いつも言葉が足りない……というか、一番言わなければいけないことを言わないのだ。


 それじゃ、伝わらない。

 伝えなければ、伝わらないのだ。


「ロルフ。話を聞いてくれる? とっても大事な話」


「――はい」


 その言葉を聞いて、ロルフの表情が引き締まる。

 きっとロルフは、この一連の出来事の行く末を知りたいのだ。

 今後ジュベール伯爵家はどうなって、自分はどうなるのか。

 それから、ヒルパート伯爵家の未来も案じているのかもしれない。

 

 だとしたら、申し訳ない。

 そんな建設的な話題は全く持ち合わせていないし、期待に応えることも出来なさそうだ。


 だけど、一番大事なことを、あなたに伝える。




「私、あなたを愛しているわ」




「はい――っ、えっ?」


 あれだけ強ばっていたその表情が、呆気なく崩れる。

 信じられないものを見たかの如く、今にも飛び出しそうになっている瞳を見て、なんだか笑えてきてしまった。


 思えば、いつも済まし顔をしていたロルフだ。

 彼のこんな表情を見るのは初めてで、それがなんだか嬉しくて、余計に笑みが止まらない。


「――ふふ。びっくりした?」


「その、えっと……衝撃的、でした……愛――その、それって、私のことを、ですか?」


「だからそう言ってるんだってば」


 誰が見てもテンパっているロルフは新鮮だったが、これはこれで可愛らしくて好きだ。

 ひょっとしたらこういうロルフが素なのかな、なんて考えてみたりすると、余計に愛しい。


「ねぇ、あなたは私のこと、どう思ってるの?」


「――――。この人生を照らす、道標……でしょうか」


「ちょっ、言い過ぎじゃない?」


「滅相もございません」


「……なんかいつものロルフに戻ってる。ちぇ、もう少しテンパりロルフ見たかったのに」


 おっと。そんなことを言っている場合ではない。

 早くここから去らないと追手がくるし、私がここにいることがバレたらマズいのだ。

 

 幸いなことにまだバレていないようだが、さっき勢いで仮面まで取ってみせたのは間違いだった。

 

 だから私は、ロルフにもうひとつ、大事なことを伝える。


「ねぇロルフ。全てを捨てて、私と来ない? きっと幸せにしてみせるわ!」


「――ふ」


「なに笑ってるのよ」


「いえ、人生とは素晴らしいものだな、と」


 それはつまり、了承の合図だった。

 もう二度と元の生活に戻れなくても、私とともに歩んでくれると、そう宣言してくれたに他ならなかった。

 私はその覚悟に――私のためにしてくれた覚悟に、応えなければならない。


「――よし、あとは任せて!」


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