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13.『悪の権化』


「ロルフです。お呼びとあらば」


「うむ。入れ」


 巨大なベッドが置いてあるその部屋の真ん中に、ロミルダ嬢は座っていた。

 一体どんな用で私を呼んだのかと思えど、きっと大した理由はないのだろう。いつものことだ。


 私を思うがままに操ることこそが目的であり、私自体にはそこまで興味がないのがこのロミルダ嬢という方だ。


「ふむ。お主は相も変わらず良き体付きよのう。試してやっても良いのじゃぞ?」


「それは、正式に婚姻を結んでからとのお約束です」


「そうじゃったな。父上も細かいことばかり気にする男よ」


 訂正しよう。ロミルダ嬢は好色家らしく、私の体を舐めまわすように見つめてくることがある。

 そういう意味では、この上なく私に興味があるのだろうが……言葉を選ばずに言うと、嫌悪感にすら苛まれる。


 慢性的な運動不足からくる多量の贅肉と、肌にべったりと張り付く汗や脂は、残念ながら私の好みには当てはまらないのだ。


 だが、貴族の結婚というのは好みなど二の次どころか判断材料にすらならない。

 全くもって、価値のない感想と言える。

 頭の中でとはいえど、こんな思考になるなんて、私も少々色ボケ過ぎていたらしい。


「それで、ご要件は」


「おお、そうじゃったな。妾たちも明日には夫婦よ。折角じゃ、昔話でもしようぞ」


「昔話、ですか?」


 昔話もなにも、ロミルダ嬢との共通の思い出は数えるほどしかない。

 思い出話で感傷に浸るようなネタはなかったと記憶している。


「そち、舞踏会を覚えておるか?」


「申し訳ございません。この鈍い私に、お聞かせいただけないでしょうか」


 舞踏会。

 結局、ヒルパート家が参加したのはあの一回きりだった。

 だから、ロミルダ嬢との思い出などあるはずがないし、現に記憶にない。


 私が怪訝な顔をしていると、ロミルダ嬢は小馬鹿にしたように笑った。


「妾がまだ6つの時よ。そちは8つだったか。そこで会っておる」


「――――」


 それはまさか、あの舞踏会だろうか。

 いや、それで間違いないだろう。

 ということは、私はあの場所でロミルダ嬢にも会っていたのか。


 気付きもしなかったが、なぜロミルダ嬢は私を認識しているのだろうか。

 私がそう呑気に考えていると、ロミルダ嬢から聞き逃せない言葉が飛び出す。


「そちの隣に、腹の立つ小娘がおったな。赤髪で、やかましい、たしか名は――」


「――ディアナ」


「おお、そうじゃ。そのような名じゃった。なんだ、覚えておったのか?」


「……忘れるはずも、ありません」


 ロミルダ嬢から、彼女の話が出てくるなんて、嫌な予感しかしなかった。

 それも、婿入りを明日に控えたこのタイミングで、だ。


 それにしても、ひとつ気になることがある。

 ロミルダ嬢は、ディアナ・トラレス・ベッカーの名を知らないのだろうか。


 いや、貴族である以上、普通に考えれば知らないはずもないのだが、どうもこの反応は怪しい。

 もしかしたら、トボけたふりをして私を貶めようとしているのだろうか。


 だが、次にロミルダ嬢が紡いだ言葉は、私の想像の最悪を遥かに超えていった。

 考えうる限りで――否、考えもつかないほど、醜悪な言葉を、その口で紡いだ。


「あの女は、妾を侮辱し、否定し、指図したのじゃ。その屈辱は忘れることはなかった。腹を煮やしながら、いつか後悔させてやる日を待ったのじゃ」


「それはどういう……」


「それでな、幾年か前に、久方ぶりにその名を聞いてな。なんでも、平民と結ばれようと必死だと言うではないか。まぁ所詮弱小貴族の出来損ないよ。平民くらいがお似合いではあるが、折角じゃから邪魔してやったわ」


「彼女が、弱小貴族……? 何を言って……」


「その平民を呼びつけて、ちょーっといい話を教えてやったわ。そしたらどうじゃ。そやつ、言われるがまま端金を握りしめて首を吊ったそうではないか! 傑作じゃな!」


「――――」


 声を上げて高らかに笑うロミルダ嬢。

 

 視界が歪む。

 言っている意味がわからない。

 この方は、何を言っているのだろう。


「結局、ちょっとばかしの金にすら勝てぬような愛よ。連れに似て、中身のない男じゃったな!」


「……その、ようなことをすれば、問題に」


「あん? 妾が直々に動くはずもなかろうが。あれは……そう、従者が勝手にやったまでよ。無論、そのような問題を起こす従者はいらん。今頃は虫の餌にでもなってるじゃろうな」


 醜悪、下劣、悪辣、邪悪、下衆。

 どんな言葉でも言い表せないような悪の権化が、私の目の前に座っている。


 わなわなと震え、血が滲むほど握りしめた自分の両の手にすら気付かないほど、私は正気を失っていた。


 ――こいつか。


 彼女を泣かせ、絶望の淵に立たせたのは。

 あの誰よりも眩しい笑顔を失わせ、影を差させたのは。

 誰よりも優しかった彼女が、この世の全てすら恨み出したのは、全て目の前のこいつが元凶だったというのか。


 ――許せない。

 絶対に、こいつだけは、許せない。


 よし、殺そう。

 その命を終わらせるのに、武器はいらない。

 図体ばかりはデカいが、膨れ上がった脂肪の前では自分の体を上手く動かすことすら出来ないロミルダのことだ。

 うつ伏せに倒して首を折れば、すぐに終わる。


 その後で、私は生きてはいられないだろう。

 そればかりか、ヒルパート家の者は全員処刑されるかもしれない。

 

 ――だけど、すまない。許してくれ。

 ここでこいつを許してしまったら、私の生きる意味はなくなる。


 私がそんなどす黒い感情に呑まれていく瞬間――、


「――ロミルダ様! ロルフ様!」


「どうした?」


 従者のひとりが、大慌てでドアを叩いた。

 その音にビクリと体を跳ねさせ、私は正気に戻る。


 今私は何を考えていたのか。

 そもそもこの婚約は、ヒルパートを守るためのもの。

 それを全てぶち壊して、私はこの女を殺そうとしたのか。


 あぁ、まずいな。

 私は自分で思っていたより遥かに、彼女に割いた心の容量が多いらしい。


「――館内に侵入者が入り込んだ模様! すぐに避難を!」


「……なに? どこの手の者だ。まさかヒルパートではあるまいな」


「まさか。私の実家は歓迎ムードですよ」


「……そうか。そうよな。ならば一体……」


 ならば一体……じゃない。

 常日頃からあのような悪事を行っていたのならば、買った恨みの数は計り知れないはずだ。

 襲撃くらいありえない話ではないだろう。


 と言ってもまぁ、見て見ぬふりはできない。

 不本意ではあるが、これから私はロミルダを死んでも守り抜かないといけない。

 伴侶――とは言うものの、実情は側近に近いのだから。


 私はロミルダの傍らにあった剣を握りしめた。


「ロミルダ様。私は侵入者を捕らえてまいります。すぐに従者の方と避難を」


「うむ。必ず捕らえよ」


 そんな言葉を交わし、私は部屋を出た。

 

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