12.『――キラキラしていて』
今宵は、なんと星が綺麗なことか。
雲ひとつなく、無垢な人々を柔らかく照らしている。
こんな夜には、私の悩みなどちっぽけなもの――などというのは、少し感傷が過ぎるか。
私は明日、ロミルダ嬢と結ばれる。
正式にジュベール伯爵家に名を連ねる者となり、死ぬまで当家に尽くすこととなるだろう。
何が恋愛結婚。何が改革か。
結局、この世界の澱みは何一つ変わっちゃいない。
こんな世の中だから、彼女は幸せになれなかったのだ。
私が彼女――ディアナ嬢を初めてお目にかかったのは、まだ私が8つか9つの頃だ。
名だたる名家が参加した舞踏会に、弱小貴族たるヒルパートも招待された。
伯爵家以上の者が招待されたその場。その中でも特に力を持たないヒルパートだ。完全に場違いではあったものの、まだ子供だった私にはそんなことはわからなかった。
周りから蔑んだ目で見られて、同年代の子供にすら馬鹿にされて。
そんな理不尽に混乱して、目に涙が溜まってきた頃、その太陽のような存在は現れた。
『ねぇ、むこうにすっごいおいしそうな料理があったわ! そんなすみっこにいないで、とりにいきましょーよ!』
どう見ても私よりも歳下の淑女に、私は連れ出された。
彼女はキラキラしていて、私とはまるで住む世界が違うようだった。
その手に引かれた私は、まるで夢の中にでもいるような気分になったのを、よく覚えている。
彼女はたくさんの人に囲まれて、料理すらまともに食べる暇も与えられていなかったのに、にこやかな笑顔を絶やさない。
今思えば、子供を使ってベッカー侯爵家の令嬢にすり寄ろうとする小賢しい大人の策謀を感じるが、当時の私には知る由もない。
ただただ、この人は凄いなぁと、そう思った。
それでもなお、私に向かって心無い言葉を投げる子供もいた。
そんな子たちに、彼女は怯むことなく言ったのだ。
『なんで仲間はずれにするの? わたしのおとうさんは、そんなことしないよ』
これを聞いて、その子たちの父は内心冷や汗をかいていたことだろう。
ベッカー侯爵家と真っ向からぶつかる気概のある者なんて、少なくともあの場にはいなかった。
それから、私は彼女に夢中になった。
といっても、恋慕を抱いていたわけではない。
当たり前だ。彼女と私では、住む世界も格も家柄も違うのだから。
私が彼女に向けた気持ちは、憧れと尊敬、というのが一番近い。
恐れ多くて、恋なんてできるはずもなかった。
でももしいつかまた会えたら、あの時のお礼を言うくらいは許されるだろうか。
そう思いながら、気付けば私は18歳になっていた。
『ディアナ・トラレス・ベッカー嬢、逝去』
そんな訃報が飛び込んできた時には、私は目を疑った。
否、私だけではない。帝国公爵家に嫁入りしようという直前の訃報に、王国中が震撼しただろう。
今まさに和平条約が締結しようという最中、王国の未来はどうなるのだと。
だけど、私にはこの話に裏があるとしか思えなかった。
というより、信じたくなかったのだ。
あの何よりも眩しい彼女が失われたなどとは。
使えるだけの筋を全て使って調べさせれば、案外すぐに情報は集まった。
ディアナ嬢は平民と婚約し出奔するも、そこで憂き目を見て今はひっそりと暮らしていると。
その後の消息は不明。どこにいるかまでは、わからなかった。
私でも調べられたことだ。
きっと、貴族の中では事情を知る者もいるのだろう。
どちらにせよ、ベッカー侯爵家を――ひいては王国を敵に回したくなければ口を噤むしかない。
ベッカー侯爵家とは言うものの、その権力は公爵家に匹敵するほどだ。ただの侯爵家とはワケが違う。
ともかく、ここまでだ。
表向きにはディアナ・トラレス・ベッカーは死んだ。
これ以上探ろうとすれば、きっとベッカー侯爵家も黙ってはいない。
私の憧れは、ここで途絶えるしかなかったのだ。
その時が来たのは、それから4年が経ったある日だった。
ロミルダ嬢との婚約を控え、ジュベール伯爵邸に滞在していたある日。
その日はロミルダ嬢が諸用で留守にしていたため、丸一日の自由を与えられた。
なんとなくジュベール領から出たくて、ベッカー侯爵家が治めるすぐ近くの町に足を運んだ。
せっかくなので貴族として生きていたら足を運ぶ機会のなさそうな場所に行こうと酒場や露店を回っていたら、やがて腹の虫が主張を始めたので、高台にあるお洒落なレストランに入った。
そして私の心臓は、今にも飛び出すのではないかというほど飛び跳ねた。
実に14年ぶりの謁見だが、見紛うはずもない。
幾度も空想し続けた赤い太陽が、そこにはいた。
高鳴る鼓動を誤魔化しながら、いてもたってもいられなくなって私は声をかけた。
『おひとりですか? 座っても?』
少し不自然だったかもしれない。
不審に思われたかもしれない。
私のことなど覚えていないだろうし、迷惑以外の何物でもない。
そう思い至る余裕もなく、私は向かいに腰掛ける。
私に気付いた彼女は、その視線をこちらに向けた。
その瞳は、私の知っている太陽のような輝きを孕む――ものではなく、例えるならそう。
あの舞踏会で私が彼女に見せた瞳は、きっと同じような色をしていただろう。
彼女の瞳にあの頃のような輝きはなかったが、しかし彼女の受けた仕打ちを考えればそれも当然だ。
私はどうにかして、彼女に輝きを取り戻してほしいと思った。
お節介で、無礼で、差し出がましいだろう。
だけど、それは私の意地でもあった。
彼女にこんな目をさせた者が、世の中が、どうしても許せなかったのだ。
『私はロルフ・ヒルパート。貴女の瞳が気になりまして』
『はぁ。そうですか』
やはり彼女は、私のことを覚えていないようだ。
だが、それはいい。いや、むしろ都合がいい。
私と彼女は初対面で、私はお節介でキザな女好き。
そんな印象を与えながら、少しでも彼女に元気を取り戻していただくために出来ることをやろう。
毎日毎日毎日毎日、あの店に通い続けよう。
お昼時だけ抜け出すくらい、なんとかなるはずだ。
そう思っていたのに、徐々に心を開いてくれる彼女と接していくうち、一人の女性として彼女のことが好きになってしまった。
結ばれることなど、ありえないのに。
なんというか、ミイラ取りがミイラになったような話だ。
だって、仕方がないじゃないか。
ただでさえ美しい彼女だ。その上で段々瞳に輝きを取り戻し、どんどん綺麗になる彼女を見ていれば、好きになんてなってしまう。
そして遂に、私が抜け出していることがロミルダ嬢にバレて、私は軟禁された。
明日はロミルダ嬢と結ばれる日。
きっともう、彼女には会えないだろう。
でも、ほんの少しでも彼女を元気付けることが出来たのなら、私は――。
「ロルフ様。ロミルダ様がお呼びです」
「――あぁ、わかった。すぐに行く」
回想に耽って思い出に浸ることすらも、ここでは許されない。
一気に現実に引き戻された私は、重い足取りでロミルダ嬢の部屋に向かった。




