10.『夢から覚める時間』
なぜ私は、農家の息子であるあの人を手に入れられなかったのか。
それは至極簡単な話で、婚姻間近にして彼に捨てられたからだ。
私がただの平民となった以上、じきに農家を継ぐ彼の方が立場は上。
全ての決定権は彼が持っていた。
私は彼を信じ、言われるがままに父から与えられた財産の一部を渡してしまった。
そして彼はいなくなった。
最後に、「本当に家を捨てるなんて馬鹿だよなぁ」という一言を残して。
反論なんてできるはずもない。その通りなのだから。
だから私はそれを受け入れ、背負い、心の中で飼って生きてきた。
余談ではあるが、彼は首を吊って死んだらしい。
持ち逃げした金を餌に村で一番の麗人に迫るも、拒絶され激昂。
寝込みを襲おうとしたところを勇敢な木こりの息子に阻止され、悪事が暴かれた彼は狭い村では生きていけなくなり、そのまま――というかたちだ。
そしてその後、その麗人と木こりの息子は婚約したらしい、というのが私が聞き及んだ顛末である。
この話、聞けば聞くほど違和感しかない。
第一に、彼はそんなクズ野郎ではなかった。
好色家という一面はまるでなかったし、金に汚いという印象もなかった。
父を心から尊敬していて、いつか農家を継ぐことが誇りなのだと言っていた。
彼の性格を知る私からすれば、そんな行動は人格が入れ替わってでもいないとありえないと思える。
第二に、麗人と木こりの息子という見るからに裏のありそうな組み合わせ。
いくら狭い村と言っても、となりの家の会話が聞こえるものか。
まぁ実際に聞こえたのは叫び声だったので、それが仮に聞こえたとして、確信もないのに深夜に大して面識もない家族の家に飛び込むだろうか。
そんな引っ掛かりのせいで、私はこれが何らかの強制力が働いていると思わざるを得なかったのだ。
それこそが、『演者』と『舞台装置』という世界に定められた役割。
この場合、麗人と木こりの息子が『演者』で、彼が『舞台装置』。
さしずめ私は、『舞台装置』を動かすための『舞台装置』――と、思っていた。
「……あなた、クズだったのね」
わかってる。
無理があるってことくらい。
そんなぶっ飛んだ仮説よりも、彼が私の前でだけクズっぷりを隠していた、と考えた方が自然なことくらい。
ただ、認めたくなかっただけだ。
意地になっていた、だけだ。
「……さよなら。あなたへの全ての思いは、断ち切るね」
もう、夢から覚める時間だ。
後悔したって、仕方ないのだから。
私がやるべきことは。
本当に、心から、本気で手に入れたい場所とは。
「――ロルフ、ごめんなさい。あなたのこと、調べさせてもらうわ」
もう迷うことなど、何もない。
選択肢なんて、ひとつしかなかった。
■
幸いにも、私には金がある。
情報屋を酷使すれば、ロルフの情報はすぐに集まった。
今日は、町の酒場で情報屋から成果を聞き出す日だ。
「――ってわけで、ジュベールはヒルパートの弱みを握ってるわけだな。んで、優秀な次男坊のロルフ・ヒルパート卿が脅威だったもんで、いっそ婿入りさせてヒルパートから引き離しちまおうって魂胆よ」
「なんて姑息な……でも、そんなに優秀なら懐に置いておくのも脅威なのではないですか?」
「うんにゃ、こっち側にいる分にはどうとでもなるだろ。最悪、事故や病に見せかけて始末しちまえばいいんだからな」
「そんなことをすればいかにヒルパート伯爵家でも黙っていないはずです。それに、他の貴族たちも」
「そりゃそうなんだが、それを黙らせるだけのネタがあるってことなんじゃねぇの。そこまでは知らんよ、知りたけりゃ追加料金だ」
そう言って、指で金貨の形を作る男。
細かい部分はどうあれ、大まかな事情は理解した。
要は、ジュベール伯爵家がヒルパート伯爵家を脅して、無理矢理ロルフを奪い去ろうというのだ。
まぁ、婚約する当人同士がどう思ってるかまでは分からないが、少なくとも大義名分はできた。
あとは、ヒルパート伯爵家が握られている弱みってやつと、ジュベール伯爵家への対処だが――、
「追加はいるか? 貴族の内情調査はちと時間かかると思うが」
「そうですね……いえ、ここまでで大丈夫です。お疲れ様でした」
「おうよ。また何かあったら呼んでくれ。姉ちゃん、金払いがいいから気に入ったぜ」
そう言うと、情報屋は大口を開けながら去っていった。
何かと行動が早い男だ。金さえあれば信用できる男なのかもしれない。
っていうか、
「飲み代も私負担か……まったく、ガブガブ呑みやがっ――まぁいいや」
さて、次にやることは。
うーん、手回ししておいた方がよさそうなところはいくつかあるが、どれも決め手に欠ける。
無論、手に入れるためならなんでもすると決めたので、その全てをぬかりなくこなすつもりではいるが、なんとなく優先すべき順序が見えてこない。
「――そうだ。じゃあいっそ」
直接会いに行ってみるか。




