3-25 星降る夜に嘘をつく
アルと織音は年に一度、星祭りの夜にだけ会うことができる。
嘘で塗り固めたその時間は、二人にとってかけがえのない大切なものだった。
もうすぐ織音に会えると思うと、アルは夜になるのを待ちきれなくなり、星祭りの準備を途中で放り投げて逃げるように森へ向かった。
村からずっと離れた森の奥に遺跡がある。石柱は根元から倒れ、石造りの祭壇にはツタ植物が蜘蛛の巣のように複雑に絡み合っている。
ここはアルの先祖が異世界から聖女を召喚したと言い伝えられている場所。人族と魔族の争いに森の民が巻き込まれた暗黒の歴史の舞台でもある。
しかしアルはそんな昔話のことなどには興味がないといわんばかりに、倒れた石柱にどかっと腰をかけた。
空はすっかり深い紺色に変わっている。西の稜線に太陽が沈むといよいよ星祭りが始まる。
(もうすぐ、もうすぐ!)
アルははやる気持ちを抑えようと胸に手を当てた。
でも湧き出す感情は止められない。
「織音好きだー! 結婚してくれー!」
思わず空に向かって叫んでしまったのだ。
声に驚いた小鳥の群れが濃藍の空に飛び立っていく。
「だ、誰も聞いていないよ……な?」
周りをキョロキョロ見回して、誰もいないことにホッと胸をなで下ろす。
森の民にとって、22歳は妻を娶るには早過ぎる年齢。
つまりは多感なお年頃なのである。
気付けば星が流れ始めていた。
アルは慌てて立ち上がり、夜空に向けてまっすぐ手を伸ばす。
無数の光の粒が音もなく地表へ降り注ぎ、アルの身体へと吸い寄せられていく。
昔、幾度となく繰り返されてきた人族と魔族の激しい闘いに巻き込まれまいと、森の民の先祖は強大な魔力を捨て、宇宙に封じ込めた。
年に一度、星祭りの夜にだけ〝星のかけら〟と呼ばれる魔力の素を浴びて、森の民は本来の力を取り戻すことができるのだ。
アルが先祖に感謝する言葉を唱えると、それに呼応するように足下のツタ植物が溶けるように消えていき、祭壇が赤く光り出す。
やがて光が落ち着くと、その中に可憐な少女の姿があった。
「お、織音……」
百通り用意していた愛の言葉は、陽の光を浴びた朝露のごとく一瞬に溶けて空を赤く染めていき、
「……綺麗だ」
続く言葉はあまりにもシンプルだった。
少女は口元をキュッとつぐんでうつむいた。
肩まで伸ばした黒髪に茶色い瞳。人族としては珍しくはない幼さの残る顔かたち。でも、控えめな胸の膨らみを覆い隠すような形の服、それに反して太ももを隠すには無防備なヒダの付いた腰巻きなど、少女はこの世界の人族とは異なる身なりをしている。
織音がずっと下を向いたままだから、アルは急に不安になった。もし嫌われてもう会うのが嫌と言われたら、唯一の生きる希望を失ってしまう。
けれどその心配は杞憂だった。
パッと上げた彼女の顔は、人族特有の丸い耳まで真っ赤に染まっていて、
「アルも……かっこいい!」
勢いよく飛び出した言葉はアルの心臓を射貫いた。
顔がボンと沸騰して、尖った耳の先まで赤くなる。
ところで織音の世界ではアルのような、鼻筋が通って頬骨が高く、中性的で華奢な印象のある顔立ちをイケメンと呼ぶらしい。
「織音きれいだー!」
「アルかっこいいー!」
「あははは……」
「えへへへ……」
二人は手を握りぐるぐると回った。
これは恥ずかしさの余り奇行に走るという、二人にとっては毎度の儀式のようなものだった。
二人の出会いは10年前にさかのぼる――
12歳の誕生日を迎えた森の民の子供にとって、その年の星祭りは特別な意味を持っている。星祭りの広場に集まった子供たち一人一人に、長老が〝天職〟を告げていくのだ。
ところがアルの順番が来ても、長老は震える手を額に当てたまま何も告げなかった。
仲間からは馬鹿にされ、大人たちからは憐れみと奇異の目を向けられ、親兄弟には顔を背けられた。
アルは村から逃げ出し、遺跡の上で泣いた。
そんなアルの背中にも等しく星のかけらは降り注ぐ。
祭壇が輝き、その光の中にアルよりも激しく泣きじゃくる小さな女の子がいたのだ。
それが7歳の織音だった。
あれから10年間、星祭りの夜にこうして二人は会っている。
あの時、両親の離婚が原因で泣きじゃくっていた小さな女の子も今や17歳。人族の寿命は短い分、成長が早い。少女の胸はふくらみ骨盤は大きくなり、全体的に丸みを帯びた大人の体つきになっている。もう見た目ではアルと少女は同年代といってもおかしくない。
「……アル?」
「あっ」
織音の体をまじまじと見ていたことに気づき、アルは慌てて顔を逸らした。
「こ、今年もセーフクなんだね?」
「うん制服。アルが去年、可愛いいって言ってくれたから。私、高2になったんだよ?」
織音がその場でくるっと一回りすると、ヒダの付いた腰巻きがふわっと広がった。
ところで織音の住む世界では、同じ歳の子供が学校という場所で同じ服を着て、同じことを学ぶという。大家族で住み、大人たちから生活の中で知恵を学ぶ森の民には想像もつかない世界だ。
二人は1年振りの再会を喜び合った。
語り合う二人のすぐ側で地面から双葉が芽生え、あっという間に枝葉を揺らして大樹に成長していく。橙色の実がたわわに実った。
「わあっ、アル見て! 今年も美味しそうな実が生ったよ」
「うん。きっと旨いよ」
アルが指先を向けて呪文を唱えると、実がぷるぷる震えて落ちてくる。
柑橘系の香りが広がった。
「すっごい! アルの魔法は何度見てもすごいよ!」
織音の反応は10年前からずっと変わらない。
〝風の波動〟は森の民なら日常的に使える魔法だけれど、アルは星祭りの夜にしか使えない。一族の出来損ないと言われた自分を、織音だけは褒めてくれるのだ。
織音はちょこんと腰を下ろし、いそいそと皮をむいて一房ずつ口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼すると形の良い艶やかな唇から果汁が筋を引き流れ落ちていく。
「ん~美味ぃー。あれ、アルは食べないの? わたしが皮むいてあげようか?」
「あ、いや。自分でできるから」
アルは思わず見惚れて手が止まっていたことを誤魔化そうとした。
「そんなこと言わずにさー。ほら、あーん!」
「うぐっ!?」
アルは焦った。異性の口に指を入れる行為が、どのような意味をもっているのかを異世界に暮らす織音は知らないのだろう。アルの心臓が落ち着くまでにはかなりの時間が必要だった。
「来年も美味しい実ができますように……」
大樹の根元に皮と種を埋め、二人は手を合わせた。
アルは来年も再来年も、ずっと織音と会えるように祈った。
空がオレンジ色から黄色に変わり、地上には花畑が広がった。
「風よ吹け」
アルが呪文を唱えると、風車草の黄色い花がカラカラと音を立てて一斉に回った。
「わあっ、アルの魔法は本当にすごいよ!」
無邪気に喜ぶ織音を見て、アルは人差し指で鼻の下をこすりながら照れ笑いを浮かべた。
「コウコウは楽しい?」
「……うん!」
織音はときどき間を開ける。それが彼女の話し方のクセなんだとアルは思っている。
織音はシャツの襟元をきゅっと絞って、
「わたしね、友達とバンドを組むことになったの! 文化祭でね、おっきな体育館の舞台でギターをこう……ジャジャーンっと鳴らしてマイクで唄うんだ!」
「へえー」
「……楽しみなんだ!」
「唄ってみてよ」
「えっ」
織音は戸惑いの表情を見せた。
「僕も織音の歌を聴きたい!」
二人は目を合わせたまましばらく身動きがとれなかった。
サーッと風が通り抜け、風車草の黄色い花がカラカラと音を立てて回る。
「……いいよ。聴いて」
織音のアカペラの唄は、風車草の花びらと一緒にどこまでも届いていくような気がした。
「ブンカサイ、楽しみだね!」
「……うん!」
織音はシャツの袖を伸ばしながら寂しげな表情を浮かべて、小さく頷いた。
それから二人は青い花が咲き誇る丘の上に座って、互いのことを語り合った。
両親の離婚、母親の失踪という不遇な目に遭った織音が、どのようにして今の幸せな生活にたどり着いたかという身の上話は、何度聞いてもアルをハラハラとさせる。
スクールバンドを組んで有名になり、いつかは武道館ライブを実現させるという夢を語るときの織音の顔はキラキラしてまぶしい。
一方のアルは今年も嘘で塗り固めた空想の話をした。天職が与えられず村の雑用係に身を落としているなどという真実は、絶対に知られたくはないのだ。
空が紺色から紫色に変わった。別れの時間が近づいている。
明日からまた日常という名の牢獄で、織音のいない日々を過ごさなければならない。そう思うと胸が張り裂けそうになる。
「織音!」
「えっ」
アルは思わず織音の手を握ってしまった。そのとき、織音の袖がめくれ手首が露わになり、手首の裏に幾重もの生々しい切り傷が見えた。
「怪我を!?」
「ち、ちがっ……これは……」
織音は慌ててシャツの袖を引っ張り、後ずさりする。
「すぐに手当をしなくちゃ! 今なら治癒魔法が使える」
「いいの……これは自分でやっているんだから」
「……え?」
アルには意味が分からなかった。
「アル……ごめんなさい……本当はわたし……」
織音は顔をくしゃくしゃにして涙を流し始める。
「助けて……アル」
そのとき無情な暗闇が二人をそれぞれの在るべき世界へと押し戻していった。





