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3-24 影の令嬢は、しらない間に愛をしる

サリアは『影の令嬢』と呼ばれる防諜部門のエースだった。


長引く隣国との情報戦争。

サリアは『影を操る魔法』を使う。影から猫や鳥を生み出して王宮を見張ったり、全身に影をまとわせて変装をしたり、時には直接戦ったり、文字通り暗躍し続けた。


彼女の近くには、親衛隊長のロジャーが常にいた。

サリアが標的を調べて、ロジャーが逮捕。

2人はよい相棒関係――少なくともサリアはそう思っていた。


だが、隣国との関係が改善し、情報戦争も終わる。

「辺境に帰って嫁入り先でも探します」

サリアがそう言った途端、なぜかロジャーが机から崩れ落ちた。


自分は諜報以外に価値がない。

そう思っていたサリアだが、親衛隊長は慌てた様子で、植物園の視察――というよりデートをサリアに提案。

次第にサリアは、今までの彼の優しさや言葉の意味に気づいていく。


王宮を守る影の令嬢に、知らないことなど何もない。自分のこと以外は。

 黒猫が石畳を歩く。

 猫は影がそのまま立ち上がったかのように真っ黒で、足音もしない。王宮の人通りを縫うように黒猫は歩き、やがて一人の女性の前で足を止めた。


「影猫よ、ご苦労様でした」


 女性はそう唱えた。

 黒猫は前脚を伸ばして、女性の影を踏む。すると、猫はぐにゃりと形を歪め、女性の影へと吸い込まれた。


「ありがとう」


 女性が小声で礼を言う。

 すっと通った鼻筋と、艶やかな唇、銀色の瞳。特別な色の瞳は宿った魔力の多さを示すとして、このアスターテ王国で貴重とされていた。

 黒を基調としたドレスは、やや陰気ではあったが、肌の白さと銀色の髪の美しさを引き立てていた。

 女性はさっとドレスをひるがえし、王宮を歩く。

 ひそひそ、ひそひそ、と噂話が耳をなでた。


 ――影の令嬢だ。

 ――また、王宮の敵を探してる。

 ――頼もしいけど、少し、怖いわ……。


 侍女や貴族の噂話が、女性が通り過ぎた場所から交わされていく。

 女性は表情を変えないまま進み、ある部屋の前で足を止めた。『親衛隊』と書かれている。


 ――影の令嬢のサリアさま……。


 誰かの噂を背で聞き流し、サリアは親衛隊の詰め所に入った。



     ◆



「来たか」


 親衛隊長ロジャーのぶっきらぼうな挨拶に、サリアはいくらか肩の荷が下りたのを感じた。

 ロジャーは不愛想な、悪く言えばやや睨むような視線をサリアへ向けている。

 歳は23、つまりサリアの5つ上だ。激務による疲れか、それとも取り調べもする職業柄か、どうにもこの男性は目つきが鋭い。

 サリアと対照的な白の制服は、窓からの陽によく映えて、影の令嬢としては眩しいほどだった。

 顔立ち自体はとても整っていて、令嬢方にかなり人気がある。

 サリアは肩をすくめて言った。


「正午の定時連絡です」

「お聞かせ願おう、影の令嬢」


 あだ名をからかわれた気がして、むっとサリアは相手を睨む。

 ロジャー隊長はどこ吹く風だ。とはいえ気軽に表情を出せる分、ここでの会話は楽だった。


「報告は、一つだけ。今日も『何もなし』」


 うむ、とロジャーは頷いた。

 椅子の背もたれによりかかり、深く息を吐き出す。


「……いよいよ、戦争も終わりということだね」


 折しも、春だった。

 新しい季節は、草花も美しく色づいて、窓からの眺めを華やかにさせている。

 サリアは頬を緩めて、丁寧に一礼した。


「長い長い防諜任務、お疲れさまでした。親衛隊長殿」

「これはこれは。情報部の影の令嬢、そちらこそお役目大儀でありましたな」


 サリアとロジャーの関係――それは、相棒に近いものだった。


 アスターテ王国は長く隣国と戦争状態にあった。5年前に停戦したが、その後に待っていたのは、長い長い情報合戦。

 特に貴族や大商人が出入りし、外交の舞台でもある王宮は機密情報の宝庫である。工作員から王宮を守る『防諜』は重要な任務だ。


 親衛隊は、いわば表の顔。

 王宮の衛兵を指揮して、時には実際に工作員のところへ踏み込んで王宮の秘密を守る。


 情報部門は、裏の顔だ。

 そもそも工作員がどこにいるか。いつ入ってくるか。そうした情報を事前に掴んで、親衛隊につなげる。


 親衛隊長ロジャーは当然ながら前者に、サリアは後者に属していた。サリアの場合、役割はもう少し複雑だが。

 ロジャーは言った。


「……実際のところ」


 隊長は窓から外を見る。


「影の令嬢、君の成果は素晴らしい。影から、猫や鳥といった動物――影獣(えいじゅう)といったかな、それを生み出し、情報を集める。君が王宮に君臨してからというもの、他国からの工作自体が減った」


 サリアは小さく肩をすぼめた。


「目立ちました」

「はは。影の令嬢、ぜんぜん影じゃないよな」


 優れた魔法使いが王宮にいることを知らしめて、敵の諜報自体を委縮させる。

 サリアはそうした役割をも担っていた。

 立派な砦や城壁、それ自体が戦意を挫くのに似ている。ロジャーとは何度も危ない戦いをくぐった仲だ。

 隊長はにっと笑う。


「影を使った変装や潜入でも、ずいぶん世話になった」


 隊長の表情は、裏表を感じさせない。人柄が出ているとサリアは思う。


「個人的にも、改めて礼を言いたい。ありがとう」


 サリアもつられて笑えた。

 役目のため、自然に笑えることは少ない。肌が白すぎ、喪服じみたドレスを着こんだ女の微笑みなど、不気味だと承知してもいる。

 それでも――認め合った相手に褒められるのは、嬉しい。

 サリアは、ロジャーがまだこちらを見ていることに気が付いた。


「なにか?」

「……うむ」


 隊長はごほんと咳払いする。


「情報戦も下火だ。我々も少しは暇になる」


 ロジャーは問うた。


「影の令嬢、君は、平和になったらどうするつもりだ?」


 サリアは頬に手を当てて言った。


「いったん辺境の実家に帰り、嫁入り先でも探そうかと」


 瞬間、隊長が崩れた。

 ガタガタっと椅子から崩れ落ち、地面に右手をつく。

 ぽかんとするサリアの前で、ロジャーはなんとか立ち上がろうとしていた。膝が生まれたての小鹿のようになっていて、ぜんぜん立てていないが。


「……そうか」


 机に手をついて、ロジャーはなんとか長身を支えている。

 サリアは眉をひそめた。


「なにか」

「い、いや、なんでもない。気にするな。手も貸さなくていい」


 歯切れが悪いロジャー。

 「まさか」「そんな」「しかし」と、小声で繰り返している。訓練を受けたサリアには丸聞こえだったが。

 サリアは、同じような光景を近々見たことを思い出した。

 情報部の上司に、今後の予定を聞かれた時だ。同じように膝から崩れて、しばらく足に力が入らないらしく立てなかった。


 ――共通の伝染病?


 それとなく自身の影をロジャーに伸ばし、魔力から体調を推し量る。

 健康面は、問題なしだ。

 事態を分析しようと、サリアは情報部の上司を思い出す。


 ――まさか、そんな。

 ――あんなにわかりやすいのに、あり得るのか。

 ――親衛隊長の顔を思うと……ぷ、くくっ!


 肩を震わせていたのは、笑いをこらえていたからだろうか。なぜ、笑い。

 ロジャーが問うてくる。


「そ、それはいつ頃だ? 出立は?」

「四日後です」

「早いな!?」


 ロジャーはまた崩れかけた。

 が、さすがに今回は持ち直した。動揺しているのは相変わらずだが、なぜこんなに慌てているのだろう。

 隊長は壁のカレンダーを見て唸った。


「しかも、よりによって星夜の日だと?」

「……3月は前に、予定は決めておりました。情報部からは何も?」

「ない。あいつ……俺に黙ってたな」


 『あいつ』とは、サリアの上司のことだろう。

 サリアは本心から申し訳なく感じた。


「……ご存じとばかり」


 情報部の人材繰りは守秘事項である。本来なら、サリアもここで漏らすべきではなかった。

 気が緩んでいたとしか思えない。


「……あなたに限って、反逆を疑われて連絡網から外されていたということはないと思いますが」

「ありがとう、信用してくれて嬉しいよ」


 震え声のロジャーはどっかと椅子に座りなおした。疲れ切っている。

 上目遣いにこちらを見てきた。

 なんで辛そうなの?


「しかし……君が離れたらここの防諜が困るだろう」

「後進が育たない、ということもありますよ」

「う、うむ……しかし嫁入りなど、君ならわざわざ辺境にいかなくても」


 サリアの笑みに、ふっと影が差した。


「私は『影の令嬢』ですよ」

「う……」


 あれは2年前。サリアは宮殿のパーティーに呼ばれた。

 すでに能力の強さと異様さを知らしめていたサリアを見るなり、ざぁ、と人が引いた。過労気味だったこともあり、魔力がよく通う目はその時のストレスで限界に達す。

 銀色の目からすぅ、と血の涙を流すサリア。

 パーティー会場は恐怖の叫びに包まれた。


 ――あ、詰んだわ、私。


 当時のことを思い出して、サリアはドレスの胸元を掴む。

 ロジャーは急に立ち上がった。


「よし! グランフォード伯爵令嬢!」


 家名を呼び、手を握らんばかりの勢い。

 サリアは唖然とした。


「私と、け――」


 銀の瞳で見つめ返すサリアに、ロジャーは目を逸らして言い淀む。


「いや、デ――」


 親衛隊長ははっと壁を見た。

 規則がずらりと貼り出されている。


 【親衛隊規則】


 ・隊員は、情報部の者とみだりに任務外で行動を共にしてはならない。


 似たような規則はどこにもある。そうでなければ、あらゆる隊が有利な情報を得ようと情報部の人間に近づくだろう。


「あれさえなければ今頃は……!」


 凄まじい怒気がロジャーから発せられる。

 不明点ばかりだが、サリアは尋ねた。


「私に用があるのですね?」

「う、うむ」


 ロジャーはあちこちに視線を逃がす。やがて鉢にある観葉植物に目を止めたようだ。


「……い、以前、君は王立植物園に行きたがっていたな」

「はい、まぁ」


 花が好きなので。


「王立植物園から警備状況の視察依頼が来ている。しかし、情報部の目も必要だ」


 サリアは微笑した。


「でしたら、私も――」

「君が必要だ。同行してくれるか」


 かつてなく真っすぐな目。胸が不思議に高鳴りだす。

 影の令嬢のくせに。


「――承知、しました」


 次の日、2人は植物園を『視察』することになった。

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