番02:準備1
「うぅ、もうお嫁にいけません…」
椅子に座り、机に伏してさめざめと泣きます。
「その、悪かったですわ…。久しぶりにサクラちゃんに触れて、なんというか、タガが外れましたの…」
アリア様が謝罪をしますが、ちらりと横目で見たその顔は、つやつやと輝きいい笑顔でした。
「やっぱり反省なんてしていないじゃないですか!凄く恥ずかしかったんですから!」
「え?いえ、反省はしていますわ!」
「ならその笑顔は何ですか!?反省しているのに凄くいい笑顔じゃないですか!」
「これは、ほら、なんというか……そう、サクラちゃんがあまりにも可愛らしかったからですわ!ほら、頬を染めて涙目で懇願する姿とか、触れるたびに悶えるように喘ぐ姿とか…。ああ、思い出しただけでも…!」
Sです!この人絶対Sです!
「思い出さないでください!やめて下さいって言っているのに、わたしがどれだけ恥ずかしかったか…!」
「もう、そんなに怒らないで?身体が敏感な方が、殿方は喜びますのよ?」
「敏感って……そんなこと言われても、嬉しくなんてないです。恥ずかしいだけです…!」
「それに、セドリム兄様だってそのほうが喜びますわよ?」
「え?王子も…?って、王子は関係ないじゃないですか!」
「あら、今反応しましたわね。ふふ、大丈夫ですわよ。嫁の貰い手が無くても、お兄様が喜んで貰ってくれますわ」
「だから、王子は関係ないって言っているじゃないですか!」
「そんなにムキにならなくてもいいじゃありませんの。……それとも、もしかしてあちらに恋人がいたとか?はっ!まさか、あちらにいる間にもうどこかの殿方に捧げたとか…?」
は?捧げたって、何を…?
「ですから、サクラちゃんの初めてですわ。それならあれだけ反応していたのも納得ですわ。サクラちゃんはすでに大人だったのですわね…。まあ、初めてでなくてもお兄様は構わないでしょうけど…。大丈夫ですわ、別に初めてでなくても結婚には問題ありませんもの!」
明け透けな物言いに頬が熱を持ちますが、ここで照れたそぶりなど見せたらそれこそ思う壷です。ここは冷静に…。
「何を勝手に勘違いしているんですか。そんな相手もいたことありませんし、経験もありません」
「本当に?無理に隠さなくても大丈夫ですのよ?お兄様にはそれとなく伝えておきますから、気にしなくても大丈夫ですわ」
「ですから…」
散々辱められた上に、勝手に勘違いをされて苛々が頂点に差し掛かっていたわたしは、場所も忘れて大きく息を吸い込みました。
「すまない、こっちにサクラがきて…」
「いい加減にしてください!わたしはまだ処女です!キ、キスもまだなのに、その先なんて…」
ふぅ、ここまで言えば大丈夫でしょう。
って、あれ?急に静まり返って、どうしたのでしょう?
「だ、そうですわ。よかったですわね、お兄様?」
「へ?お兄様?」
にやにやとしているアリア様の目線を追って慌てて振り返ると、そこには…。
「お、王子?いつからそこに…?」
顔を赤くしながらも、目は驚いたように見開いて固まっている王子の姿がありました。
「大丈夫ですわ。先程サクラちゃんが叫んだ所に偶然出くわしただけですわ」
「それって、全然大丈夫じゃないじゃないですか!ノックは!?ここ、花嫁の控室ですよね?そんな場所にどうして!?」
「ノックはありましたわよ?サクラちゃんは興奮していて気がつかなかったようですけど。扉を開けたのも侍女ですわ。で、大胆な告白に対してお兄様のコメントは?」
「え?あ、あー。その、だな。ああいうことは大声で言わないほうがいいと思うぞ?」
わたしの顔は、瞬間湯沸かし器のように一気に温度が跳ねあがりました。漫画で表現するなら、一気に赤くなって頭から湯気が出ていることでしょう。今ならお湯も沸かせる気がします。
「もう、そんなことを聞いているんじゃないですわ。サクラちゃんがまだ乙女で、しかも唇すら許していないそうですわよ?お兄様は嬉しくはありませんの?」
やめて!?それ以上言われたら、わたしは恥ずかしさで死ねますよ!?
「……私に何を言えと?まあ、一般論で言えば、その、嬉しいんじゃないのか?」
「全く、お兄様も素直じゃありませんわね。サクラちゃん、よかったですわね。お兄様も相手が乙女だと嬉しいそうですわよ?」
……もう黙ってください。というか、放っておいてください…。
「だから、あれは一般論だと…」
「はいはい。お兄様もいい加減、男らしくはっきり言えばいいのですわ。とにかく、お兄様は出て行って下さいまし。まだサクラちゃんの準備が済んでいませんから」
「お、おい。まだ私は…」
「用があるならこちらが終わってからにしてくださいな」
王子はそのまま、アリア王女に追い出されていきました。
「ほら、サクラちゃんも机に突っ伏していないで、準備をしますわよ?」
「誰のせいですか!元はと言えば、アリア様が悪いんじゃないですか!」
おかげで、あんな恥ずかしいことを大声で…。しかも、王子にまで聞かれましたし…。
「あら、わたくしは可能性を尋ねただけじゃありませんの。否定だけならともかく、自ら乙女だと告白したのはサクラちゃんの方ですわ」
くっ、ああ言えばこう言う…。さすが腐っても元王女様、口が達者ですね。
「ですが、そもそもがそういう話題を出してきたのはアリア様じゃないですか?それに着替えの時だって…」
「着替えの時はわたくしだけじゃありませんわ。シフォンだって手伝っていましたし、さりげなく撫でまわしていましたもの」
「申し訳ありません。私もはしゃぎ過ぎたと思います」
「シフォンさんはいいんです。シフォンさんは今日の主役ですし、ずっとお世話になっていますから」
良くはないですけど、いいんです。シフォンさんですもの。理屈では無く、感情の問題です。
「うふふ、光栄です」
「まぁっ!?それは差別というものですわ!そのドレスだって誰が用意したと思っていますの!?」
「え?シフォンさんじゃないんですか?」
「はい、サクラ様に着て頂くために私が用意させて頂きました」
「ですよね?アリア様は関係ないじゃないですか」
「ですが、サイズや色合い、デザインなどはアリア殿下も一緒に決めて頂きました」
って、それって別に用意したとは言いませんよね?
「そうですわ。サクラちゃんに似合うようにと、苦心したのですわよ?」
確かにデザインは可愛いと思いますし、色だってピンクというか桜色というか、とても鮮やかで、ですがきつくない、いい色だと思いますが。
少し感心しかけましたが、次の言葉でそれも吹き飛びました。
「それに、下着を用意したのはわたくしですのよ?最高のドレスを身につけるなら、下着も最高の物でないと駄目ですから!」
アリア様はそう言って、自慢げな顔をして胸を張りました。
それに伴って、2年前よりもボリュームが増えた気がする大きな胸が揺れます。
……それは自慢ですか?もしくは、もう成長しないわたしへの嫌がらせですか?わたしだって、わたしだって呪いさえなければ巨乳とまではいかなくても、普乳くらいまでは成長していたはずなのに…!今すぐその揺れを止めろ!
おっと、今はその話じゃありませんでしたね…。少々暴走してしまいました。
「道理でやたらと可愛らしいデザインのはずですね…」
「わたくし、今度女性向けの服飾のお店を開きますの。その下着はそのお店で出すための試作品をベースに作りましたのよ?コンセプトは少女の清純さの中の、大人になりかけの魅力ですわ。いわば、咲き掛けの蕾のような、見た殿方が自らの手で咲かせてみたいと思わせるような、そんな下着ですの!」
それはあれですか?向こうの世界で言うところの、小悪魔風とか言うやつですか?
素材はシルクですが、緻密に編まれたレースをあしらい、色は薄いピンクをベースにしながらもポイントで黒を使った、ブラがセットになった物です。ブラはまだこの世界にはないのですが、前にわたしが話した事があるものをベースに作ったようです。シルクの光沢が艶を出し、可愛くて色っぽいという、そのコンセプトを満たした下着となっています。
確かに人気が出そうな出来栄えですが…。ですが、どうしてわたしがそれを着けないといけないのでしょう?せっかくのシフォンさんの晴れ舞台ですし、ドレスや下着まで気を使うというのはわかります。しかしそれは、上質であればシンプルなデザインでも全く問題はないはずです。むしろこんなデザインの物を着ける理由がわかりません。
「そんなこと決まっているじゃありませんの。可愛いからですわ!サクラちゃんが清純なドレスの下に、そんな下着を着けていると思っただけで……ああ、たまりませんわ!」
すみません、何を言っているのかわかりません。いえ、わかりたくありません。
あと、くねくねと悶えているのが気持ち悪いです。
「それに、ですわ」
まだあるんですか…?
「こういった式の後は、カップルが増えますのよ?一部の人は式の後のパ-ティを出会いの場として考えているようですし、事実、こういった場で出会い、次に結婚をするカップルもいますのよ?」
「……何が言いたいんですか?」
「もう!ですから、パーティで素敵な殿方に見染められてそのまま、ということもあるでしょう?その時になって下着が可愛くないと慌てても遅いのですわよ?」
全く、この人の頭にはそれしかないのでしょうか?結婚してからさらに悪化したのではないでしょうか?
「仮に、もしも、あり得ないと思いますが、そんなことがあったとしても付いて行くなんてありえませんよ」
初めて会った人とその日に、なんて、話には聞いたことはありますが、自分に置き換えてみるとあり得ないと思います。それに、誰も好き好んでわたしになんて声をかけないでしょう。今日の式は侯爵家同士の結婚式です。招待されているのは貴族、それも上位の家柄ばかりです。平民で参加するのなんて、わたしくらいのものでしょう。それでなくても気位の高い貴族様が、平民に、しかもわたしになんて声をかけるはずがありません。
そう考えての言葉だったのですが、他の人には違う意味で伝わったようです。
「そうですよ。サクラ様にはセドリム王子殿下という決まったお相手がおられるのですから、他の殿方が声をかけてきても靡くはずがないじゃありませんか」
「あら、そうでしたわね。わたくしとしたことが…。ですが、セドリム兄様とそのような関係になっても大丈夫ですわ。その下着を見たら、あのお兄様だってサクラちゃんにメロメロになるはずですわ!」
いや、メロメロって…。
「どうしてそこで王子が出てくるんですか…」
そもそも、下着を見られる状況って…。そんな簡単になんて見せませんよ?
ですが、少し想像してしまいます。いずれはわたしも経験することになるのでしょうか?下着を見せるような状況ということは、つまりその先もあるわけです。その時のお相手は誰でしょう?王子?それとも見知らぬ誰かでしょうか?
王子がこの下着を見たらどう思うでしょうか?似合わない?それとも興奮する?可愛いと言ってくれるでしょうか?可愛いと思ってくれたなら、少し嬉しいかもしれません。
って、どうして王子に見せることを考えているんですか!?そんなつもりも予定も一切ありませんよ!?ああ、もう!二人が変な事を言うから余計な事を考えてしまうんです!
「あら?サクラ様、顔が少し赤いですよ?」
ちょ、どうして気が付くんですか!?
「べ、別になんでも…」
「あら?本当ですわね…。うふふ、お兄様にその下着を見られてどう思われるか、もしかして可愛いと言ってくれたりして……なんて想像してしまって照れてしまったのかしら?」
「ち、ちがっ…!」
「サクラ様、愛する殿方に抱かれる事を想像するのは、女性として当たり前の事ですよ?むしろ、そのような想像もできない殿方は、愛しているとはいえません。私だって、あの人と結ばれる事を何度も考えたのですよ?」
「え…?シフォンさんでも…?」
「ええ。愛する殿方と結ばれるのは、女としての幸せの一つです。貴族の結婚は自由にならない事も多いですが、想うことは自由ですから…。私はあの人と結婚することができますが、望まぬ結婚を強いられる方もおられますからね」
「女としての、幸せ…」
「そうです。ですから、サクラ様がセドリム王子殿下と……と考えるのは恥ずかしいことでも何でもないのですよ?」
って、どうしてわたしの好きな人が王子になっているんですか?他に良く知っている男性がいないから王子で想像してしまっただけで、それに他意は…。そりゃ、ちょっとはドキドキしましたけど、それだってそういったことを想像したからで相手が王子だったからってわけでは…。ほ、本当に王子なんて関係ないんですから!
「さあ、お兄様がサクラちゃんにメロメロになるように、仕上げをしてしまいましょう!わたくし達に任せておけば、悪いようにはしませんわ!」
だからメロメロって…。というか、アリア様が一番心配なんですが?
「ですから王子の事は…」
って聞いていませんね?はぁ、もういいです。好きにしてください…。
「ふふふ……おーほっほっほ!素晴らしい、素晴らしい出来ですわ!さすがわたくし、サクラちゃんの魅力を最大限に引き出していますわ!」
「これは、殿下に渡してしまうのが惜しいですね…」
「可愛らしさを強調しつつ、垣間見せる妖艶さ。いい出来ね」
アリア様、シフォンさん、王妃様の3人がメイクを終えたわたしを囲みながら評価をしています。ちなにみわたしはまだ出来上がりを見ていません。どんな風になったのかもわからないのに、他人に評価されるのは微妙な気分です。
そんな考えが伝わったのか、メイドさんの一人が手鏡を渡してくれました。
手鏡で自分の姿を見て、動きが止まりました。
「これが……わたし…?」
呟くように漏れた声は、掠れてはいましたが3人の耳に届いたようです。
「そうですわ!わたくし渾身の出来でしてよ!」
正直、驚きました。元王女様なのに、まともにメイクが出来るとは思っていなかったのです。ですが鏡に映るわたしの顔は、見慣れていた物では無くてまるでどこかのお姫様のようなものでした。
というのも、いつも中学生、場合によっては小学生にすら間違われていた童顔は影をひそめ、アイラインで強調された目元は見方によっては妖艶ともとれます。頬にはチークがのせられて目元と相まって大人っぽい印象を受けます。そして少し厚めに塗られた口紅は薄い唇をぽってりとした印象に変え、グロスによって思わず触れたくなるような仕上がりになっていました。
わたしだって女ですから、簡単なメイクくらいは出来ます。が、所詮は素人のメイクだと思い知らされました。アリア様のメイクは鏡を見た瞬間、それが自分だとわからなかったのですから。
「どうかしら?これならお兄様だってサクラちゃんに惚れ直すに違いありませんわ。少し上目遣いに迫ればイチコロですわよ?」
ガクッ。
ちょっと感心したらこれです…。
「だから迫りませんって…。それよりも、シフォンさんの準備をしなくてもいいんですか?式まで後半刻程ですよ?」
式の開始は6と2刻からです。13時ですね。そして今は12時前。もう少ししたら6の刻の鐘が鳴るはずです。
「大丈夫ですよ。私の準備は4半刻もあれば終わりますから」
「え?」
ちょっと待って下さい?わたしの準備は半刻以上かかっていましたよね?
「シフォンは慣れていますからね。元々シフォンはお世話される立場ですし、夜会なども参加していますし。それに侍女としても年季がありますから、準備は早いのですわ」
またしても考えを読まれた!?
「それに……サクラちゃんは嬲り……お世話のし甲斐があるのでつい力が入ってしまって、そのせいで少し時間がかかっただけですわ」
今本音が出ましたよね!?言い直しましたよね!?
問い詰めたいけれど、下手につつくと藪蛇になるというか、ろくなことにならない気がします…。こ、これは逃げじゃありませんよ!?そう、いわゆる戦略的撤退というやつです!
色々な言葉を飲み込みつつ、お昼代わりのおやつを口に入れるのでした…。




