エピソード078 私、心の底から嫌いです!
「……おい、銀髪の。ルシアだったよなぁ?」
黒髪にこの国では珍しい、別世界の極東島国を想起させる顔立ち。
パンドラム王国に所属する火の勇者、グレンが私の事を睨みつけていた。
「……」
とりあえず無視してればどこかに行かないかなぁ、という淡い期待を込めてガン無視を決め込んでみたが、何度も私の名前を呼んでくる。ルシアルシアと馴れ馴れしい。
「(この人が『獄炎』……火の勇者様なのかしら?)」
「(たぶん。思ってたより感じ悪い)」
「……あぁ、いらっしゃったのですか勇者様。お久しぶりで御座います。ではご機嫌麗しゅう」
最低限の挨拶だけ済ませてさっさとこの場を去ろうとした。……だがしかし、ゲス勇者に回り込まれてしまった。
「おい待てよルシア。てめぇよくも俺の獲物に手ぇ出しやがったな?」
「はぁ。なんの事でしょう?」
私は何かゲス勇者の獲物に手を出しただろうか。心当たりがなかったので視線でシャロに助けを求めると、シャロが何やらパタパタと羽ばたく鳥の真似事をしている。
ブフッ!
その姿に思わず吹き出してしまった。シャロがその吹き出した様子を見て顔を真赤にして怒ってる。
いや、いつも真面目なシャロがそんなシュールな動きしたらそりゃ笑うって。ほら、アレックスも腹抱えて笑ってるじゃん。
「てめぇ……。ことごとく俺を馬鹿にする気か?」
「いえ、そんなつもりは無いんですけど……ちょっと心当たりがなくて」
「ドラゴンのことだよ!! ちっと俺が王都の面倒な輩の対応をしてたら横からかっさりやがって。挙げ句に逃すってどういう事だよ!? せっかく『ドラゴンキラー』って称号が手に入ると思ったのによぉ!」
ゲス勇者が地団駄を踏んで悔しがっている。ああ、たしかに王様がそんな事を言ってたような気がする。
でも、それこそ私達の知ったこっちゃない。私達だって別に好きでヒューベルデに連れ去られたわけじゃないよ。
「それは残念でしたね。また機会がありましたら是非チャレンジしてみて下さい。それでは」
正直、ゲス勇者を相手にしているとイライラが募ってくる。下手な事を言い出す前にさっさと別れるに限る。
そう思って私は皆を連れていったんこの場を離れようとするが、次の奴の言葉は到底無視できるものではなかった。
「……いや、待てよ。ちょうどそこにドラゴンの娘がいるじゃねぇか。王都に迷惑をかけた罪は娘の命で償ってもらうとするか……おいルシア、その娘をこっちに渡せ」
一瞬で血管がブチ切れそうなくらいの怒りが湧いた。シャロとローラも同じ気持ちだったのか、ベルを背に庇い、怒りと軽蔑が入り混じった形相でグレンの事を見やる。
ケーニッヒがグレンに冷ややかな視線を向けつつ、私の耳元で「ルシア嬢、辛抱願います」と囁いた。
私は何度か深呼吸をしてゲス勇者に向き直り、感情が一ミリも籠もっていない微笑みを浮かべた。
「勇者様はご冗談がお好きなんですね。そんなに恥ずかしがらなくても、ベルとお話したいなら私達と一緒に今度お茶でもいかがでしょうか」
私の返答にケーニッヒがホッと胸をなでおろしていた。ゲス勇者の言った言葉は冗談であり、これでチャラにしましょう、という私の意図が伝わったようだ。
さっきの発言はちょっとゲス勇者が言う所の獲物を逃した事にむしゃくしゃして言った戯言。そうだよね? 流石にこれで蒸し返してくるようなやつが、勇者をやれてるはずがない。
「なにがお話がしたいだ。お前の頭はお花畑か? 勇者の俺に何度も言わせるな。そのドラゴン娘を俺に寄越せ。なに、すぐには殺さん。とりあえず翼を落として飛べなくしてから従属の魔道具で──」
「黙れ。このド腐れゲス野郎」
そうか、そうだったよ。アイツの僅かな良心を期待した、私が間違っていた。
私の予想よりも遥かに最低で下衆な発言をするのがコイツだった。
口から出た言葉はもう戻すことは出来ない。でも、私はこの言葉を発したことに全く後悔してない。
「……なに?」
「もう黙れと言った。あなたは頭だけじゃなくて耳まで悪いの? 早く去りなさい。さもないと──」
「「「──私があなた(あんた)を殺すわ」」」
3人の声が、重なった。
「な、なんだ? 勇者の俺とやろうってのか?」
意図せず三重となった私達の言葉に、怯みながらもヘラヘラと笑みを浮かべるゲス勇者。
「あなたよりも冒険者の私達の方がよっぽど勇者らしい行いをしてるよ。ハリボテの勇者様」
私は背中でベルを隠し、キッと刺し穿つかのような視線を向けた。
私達の大事な仲間であるベルを、言いがかりめいたアホな理由で殺されるくらいなら、いくらでもボコってあげる。
沸々と高まる戦闘の気配。
それを断ち切るかのようにアレックスとケーニッヒが、私達とゲス勇者の間に割って入った。
「グレン殿、流石に先程のベルザード嬢への暴言は看過しかねる。早くベルザード嬢とその仲間の皆様に撤回と謝罪をしてください」
ケーニッヒは普段のグレンに対する態度とは異なり、彼にしては強い口調でグレンを非難し、先程発した言葉を取り消すよう指示していた。
「はぁ……、おい。ルシア、シャロット、ローレライ。ちょっと頭冷やせ。あのアホが腹立ち紛れに口から出た言葉じゃねぇか。出来るはずねぇだろ? だからそんなムキになんな」
一方アレックスは、同じようにゲス勇者を軽蔑した目で見つつも、私達に大人になれと諭してきた。でも、アレックスは私達の事を分かっていないようだ。
「邪魔よアレックス。あんな言葉が出る時点でベルの事をそういう目で見たって証よ! あたし達の仲間を侮辱されたの……落ち着ける方がおかしいでしょ?!」
「シャロに同意。久々にイラッときた。仲間を貶める奴は、勇者だろうと許さない」
普段のシャロとローラから想像できない程の怒り様に困ったアレックスは、仕方なく私の方に向き直った。
「アレックス、何故ですか? こんな生ゴミ、さっさと処分した方がこの国の為だと思いますけど。──あぁ、生ゴミは良質な肥料になるから同列にするのは失礼でした。農民である私とした事がとんだ失言です」
勿論私も怒っていた。
冗談でも言って良い事と悪い事がある。あの腐れ野郎がベルに言ったのは腹立ち紛れでも絶対に言葉に出してはいけない類の言葉だった。
「……噂には聞いてたが、お前、火の勇者に関わると一気に性格変わるのな。普段聞かねぇ口調が怖ぇよ」
別にあのゲス勇者が特別というわけではない。アレが私と会う度に醜悪な事を言うものだから確率的にそうなっているだけだ。
アレックスは処置なしとでもいうかのように手をあげ、ケーニッヒの様子を伺った。彼は尚も殊勝にゲス勇者を説得しているようだが、様子を見ている限り聞き入れる気はないらしい。
それどころか……
「おい、赤髪ツンツン野郎。聞こえてたぞ、誰がアホだって? 聞けば冒険者ギルド最強の男だとかでチヤホヤされてるらしいが、とんだ弱腰野郎じゃねぇか!
お前をSランクなんかにした奴は、見る目の無い大マヌケ野郎だなぁ!」
ブチッ! と血管の切れるような幻聴が聞こえた。
「……あ゛ぁ? なに調子ノッてんだド腐れゲス野郎。ルシア達にやられてテメェが無様な姿晒さねぇようせっかく配慮してやってたのによぉ。……先に俺がテメェを殺してやろうか、あ゛ぁん?」
仲裁側に回っていたアレックスをも怒らせたようだ。担いでいたハルバードを握り込み、今にもゲス勇者に突撃しそうな勢いだ。
「俺は撤回しねぇぞ! 俺を怒らせた罰だ!──いや、待てよ。おいルシア、なんならそのドラゴン娘の代わりにお前が俺の従順な嫁になるってんなら諦めてやっても──」
私はゲス勇者の妄言に付き合わされる事にウンザリして頭が痛くなってきた。
こいつ……まだ諦めてなかったのか。何が悲しくて私がお前みたいなゲス勇者の嫁になんてならなくちゃいけないのよ! それだったら今すぐにでもタマのお嫁さんになるわっ!!
「おいニンゲン! それはききずてならないの!」
今まで私の後ろに隠れていたベルが、ゲス勇者の言葉に反応して前に飛び出した。人指し指をビシリッとゲス勇者に突きつけ、尻尾を逆立て、翼を震わせて怒り心頭なご様子だ。
「ルシアはベルの番なの! おまえみたいなニンゲンにわたすなんてチャンチャラおかしいの!! ほーふくぜっとうなの!!」
ピシリと、その場の空気が凍ったように静まりかえった。こ、これがベルの氷竜としての能力なのか……いや絶対違うね。
それはヒューベルデの冗談だったんだし、その話題をここで話すのは色々とマズい気が……。
「番って……。ルシア……お前、"lesbian"だったのか。つうか、竜種とだと"abnormal"……」
「誰がレズビアンかっ! 私はノーマルだよ!」
アレックスが慄くようにそう呟いた。というか、前世の事考えれば、私が女を好きになるのは別におかしいことでもないからねっ!?
異世界じゃ知らないけど、恋愛の自由を否定するのは色々と問題なんだよっ!……ってそうじゃないんだよっ!!!
「え……ルシアはベルのことキライ……?」
「えっ!? いや、違くて! 勿論ベルの事は大好きだよ!」
「ベルもルシアのこと大スキなのー!」
「やっぱりか……」
「ルッシー……ナイス告白」
あぁもう! どうしてこうなるかなっ!?
「いや、そうじゃなくて! 皆の……シャロとローラの事も大好きだしっ!」
「ちょっ!? このタイミングでそれはマズいでしょっ!!」
「私、ルッシーのハーレムに加えられるんだね……くふふ」
テンパった私の失言に驚愕するシャロと、逆に面白がっているローラ。そして……
「『英雄、色を好む』ってやつか……お前、俺が思ってたよりもヤベえ奴だな」
……ドン引きするアレックス。
ああもう! そういう意味じゃなくてっ!! ……どうしてこうなった!!
それからゲス勇者のことなんて放ってギャーギャー言い合いをしてたら、いつの間にか湧き出した怒りは霧散してしまった。
「──なんか疲れたわね……。もう帰りましょうか」
シャロは頭痛がするのか、頭を抑えて提案し、
「賛成だな……。今日の事は酒でも呑んで早く忘れてぇ……」
同じポーズで同意するアレックス。
「私達、結局宿とってない」
マイペースに宿の心配をするローラに、
「今回の無礼のお詫びに最高級の宿をご用意致しますぞ。ご安心を」
律儀に返答するケーニッヒ。
「ベルおなかへったのー。おいしいしょくじある?」
「勿論ございますとも」
「やったのー!」
そしていつものようにご飯を待ち望むベル。
もうゲス野郎のことなど眼中になく、なんならケーニッヒまでもが宿の案内でついて行くようで、皆が店の集まる大通りに向かって歩き出した。
集まっていた兵士もウンザリしたような顔で1人、また1人とはけていく。
最後に残ったのは、私と様子を呆然と見ていたゲス勇者だけだった。
「うぜぇえええええ!! うぜぇ! うぜぇ! うぜぇ! なんだよ、なんなんだよお前ら! 俺は勇者なんだぞ! この国に利益をもたらす神のような存在なんだぞ!! もっと俺のことを敬えやぁああ!!!」
──あぁ。コイツはアレだ。
勇者として召喚され、どれだけこの国に富と叡智を運ぼうが……
自分の思い通りならないと、駄々を捏ねて地団駄を踏む────幼稚なガキだ。
私はスッとゲス勇者に近づき、胸ぐらを掴む。
そして、耳元で呟いた。
「もう黙れよゲス野郎。私はアンタの事が心の底から大嫌い。もう一度だけ言ってあげる。私がアンタのモノになることは永遠にないし、私の大事な人達をアンタにくれてやる気もない。今後、もしアンタが私の視界に映ろうものなら────」
ドンッ!
私はゲス野郎を突き飛ばし、取り出した【農耕祭具殿・鍬】を大きく振り上げた。
「うわあああああ!!」
……ザスッッ!
全力で振り下ろされた鍬は、勇者の急所スレスレを掠め、地面にその鍬刃をめり込ませた。
「────潰すよ」
最後にゲス勇者を見下すように睨みつけ、引き抜いた鍬を担いで背を向ける。
皆の所に向かう為に踵を返すと、微かに漂うアンモニアの薫りが鼻を突いた。




