エピソード090 王都で自由行動です──シャロ編10
戦闘が終わり、静かになった部屋。
壁に刻まれた多々の傷跡が、ペトゥラの風属性魔法の凄さを物語っていた。
「よくアイツの魔法を受けきれたわね……」
同じく壁と私を交互に見つつ、しみじみと呟くシャロ。
私もシャロも、戦闘のせいで着ていたドレスは血や埃でドロドロのボロボロだ。
「ペトゥラさんが魔法を使うのはシャロから聞いてたからね。付け焼き刃にしては上手くいったよ」
対魔法対策については、実は今回の件よりずっと前から考えてはいた。それが私の明らかな弱点であったから。
でも、金鉱石や魔法刻印を使った新魔法など、具体的なアイデアが生まれたのはつい昨日のことだ。
やっぱり、命がかかると頭も真剣に頑張り始めるのかな? ……いや、別にそんな事が無いのが理想なんだけどね。
でも、新魔法の方に関しては要練習だね。
まだ私の近くでしか、実用に耐えるレベルで操作することができないから。
とはいえ、少なくとも今回の件で苦手な魔法への対抗手段が増えて、パーティの壁役として成長できたと思う。
「でも、戦ってる時は結構な迫力だったけど、魔法の威力は意外と低かったのかな? 同じ風属性魔法でも、師匠なら壁くらいぶち抜いてそう」
「それは私が説明致しましょう」
「「うわっ!?」」
いつの間にか、退避していたはずの老執事のジュラフが私の隣に立っていた。
全然気配を感じなかったんだけど……この人、実は武術の達人とかないよね?
「シャルロッテお嬢様もご存知の通り、当屋敷は貴族一般の基準に則った魔法対策を施しております。更に、ペトゥラ様が暴走されて屋敷を破壊しないよう、各部屋の壁には魔法の威力を減じる対策を何重にも施しております」
お屋敷で魔法をぶっ放されたらたまらないから、それは当然の対策だろう。
「そのため、この壁の魔法防御性能は、ステータス換算で70~80程になっております」
「うげっ!? 私の本来のMNDとほとんど変わらないじゃないですかっ!」
私と同じくらいの魔法防御性能の壁がズタズタって……あの最後の魔法の連打を受けていれば、ほぼ確実に死んでたよね……。
「あたしが居たときよりも随分魔改造してるのね、ジュラフ」
「屋敷をお護りする上での必要経費でございます」
ジュラフがシャロの台詞に、少し微笑ましそうに答えていた。
さっきの台詞の何処に笑う要素が……って。
「シャロ。口調が普段の感じに戻ってるよ?」
「あ……。っていうか、ルシアもあたしの事普通に呼んじゃってるわよ?」
……たしかに。
でも、これだけの戦闘をした後では、最初の設定だった『何処ぞのお嬢様』は無理があるだろう。そもそもジュラフさんには私が──そして恐らくシャロも──冒険者として活動している事はお屋敷に着いた時点でバレてたみたいだし。
「……まぁ、細かい事は気にしない、ってことで!」
「まぁ、今更よね。……さてと。さっさとここに来た目的を果たすとするかしら」
シャロは倒れ伏しているペトゥラを動けないように拘束し、揺り起こし始めた。
命に別状は無いようだけど、魔力も使い果たし、頭部に強い衝撃を受けたようでなかなか起きない。
「ルシアお嬢様はペトゥラ様の様子を見てどう思われましたか?」
シャロとペトゥラの様子を見ていたジュラフが私に話しかけてきた。
「そうですね……。二重人格という症状は聞いた事はありますが、ここまで別人格になるものとは思いませんでした。なんというかこう──」
「完全に違う人物になってしまった、でしょうか」
私はジュラフの言葉に頷いた。
二重人格がその名の通り、まるで人格が入れ替わったようになる症状である事は一般常識として知っていたが、あそこまで連続性を保たないとは思わなかった。
「私はペトゥラ様以外の、いわゆる二重人格と呼ばれる症状を有する者を何人も見たことがあります。しかし、あれほど酷くはありませんでした。せいぜい少し攻撃的になったり、といった程度のものでした」
……二重人格って、この世界では結構一般的な症状なんだろうか。
前世ではそうそう出会うことなんてなかった。いや、何故かネット界隈では一定数の自称二重人格のような人が居たみたいだけど。
「二重人格ってそんなに珍しい症状ではないんですね」
「いえ……非常に珍しいと思います」
「えっ、でも、さっきジュラフさんは何人かと会った事があると」
ジュラフは私の耳元で声を潜めて答えた。
「私がその症状に出会った事があるのは──アルス聖皇国のみ、でございます」
「!?」
シャロの本家がある国じゃないか。
そう言えば、ペトゥラは3年前にアルス聖皇国からこちらに渡ってきたはず。
風邪じゃないんだから、感染ったりはしない。
となると、二重人格が生じるような遺伝子の欠損が起こりやすい集団が偶然住んでいる、とか?
……そんなまさか。あまりにも収束しすぎてる。
「そうなんですか……。不思議ですね」
色々考えた結果、月並みのことしか言えない。
だって仕方ないじゃない。私は医学方面の知識なんてほぼ皆無なんだから。
「そうです。不思議なのです。本来は神の悪戯としか思えない症状が、神を信仰する国で多く発生しているなんて」
「……」
神を信仰する国で、神の悪戯……?
神々には人の信仰心が重要って、たしかアーシアが言ってたような気がする。
なら、信仰心の強い国に神様が悪戯するなんて、なんの得があるのか分からない。
それよりも、こういう似たような話は読んだ事がある。
信仰が盛んな国で神様にかこつけてなにか問題が起こる場合、大体が──人間のせいだ。
サブカル本を参考書にするのは根拠が弱すぎる気がするけど、仮にそのとおりだとすると二重人格は、あのペトゥラの状態は人為的なもの?
人為的に人格を分離、あるいは追加することなんて可能なの?
いやいや、そんなことよりも──
「──ジュラフさん。あなたは一体、何者なんですか……?」
「ブローニア家に仕える、ただの執事でございますよ」
柔らかい笑みを返すジュラフに、私は得体のしれない何かを感じた。
この人、悪い人じゃなさそうだけど、ただの執事ってのは嘘っぽいなぁ。
ペトゥラの事といい、アルス聖皇国の事といい、執事にしては色々と知りすぎている。
さらに、それをわざわざ私に伝える意図も分からない。
……まぁ、私は自分と周囲に害が及ばなければ、深追いなんてしないけどね。
藪蛇でさらに厄介事を抱えるのは御免被りたい。
「……~~~!!」
「いいから早く教えなさい!」
何やら向こうの方が騒がしい。
私はジュラフと小さく肩をすくませると、シャロの傍に近寄った。
「用事終わった?」
「これが終わったように見えるっての!? コイツがなかなか吐かなくて」
どうやらシャロの目当てのものは、ペトゥラが知っているらしい。
「ペトゥラさんがおとなしくなってから聞けば?」
「それが出来れば苦労しないわ……。コイツってあのマシな方と記憶を共有してないのよ」
そう言えば、二重人格の特徴として入れ替わっている間の記憶を共有できない、というのを聞いたことがある気がする。
「つまり狂人モードのペトゥラさんしか知らないってことね」
「そういう事よ! だからここまでコテンパンにして逆らえないようにしたのに、それでも口を割らないのよ」
「ふごふごっ(バーカバーカ)!」
魔法の詠唱が出来ないように布を口に突っ込まれているので言葉になっていない。
なんとなく言ってる意味は分かるけど。
私はしゃがんでペトゥラの口から布を引っ張り出し、楽にしてあげた。
「ちょ、ちょっとルシア」
「大丈夫だよ。シャロも分かってるでしょ。ペトゥラさんはしばらく何も出来ないよ」
そもそもペトゥラは無詠唱で魔法を行使出来るので、口を塞ぐ意味はあまりない。
一度魔力が枯渇してしまうとすぐには回復しない上に、しばらくの間自力では立ち上がれないくらいの酷い頭痛に苛まれるので脅威にはならない。
「死闘ぶりです、ペトゥラさん」
「……」
ペトゥラは私の言葉に答えず、睨みつけてくるだけだ。
「シャロとは楽しそうにお喋りしてたのに、私とはお話してくれないんですか?」
「……」
どうやら私はペトゥラ(狂人)に嫌われてしまったらしい。
「私とお話したくないなら、それでも良いです。でも、シャロの質問に答えてやって下さい」
「……」
「さもないと、私はずっとあなたの前にいることになりますよ?」
「……それハいやダ。お前ハ早くこの屋敷からデていケ」
私、嫌われ過ぎじゃない……? 最初に攻撃してきたのはペトゥラの方なのに。
ちょっと泣きたくなってきた。
「じゃあ答えてくれますか?」
「……条件ガある。それをノむなら、教えてもイイ」
戦いに負けたのに条件をつけるのか。
私は、少し困った顔でシャロを振り返った。
「もう一度殴って黙らせようかしら?」
相談しようとした相手を間違った。
シャロの血管がブチ切れないうちに済ませたい。
「とりあえず条件とやらを聞かせてもらっても良いですか? 内容によっては応じますよ。勝者の特権として先聞きくらいは許されてもいいと思いません?」
「……分かっタ。耳を貸セ」
どうやらシャロやジュラフには聞かせたくないらしい。
戦闘中は随分とはっちゃけてたのに、まるっきり狂ってる訳ではないみたい。
「顔を近づけた時になんかしたら、その時は即座に交渉決裂だからね」
一応念を入れておいてから顔を近づけ、ペトゥラからの条件を聞き出した。
……なるほど。
「……努力はします。でも、シャロの件が終わってからです」
「……分かっタ」
それからペトゥラは随分素直にシャロの要求に応じていた。その変わりようにシャロは目を白黒させていたが。
今はペトゥラの案内のもと、シャロとジュラフは部屋から出ていった。
疲れたと言って別の部屋に案内してもらった私は、ソファに座ってため息をついた。
シャロのためとは言え、先程ペトゥラに言われた事を思い出すと気が滅入る。
なんで……、なんで彼女のお願いが──
──神様ト、話シたイ。
だったんだろうか。




