テーブル
「取り敢えず内務卿を返して欲しい。その代わり貴女への徴収は停止しよう」
「流石にボリすぎですな」
今、何が起こっているのか。
首相に呼び出されて『今日から君は郵便局長兼外務大臣だから!』と言われ、側近らと共に帝都までパッパカ歩き、執事が教え込んでくれた方法によりここまで這ってきた。
こういうとき、本来は内務卿が応対するらしいが、事態が事態なので皇帝と外務卿その他官吏が出てきたのだ。尤も、その他官吏はずっと黙っていたが。
そしたらカタリナ氏が居て、呆然としていたら手持ちの紙を全部持ち去られた。
後ろ足で絨毯を蹴りたかったが、流石にそんなことはしない。エルフ達はプール監視員が座るような、極端に背が高い椅子に座っているから、目線は同じ高さであった。
それは権威を象徴しているようで、その実不安定であるというヴィンザー帝国の射影の一であるようにスザンナには感じられた。そこまでの語彙力は無かったので『なんかあの椅子帝国みてぇだな』と思った程度であるが。
「何を望む?」
「ドーベック国の――我が国の独立承認と、損害賠償、通商の回復と保護を要求致します」
「ボリすぎだ!」
外務卿が声を上げた。
戦闘は、テーブル上で行われるものでは無い。
それは野で、海で、空で、街頭で、丘で行われる。
だが、戦争はテーブル上で終わる。
そう、マルコが教えてくれた。
慣例上、この国の内乱は皇帝が調停する。それが家の境界を確定する――皇帝の象徴的な権力であった。
しかし、今回は皇帝が当事者だ。
その上どちらの勢力も『負けて』はいない。無論戦術的な成功はドーベックが収めているが、帝国は『破綻』していない。
じゃあどうすれば良いか?
和解するしかない。
「侯爵位は?」
「……どうでしょう、公爵位を頂けるなら考えますが」
私が届けた書類の中身は、戦況推移とか、統計情報とか、報告書とかであり、その全部が議会と政府の連名で全権委任大使と国家元首に宛てていた。
首相は、もう一個、『ヴィンザー帝国政府』宛の赤い封筒と赤い紐で綴られた資料を私に預けていた。
宣 戦 布 告
内閣総理大臣 リアム・ド・アシャル
建国歴元年 9月13日
政府は、ヴィンザー帝国政府がドーベック国政府及び国民に対して挑発的な戦争行為を行ったのにしたがって、憲法第九条第四項及び同条第六項の規定により、ヴィンザー帝国政府とドーベック国政府との間に戦争状態があることを宣言する。
ドーベック国総会が本宣言を決議した場合、このようにドーベック国が直面したヴィンザー帝国とドーベック国政府との間の戦争状態が、憲法第九条第五項の規定により正式に宣言される。内閣総理大臣は、これにより、ドーベック国政府の武力及び資産の全部に命令して、ヴィンザー帝国政府との戦争を成功裏に終結させるために必要とされるあらゆる行動をとることができる。
以上
そう、我が国は、宣戦布告文書の交付すら済ませずに終戦交渉に入っていたのだ。しょうがない。内務卿をボコボコにするまで陸路が使えなかった上、電信なんていう便利なインフラは帝国に整備されておらず、代わりに翼竜伝令を使うというクラクラする程に贅沢な通信インフラが整備されているからだ。
「武家の人間として、必要だと思ったら――若しくは、カタリナ氏が死亡したと判断したら。帝国政府に渡して帰ってこい。帰ってこれたら、だが」
彼はそう言って。こちらにゆっくりと赤い封筒を差し出してきた。「確かに」そんなことを言って私は取り上げた気がするが、正直無感動な鼓動と早い呼吸、とめどなく吹き出して下着を自分に張り付かせる汗の他は覚えていない。幸いなことに嘔吐はしなかった。
「おい、スザンナ、コレ何だ?」
議論が平行線を辿り始めた頃、カタリナ氏が郵便のうの中身を目敏く見つけた。
「はっ、宣戦布告文書です」
「「え?」」
「は?」
その場に居た、外務卿とカタリナ氏とが間抜けな声を出し、それからこっちが間抜けな声を出す。事実上戦争状態にあることは当然向こうだって知っているだろうに、何故そんなことを言い始めるのか。
帝国側吏員に封筒と資料を手渡す。
吏員は小走りにテーブル間を巡り、警棒ほどの大きさの魔法杖でコピーした羊皮紙が官僚らに行き渡る。
「これは――君たちが、フランシア家が起案したものか?」
「いえ、議会が起案したものです」
向かい側で、おい、封印に欠陥があったんじゃないか。とか、どうなってやがる、カタリナは禁忌に手を出したのか。とか、そういう議論が巻き起こってから外務卿が口を開いた。
「カタリナ氏は――――――」
「私が魔法を使った訳ではありませんよ? ご存知の通り」
今まで興味を示さなかった『公開情報』を、官僚らが血眼になって読み込んでいる。
休憩が挟まれ、帝国側はがやがやと奥へと引っ込んで行った。
何があった? 早く帰りたい。
未熟な騎人は、内心の混乱にも関わらず飽くまで凛々しく鎮座していた。
****
「こりゃあ……不味いねぇ……」
「内務卿の身柄をあっちに抑えられてる時点で不味いだろ」
禁忌とされる魔法がある。
種族を創造する、建国の遥か前――エルフの時間感覚でさえ、遥か前の――古代文明にあった魔法。
そして劣等種に魔法使用能力を付与し、或いはその知力を増幅させる魔法。
これは知力が無い劣等種に魔法を使わせては危険であり、知力がある劣等種を屠殺し、或いはそれから収奪することは人倫にもとるという考えに根拠している。 知力を判断基準とすることに異議が無いわけでは無いが、それは飽くまで少数説に留まる。
この他にも魔法文明が積み上げてきた様々な禁忌があるが、この二つは代表的な禁忌魔法であった。国家はおろか文明・世界の根幹を揺るがすものであるからだ。
だが、これらの書類はどうだ。
コレを見て「知性が無い」とは言えない。カタリナは無能である。商才しか無い。
騎人は魔法を使えない。
禁忌を侵さずして、これらは作られた。
合理的に考えれば、これらの法典や書類は劣等種が今や、文に暗いとは言えないことを雄弁に語っている。特に『武力及び資産の全部に命令して、ヴィンザー帝国政府との戦争を成功裏に終結させるために必要とされるあらゆる行動をとることができる』という一節は、もし真実ならば――そして手元にある情報を見る限り、事実――『ドーベック』が帝国よりも余程洗練された中央集権国家であることを意味している。
封建制に於いて、本来国家ないし行政が保有すべき資産と軍備は王家が持つ物の他は氏族に分配される。権力と権威は集中されているが、実力は分散されているのだ。本質的に不安定なのである。
当時のヴィンザー帝国に於いて省庁官僚は存在したが、軍官僚は存在しなかった。つまり、国軍と呼ぶべきものは無かった。だから群雄割拠が維持されていたのだ。
以上の諸事情に対して対応すべく、内務系官僚の一部が提唱していた「憲政国家」をドーベックという劣等種の集合体が実現していることには法務系から悲鳴が上がった。この国の啓蒙主義・国家主義者の殆どは、飽くまで支配種にその視点を当てていたものの、ヴィンザー帝国はその実、歴史的な大河の中でゆっくりと近代化の道を歩んでいたのだ。収斂進化と言ってしまえばその通りだが。
それを、カタリナ氏は破壊した。そう評する歴史学者も居る。
長命種特有の悠長な感覚と無関心、縦割り、腐敗。劣等種と支配種との間にあった実力と知力の関係が、揺らいでいる。外交交渉が始まって、ようやく帝国政府は現状を認識した。
大昔、エルフをケンタウロスがボコボコにしたときのような、支配種の書き換えが起こるかもしれない。それは避けなければならない。だが、それを担うべき内務卿は今居ない。
「リアム、リアムか」
その実、ドーベックの王がカタリナでもスザンナでも無いことに官僚らは気付いていた。
彼らは、我々が知る劣等種などでは無い。悪魔だ、悪魔の群れだ。
ならばその王は、魔王と評するべきだろう。
「魔王リアムと魔帝カタリナ、そう呼ぶべきかな」
「今そんな話してもしょうがないだろ」
官僚らは、意思決定機関では無い。
飽くまで皇帝の意思決定を補佐して、事務をこなすために居る。
彼らの心の中には、『厄介だが、大穴がある』という逃げの姿勢があった。
エルフのタイムスケールでは、『すぐ』にこの問題は『自然』に従って解決されるのだ。そのために少々の工夫が必要だが、まだ『何とかなる』。
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ドーベック国とヴィンザー帝国との間の武力紛争の停止に関する共同宣言
以下に署名したドーベック国象徴、ドーベック国外務大臣、ヴィンザー帝国皇帝およびヴィンザー帝国外務卿は、他方では、多大な犠牲と流血をもたらしたドーベック紛争を終止するため、また、敵対行為とすべての武力行動の完全な停止を確保すべく行動し、
ドーベック国及びヴィンザー帝国の全権団の間で行われたこの交渉の結果、次の合意が成立した。
1 ドーベック国及びヴィンザー帝国との間の紛争状態と一切の敵対的行為は、この宣言が効力を生ずる日に停止し、両国の間に平和及び通商関係が回復される。
2 ドーベック国政府は、ヴィンザー帝国政府から独特の自治権を確認される。このとき、ドーベック国の象徴は、ヴィンザー帝国皇帝により、公爵に封ぜられる。
3 ドーベック国において有罪の判決を受け、又は勾留されているすべてのヴィンザー帝国臣民は、この共同宣言の効力発生とともに釈放され、ヴィンザー帝国へ送還されるものとする。
4 ヴィンザー帝国において有罪の判決を受け、又は勾留されているすべてのドーベック国市民は、この共同宣言の効力発生とともに釈放され、ドーベック国へ送還されるものとする。
5 ドーベック国及びヴィンザー帝国は、双方が一方に対し有する一切の賠償請求権を放棄する。
6 ドーベック国及びヴィンザー帝国は、双方の間に於いて行われ、或いは一方が行う通商について、これを脅かしてはならない。ただし、双方の間に於いて行われる通商に課される関税については、双方の協議によって定めるものとし、それが定まるまでに間は、関税を課してはならない。
7 ドーベック国及びヴィンザー帝国は、国際外交の慣例に従って、双方の外交官吏を接受し、如何なる場合に於いても、その安全を保障しなければならない。
8 ドーベック国及びヴィンザー帝国が保有するあらゆる武力は、添付の地図に示される境界線及びその周辺の非武装地帯に……
署名式の後、外務官僚はボリボリと耳の後ろを搔いて、文書を見、改めてため息をついた。
表向きには、帝国のほんの一部が、それも災害によって定期的に洗い流されるような場所が、『国家』を自称したのを、慈悲深くその徳あまねく皇帝が『自治権』を認めてやった。そういう風に取り繕って、内務卿とその隷下部隊が劣等種の軍によってボッコボコのボコにされたことは隠蔽することとしたが、その実、帝国は状況を認識した後、ドーベックに対して殆ど満額回答を返す羽目になった。無理がある。そんなことは理解しているが、これが最善だと当時の帝国政府は考えたのだ。
せめてもの抵抗、ドーベックの国境は推定された大穴の被害範囲の内側に設定された。この条項を入れることが出来れば、後は全て『自然』が解決する。そう考えたのだ。
これに加え、将来の条約締結向けた『密約』が幾つか、否、幾つも交わされた。
一、国境外で、エピソードを否定しないこと。
二、国境外に、外交・通商吏員以外の劣等種を送らないこと。
三、国境外で、劣等種を教化しないこと。
四、公国法典を、国境外に漏洩しないこと。
五、公国は、翼竜騎兵戦力を保有又は雇用しないこと。
六、公国は、イェンス爵領庁の処分に参加しないこと。
…………
……
エピソードとは、こうだ。
カタリナ大公は、実は無能では無く伝説級の大魔法使いで、帝都からフンダラフンダラア◯ダケ◯ブラ~して内務卿と爵領庁部隊を撃退したので、その功を認めて皇帝はカタリナ氏を大公に叙した……。
笑っちゃうぐらい突貫で作られた『カバーストーリー』で、ドーベックという異常存在を封じ込めること。それでいて、飽くまで『大公』に叙する形で自治を容認して皇帝の権威を維持すること、それこそが帝国政府の狙いであった。
だが、あのテーブルに座った双方は、其々重要人物と慎重な検討と時間とを欠き、当然の帰結として本宣言には山のような量の欠陥があった。否、欠陥の塊が外務卿の手によって体面だけ繕われたと言っても過言ではない。
ドーベックから参加したカタリナ氏には資料を読み込み、そしてリアムからレクを受ける時間は無く、一方のスザンナは体面以外あまりに未熟であった。だから、『まぁリアムがなんとかするだろう』という甘えがあった。現に、リアムから託された要求の中身は全部通していた。
ドーベックは通商と象徴を、帝国は内務卿を、それぞれ奪還し、平和が戻ってきた。表面だけ見れば双方に悪いことは無い。
だが、内務卿と首相は、内容を知ったとき、其々同じ反応を示した。
最高決裁者の前で、泡吹いてぶっ倒れたのである。




