熟考
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果てなく続く大地
ドーベック わが国よ
自由と独立の歌
街に森に満ちて
光の只中に立つ
誇らしき国家よ
ドーベックに降りる風
はるか海原へ
果てしなき 我が国に 自由と富満ちて
溢れる メウタウのごと 平和は地に満ちて
童は希望に満ち 老は敬われる――
ニュードーベック放送局から放たれるインターバルシグナルが流れる中、事務方の会議が始まった。
何故インターバルシグナルが流れているかというと、ニュードーベック放送局はまだ本格稼働しておらず、かつ、国が国営放送に情報を渡せていないが為に手持ち無沙汰になるという、本来ならあり得ない状態に陥っていたからである。(内閣府もこの会議時点では把握していなかったが、現時点で現地警察部隊は駅に殺到した民衆らによって発生した群衆事故の対処にてんてこ舞いになっていた。つまり何らの情報が無くても「必ず公の機関が対処にあたりますから、皆さん冷静に屋内に非難して下さい」くらいのことを言えば良かったのだ。その程度のマニュアルすら制定されていなかった)
「軍としましては、直ちに全力を以てドーベック市街の救援にあたるべく、市内に警戒区域を設定したく考えます」
翻訳すると、『即応可能な全部隊を憲兵隊と見做し、強制的に錠を解き、門を開け、中に居る人々を自動車やら貨車やらにすし詰めにしてその辺の施設に分散収容する。抵抗する者はぶん殴って拘束する』という意味である。
「それは非常政令で立入禁止区域を制定するということか」
「はい。30万人――30コ師分の機動となります」
市民軍は、飽くまで(クソ大規模な、素人で行う)作戦行動と見ていた。
文民政府は、人道危機と見ている。
「総理、これは人道危機です。我が国の根幹に関わる事態です」
「命あっての人道です!」
先に声を張り上げたのは常装を着ている側だった。
まだ冬では無い。
ココに居る者の全部が、冬の北大穴演習場で宿営し、分厚くて重い寝具に包まりつつも寒くて奥歯が噛み合わず、体感では全く眠ることができない――その上、立哨と歩哨の当番が真夜中に回ってくるから熟睡もできない――という経験をしていたが、文民側はどちらかと言えばそれを忌避して温かな暖炉の側を司ることを選び、市民軍側はそれを『極めて恵まれた環境』であると、突撃発揮の直前にポンチョに包まって敵前で弾雨が通過する中眠っていた記憶を思い出しながら、胸を張って心の底から『ありゃ楽しかった』と言うようなキャリアを選択した連中であるという問題があった。
「建国演説で、当時のリアム首相は『専制への回帰は死よりも悪い』とそう仰ったのです。我々は断固、強制避難に反対します」
警察を所管する内務省の腹は決まっていた。
「軍は総力を以て決壊を回避するべく、工事を行って頂きたい!」
「無茶言わんで下さい!」
工兵総監は絶叫した。
貯水池に噴出物が突入していて、いつまた土石流が直撃するか分からない重力式コンクリートダムの構造体に今更何をしろと言うのか。
そもそも重力式コンクリートダムは『クソデカいコンクリートの塊』で水をせき止めてちょっとずつ流して利用したら便利♪ という代物であり、ソレが壊れるようならば、もう手の施しようが無いのである。
転倒と滑動という問題はあるが、そもそもソレを想定して――越水すら既設の緊急放水路で対処できるように設計製作して――あるのだから、今から軍工兵の総力で細々と行ったところでという話なのだ。(その上、避難用の路線を急速に引かなければならないという問題があり、その前提で命令を既に発出していた。間に合わないからである)
なんでそんな所にダムなんか作った! という話だが、それは別段説明しなくて良いだろう。(この国がここまで栄えたのもメウタウダムのお陰なのだから!)
♪
果てなく続く大地
ドーベック わが国よ
自由と独立の歌
街に森に満ちて
光の中に立つ
誇らしき国家よ
専制の荒野に立つ 輝く街や村
誇らしき憲法を 皆が胸に抱き
自由と尊厳こそ 法治の命なり
六角の象徴の下 幸福追いかける――
決断ができないまま、何周目かのインターバルシグナルが空虚に響き渡った。
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「本当か?」
「はい、大穴が吹きました。航空偵察の結果です。間違いありません」
「じゃあ、ドベ公は――「残念ながら、彼らはまだ組織戦闘力を残しているようです。特に国境警備軍は即応体制を維持どころか臨戦態勢をとっています」
旧くは内務卿と呼ばれた、ヴィンザー帝国首相は、10年の間に恐るべき所業を成し遂げていた。
彼は、国家市民軍に倣って編成した帝国軍を編成することに成功していたのである。
まだまだ、国内には貴族の私兵や傭兵が存在していたが、それでも、半分以上の兵力を掌握し、そして作戦行動を斉一に取らせることができるようになっていた。
これは、第二次ドーベック平野防衛戦に於いて、イェンス爵領庁と内務卿隷下部隊の連携が失敗して数と航空戦力で圧倒的に劣る国家市民軍にボッコボコにされたことを踏まえれば驚異的であると評価して差し支えない。
皮肉なことに、その基盤となったのはドーベックが国民や市民向けに発行している数多の教科書であり、そして、劣等種と呼ばれた人々であった。
その任務は、対外防衛と、ドーベックの封じ込めであり、ドーベックが対外侵攻に踏み切った場合には、貴族軍を隷下に加えて戦闘を行うことが勅令により規定されていた。
ここで補足しなければならないのが、ドーベックが第二次ドーベック戦役(not平野防衛戦)に於いて行ったイェンス化学攻撃と、それに伴うイェンス爵領庁の消滅――大厄災と言われる『現象』が、ヴィンザー帝国に与えた影響についてである。
当然、貴族や武士は、これまで安全だと思われていた聖域(主要都市)さえも平然と攻撃するドーベックに慄き、恐怖した。
ヴィンザー帝国は、恒常的な内戦状態をある意味で前提とし、かつ、許容していたが、決して踏み越えてはならない一線というものは当然あるという認識をされていた。
その最たるものが、主要都市内における戦闘、ないし主要都市に対する攻撃である。だが、それは最も効果を挙げるものである以上、全方位を敵に回し、その上、皇帝の介入を甘受するならば選択肢になる。だが、そんなバカは居なかった。
じゃあ、そんなバカが出てきたら? しかも、これまで搾取し尽くしてきた『劣等種』がそんなバカをやったら?
誰か何とかしてくれ!
それが、関係者の一致した意見であった。
そして、それに手を挙げたのが内務卿だったのだ。
ディートリヒ・フォン・コンラート
最早彼は内務卿という役職にさえ収まらなかったのである。
ただ、神祇だけは掌握できなかったが、殆ど全ての行政権限を掌握したコンラートは、10年という年月を無駄にはしなかった、だが、
「早すぎる……」
ドーベックを力押しで攻め滅ぼせる程には、彼の軍は強くなかった。ということを十分に把握していた。
仮に、翼竜で強襲させれば確かにイェンスに対してナイフを突きつけることは出来るだろうが、相手は魔法杖を持っていて、突きつけたナイフを単に叩き落とすか、或いは魔法によって我々を殺すこともできる。
だが、もう私の世代ではあり得ないような好機でもある。
確かにドーベックの中心はイェンスに移ったが、殆どの能力はドーベック市に残っているハズだ。
それが今や大混乱に陥り、もしかしたら噴出の下に埋もれているかもしれない。
コンラートは熟考に耽った。
もし失敗したら? あの鬼は激怒し、少人数で包囲網を突破し、或いはもっと大規模に、師旅団を以て帝国軍の防御線を踏み潰し、一路帝都へと邁進し、毒をバラ撒いて都民5万を塵殺するだろう……
コンラートは熟考を好んだ。そして、その熟考通りには行かないことも十分承知していた。
しかし、コンラートの明晰な頭脳を以てしても全く想定していなかったし、ドーベック国政府でさえも想定していなかった事態が、国家市民軍の一部で着々と進行していた。




