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「──え? 合コン!?」
大声で聞き返す俺に、住谷さんは慌てたように唇の前に人差し指を立てる。
ちなみに今は、サブローの代理で『近代芸術史』の真っ最中。
住谷さんの話では、出席さえして学期末に簡単なレポートを出せば単位がもらえる、不真面目な学生にはうってつけの講義だ。
そんなわけで、ほとんどの学生は机に突っ伏し睡眠中である。
教授はそんな様子を気にすることもなく、テキストと黒板、スライドに映した絵画だけを相手に、淡々と講義を進めていく。
「昨日、まゆと同じ講義を受けてたときに、友達に声をかけられたの。合コンの人数が足りないから、お願いって」
「だからって、なんでまゆらを……!」
「あたしは止めたよ。でも、まゆが、絶対に行くって言って聞かないから」
気色ばむ俺をいなしながら、住谷さんは溜息をつく。
「あたしも心配だったから、仕方なく付いて行ったけど……あたし達二人とも、完全に場違いだったよ」
住谷さんはスマホを出すと、机の下で画像フォルダを開いて俺に渡した。
「昨日一緒に行った友達から送られてきたの」
オレンジ色の照明の下、テーブルに並んだビールジョッキやカクテルグラスの向こうに、硬い表情のまゆらと、微妙な笑顔の住谷さんが映っている。
その隣には、何度か講義で顔を合わせたことがある女子が二人。パステルカラーのツインニットにゆるく巻いたロングヘアーという、愛されファッションのお手本のようなスタイルだ。
そして女子メンバーの背後には、三人の男。服装や髪形はバラバラだったが、商店街の長老達が『これだから今時の若いもんは』と眉をひそめそうな軽薄さをただよわせている。
……見るんじゃなかった。
スマホの四角い画面の中に指を突っ込んで、居心地が悪そうに顔を強張らせるまゆらを、いますぐつまみ出してやりたい。
しかも、まゆらのタートルネックの肩に置かれている骨張った手。位置的に見ると、まゆらの後ろでベロ出しピースを決めている金髪男の左手に見える。しかしそんなはずはない。
『運命の恋人』の俺に対してですら、半径五十センチのルールを守るように強要したまゆらが、初対面の男に肩なんて抱かせるはずがない。
「住谷さん、この画像、今すぐ消した方がいいよ。呪われてる。まゆらの肩に、霊の手が視える」
「現実逃避してる場合じゃないよ、橘君」
いつになく真面目な顔で、住谷さんは俺を見つめる。
「まゆら、合コンの自己紹介でなんて言ったかわかる?」
「『人文学部二年の宝生まゆらです。よろしくお願いします』とか?」
就職の面接試験のように、生真面目な口調で頭を下げる姿が目に浮かぶ。
住谷さんは、同情するような一瞥を俺に投げかけてから、まゆらの顔つきを真似るように、鋭い目で俺を見た。
「『宝生まゆらです。人文学部西洋芸術科の二年生です。本気の恋愛はできないので、割り切ったお付き合いをしてくれる男性を募集中です』」
「……嘘だろ?」
「本当。男子チームがあからさまに引いてて、誰もまゆらに言い寄らなかったのが唯一の救いだけど」
もはや言葉が出てこない。
俺の《運命の恋人》は、一見真面目な常識人だけど、実はとんでもなくぶっ飛んでいて、物凄く馬鹿だ。
大馬鹿だ。
頭を抱える俺の横で、住谷さんは溜息をつきながらその後のことを話してくれた。
住谷さんは一次会で帰ったらしい。
まゆらは、二次会にも行く、誘いを受けた以上最後まで責任を果たす、とわけのわからないことを言い、他のメンバーとカラオケボックスに行ったらしい。
「なんで先に帰った住谷さんが、まゆらのスマホを持ってるの?」
「朝、幹事の女の子に会って、まゆの忘れ物だって言って渡されたの。その子が言うには、まゆ、カラオケの途中で友田君と消えたらしくて」
次々と明らかになる衝撃の展開に、俺の脳がフリーズしかけている。
住谷さんの極彩色の派手な私服と相まって、目の前がチカチカする。
友田がどんな奴か、聞かなくてもわかる。
きっと金髪の背後霊男だ。
そうではなく、その隣のツーブロックの無精髭でも、長い髪を肩まで伸ばしたサブカル眼鏡野郎だったとしても、同じことだ。
俺以外の男がまゆらと夜の町に消えた事実は変わらない。
俺が死ぬほど触れたかったあの手に、髪に、唇に、他の男が──しかも、全く彼女を大切になんか思っていない男が、気軽な気持ちで触れたかもしれない。
そう思うだけで、腹の底が沸点寸前まで熱くなる。
まゆらが何を考えているのか、俺にはさっぱりわからない。
それでも俺は、もう一秒たりとも、あの無鉄砲な子を野放しにしておくわけにはいかない。
チャイムが鳴ると同時に講義室を飛び出して、廊下の窓に張り付く。
まゆらの二限目の講義は近代フランス文学。
講義室は一階の南側。三限目は空きコマだから、一度家に帰って、午前のレッスンを終えたすみれさんと昼飯をとる。
まゆらの時間割や曜日ごとの行動パターンは、すでに把握済みだ。
まゆらはもうすぐ講義室を出て、渡り廊下から中庭におりて、この窓の下を歩いて正門に向かうはずだ。
近代フランス文学の教授は雑談が長く、講義時間がいつも五分オーバー。そう、だからもうすぐ出て来る。
何人かの女子が笑いながら渡り廊を歩いて来る。その後ろから、世界中にたったひとりの、俺だけの特別な女の子が歩いて来る。
窓を全開にして身を乗り出すと、十一月の冷気が肌を刺した。
それでも熱くなり過ぎた頭は、到底冷めそうもない。
「まゆら!!」
声を張り上げて名前を呼ぶ。
まゆらが目を見開いて、二階にいる俺を見上げた。
綺麗に撫でつけられたボブの髪も、真っ白な肌も、いつもとどこも変わらない、清潔なたたずまいだった。
住谷さんの言葉が、全て嘘だったんじゃないかと思えてくる。
「そこで待ってて! 今から行くから!」
『行くから』の『ら』が、まだ口の中に残っているあいだに、まゆらは猫のような俊敏さで背中を向け、走り去ろうとする。
「逃げるなよ! 待ってくれないなら、ここら飛び降りる!」
やけくそで叫んだ。
まゆらは一瞬足を止め、でもすぐに、振り返ることもなく走り出す。
俺のはったりなんかお見通しだ。まゆらには、俺が見えないシナリオが見えている。
OKわかった、それならここからは俺のアドリブだ。
「ごめん、住谷さん。先に行く」
「うん、え? そこから!?」
住谷さんの悲鳴を合図に、窓枠を掴んで足を掛ける。
まともなルートで追いかけても、俺はあの子を捕まえられない。
法定速度遵守の俺の走り方では、レールを外れたジェットコースターのようなあの子に追いつけない。
今までの俺のやり方じゃ、二人の未来は変えられない。
君と結ばれる幸せな未来を勝ち取るために、今から俺は君の目の前で、君が視た未来を変える。




