第81話 いちごジャム(前編).。ゲンタの本能寺
「あっ!ゲンタの兄貴!マオンの大姐さん!昨日は御馳走様〜スッ!」
ナジナさんやウォズマさんを兄貴と慕うツッパリ君たち四人が挨拶をしてきた。今、僕はマオンさんと冒険者ギルドでパンの販売をしている。
「「「御馳走〜スッ!!」」」
その後に三人が綺麗に合わさったタイミングで挨拶する。
「それより兄貴!聞いたっスか!また塩の値が上がったらしいっスよ」
「馬鹿!お前、俺たちには兄貴がいるじゃねーか!」
「そうそう、砂混じりのまがい物の塩なんざ屁でもねえ」
「しかも、安く売ってくれるんだからよー」
「でも、今日はそんな事言ってる場合じゃねーぞ、コラ!」
「っだよ、コラ!んな事、言われなくたって分かってんだよ!」
「コレ食ったら速攻で行くぞ、コラ!」
そうなのだ。今日の冒険者ギルドには依頼が殺到している。昨日の巨大猪の買い取り希望である。
二つ名持ちの凄腕冒険者が狩猟った極上の肉…。近隣の町からも買い取りと運搬の依頼が舞い込み、一晩明けた今朝も大変な事になっている。
「ドンエール伯にはオレが向かうよ、急がねば」
「なら、俺はネネトルネ商会に届けるぜ!」
二人が向かうのは別の町らしい。ただ、二人を御贔屓にしてくれるお得意様だそうだ。本来なら昨日のうちに希望を受理する旨を先方に伝達するべきところだが、三十人近い食欲旺盛な一同が集まってしまった為に部位によっては食べ尽くしてしまうかも知れない。
そこで返答を今朝一番に行う事になったという。すると早鳩と呼ばれる伝書鳩の中でも滅法速い鳩が遣わされてきたという。先方の関心の強さが窺える。
「お得意様を待たせてしまったんですね」
「ん、いや昼前に届くのが昼過ぎになるってくらいだな」
ナジナさんたちらが出発の準備をしているところにグライトさんがやってきた。
「ナジナ、ウォズマ、馬の用意は出来てるぞ」
「分かった、用意が出来たらすぐに行く」
ウォズマさんが応じる。
「しかしよう、いくら藁で分厚く巻いても背中に冷えがくるな」
背中にくくり付けるように凍らせた肉を入れた袋の冷たい感触にぶるっと身を震わせる。あ、それなら…と、以前にマオンさんにプレゼントしたフリースの膝掛けをナジナさんとウォズマさんに手渡す。
体と荷物の間に膝掛けをはさむようにする。『おお、冷えが来ねえぞ』ナジナさんが驚いている。
「それと…、ナジナさん、ウォズマさん、何か塩とかを持ち運ぶ時に使う袋はありますか?」
「なら旦那、これを使いなよ」
マニィさんが何かの皮革で出来た小袋を持って来た。それを六つ程出してもらった。『何に使うんだい?』と尋ねるマニィさんに、僕はこれを入れるんですと応じた。
塩、そして瓶に残っていた胡椒とナツメグを二つに分けて袋に入れた。それと…丁度良い、後で雑貨屋のお爺さんの所に持っていこうと考えていた空の500ミリリットルのペットボトルに焼肉のタレ、『揉みダレ』を移していく。
「ゲ、ゲンタ君、塩に香辛料…。揉みダレまで…。どうする気だい?」
ウォズマさんの問いに僕は応じる。
「お二人のお得意様なんですよね?そうなれば、待たせてしまって申し訳ない事をしました。なのでコレを。少し時間を下さい、使い方を書いた紙を用意しますから」
そう言って僕はレポート用紙に、香辛料と揉みダレの使い方を簡単にメモをしていく。簡単な文面だが、料理人なら使い方を想像できるはずだし、きっと有効に使ってくれるだろう。
「高価な香辛料を惜しげもなく…。まったく…、兄ちゃんには….」
「ああ、かなわないな…」
□
ナジナさんとウォズマさんは馬に乗り、目的地に向かっていった。それを見送った後、ツッパリ君たちをはじめ冒険者たちは巨大猪の配送に出発していった。早々に冒険者たちが出発していった為に、ギルド内はガランとしている。
朝の販売を終えいつものメンバー、そして昨夜宴会で一緒になった五人のエルフの皆さんでパンを食べている。そう言えば新加入のホムラとセラは何を食べるんだろう、そう思ってシルフィさんに聞くと果物なら食べるのではないかとの事だったのでジャムパンを見せたら食べたい様子を見せたので、四分割してお皿に出した。四人とも美味しそうに食べ始めたので一安心だ。
そうやって始まった朝食、その時に塩相場の話が出た。シルフィさんが今の塩相場について教えてくれた。
先日まで白銅貨一枚で6重(6グラム余り)で販売されていたが、今日は白銅貨一枚で5重、まとめ買いだと少しお得で白銅貨4枚で21重だそうだ。
「でも、旦那が塩を卸してくれてるから助かってるよ」
「昨日も商家から塩の売り込みが来たんですよぅ。でも、高いし質は悪いし断っときましたぁ」
マニィさんとフェミさんが
「そうですか、でもギルドは良いとしても町の人は大変ですね…」
「そうなんだよ、町の衆は大変さ。元々ミーンは海から離れてるからね、塩は割高なんだけど、最近は特に高いね」
マオンさんが続く。そうなると、また町の人が塩を売ってくれと押しかけてくるかも知れない。
「昨日も町の人が何人か来たんですよ。あの白い塩を売って欲しいと。どうやら先日販売した分を使い切ってしまったようで…」
シルフィさんが教えてくれた。
「その問題はもうすぐ解決出来そうです。昨日、ドワーフのハカセさんとベヤン君が塩を売る機巧を作ってくれたんです。もうすぐ町中に出せると思いますよ」
今は最後の調整ともう一工夫をしているところだ。そんな事を話していると四人の精霊たちがパンを食べている姿が目に入った。彼女たちの食べる量は確かに少ないが、体の大きさに比例している訳ではない。それにサクヤは一目見て分かるくらいの大きなお腹になるまで…、いわゆる『腹ン中がパンパンだぜ』というくらい食べるので今日の量では少ないかも知れない。
困った、もうパンは無いしなあ…。じゃあ…。
「ねえ、みんな、まだ食べられる?」
そう聞くと、彼女たちは元気良く首肯く。まだまだ食べたいようだ。うーん、パンは無い…けど、
「パンは無いけど、コレを足してあげるね」
僕は買っておいた瓶詰めのいちごジャムを出した。それを先割れスプーンで掬い彼女たちのパンの上に盛る。
ざわ…、ざわざわ…。
『ふわぁぁぁ』そんな声が聞こえてきそうなキラキラした目で彼女たちはいちごジャムを見ている。ちなみにそんな声を実際に発しているフェミさんもいるが…。
どうぞ、食べて食べてと言うと彼女たちは一斉に勢いよく食べ始めた。美味えとでも言いそうな雰囲気のホムラ、にぱーっと笑顔のサクヤ。カグヤとセラはそこまで派手な感情表現をしないが嬉しそうに食べていた。
ふと顔を上げると正面に座るシルフィさんの姿が陽炎のように揺らめいたかと思ったら、その姿が消えていく。
コレ前に一度見た事がある、何日か前に…。シルフィさんの『光速』だ!
「ゲンタさん」
「ッ!!!!」
誰もいないはずの左側から不意に僕に声がかかる。長いこと真冬の屋外で過ごした後のように冷えきった手で心臓をギュッと握られた気分だ。僕は思わず驚きすくみ上がる。
やられてみると凄く怖い。先日、さらに殺気を込めていたシルフィさんに耐えたマニィさんやフェミさんは凄い。この恐怖に耐えながら、僕にとりなしを頼んだのだから
ギギギ…、そんな軋む音がしそうな首で左側を向く。そこには僕をまっすぐに見つめるシルフィさん。
「ど、どうしました?シルフィさん」
若干の震え声で応答える。
「そ、そのジャムを…、私にも…」
「わ、私にも…」「オ、オレも…」
フェミさん、マニィさんもいつの間にかシルフィさんの後ろに続く。何らかの助けを求めようとマオンさんの方を視線を向けると、その後ろには五人のエルフの皆さんの姿が見える。
じりっ、じりっ…。全員徐々にその距離を詰めて来る。蟻の這い出る隙間も無い程に十重二十重に包囲網れている気分だ。
□
戦国時代…。明智光秀が織田信長を襲撃す…。
宿泊していた本能寺の周りから鬨の声が上がり、襲撃に気付いた信長が誰が自分を狙っているのかを確認に向かわせた。
旗指物を見て『明智勢と見えし候』との報告に、聡い信長は『彼奴ではどうにもならんわ』と逃れられぬ運命を悟る。信長は他の者の襲撃ならば逃げられるスキはあるかも知れないが、光秀には万が一にもそんな手抜かりは無いと理解したのである。
『是非に及ばず』、この期に及んで良いも悪いも無い。信長は抗戦を指示。わずかな警護の者で、完全武装の武者に相対する万に一つの勝ち目も無い荒波が砂浜の小石をさらうような虐殺であった。
しかし、信長も一箇の武士。手向かいもせずにむざむざ討たれたとあっては武士の名折れ。
自らも弓を放ち、敵が迫れば槍を振るった。何人かを斃したが多勢に無勢、やがて自身も傷を負うと信長は奥に引き寺に火を放ち自刃に至る。骨の欠片一つ、髪の一筋もこの世に遺さず彼は戦国の舞台から主役の座を降りた。
いわゆる本能寺の変である。戦国好きの僕はそんな事を思い出した。
この取り囲まれているような状況…、まさに本能寺を包囲された信長の心境である。まあ、狙いは信長ではなく、この瓶詰めジャムなのであるが…。僕も思う、『是非もなし』と。




