第78話 塩麹。意図せずドワーフとノームを泣かせてしまう。
和やかな雰囲気で進んでいたと思われた酒宴であったが、不意に起こった食器が地面に落ちた音…。見ればガントンさんをはじめとしてドワーフの皆さん、そして雑貨屋のお爺さんが先割れスプーンを取り落としている。涙ぐんでさえいるようだ…。
「なんという…、なんという事をしてくれたんじゃ…。坊やよ」
「ドワーフの、お前さんもかい!こいつぁ…、こいつぁ…」
ガントンさん、そして雑貨屋のお爺さんがまず口を開いた。
「ど、どうしたんだ、爺さん!泣き上戸になっちまったのかッ?」
ナジナさんが心配そうに声をかけている。
「爺さんじゃねえっ!爺さんじゃねえがよぉ…」
「俺…、俺…、こっだらモンを食ったのは始めてだべ…。坊や、コレは一体なんなんだべ?」
「これは塩麹と言って、僕の故郷の調味料です」
「初めて耳にする名前ですネェ…。『しオこウジ』ですか…」
やはり日本…、というか地球の固有名詞は片言に聞こえるのはシルフィさんもハカセさんも同じようだ。
「はい。塩と…、麹と言って酒造りで発酵に使う物を混ぜたものです」
「酵母…ということか?」
ビール酵母…とか言う言葉があったな…、いやこの世界ではエールなのかな?ガントンの言葉に僕は首肯く。
「そ、それは凄い事でやんす!」
ベヤン君が興奮した様子だ。だが、どうして凄い事なんだろう?
「兄ちゃん、分からねえって感じだな。エールってよぉ…、職人や蔵によって味が違うだろ?なぜそんなに違うのか、簡単だ!その蔵だけの秘伝だからな、酵母ってのはその最たる物だ。当主が誰にも触らせねえ…、お宝の中のお宝だ。下手にそれに手を出そうとするような奴がいれば…、それこそ手を切り落とされても文句は言えねえ」
いつになく真面目な声でナジナさんが語る。
「ゲンタ君、それ程までに酵母をはじめとして秘伝とされる物を盗もうとする事は罪深い…という事なんだよ」
確かに…。特許とか、著作権なんて考え方は凄く近代的な考え方た。偽ブランドをはじめとして、コピー商品は現代でもたびたびニュースになる問題だ。
「まあ、もっとも盗み出した酵母で酒を作っても、決して同じ味にはならねえって言うけどな」
それは聞いた事があるな…、盗み出した酵母の話ではなく品質保持の話だけど。…確か、今は俳優をされている方の話だったか…、実家が京都の造り酒屋でご家族全員納豆を食べた事が無いという話だった。というのも、その酒蔵では代々守ってきた麹菌が生息している。だが、知っての通り納豆は大豆を納豆菌を用いて作る発酵食品だ。その俳優さんの実家では、納豆を持ち込んだ事によって、納豆菌が家の中に入り、長年守ってきた自宅や酒蔵の麹菌のバランスが崩れてしまう事を防ぐ為にそうしているのだという。
先程の酵母を盗み出した話で言えば、前の酒蔵から盗み出した酵母が合っても環境が変わった新たな酒造場所では元々いる菌のバランス…、いわゆる常在菌が違うのだろう。だから、同じ酒の味にはならないのだろう。あるいは、盗み出している間の温度や環境管理が杜撰なのかも知れないが。
その話をすると(俳優の方の家業や若い頃の話としてではなく、あくまで酒蔵の品質保持や麹菌の話としてだが)、ガントンさんをはじめとして皆が聞き入っていた。
「なるほどのう…、酵母にはそんな秘密が…」
「へっ!良い話を聞いたぜ!盗っ人なんかが作った酒が美味えなんて、あってたまるかよォ!」
唸るようなガントンさんに、まくし立てる雑貨屋のお爺さん。
「しかし、それだけでしょうかネェ…。拙者、思いますに…これは酒の風味をただ加えただけには思えないんですよネェ…。説明は難しいんですが…」
「そう思うかい?実はオレもね…。風味だけではない、何と言うか食べやすいというか…。ゲンタ君、その『しオこうジ』にはまだ何か秘密があるのかい?」
ハカセさんの言葉にウォズマさんも同じ印象だったようだ。
「えっと…」
僕は塩麹の入っていたチューブの表示を思い出す。塩と麹と酒精が入っていて、酵素の力が素材の味を引き出す云々(うんぬん)….、と書いてあったような記憶がある。酒精はアルコールみたいな意味だったっけ?んで、酵素は肉とかを柔らかくするって聞いた事がある。
アニメにもなった、中学生男子が活躍するグルメ漫画の草分け的存在の作品で固い赤身肉を柔らかくする為にパイナップルの酵素かなんかを利用してたような気がする。もはや主人公より『う…、うーまーいーぞー!』と言いながら目からビームを発射したり、巨大化して城を踏み潰したりする和服を着た高齢男性のリアクションが面白かった記憶がある。
実家が地方だからかも知れないがけっこう古いアニメの再放送をやってたりするので、僕はこの年齢にしては古い物を知っている方かも知れない。
「実は塩麹には酒の風味を加えるだけでなく、肉を柔らかくする効果があります。塩よりほのかな味わいで味付けの効果もありますが、どちらかと言えば肉の旨味を引き出すような効果を狙ったような調味料です」
「柔らかく…、そうか!だから…」
ウォズマさんは。ちらりとアリスちゃんを見る。
「アリスはまだ小さい、大人と比べれば噛む力はまだまだ弱い。いくら上手に料理をしても肉を柔らかくすると言うのは難しい事だ」
確かに…。野生動物なんだから筋肉もあるだろうし、ましてやこれほどの巨体を動かしていたのだから筋肉量もかなりあるだろう。そうなれば当然、筋肉も締まり固さも増す。
「しかし、この肉は柔らかく味も濃すぎないからアリスも食が進んでいるようだ。逆に酒を飲む者からすれば、濃い味をして歯応えがおるくらいの方が好みかもしれないが…」
そう言ってまた一口、ロックのウィスキーを飲む。美男というのは何をやっても絵になるなあ…。なんか、ちょっとズルい。
「なるほど…、柔らかく…ですか…。拙者たちドワーフは固いものでもよく食べますからネェ…。自分では当たり前のようにしている事が、他者から見ればそうとは限らないという事ですネェ…。実にィ、実に興味深い!」
ハカセさんも何やら感慨深げだ。
「難しい話は…、それくらいにしての…」
自分の木製ジョッキに今度は4リットル入り焼酎のペットボトルを片手でヒョイと持ち上げドボドボと注ぎながらガントンさんが声を掛けてきた。
「何にせよ、我らの心と胃袋を掴まれたのは事実じゃ。我らドワーフもノームも大地の種族よ。その恵みを得て生きておる。その最たる物と思うておるのが酒なのじゃ。その酒にまつわる物が…、こうして飲むだけでなくこのような使い道まであるとはの…。この世の真理を一つ垣間見た思いじゃ…」
「兄貴ィ…」
「坊や。さあ、飲むぞ!ワシはこんな美味い酒への返礼は一つしか知らん。出された分は一滴残らず呑み干す事よ。そこの転がっている若造どもに飲むとは何たるかを教えてやる」
ガントンさんの視線の先には、ツッパリ君たち四人が飲み過ぎたのかグロッキー気味になっていた。確かに先程までは盛り上がって飲んだり食べたりしていたが、急に静かになったのはそういう事だったのか。
「若造ども、ようっく見ておけえいッ!!」
ツッパリ君たちにそう言うなり立ち上がったガントンさんは一気に焼酎を飲み干した。ドワーフは酒に強い、噂通りというか…噂以上というか…。
やんややんや、その豪快な飲みっぷりに男性陣が歓声を上げている。改めてドワーフ族の酒の強さを感心していると、僕を見つめる視線に気付いた。
それはとある少女のものだった。




