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第742話 ペドフィリー前侯爵、死す(第三者視点)


 第三者視点です。


 日がそれなりの高さに達する頃、ミーンの町から一台の馬車が出ていった。注意深く見ればその車体にはなにやら模様が刻まれている。見る人が見ればその模様がペドフィリー侯爵家の紋章であると分かる。ペドフィリー侯爵家といえば一地方を任されている大貴族だ、広大な領地に複数の城を持つ。


 そんな大貴族家の紋が刻まれた馬車を見て貴族社会に通じ少し気が利く者なら中に乗っているのは貴族家の者だけど当主とか直系の家族以外の者が乗っていると考えるだろう。当主などが乗る馬車はもっと豪華だし紋章も大きく刻まれるものだ。


 それゆえにこの紋章こそ刻まれてはいるがそれが小さく、あえて悪く言えば目立たないくらいのものだから中に乗っているのは大した身分の者ではないと予想される。馬車の周りには護衛となる騎士もいないし、地味な馬車に乗っているからにはその貴族家になんらかのゆかりがある者が乗っているのだろう…、そのくらいの感覚である。その馬車が町の門を出てしばらくした頃…、ちょうど町の西側に差し掛かった頃だった。


「まったくッ!!なぜわしがこんな狭苦しい副車そえぐるまなんぞに乗らねばならんのだッ!」


 馬車内の座席て上座に当たる一番奥に座り不機嫌そうに床を足でダンダンと何度も踏み鳴らしながらその老いた男は吐き散らした。肥満したその体の持ち主は誰あろうコーイン・ペドフィリー、息子に侯爵の座を譲って隠居した男である。ちなみに副車とはメインとなる馬車が故障した時に臨時で乗り換えたり、あるいはその貴族家に属する者や従卒などが乗る馬車の事である。その副車に乗る顔触れの中で最も席次の高い前侯爵はなおも不満を吐き出している。


「それに遅い、遅い、遅ぉいッ!!迎えに来るのが遅いではないか!急使を出してから半月はゆうに過ぎておる!従者どもは捕らえられ、取り巻きの寄子貴族や商人もあれこれ口実を並べてさっさと帰りおった。それも全てあの小憎らしい若造やミトミツクのジジイのせいじゃ!ぬぬぬぅ…、どうしてくれようか…!」


 自分がした事を棚に上げ前侯爵は逆恨みの感情を次々と口から吐き出す。その間に馬車に乗る残り二人の人物…、前侯爵の孫娘にあたるスナイ・ペドフィリーと馭者ぎょしゃの男は一度も口を開いてはいない。騒々しい馬車の中だがその発生源はすべてコーイン・ペドフィリーであった。スナイはただ静かに下座に当たる席に腰掛け、馭者は馬を操る為に車体の壁を隔てた向こうで馬を操っている。時折、野外の地面にある小石か何かを車輪が踏む度に馬車は不規則に揺れる。そんな小さなアクシデントのひとつひとつにも前侯爵は不満を洩らす、よほど不機嫌であるようだ。


「まったくッ…!!わしがどれだけ不自由な思いをしていた事か…、従者はおらず取り巻きもおらぬから何か所用を伝える事も出来ぬ。それにあのゴクキョウの宿屋、居心地は確かに良かったが宿賃があまりに高い。一泊二泊なら良いが長滞在となるとかなりのものじゃ!ゆえに部屋のグレードを下げねばならんかったわい、仮にも侯爵の地位にあったわしがじゃぞ!」


「……………」


 スナイはただ黙って聞いている。嵐の日に風や雨がやかましく家屋の屋根や壁に打ちつけて立てた大きな音に文句を言っても静かになる訳ではない、そんな時に人が何もしないのに似ていた。勝手に言わせておけ…、そんな感じだった。


「おいっ!!聞いておるのかッ!!」


 老害がまたも足を踏み鳴らして何事か喚いた。


「はい」


 仕方なくスナイは返事をした、感情の全くこもっていない声だった。上位者に下位者が勝手に話しかけるのは無礼とされるが、声をかけられたのに返事をしないのは最大限の無礼に当たる。場合によっては無礼討ちにされる事すらある。ゆえにスナイは返事をする、眉ひとつ…もちろん表情も動かさずに。


「ふん…、無愛想な奴じゃ。こんな者にも我が血が受け継がれておるのが…。おい、さっさと次の町に急がせろ!今まで不自由じゃったからのう。ああ、それとなんでも良いから人を徴発せよ!幼い方が良い!」


 前侯爵がギャーギャーと喚く。そして幼女を好む悪癖がまた顔を覗かせた。


「次の町にはおそらく夕刻を過ぎて到着すると思われます」


「なにっ!?」


 スナイの返答に前侯爵はいきり立った。


「こんな山深いド田舎では夕刻ともなれば真っ暗ではないか!そうなれば呼んでくるのにさらに時間を要するではないかァ!わしはもう我慢ならぬのじゃ、宿に閉じこもらねばならんかったのじゃぞ!!今すぐにでも幼子を連れて参れ!」


 ぐぬぬぬ…、歯軋りしながら前侯爵は叫んだ。そしてなんとかしろ、馬車を急がせろとさらに叫ぶ。スナイは内心ため息をついた、そもそも旅立ちとは日の出くらいの時間にするものだ。それを遅く起きてきて出発が遅れた。それがなければ早ければ昼過ぎに到着できたかも知れない。その時、コツンと小さな音がした。馬車の車輪が踏んだ小石が飛んで車体に当たったかのような音だった。


前侯ぜんこう様…」


 ここでスナイが初めて自分から口を開いた。


「何を勝手に口を開いておるかッ、お前はッ!?無礼者ッ!!」


 前侯爵が叱責するように叫んだ、しかしスナイは構わずに淡々と口を開いた。


「たった今、覗き窓からチラリと幼い女児の姿が見えました。野草か薬草でも摘みにいくような格好をしておりました」


 馬車の壁にある通風や外を覗き見る為につけられた小さな窓を指差して告げるとガバッと前侯爵は立ち上がった。


「何ッ!!とっ、止めよォーーッ!!」


 コーイン・ペドフィリー前侯爵は今日一番の声で叫んだ。そして馬車が止まると馭者が外から扉を開けるのを待とうとはせずに自ら扉を開け肥満した体を外に踊らせた。


「ど、どこじゃ!?どこで見た!?」


 地面に降り立った前侯爵は周りをキョロキョロと見回しながら叫ぶ。


「はい、あちらの木立ちの向こうに入っていきました」


 スナイが馬車から降りてきて相変わらず淡々と告げた。道端の草が生い茂った向こうの方をスナイは指し示している。


「そうか、あちらか!ようし、わし自ら捕まえてくれる」


 そう言うとペドフィリー前侯爵は草むらをかき分けて入っていく。


「ふふ、胸踊るのう!これは狩りじゃ、獲物を捕らえる狩りじゃ!ぬふふ…」


 かしゃっ…。


 舌舐めずりしながら草むらに入っていく男の後ろで小さな音がした。しかしペドフィリーは気付かない、相変わらずいやらしい笑みを浮かべながら草の茂みに入っていく。


「喜ぶがよいぞ…、わしの寵愛を受けられるのじゃからな…」


 ビンッ!


 弦楽器を弾いたような音がした。


「ぬぐっ!!」


 ペドフィリー前侯爵が声を上げた。何やら背中に…いや、胸の中に鋭い痛みを感じる。


「な、なにが…?」


 起こったのかと前侯爵は思った、突き刺すような胸の中奥深くに感じる痛みに病気にでもなったのかと…。しかしそうなると背中にも感じる痛みはなんなのだ…、そう考えた前侯爵は痛みに耐えながら後ろを振り向いた。


「……………」


「ぬぐ…、お…お前…なに…を…?」


 そこにいたのはスナイであった、手には指先から肘くらいまでの長さの小型の弓…。隠し武器として使われる折り畳み式の物だった。そこから放たれる矢もまた鉛筆ほどの大きさだがこれが中々馬鹿にならない。大きな矢であれば殺傷力が増すのは自明の理だが短い矢は刺さると突き抜ける事なく肉体の中に残り、被害者が苦痛で身をよじる度に体内で新たな傷を作っていく。現に今、矢の的になった前侯爵は苦痛に呻いている。


「ら…、乱心…した…か…」


「いいえ」


 矢を放ったスナイは眉ひとつ動かさずに応じた、淡々とした感情すらまったく感じさせない声で…。


「ご当主様より言伝ことづてがございます」


「な…、オ…オーシャン…じゃと…?」


 苦痛に呻く前侯爵の表情にさらに困惑の色が加わった。現当主…、すなわちコーイン・ペドフィリーが侯爵の座を譲った実子である。


「よくも侯爵家の名を汚してらくれたなと…、あのミトミツク前公ぜんこうに目をつけられるなど面倒な事になる…と」


 こう…、それは侯爵より高い爵位である公爵よりもさらに高い地位である。王家に何かがあった時、代わりに立つとされる家柄だ。その為、王家と公家は表向きは同格とされている。もちろんそれでは序列を重んじる貴族社会で王と公が対等に話していては問題だから公の方が半歩下がり王を立てる、一方で王の方は何か理由を付けて…例えば自分より年齢が上などと理由をつけて敬うといったような対応をする。


 そんな王とすら直接話が出来る立場にある人物…、いくら隠居したとはいえその公の位にいたミトミツクに裁かれる形となったコーイン・ペドフィリー前侯爵だ、いくらミトミツクが内々に済ますと言ってももしかすると王の耳に届いてしまうかも知れない、そう考えた現侯爵のオーシ・ペドフィリーの決断は早かった。自分の娘を迎えとして送り、そして人目のない所で始末をつけさせようとした。


 そこに親子の情は無い、その為に幼い頃より両親の手元から離され乳母や傅役もりやくに育てられる。いざという時に肉親の情に長され侯爵家の当主として判断をあやまらぬように…、それが肉親であろうと切り捨てる事が出来るように…。まさに今がそれであった。冷徹に醜聞スキャンダルを引き起こした実父の速やかな始末に出たのである。


「ぬ、ぬぐぐ…。お、お前…は…。オーシ…が…、どこぞの…女に…生ませ…た…子…では…ない…か…。そ…、そんな…お前が…、孫が…祖父の…わしを…殺す…のか…!!」


 胸を押さえ脂汗を垂らしながら前侯爵は言った。一方でスナイは冷静…、無表情な顔を前侯爵に向けている。そんなスナイがゆっくりと口を開く、やはり表情を変える事なく…。


「私の名を言えますか?」


「なん…じゃと…?」


「私の名です。それが言えたなら命をお助けいたしましょう」


「おおっ…、そう…か、お前の名は…、名は…」


 助かるかもしれない…、そう思ったがペドフィリー前侯爵は喜色を浮かべた。そして目の前にいる自分を撃った女の名前を思い出そうとする。


「名前…、名前…。お前は…」


 ブツブツと呟く前侯爵、しかしいくら考えてみても名前は思い浮かんでこない。現当主であるオーシが他の貴族家から迎えた正室や側室などに生ませた子の名は浮かんでくる。だが、目の前にいる女の名前はどうしたって浮かんでこない。


「やはり思い浮かびませんか」


 スナイが表情ひとつ変えず呟く、そこには落胆も怒りもない。何気ない独り言のように…。そしていつの間にかキリキリと第二射目の矢をつがえている。


「孫だ…、祖父だ…と言ったあなたが一番私を孫扱いしていない。お覚悟を」


「ま、待てっ…」


 ビィンッ!!


「がはっ!!」


 ふたつ目の矢が胸に刺さり前侯爵は苦痛の声を上げた。目の前には冷静に弓を構えている女がいる。


「…普通ならこの二射目で息絶えているところでしょうに…。なるほど、肥満した体は奥行きが出る。このような小さな弓では命を削りきる事に手間がかかる…か。勉強になった、次で終わらせる」


 そしてスナイは第三の矢を手に取った。それを前侯爵は絶望的な気持ちと…、そして煮えたぎる怒りに身を焦がしながら叫んだ。


「わ、わしを誰だと心得るッ、お前のような下女が害して良い訳が…」


 叫びながらコーイン・ペドフィリー前侯爵は自分を討とうとする目の前の女を見た。相変わらず仮面のように表情を変えない女…、その刺客となった名も知らぬ孫娘が今…。


 ニィッ…。


 笑った…、わずかに目を細め口角も少し上げて…。


 ビィンッ!!


 再び矢が放たれた、それは前侯爵の喉を貫き頚椎くびの骨を砕いていた。どさりと前侯爵の肥満した体が草むらに倒れ込む、そして二度と体を動かす事も口を開く事もなかった。


「コーイン・ペドフィリー前侯爵様…、領国に戻る道中に急な病でお亡くなりあそばした」


 馭者の男の声が誰に言うでもなく告げていた。




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