第70話 激戦!!『二つ名持ち』の戦(いくさ)。
「来るぞッ!」
ナジナの鋭い声が飛ぶ。
象よりも大きい、巨大猪がグッと身を屈めようとする。今向いている顔の向き、その視線は荷車を憎々しげに見つめている。走り出したら真っ直ぐに突っ込んでくるだろう。
「足止めせいッ!!」
ガントンが弟と弟子たちに指示を飛ばす。自身は荷車の車軸が折れた時の為に交換用の予備の車軸を手に取った。
「「「応ッ!!」」」
ガントンの号令一下、ドワーフたちが動き出す。
ゴントンは得意の火と風の魔力を込め、近くの大木に向けて大斧を振るう。『この世に断ち切れぬ物は無し』、そう人々に喧伝される『剛断』の二つ名は伊達ではない。日本人の感覚で言えば包丁で竹輪やはんぺんでも切るように、たった一振りで苦もなくスパッと切断してしまった。
「木を倒すだ!」
ゴントンが大木を切り倒し、防壁とする旨を声高に叫ぶ。だが、実際に木が倒れてくるまでには時間差がある。
次に動いていたのはドワーフの二人の弟子たち。小気味良い弦鳴りの音を残し、三連射の弩弓から専用の太矢が合計六本放たれる。
ドワーフは力強く、そして手先が器用な種族である。精密な射撃もまたお手の物だった。今回は何より急を要した為、あまり狙いを付けない抜き撃ちのような形になったがそこはさすがにドワーフ。毛皮などがどれだけの強靭さを持つか未知数であった為、装甲の弱い所を狙った。即ち、眼球である。
太矢は眼球への直撃こそしなかったが、その周りに当たった。深い傷ではなく、大した事のない物だが誰とて目の回りをつつかれたりするのは気持ちの良い物ではない。猪もまたそれは同様であった。
一瞬、巨大猪は嫌がるように顔を背けたがすぐに向き直り、再度身を低く沈め駆け出そうと一歩目を踏み出した。しかし、反射的に二歩目で踏み止まる。
ズズーンッ!!
ゴントンが切り倒した大木が横倒しになる。丁度、巨大猪の目の前の位置だ。突然目の前に表れた障害物に視界を塞がれ猪は動きを止めた。
「止まりおっただ!!」
ゴントンが悔しそうに歯噛む。もしあと一歩か二歩、猪が前に踏み出していたならばこの大木の下敷きになって勝負有りだっただろう。あるいはさらに数歩先を行っていたとしても体のどこかには当たっていた筈だ。そうなれば無傷では済むまい。
だが、目の前の野生動物は駆け出し始めたのに止まった、その事実に一同は驚愕した。走り始めた動物は急には止まれないものだ。しかし、巨大猪はそれをやってのけた、本能を凌駕する瞬時の判断。間違い無い、こいつは修羅場を何度もくぐっている。それも一度や二度じゃない。十や二十はくぐっていると誰もが肌で感じた。
倒れ落ちた大木の動きが止まり、巨大猪にはその向こうには積まれた猪の山の上辺が見えた。回り込むか、いやいっそ飛び越えるか、グッと四つ脚に力を込め駆け出す時より深く深く身を沈め跳躍しようとする。
「待っていたよ」
巨大猪が身を沈めた時、視界の右端に微かに動くものを捉えた。
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視界の右端に微かに捉えていた何か動くもの、それを認識したり次の瞬間、巨大猪は不意に右側の見える範囲が狭ったのを感じた。遅れてやってくる痛みと不快感、我が身に何が起こったか理解はまだ追いついていなかった。
巨大猪が視界に僅かに捉えたもの、それはウォズマの姿であった。倒れた大木を迂回し素早く巨大猪の視界の死角から斬りつけたのだった。
「待っていたよ」
戦場で無駄口を叩かないウォズマであったが、お誂え向きといった展開に思わず歓喜が口をついて出た。跳躍する為に最大限身を沈み込ませた標的、その動きに同調せて頭部も低くなりウォズマの手の届く範囲に顔面かある。その瞳の端に自分の姿が映った。刹那、僅かにその黒目がこちらに動いた気がした。
仕掛ける。愛用の剣は既に逆手に持ち替えている。斜め下から斜め上に斬り上げた。巨大猪が一番低く体を沈めたこの瞬間、千載一遇の好機と言えた。まず目元の肉に剣が突き入れる独特の感触、そして続いたのが水を切ったような軽いくせに何か纏わりついてくるような不思議な感覚。
「ああ、これは…」
ウォズマは記憶の糸をたぐる。
先日、マオン宅に招かれ相棒やギルドの面々、雑貨屋の主人、そして自分の家族までもを饗応てくれた時にゲンタが出してくれた最後の一品…。
水果の蜜漬けに入っていた寒天と呼んでいた不思議な食感の食べ物…、あの感覚に似ている。巨獣との命のやり取りの真っ最中にこんな事を考えるなんて…オレもまだまだ未熟だなと感じながら振り抜いた剣を手元に引き戻す。そして巨大猪から距離を取る為にいったん飛び退く。
直後、右目を斬られた巨大猪が苦し紛れに頭部を振るった。その口元の凶悪な牙が直前までウォズマがいた場所を薙いでいった。その牙が微かにウォズマをかすめた。
巨大猪が行った右目を斬られた直後の苦し紛れに頭部を振るう攻撃。これは思わぬ収穫をもたらした。右側の視界を失ったが、その視界を奪った張本人は牙がかするような間近にいる、それが分かった。
なら追撃だ。右に振り抜いた頭部を左に振り返せば良い。幸い苦し紛れに右に向け頭部を振るった際に左脚が流れて半歩ほど前に踏み出したような形になっている。このまま右から左に頭部を振る時には先程より間合いを踏み込んだ状態で振るえる、この間合いから逃れられる速さを持つ人間はいない。逃がさない、右目を奪った憎き相手、絶対に逃さない。トドメとばかりに巨大猪が追撃に入った。
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「よもやコイツを試せるとはの…」
弟が用意した荷車の交換用の木の車軸。ガントンはその一方の先端を手斧で斜めに切り、根本側は弦を引っ掛ける凹みを拵えた。見た目には竹槍のようになった。
ドワーフは身の回りの物に思わぬ細工を施こしている事がある。ガントンたちはこの荷車に細工を施していた。荷車は大八車のような物ではなく、リヤカーのような物であった。
その前面部の板を外し、車両の外側に両翼をはみ出させるように組み直す。荷車本体を台座に見立てた、ざっと横幅全長4メートル程の巨大な弩弓。そして長さ2メートル、直径15センチほどの超極太の太矢。狩猟というより、戦争でしか使わないような…、もはや武器ではなく兵器と言った方が良い代物であった。
敵兵一人一人を狙い撃つような物ではなく、攻城戦などで城壁を越えた先の施設を…、あるいは城壁や城門そのものを攻撃する、そんな用途の武器であった。
荷物を括り付ける為の丈夫な縄を弩弓の弦に見立て、既に張り渡してある。さっそくガントンは太矢に見立てた車軸を弓につがえ引き絞る。荷車の前板に足をかけ、全力で踏ん張る。
こういう超重量、高負担のものは腕の力だけで引くものではない。全身を使い下半身、特に膝の伸縮の力で行うのだ。人間の筋肉量の7割は下半身にあると言われる。現に我々は日頃自分の体重を平然と支え立つ事も歩く事もしているのだ。また跳躍をして着地をする時、膝には瞬間的に体重の五倍の負担がかかると言われる。それをなんなく受け止めているのだから膝をはじめとして下半身の強靭さは疑いようもない。
しかし、腕の力だけで…逆立ちをして歩こうとしたらどうなるだろうか。とても足と同様に平然と立ってなんてしていられないし、五分と歩いていられないだろう。
全身の筋肉を震わせ、最大限に太矢を引き絞る。目の前では丁度、ウォズマが巨大猪の右目を切り裂いたところだった。
しかし、敵もさるもの。本能的に取った苦し紛れの行動が、ウォズマの位置を捉えたようだ。残る左目に意思が宿る、次は当てる…そして一撃で葬ると殺意をみなぎらせて。
幸運と不運はカードの表裏に例えられる。例えば二人で賭け事をしていて片方が強運に恵まれれば、片やもう一方はボロ負けである。
そしてもう一つ、幸運に恵まれている者でも次の瞬間には不運が、またその逆もやってくる。カードの表と裏をひっくり返すように、いとも容易く運命という奴は逆転する。
今はウォズマと巨大猪、それぞれにそれが言えた。千載一遇の好機を活かし片目を奪う事に成功したウォズマは、今は一撃目はかわしたものの敵に位置を補足され追撃を受ける寸前である。
反対に巨大猪は右目を奪われたものの、次の瞬間にはウォズマを屠れる位置にある。殺す、必ず殺す、それだけが頭の中を占めた。
幸運と不運、もう続きのない入り混った勝負のアヤ。両者だけならウォズマが致命の一撃を受けていたであろう。もっとも、ウォズマとて歴戦の強者である。ただ突っ立って食らう訳ではないのだが。
だが、勝負はそれだけで決着する訳ではない。両者の運命を左右する第三者、外的要因と言うものが存在した。
『ぶびいぃぃぃんっ!!』
やたらと濁った弓の弦鳴りのような音がした次の瞬間、巨大な太矢が巨大猪の体に突き刺さっていた。
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巨大猪の幸運と不運の表裏一体のカードがひっくり返るのは一度とは限らない。二度目も三度目も有り得る。
右目を斬られた不運、ウォズマの位置を捉え最大の反撃の機会を得た幸運、そして…。
ガントンは引き絞った太矢を放つのは今だと感じた。右目を斬り付けられた後の首を振るう苦し紛れの行動で、巨大猪の左脚がやや前に流れた。
結果、ガントンから見て巨大猪は左を向いた。その左半身が露わになる。目の前に横倒しになっている大木の上、無防備な頭部から左肩、そして背中までよく見える。巨大猪が左を向いた事で的が大きくなった。そこを狙う。
精密な狙いは付けない。的は大きい、何処に当たったとしても大きな傷を与えられるだろう。だとしたら、下手に動く時間を与えるより手傷を負わせる方が良い。
放った太矢は真っ直ぐ巨大猪に向かい肩のあたりに命中した。太矢は肩の根本まで完全に埋まっている。貫通と同時に与えた衝撃も相当だったと見えて、猪は横に数歩たたらを踏んだ。
体に荷車の車軸を撃ち込まれ、巨大猪は明らかに動きは鈍くなっている。
巨大猪は即座に逃げる事を決断した。
野生動物としての本能だろう。ここは山林の中だ、衛生環境も医療体制が整っている訳ではない。右目を失い、これほどの傷を負っているのだ。生き延びられる可能性は少ない。
しかし生物としての本能か、巨大猪は一秒でも長く生きる事を選んだ。再度、身を沈ませ走り出そうとする。
「間に合ったぜ」
ウォズマのすぐ隣に辿り着いたナジナが身を沈めた巨大猪の首に向け大剣を振り下ろした。
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「思わぬ大物が狩猟れたモンだなあ…」
「ああ、まさかこんな望外の結果になるとはね」
ナジナとウォズマが巨大猪の血抜きをしながら話している。
「だが、そこら辺の猪肉とはケタ違いの美味さじゃよ」
「ほ、本当かっ!?」
ガントンの言葉にナジナが素早く反応する。
「んだ!これだけの巨大猪だぁ、きっとコイツは老齢期だべ。老齢期になった猪はヨ、草や苔にキノコなんかを食べるようになるだ。草や苔にはヨ、薬草や香草になる物も珍しくねえ。するとヨォ、猪肉は臭みが有るけんど老齢期はそんな草や苔を食うから臭くねえんだべ!」
ゴントンが先程切り倒した大木を材料に新たな荷車を作っている。いつも使っている荷車と追加した台車では巨大猪を載せるにはあまりにも強度不足だったのである。
「ワシらは長く生きておる。ゆえに巨大猪を食う幸運に恵まれた事もあった…」
懐かしそうにガントンが目を細める。
「だかのう、あの美味さも霞んでしまうのではないかと思うてのう」
「どういう事です?ガントン殿?」
ウォズマの問いにガントンがニヤリと笑う。
「あの坊やがメシを作ってくれるのであろう?塩に様々な香辛料、さらに『揉みダレ』か。普通の猪肉であの美味さじゃ…巨大猪の肉ともなれば…」
「その美味さは想像もつかねえ…ってか」
「それにきっとゲンタの坊やの事だから、他にも何かアッと言わせてくれるに違い無エべ!」
「ははは、ゴントン殿まで!あれだけの胡椒や水果を惜しげも無く出すあたり既にゲンタ君には驚きの連続ですよ」
「んだなぁ。あの『はむかつろーる』の美味さは凄かっただあ…」
「何じゃい、その『はむかつろーる』ってのは?」
一行は既に先程の緊張感から解放され、ゲンタが作ってくれるであろう御馳走や今までにゲンタが提供して美味かった物などの話をしながら帰り支度を始めたのだった。
次回『起死回生のコーヒーミル』、ご期待下さい。
<皆さまにお願い>
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