第692話 安住の地
北にそびえるアルプー連峰、そこを苦労なく通る為にトンネルを作る事を提案した僕だが話はそれで簡単に終わるものでもない。そしてその地を維持、管理する為には当然ながらマンパワーを要する。
その為にこの地を守備する人員としてかつて僕たちやミトミツク様を襲った元ペドフィリー侯爵家に所属していた騎士や兵士たちで編成した子爵領守備隊の面々…、一通りの訓練が終わったと判断した僕は奥方様を案内して再びケシタの地を訪れた。
草も満足に生えず、はるかに見えるアルプー連峰の山頂から吹き下ろしてくる冷たい風を常に浴び続ける厳しいケシタの高地…。僕は彼らにそこで生き延び、さらに心身をいじめ抜き鍛える事を命じた。そんな僕の指示に彼らは充分に応えてくれた、各国の精鋭レンジャー部隊か…というくらいに酷寒の荒地で生存し心身を鍛え上げた。
そんな彼らを視察する為、初めて奥方様と共にここを訪れたあの日から今日で半月が経っていた。
……………。
………。
…。
「ゲンタよ、先日ここに来た時はかなり厚着をしても肌寒い有様であった。本日こうして着ているこの上着は…、なんというか軽いのにとても温かいものであるな」
日本で買ってきた黒いフライトジャケットを着た奥方様が感想を述べた、隣では同意しますとばかりにモネ様が頷いている。彼女もまた子供サイズのフライトジャケットを着ている。
「そのように言っていただけるとご用意した甲斐がありました」
かく言う僕もまた同じように黒いフライトジャケットを着ている、これもまたお二人と同じ物である。そんな僕たちがケシタの地に着くと精強な男たちが出迎える。
「ゲンタ様!そしてゲンタ様が忠勇を尽くす奥方様並びにいずれ妻となられる姫君様ッ、御三方に敬礼ッ!!」
ザッ!!
子爵領守備隊の面々が一糸乱れぬ動きで敬礼するとビシッと気をつけの姿勢を取った。地面から垂直に90度、時折容赦なく冷たい風が僕たちに吹き付ける。…が、しかし子爵領守備隊の面々はその強風にさらされてもビクともしない。千年を超え地面に根下ろす大樹の幹のように…、あるいは精緻に作られた銅像のようにいかなる風にも微動だにしない。
「…ら、楽にして下さい」
そんな子爵領守備隊の様子に僕は若干飲まれるながらそれだけを口にした、すると彼らは一度だけザッと音を立て肩幅に足を開き手を後ろに組む。いわゆる休めの姿勢だがその背中はピンと伸びている、まるでアメリカかどこかの軍隊の精鋭部隊のようだ。
僕や奥方様とモネ様がここにやってきた理由…、それは子爵領守備隊の仕上がりを確認する為である。カグヤの洗脳…もとい再教育により身を捨ててでも絶対の忠誠を誓う精兵となった彼ら…、日夜身体を鍛え上げ武器の扱いにも磨きをかけた。さらにこれからの事になるが最初は僕が用意した固パンも今後は彼らがこの寒冷地でも育つ作物を売って稼いだお金でパンをはじめとした物資を購入できるようになる予定だ。参考にしたのは北海道を開拓していたという屯田兵、道やその地の確保と様々な農耕や開拓を担ったという人々である。
「にわかには信じられぬが…。ゲンタよ、そなたが言うならこの寒く不毛の地で育つものがあるのであろう。やはりこの地はそなたに任せたい。それゆえ良き土地にしてたもれ」
「そ、その儀なれば…」
僕は口ごもった、なぜなら預かるという形になるのは避けたかったからだ。なぜなら僕は日本在住の…こちらの人から見ればそれこそ異世界人だ。でも…、待てよ?僕じゃなければ…、寒く荒れたこの土地でも住みたいという人がいれば…そう思った僕は腹に力を入れて声を張った。
「お、奥方様に申し上げまする!この地…、このケシタの地を僕ではなく子爵領守備隊にお預け下さいませ!」
「な、なんと…!?」
奥方様が目を見開いた。無理もない、彼らはあのペドフィリー前侯爵の配下だった者たちだ。僕たちに…いや、それだけではない。王と建前上は同格という公の地位にあったミトミツク様に刃を向けた許されざる存在である、ミトミツク様本人は責任を問わないと仰られたがあくまでもそれはそれである。他者から何か言いがかりが付けば何のお咎めも無し…という訳にはいかないのは事実だ。それはナタダ子爵領だけではなく、この国の中にはどこにも彼らの安住の地が無い事を意味する。
「彼らは確かに…、命じられたとはいえ罪を犯しました。されど今は…、今は…こうしてこの厳しい土地で生き延び精兵と言っても過言ではない実力を得ました。さらには絶対の忠誠と決して人前には出ない…影の存在となる事も誓っております。それゆえ子爵家より一枚の銅貨もいただく事はありませぬ、しかしながら彼らはこの地を…そして子爵領を守る為に命をかけまする!どうか、どうか…、彼らにこの地に住まう事をお許し下さいませ!このゲンタ、たっての願いにございまする!」
「むうう…」
奥方様は思案の声を洩らした。
子爵領守備隊は子爵領の正式なお役目ではない。あくまでも僕が彼らにそう言わせているだけで…、それゆえ彼らには子爵家からは例えば身を休める兵舎と呼ばれる建物すら与えられていない。あからさまに建物を貸し与えればナタダ子爵家は痛くもない腹を探られるかも知れない、それゆえ彼らには住まいとしての家屋は与えられず地面に巧妙に隠した出入り口からわずかな地下スペースを作り寝泊まりをしている。そんな彼らに僕は訓練の間だけ寝泊まりした場所というものではなく、自らの肉体を鍛えつつ休ませ維持すると共に安心して住む事ができる地を与えてやりたかった。
僕は罪を憎んで人を憎まずなんて度量の広い事はとても言えないけど上に立つのがあの前侯爵でなかったら彼らもこんな目には遭ってはいなかったかも知れない…。だけど彼らは今、絶対の忠誠と強靭な肉体を維持しながらこれから命懸けでミーンの町北側のこの地を守ろうとしている。そう思うと僕はなんともやるせない気持ちになってしまった、せめて大っぴらには出来なくても努力次第でちゃんと暮らしていける場所を用意してやりたくなったのだ。
「分かった」
僕をまっすぐ見て奥方様が応じた。
「元々この地はそなたに預けて一任するつもりであった。そのそなたがそう言うのならば妾は何も止めはせぬ。…いや」
反対はしないと言っている奥方様だが、ほんのわずかに間を取ると再び口を開いた。
「許可をする代わりに妾からひとつ注文をさせてもらうぞよ。子爵領守備隊を名乗る兵どもよ、その方たちはゲンタになり代わりこの地を守るのじゃ」
「わ、我らが…」
「ゲンタ様の代わりに…」
子爵領守備隊の面々からざわざわと呟きが洩れる。だけど、こんな事は今までなかった。どんなに厳しい鍛錬の課題を与えても眉ひとつ動かさずにこなしてきた彼らの心に揺らぎが見えたような…そんな感じだった。
「そうじゃ。妾はゲンタにこの土地を…いや、本来なら他にも任せたい場所はいくつもある。しかし、ゲンタはのう…引き受けてはくれぬのじゃ。それゆえにのう、その方たちにゲンタがその気になる日まで代わりに預けたく思うのじゃ。いついかなる時にでも準備万端、すぐにでもゲンタがこの地を引き受けられるようにのう」
うっ…、うおおおっ!!
子爵領守備隊の面々から一斉に声が上がった。熱狂的な歓声のような、男たちが腹の底から上げる雄叫びであった。
「やらせてください!!」
「ゲンタ様が来られるその日まで、しかとお預かりいたします!」
「この地を守る為ならば、我らは死すら厭いませぬ!」
懇願するように彼らの口々から声が上がる。
「分かった。そなたらの願い、しかと聞き届けた。ゲンタがその気になるまで人前には出ぬ影となりこの地を必ず守り通せ」
「「「「うおおおっ!!」」」」
この日一番の歓声が上がった。見れば彼らは口々に何事かを叫び、中には涙を流している者もいる。
「寄る辺ない我らに守るべき地ができた…」
「それもゲンタ様に代わってこの地を守るという大役…」
感動している彼らを見ながら僕はこれはちょっとハメられたかな…、そんな考えがうっすらと浮かんできていた。行くあての無い彼らが住む事の出来る地を得られたのは喜ばしい事だ。
しかし、その名目がいつの日か僕がこの地を預かるその時まで…という事になると意味合いが変わってきてしまう。僕の代わりにこの地を預かるというのならばそれはいわゆる代官みたいなものになる。形はどうあれ名目上は僕が預かり、その管理と守備を僕になり代わり子爵領守備隊がやっている事になる。
僕自身としては土地を預かるというのは避けたいが子爵領守備隊の事を考えるとなんとも断りづらい。そんな抜き差しならない状況に僕はアイデアを出す事に関しては上手く行った、しかしながら様々な状況を鑑みて駆け引きのような事をする…そういう事にはまだまだ疎い…、そんな風に思うのだった。




