第654話 甘い香りと人だかり 〜フレンチトースト〜
妖精界の夜が明ける。
真っ黒だった空が低いところからだんだんと濃い青色に、そしてほんのわずかに金色が混じり始めた。今、僕はシルフィさんが作り出してくれた植物のドームから出て朝食の準備をしている。…と、言っても準備自体はすでにあらかた終わっている。昨夜のうちに仕込み済みなのだ。
カサ…。
草を踏むようなかすかな足音がした、誰か来た…と言うか心当たりはひとりしかいない。
「シルフィさ…」
「お・は・よ、あなた…」
ぴとっ。
僕の隣にくっつくようにして並んで座ったのは…。
「フィ…フィロスさん!?」
「そうですよー!あなたのフィロス、十七歳です!うふふ、これから一緒に朝食を作ってえ…初めての共同作業なんちゃっ…」
グイグイと身を寄せてくるフィロスさん、なんだかちょっと酒くさい。自宅に戻る時に焼酎の瓶を早くも取り出していたからやけ酒でもしたのだろう。昨夜のその酒が残っているのだろうか。
「何…してるんですか?」
シルフィさんの低い声が響いた。
「え?ち、違うのよ、シルフィちゃん!も、もし…、もしもよ…、万が一にもゲンタさんとの結婚が破談になったら…その…。ゲンタさんの心のケアをしなきゃな…って思って…。それでもしかしたら私にもワンチャンあるかな…みたいなー…」
そんな事考えてたのか!
「さて…フィロス姉様…」
「な、何かしら〜?シルフィちゃん…あ、あはは…」
「ご存知ですよね?ここ妖精界では精霊界に近い分…、精霊たちがより強く力を貸してくれる事に…」
「そ、そうだった…かしら…?」
たらー…、フィロスさんの額からひとすじの冷や汗が流れ落ちる。
「言い遺す事はありますか?無ければ…、今回は以前のように結婚式用の被りもの(ヴェール)をしたくらいでは命はありませんので…」
「ま、待って!!シルフィちゃ…」
「緑黄金の疾走魔法ッ!!魔力全開暴走ッ!!!」
「あーれー!!…って今回はマジやば…」
きらっ!!
いつか見たような気がするけどフィロスさんは空の彼方へと吹っ飛んでいった…、それも前回よりもすごいスピードで…。
……………。
………。
…。
シルフィさんの風魔法により派手にぶっ飛ばされ妖精界を一周して地面に叩きつけられたはずのフィロスさんだが多少ヨレヨレになっただけで他はノーダメージのようだった。そしてフィロスさんは吹っ飛んでいる間に特殊な防御魔法を幾重にもかけた新作ウェディングドレスにいつの間にか着替えていた。
「新作のウェディングドレスがなければ即死だった…」
そんな事言ってたっけ…、ちなみに本来の目的で着るご予定はないみたい…。ただ、花嫁が頭に被るヴェールと違ってドレスは全身に身につける物。その為、前回よりもはるかに守備力が高く大したダメージを受けなかったたようだ。…才能の無駄使いのような気がする。
「どうぼ…ずびばせんでした…」
反省するフィロスさんを横目に見ながら僕は朝食の準備をしていた。作っているのはフレンチトースト、昨夜から卵とミルクと砂糖をまぜた溶液に四枚切りのパンを漬けこんでおいたものだ。
今日は火精霊のホムラがいないので代わりにカセットコンロが熱源だ、フライパンを温めバターを融かし漬け込んだパンを置いた。水気を含んだ分厚い食パンを焼く音が金色になりゆく妖精界の静けさの中に響いている。
「火精霊の力でも、薪炭(薪とか木炭のこと)を使うんでもないんだ…」
カセットコンロを初めて見たロヒューメさんが興味津々と言った感じの視線をしながら口を開いた。
「ええ。ホムラは今、ミーンの町でマオンさんのお手伝いと護衛を頼んでいますからね。まあ、そういった訳で魔力の無い僕は道具に頼っている…って訳です。さすがに地面から直火って訳にはいきませんでしょう?草花が熱にやられちゃうでしょうから…」
ジューッ…。
漂う甘い香りが強くなってきた、厚切りのパンをひっくり返すとわずかに焦げ目がついた良い色合いだ。
「これは…、思わず引き込まれる…。ああ、紅茶によく合いそうな気がしますねえ…」
タシギスさんが呟く。
「あ、それならいくつかの種類の茶葉がありますよ。果物の香りがついたものに…香り高いもの、あと濃い味とコクが特徴のものとか…」
「では、味とコクが強い物を…」
「じゃあ…」
そう言って暑い湯を入れておいた魔法瓶タイプの水筒とアッサムのティーパックを手渡す。他の人はダージリンだったり思い思いの茶葉を選んでいる。シルフィさんはアールグレイを選んだ、初めて飲んで以来ずっとこれがお気に入りのようだ。僕も同じのを選んだ。
「カップはそこにあるやつを使って下さい」
「分かりました」
そうこうしてるうちに最初にフライパンで焼いていたものが完成、皿に盛ってシルフィさんに手渡す。
「皆さんには申し訳ないんですが一度に何枚もは焼けないので順番になります…、それで…最初の一枚はやはりシルフィさんに…」
「私に…」
少し照れながらも皿を受け取るシルフィさん。
「そちらの蓋付きの両手鍋にはクリームシチューを少し薄めにしたスープ状にしたものが入ってます。朝はまだまだ冷えますから温まって下さい」
そう言いながら次々に焼いていく、全員に行き渡るとみんなその美味しさに目を丸くする。
「これは…なんとも…。力強い甘さとコク…。頂いたこの紅茶の風味は相当に強いですが釣り合うと申しますか、互いがそれぞれの強さを主張しその良さを何度も味わえる…。まるで攻守が目まぐるしく変わるチェスの名勝負を目の当たりにしているようですよ…」
タシギスさんはフレンチトーストとアッサムティーに組み合わせを非常に気に入ったようで終始絶賛していた。他の皆さんも同様に異口同音、賛辞の言葉が飛び交っている。
「それにしても良いなあ、シルフィお姉ちゃん…」
不意にロヒューメさんがポツリと呟いた。
「どうしたのです、ロヒューメ?急に…」
セフィラさんが尋ねる。
「だってゲンタさんは凄腕の商人さんでこんな美味しいものを作ってくれるんだよ?稼げて、食事も美味しいものを作ってくれて…良い旦那さんだなあ…って」
「それは確かに…」
セフィラさんやサリスさんが頷いている。
「ね、ねえ?ゲンタさん、やっぱり十七歳の私と…な、なんでもない」
フィロスさんが何か主張しようとしたが急に口を噤んだ。一瞬だけ僕の隣のあたりの空気が冷えたからだと思う。そんな時だった、視界が急に暗くなった。
「あれ?急に暗くなりましたね。雲でも出てきたかな…って、うわあっ!!?」
ずらり…。
僕たちの頭上に数えきれないくらいの小さな人…子供のような姿の人たちがたくさんいた。その中にはサクヤやカグヤ、ホムラやセラといったミーンで僕と一緒に過ごす四人の精霊と似た顔形だったり髪色だったりする子もいた。おそらくこの地にいる精霊たちなのだろう。見慣れない顔形の子は光とか火以外の僕がまだよくしらない属性の精霊なのだろうか。
「せ、精霊が…」
「あ、あんなに…」
セフィラさんたちが驚きのあまり言葉を失っている、そんな中でロヒューメさんが何かに気づいたようだ。
「も、もしかして前みたいに…」
「え?」
「ほ、ほら…、以前に精霊溜まりに行って…。たくさんの精霊と交流する修行に行った時があったじゃない…」
精霊溜まり…。精霊界やここ妖精界よりもミーンのある物資界には精霊の数が少ないそうだが、ところどころ精霊たちが好むポイントのような場所があるらしい。セフィラさんたちがそこに行って様々な精霊たちと交流し自分たちの精霊魔法に磨きをかける修行をしようとした時の事だ。たしかその時はイチゴジャムとかクッキー…、甘いものに精霊たちが大挙して集まってきたと言ってたっけ…。もしかすると…、試しに僕はフォークに刺していた残りひとくちになってしまったフレンチトーストを上下させてみる。すると、集まった精霊たちの視線もそれに合わせて上下する。なるほど、集まってきた原因は分かった。
「みんな…、もしかしてこれが気になって集まったの?」
僕の問いかけに精霊たちは揃って頷いた。




