第65話 冒険者たちの更なる邂逅と塩の街道(みち)
しばらく席を外したシルフィさんが受付カウンターに戻ってきた。葡萄酒を飲むんだから仕事が終わった後か、仕事がお休みの日にしようという事になった。
シルフィさんはしばらく考えた後、『せっかくの葡萄酒ですし、仕事がお休みの日にします』と言った。仕事終わりにしてしまうと、ワインが気になって仕事に万が一にもミスが有ってはならないとの判断だった。さすが真面目なシルフィさんである。
「じゃあ、お休みの日は少し先なんですね」
「はい、日にちが空いてしまい申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です。その間に甘いワイン用意しておきます」
「楽しみです…」
いつも冷静なシルフィさんだが、今は何より嬉しそうだ。期待に胸を熱くしているのか、その頬と長い耳に至るまで若干紅く染めている。
そのシルフィさんの顔や耳を見つめ過ぎていたのか、シルフィさんから声がかかる。
「どうかされましたか?」
ま、まずい!『貴女に見惚れていました』なんて言える訳無いし…、何か誤魔化す方法は…、有った!
別に今聞くような内容では無いのだが、前々から気になっていたのは事実だ。ちょっと強引だが、この場を乗り切る為に僕は質問いてみる事にした。
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「実は前々から気になっていたのですが…」
僕は受付カウンターの奥の棚にある小さな物に目を向ける。何やら木のような物で出来ていて、形は小さい物は一円玉を分厚くした円柱のような物。それらが少しずつ大きくなった物がいくつかあり、側面に『1』とか『5』とか書いてある。
「これは重りです、重さを計る為の。色々な物の重さを計りますが、一番機会が多いのは塩の販売で使う時でしょうか」
「塩の…」
なるほど、ギルドでは塩の計り売りをしているんだ。
「だけど、最近はまた値上がりしてきたよなぁ」
「うん。どんどん買える量が減ってるよう…」
マニィさんフェミさんが会話に続いてくる。
「買える量?」
「ん、旦那?知らねえのかい、ほらこれだよ」
マニィさんが壁に掛けられた掲示板のような物を指差す。そこには『本日の塩相場…8』と書かれていた。
「今日は相場が8ですからぁ…、白銅貨一枚で8重の塩が買えるんですよぅ。最近、塩が値上がりしてきているから皆さん大変です」
重というのは、この世界での重さの単位。どのくらいの重さなのかは分からないけど…。
「そっがあ…、こんの町では随分と塩が高いんだべな。 やはり海から遠くなると運んで来るだけ高くついちまうんだべな…」
ゴントンさんが感慨深げに呟いた。
「んん!?そうなると、昨日は坊やには悪い事をしちまっただな。こんな割高なのに塩サたくさん使わせちまっただ。おまけに胡椒まで。あの『もみダレ』っちゅうのも美味がったから、きっと水薬みてえに高いんじゃねえだべか!?」
「どういう事です?」と、シルフィさん。
「ああ、昨日の夜サ、俺たちに坊やが酒サ振る舞ってぐれてよう。そんで俺たちは猪の肉サ用意しただ。豪快に一枚肉にしてたんだけんどよう、その味付けに真っ白な塩と胡椒を用意してくれたんだべ!」
「塩と胡椒ッ!」
「美味しそうですぅ…」
マニィさんたちが思わず…、といった感じで声を漏らす。
「ところが、それだけじゃなかったんだべ!」
「それが先程の話に出た『もみダレ』と?」
「ああ!そんだ!肉を捌いていぐと、どうしたって端切れサ出る。その切れ端を坊やは集めて、タレを入れて揉み込み出したんだべ!そしたらヨゥ肉サ柔らか、味はよぅっぐ染み込んでこれでもかァっでご馳走になっちまっただ!」
ゴクリ…。誰かの唾を飲み込んだ時に出た喉を鳴らす音がした。
「かぁ〜ッ、そりゃこの前の兄ちゃんが出してくれた冷えた『びぃる』って酒に合いそうだぜ!」
「ナ、ナジナさん!?」
そこには涎を腕で拭くような仕草をしたナジナさんがいた。喉を鳴らしていたのは貴方でしたか…。
□
隣のテーブルでナジナさんとゴントンさんが話している。二つ名持ちの冒険者同士、これまた通じ合う物があるのかすぐに意気投合、今は僕の持っていたビールや揉みダレで味付けをした猪肉の焼肉の美味さの話で盛り上がっている。
「すまないね、ゲンタ君。どうも相棒は美味そうな物の話をしているのを聞いて話しかけるのを我慢が出来なかったみたいだ」
ウォズマさんが僕に詫びながら状況を話し始めた。
「ところで何で焼いた肉の話になったんだい?」
僕は元々、受付カウンター奥の棚にある重さを計る時に使う重りについて質問した事を話した。そして塩の話になった事を。
「なるほどね…、塩の事を話していたのかい。確かに最近は高くなってきた。五日くらい前は11か12くらいだったかな…。冒険者ならギルドでこの価格で買えるからまだ良いけど、町の人が買う商店ではもう少し割高になるね」
なんでも冒険者ギルドでは冒険者に塩を販売する際に仕入れ値と同じか、場合によっては安くするらしい。これはギルドが行う冒険者支援の一環でもあるらしい。
「でも、旦那は凄ーな!胡椒もそうだけど塩も惜し気もなく使うなんて」
「それに、この間の夜の料理も凄く美味しかったですぅ。でも、冒険者の皆さんは切り詰めて生活してる方も多いので、何の味付けもしていない物を食べてる方も多いんですよぅ…」
そうなんだ…。それじゃ食事も寂しいな。それではきっと食事が腹に物を詰め込むだけの作業になってしまう。
「ですから…、ゲンタさんは冒険者の皆さんの笑顔の源なんです」
いつの間に受付カウンターの中から出てきたのか、僕の隣にシルフィさんがやって来ていてそう告げる。
「お気付きですか?彼らがゲンタさんのパンを毎朝楽しみにしている事を。彼らが笑顔でパンを食べている事を…。味付けの無い食事ではそんな事はありませんでした」
シルフィさんのような美人にそんな風に褒められて僕は照れくさくてしょうがない。
「せめて塩がもう少し安く仕入れられればなあ…」
マニィさんがそんな事を呟く。塩か…。
「あの…、これなんですけど、売れますかねえ?」
僕はリュックから取り出した塩を受付カウンターに置くのだった。
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「旦那、これ…塩なのかい?こんな真っ白な…」
マニィさんが僕に質問いてくる。
カウンターには、1キロ入りの塩のパックが二つ。一つは1キロ入りそのもの。そしてもう一つは昨夜、猪の肉を焼く際に使ったので少し減っている。『タカ派の塩♬』のテレビCMでもお馴染みの塩だ。
業務用食品を扱うスーパーで1キロ入りで75円(税込)ほど。大変お買い得である。
紙の皿に少し塩を出し、皆さんに味見してもらう。その頃にはナジナさんたちもこちらに戻って来た。
「おおっ、雑味の無え強い塩気がある塩だな!」
「だが、海塩独特の旨味は少ないかもな…」
ナジナさんとウォズマさんが感想を述べる。
「でも、この辺で出回っている塩はくすんだような色でぇ…」
「ああ、干からびた海藻や砂粒が混じってる時もあるしなあ…」
フェミさんマニィさんがそれに続く。
「ここミーンの町は南に伸びる街道が海へと続く唯一の道です。逆に言えばそちらから塩が入って来なければ、この地は僅かな岩塩に頼るのみ…。海からの距離もあるので運ぶ手間賃などを考えればどうしても割高になってしまうのです…」
シルフィさんがなぜこの町の塩が割高なのかを説明してくれた。そうか…、なかなかに希少性が有るって事なんだな…。でも、僕の持って来た塩はどのくらいの重さになるのだろう。
「ちなみにコレってどのくらいの重さになりますか?」
未開封の塩のパックを手に取って尋ねる。フェミさんが重さを計る為に受け取ろうとした時に、
「俺に任せるだ」
そう言ってゴントンさんが任せてくれと申し出た。
「俺たちドワーフは、鍛治に大工に石工と物を作るのが得意な種族だべ。だから尺に重量に体積は見るなり触るなりすれば即座に分かるんだべ」
そう言って、ゴントンさんは未開封の塩のパックを手に取った。
「千は無えべな…。997…、いや!996だべ。996重で間違い無えべ!」
凄いな…。手に持っただけで重さが分かるんだ。それと、重さの比較が出来たぞ。1000グラムは996重、単位的にはそう大きな差は無いみたいだ。
それにしても8重で白銅貨一枚とは…。日本で考えたら8グラムちょっとで百円もするんだ…。もの凄く高価だ…。僕が買ったこの塩は1キロで百円しないのに…。
「コレ…、売れますかねえ?」
「売れる、と思います。というより塩は元々品切れがちな商品です。組合長の決裁が必要ですが、ぜひ取り扱いをさせていただければ…と」
シルフィさんがいつもの冷静美人に戻って返答える。
「え?じゃあ今ある塩は残り少ないんですか?」
「ああ、あと何人か買って行ったら売り切れだな」
「仕入れ値も上がってしまって…、安くなるのを待っている状態なんですぅ…」
マニィさんフェミさんもギルドの苦しい塩状況を語る。
「そうなんですね…」
ここで僕は考える。これなら倍の量…、白銅貨一枚で16重の量を売っても62人に売れる。そしたら単純に日本円にして6200円の売り上げになる。凄い大儲けだ。
でも、ギルドでは現在、冒険者サポートの一環で仕入れ値よりも安くして冒険者に塩を売る事もあると言っていたっけ…。なら…。
「シルフィさん、この塩を倍の『16』で売ってもらえませんか?もちろん白銅貨一枚の量です。ただし、冒険者ギルドに加入している冒険者のみが対象で。売る量もいくらでも…って訳ではなく、制限をかけてもらって…」
「倍の量を!?『16』なんてここ数年でも滅多に無い安値です。ゲンタさんはそれで良いんですか?」
「ええ。問題ありません。それなら冒険者の皆さんももう少し気軽に塩を買えるようになるはずですし」
「そ、それは皆さん喜ぶでしょうけれど…。量は元々制限をしていますので…、問題は無いのですが…」
シルフィさんが戸惑いながらもいけそうな雰囲気を醸し出す。
「それで仕入れ値としてはいくらぐらいをご希望ですか?」
「そうですね…。では、銀片四枚(日本円で四千円)でどうでしょうか?」
僕は少し考えて、シルフィさんに告げてみた。
「なっ!兄ちゃん、お前それで大丈夫なのか?」
「そうだ、ゲンタ君。町中では『8』より少なく取り引きされているよ。損はしないのかい?」
ナジナさんたちが驚きの声を上げる。
「心配していただいてすみません。でも、僕はこれでも大丈夫です」
「し、信じられねえ…」
ナジナさんが驚嘆の声を上げる。
「塩は我がギルドでも、冒険者が岩塩を持ち帰った時は買い取りを申し出る程の貴重品です。それを…。いえ、ところでゲンタさん。この塩をいかほどご用意いただけますか?この五倍…、いえおそらくは飛ぶように売れるでしょうから当面の在庫として十倍の量があればありがたいのですが…」
10キロか…。うん、問題ない。
「大丈夫ですよ。用意出来ます」
すぐにシルフィさんが立ち上がる。
「かしこまりました。少しこちらをお借りいたします」
そう言って、残った塩が乗った紙の皿を持ち階段を登っていく。おそらくギルドマスターに許可をもらいに行ったのだろう。
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「それにしても塩の街道は相変わらず雨に弱ーよな」
シルフィさんを待っているとマニィさんが口を開いた。
「何日か前の激しい雨が尾を引いているんだろうね」
ウォズマさんが続く。何日か前の激しい雨…、僕がこの世界に来た日のゲリラ豪雨の事だろうか…。
「兄ちゃん、南に伸びる塩の街道ってなぁ、起伏もそれなりにあって荷馬車泣かせの道なんだ。だけど、それだけじゃねえんだ。雨に弱いんだ。すぐに水が低い所に溜まっちまう。だからそうなったらお手上げだ、立ち往生さ」
「麦とかは周りでも作られていますから良いんですけどぉ…、他にも入って来なくなる物も有りますから物の値段が不安定なんですぅ」
そうだろうなあ、大雨への対策として放水路がある訳でもなし、アスファルトの道路もトラックが走っている訳でもない。だから、輸送のスピードも無いし、ビニールハウスのような生産体制がある訳でもない。
だから物の相場も日本なんかよりも極端に上下する。今回の塩が良い例だ。僅か数グラムで百円、1キロで一万円を軽く超える市中価格。入荷しないから希少価値が出てくる。
地球で高価なダイヤモンドでも、もしその辺の道端に転がっているようになったら誰もお金を出して買おうとはしないだろう。
「ゲンタさん!」
シルフィさんの声。見ればシルフィさんがギルドマスターのグライトさんと共に階段を降りてくる所だった。




