第64話 ゲンタ、(結果的に)逢瀬(デート)に誘う。
初対面である二つ名持ちの二人の凄腕冒険者、ゴントンさんとシルフィさんの初対面は強者同士だけが持つ一種の共感のようなもののせいか非常に友好的に、傍目には終始和やかな雰囲気で進んだ。
しかし、先程僕の手を両手で包み込むように握ったシルフィさんをマニィさんとフェミさんがはやし立ててしまった為に、今もまだシルフィさんに首元に何かを突きつけられた二人は蛇に睨まれた蛙の如く恐怖にすくみ上がっている。
そんな時、僕はマニィさんとフェミさんからの何かを訴えるような視線に気付いた。目は口ほどに物を言う、日本の諺だが、今まさにそんな感じである。
『ゲンタの旦那、何とか姐御にとりなしてくれよ!』
『お願いしますぅ!助けて下さいですぅ!』
二人の視線が必死にそう訴えかけてくる。
『いや、助けたいけど無理っスよ。今のシルフィさん、マジ怖いっスもん。下手に声掛けたら僕もヤバそうだし…』
僕も感じたままに目に意思を込める。
『旦那、そこをなんとか!』
『ゲンタさんなら…、ゲンタさんの言葉なら聞いてくれる余地はあると思われますぅ』
『そう言われましても…』
僕たちは視線意思疎通でいくつもの言葉を交わす。と言うより怖いのは、僕も巻き込まれる事なのだが…。
結局、二人の縋るような視線に断る事が出来ず僕はシルフィさんに声をかける事になった。
『説得に失敗して状況が悪化しても責任取れませんけど、良いですね?』
『うっ、それは困るけど…』
『でも、これ以上に状況が悪くなる事は無いと思いますぅ』
覚悟を決め、シルフィさんに視線を向ける。
そこには美しい相貌を乱す事なく、静かに佇む麗人がいた。
「シ、シルフィさん…」
僕は恐る恐る話しかけているという雰囲気が出ないように気を付けながら声を掛けた。その美貌がこちらを向く。
呼吸を整える。さて、どう切り出すか…。
□
「あ、あのシルフィさん…。先程の事なんですが…、シルフのような素敵な方に手を握っていただいて…、僕としてはとても嬉しかったです。それにマニィさんフェミさんもはやし立てたのは悪気があった訳ではないと思いますし…」
僕の言葉にマニィさんフェミさんがコクコクと上ずった顎を浅く何度も首肯ずく。上手い言い回しとかが何一つ浮かばなかったので、とりあえず単純に思った事を口にしてみる。まずは一通り話してみて、これにシルフィさんがどう応じるかで次に話す言葉を選ぼう。
「ぶどうゼリーも喜んでいただけたようで、凄く嬉しいです。シルフィさんは確かぶどうがお好きなんですよね?」
「え、ええ、エルフは大抵ぶどうを好みます。ゆえにあまりお酒を嗜む事のないエルフでも葡萄酒となれば話は別でして…。我々は果実の風味を好みます、しかしぶどうは酸っぱさや渋味ばかりで発酵させ葡萄酒にでもしなければ口にするような物ではありません。希にそれらがない甘いぶどうが世に出る事がありますがそれは正に至宝とも言うべきで…」
ぶどうの話になった途端、シルフィさんが食い付いて来た。普段は口数が少ない人でも、好きな物の事になると饒舌になったりする。クールビューティなシルフィさんもそんなタイプなのかも知れない。
それに話題がぶどうに移ってきた。シルフィさんの意識がマニィさんたちからこっちに向いてきたように感じる。もう一押し、二押しか…。
「も、もし、シルフィさんさえ良ろしければ…。またぶどうゼリーをご一緒していただけたりしたら嬉しいんですけど…」
『ぴくっ!』シルフィさんのエルフ独特の長い耳が分かりやすい反応をした。『ぴくっ、ぴくっ!』脈アリか…、これは…。釣りで言えば、針先の餌に興味をそそられた魚が口先でツンツンと突っつきに来ている感じか…、もう少しだ。もう少しで食い付く。
もう一押し、焦るな…焦るな…。もう一手打つんだ…、考えろ、考えろ…。
そう言えば…、ワインを飲むって言ってたよな…。酒を普段あまり飲まないエルフだけど…、ワインだけは別だと…。
でも、僕の感覚だと赤ワインってあまり甘くないよね。もしかすると…、甘いぶどうにシルフィさんは興味を持っていた。ジャムパンも好んでいたし、甘いものが全体的に好きなんじゃないかな…。探ってみるか…。
「ちなみにシルフィさん、甘いワインとかは…お好きですか?」
「ッ!!」
分かりやすい反応!興味深々って感じだ!
ワインが鍵になる!このタイミングでッ、仕掛ける!!
「実は甘いワインが手に入りそうなんです。でも、お酒を僕一人で飲むのは寂しいですし…。もし…、もしシルフィさんさえよろしければそのワインを御一緒していただければ…」
「…ッ!!わっ、私で…、良いのですか…?」
何かに弾かれたようにシルフィさんが応じる。
ここだ!ここで決めるんだ!!
「…シルフィさんしかいません」
僕は真っ直ぐにシルフィさんを見つめ、しっかりと告げた。視線は外さない、見つめる。
「…はい」
消え入りそうな小さな声と共にシルフィさんは首肯いた。それっきり、シルフィさんは少し俯き気味に視線をそらしている。先刻までの緊迫した雰囲気は霧消したようにも思える。
まずは危機的状況は脱した。次は…、マニィさんたちをとりなせれば任務完了だ。
「ありがとうございます、シルフィさん。とても嬉しいです」
僕がそう言うと、彼女はさらに俯く。
「でも、そうなるとマニィさんやフェミさんに感謝ですね」
えっ?と言うような表情でシルフィさんの視線がこちらに向く。
「だってこんな事でもなかったら、僕はこんな風にシルフィさんをお誘いする事は出来なかったと思います。マニィさんとフェミさんはそのきっかけを作ってくれました。ですから、これに免じてどうか許してあげて下さい。お願いします、シルフィさん!」
言ったぞ!僕は言ったぞ、シルフィさんに怒りを鎮めてもらう為の言葉を!マニィさん、フェミさん、見てたよね!?
それと人にお願いする時、出来れば相手の名前を最後にもう一度言う。こうすればより『あなただけにお願いしています』感が出る。さあ、僕に出来る事は全部やったよ!後はこれが吉と出るか、凶と出るかはシルフィさん次第だ。
「分かり…ました」
なんだか心ここにあらずといった感じでシルフィさんは承諾の言葉を口にした。そして鈍い銀色に光る物をマニィさんフェミさんの首筋から離す。死の気配からの解放に二人はようやく大きな息をつく。
「二人共…、冷静さを失い過ぎです。これではいくら押し当てても人が死ぬ事はありません」
そう言うとシルフィさんは手に持っていた物をテーブルに置いた。それは先程まで使っていた先割れスプーン、その手に持つ部分…、いわゆる柄の部分を二人の首筋に当てていたのだ。
まさか自分たちに突き付けられていた物が刃物ではなく、切れ味の全く無い先割れスプーンの柄だったなんて…、彼女たちはそう思うかもしれないが同僚に刃物を突き付けたならそれはそれで問題だ。だから、少しばかりお灸を据える為に今回のような行動をしたのだろう。
でも、良かった。首筋に当てていたのが傷つくようなシロモノじゃなくて。そして、シルフィさんは僕の方に向き直る。
「お騒がせいたしました、ゲンタさん」
そう言って彼女は僕に頭を下げた。
まだ、少し興奮が残っているのか、その頬は少し赤みを帯びている。エルフは色白だからそれが割と目立つのだろうか。
「いえ、とんでもありません。では後日…、シルフィさんのご都合が良い日にでも…」
そう言うと、シルフィさんの動きがなにやら怪しくなる。落ち着きが無くなるというか、ソワソワし出した。
「はっ、はい!その日をお待ちしています。それでは、す、少し席を外させていただきます」
そう言うと、シルフィさんは足早にカウンター奥のドアの向こうにその姿を消した。速い!これも『光速』の動きだろうか。
□
シルフィさんが姿を消して数秒…。『そして時は動き出す』とばかりに僕以外の人の時間が動き出した。マニィさんとフェミさん、二人が硬直から解かれたかのように動き出す。
「助かったぜ…、旦那。オレ、久々に『恐怖の片鱗』ってヤツを味わったぜ…」
「な、何を言っているか分からないと思いますが…、私たちがシルフィさんを見ていたと思っていたら、既に後ろを取られていて首筋に…」
まるで奇妙な冒険をしていたフランス人男性が時間停止の能力に初めて触れた時にその感想を述べた時のようだ。そして先程の首筋に当てられていた金属の冷たい感触を思い出したのかフェミさんがぶるっと体を震わせた。
「オ、オレたちも冒険者をしていたから…、普段の生活でも油断はしないようにしているつもりだったけどよ…」
「私たちが目を離さないようにしていたのは、『光速』で動いた後のシルフィさんの残像で…』
後で聞いた話だが、『光速』は光の精霊の力を借り近距離の瞬間移動を行う技だ。その光の精霊力をその身に借りて移動する際に副産物とも言うべき現象が発生する。
それは光がその体を包み瞬間移動した時に、光の精霊力がすぐに消える訳では無く余韻のような感じで僅かな時間そこに残る。その光の余韻とも言うべき物が瞬間移動する瞬間の姿をその場に残像として残すのだ。
僕が見た消えゆく陽炎のようなものは、瞬間移動をしてから時が経ち残像が消えゆく時のもの…。僕が消えたと思った時、既に行動は終わっていた。もし僕が彼女と敵対する立場であったなら、消えたと感じた時には首と胴が行き別れになってしまっていただろう。…二つ名『迅雷』のシルフィさん…、凄腕の冒険者とはこんなにも凄いのか…。となると例えばナジナさんは『大剣』の二つ名持ち、凄いんだろうなあ…。
「だけどさ、旦那はやっぱ凄ーよ!とりなすだけじゃなくて姐御にあんな誘かけるなんてさ!」
「そうですぅ!シルフィさんも満更でも無さそうですしぃ…」
なんだか受付嬢二人が盛り上がっている。
「え、どういう事?」
「またまたぁ、旦那ァ!とぼけちゃってさあ!」
「葡萄酒…、それもゲンタさんが用意する『甘い』葡萄酒なんてシルフィさん羨ましいですぅ」
僕が顔に疑問符を浮かべているのを見てマオンさんが察したのだろう。『男が女を酒に誘うのは、あなたともっとお近づきになりたいです』という意思表示なのだと。古今東西、酒は心の垣根を取り払う。『酒の力を借りて』なんていう言葉があるが、その言葉通りそれをきっかけにグッと距離が縮まったというのはよくある話。
どうやらそれはここ異世界でも同じようだ。
「だけどさぁ、オレたちは冒険者だったから気軽に酒に誘ったり誘われたりはあったけどよう…」
「一稼ぎしてそのまま酒場!手軽な麦酒で一杯…、そんな感じだもんねえ…」
「ああ、ワインなんてちょっと張り込まないと、酢だか灰汁だか分かんねーような葡萄汁飲むのが関の山だぜ」
「でも、ゲンタさんが用意するんだからちゃんと美味しい葡萄酒ですよねぇ…きっと。しかも甘い葡萄酒(ワイン。それを二人で飲みましょうなんてこれ以上無い誘い方ですぅ」
何やらフェミさんがうっとりとした様子で話している。
「いやー、オレもあんな風に誘われてみてーよなぁ。『甘い葡萄酒をご一緒していただけませんか』なんてさぁ!せいぜいオレなんか『エールひっかけに行こうぜ』ぐらいしか無ーもんなー」
「喉渇いたから飲むみたいな感じだもんねえ…。ムードとかそんなのもお構い無しですしぃ…」
「それによ、姐御が『私なんかで良いの?』って質問いた時の旦那カッコ良かったぜぇ!『シルフィさんしかいません』って見つめながら言うトコとかさぁ」
何やらマニィさんが僕の真似をしながら熱く語っている。男性声を出すマニィさんはかなりの良声だ。もし声優さんならかなりの女性ファンが付きそうだ。
「そうですよぅ!あんなにまっすぐ見つめながら言うなんて…!あれで意識しない女はいませんよぅ!」
女子二人は目の前で繰り広げられた恋愛劇の一端に興奮気味だ。どこの世界でも女子は恋愛話が大好物なんだなあ…。
「まったく、ゲンタもスミに置けないねぇ」
「んだ。若いってのは良いモンだべ」
マオンさん、ゴントンさんまでが何やら深くウンウンと頷いた。




