第632話 大反響と弊害と(前編) 謎の肉と植物のミルク
久々に登場、エルフの食通ザンユウさん。
結構人気キャラで登場すると反響があります。
ゴクキョウさんの宿屋のプレオープン、それは大成功であった。それ以外にもヒョイさんが経営する社交場にも人は集まり劇や歌、高級酒場の方も大盛況だった。そして僕がゴクキョウさんの宿の売店に納品している品物もガンガン売れている、まさに大反響だ。頑張れば頑張るほどそれに比例して儲かっていく。だが、同時に弊害も起こり始めて…。
「素晴らしい料理だった…。とくにあの茶褐色の一皿にはシンプルながらあらゆる個性が詰まっている…。ぜひ調理者を呼んでいただきたい、最大の賛辞を送りたい」
きっかけはそんな一言だった。ここはゴクキョウさんの宿屋内にあるレストラン、そこで提供されたとある一品にいたく感動した一人の上品な老紳士がそんな言葉を発したのだった。髪や口元や顎の髭はすっかり白くなっているが、姿勢はシャンとしており高齢というのを感じさせない。そんな老紳士が料理長さんを呼んでいた。
そこでやってきたのは宿の食事の全てを統括するベテランの料理長さん。その見事な技術は様々な工夫を生み出し、一皿一皿が非常に洗練された物となっていた。その料理長さんが給仕に連れられてやってきた。老紳士がいかにも感動したとばかりに賛辞を送っている、一方で賛辞を受ける側の料理長は少し困惑気味だった。
奇しくも僕はその時、同じレストラン内にいた。エルフの食通ザンユウ・バラカイさん御一行と同じテーブルに着いていた。新しいメニューである香辛料など強い刺激を苦手とするエルフ族の皆さんにも食べてもらえるような新しいカレーの開発…、そのお披露目の席に僕も同席していたのだった。用意したのはいわゆる欧州風のミルクと小麦粉を効かせたカレーだった。
「ふふ…、私たちエルフ族も安心して食べられる香辛料が出来たと聞いてきたが…。やはり生乳を使ってきたか…、それで香辛料の刺激を抑え込もうというのだな。なんとも予想通りだが肝心なのはその味。どれ…、いただくとしよう」
そう言ってザンユウさんは…いや、テーブルを囲んでいたエルフ族の皆さん…付き人のガワナカさんやどこか遠方の部族を代表して来たトミー副部族長さんたちが新開発したカレーを口に運んだ。
「うまい!!これは美味い!!」
早速、トミー副部族長が甲高い声を上げた。それに続くはハラオーシャシュ大部族長、トミーさんたちの部族の他にも各地に点在するいくつかの部族や集落を束ねるエルフ界の重鎮だ。そのハラオーシャシュさんもまた口を開いた。
「これは素晴らしい…、確かに我々エルフ族は香辛料は苦手だ。それを生乳で包み込み巧みに抑えている…いや、それだけではない…。長く煮込んだ事で香辛料の角が取れ刺激ではなく風味に深みを与える効果が現れている…。そして不思議なのはこの肉だ…、我々は獣肉は脂が強すぎて敬遠しがちだがこの肉の脂は洗い流され、しかもとろけるように柔らかい。こ、この肉は一体…?」
どうやらハラオーシャシュさんは新しいカレーの味を受け入れてくれたようだ。しかし具材として入れた肉の正体が分からなかったようだ、そしてそれはもう一人…。
「それにしても…、あの香辛料をふんだんに使ったあの料理はいったいなんなのだね?あれは十…いや、十五を越える種類の香辛料を使っているのではないのか。だが、何より不思議なのはあの肉だ!」
例の老紳士が料理長に矢継ぎ早に賛辞と疑問を投げかけている。
「今まで食べた事がない素晴らしい肉だ!普通、肉は煮込み過ぎれば固くなるだけ!しかし、この肉にはそれがない!それどころか煮込んだ事で香辛料や様々な味をしっかりと受け止めている。そしてとろけるほどに柔らかい!こんな肉は今まで食べた事がない!これはいったい何の肉なのかね!?さあさあ、教えてくれたまえ!」
老紳士の詰め寄る勢いはさらに増していく。だが、この謎の肉の正体を探り当てた人物もいて…。
「ぬうっ!この肉の奥底…、芯のような部分に残る本質的な風味…、いかに工夫したとしても私の舌を誤魔化せるものではない!この独特の風味、これは猪の肉だっ!!そうだろう!?」
謎の肉の正体を見切ったりとばかりにザンユウさんは僕に叫んだ。その鋭い視線は僕に向いている。
「え!!えええっ!?猪ッ!?」
「ば、馬鹿な!!あれは脂も多く…」
トミー副部族長とハラオーシャシュ大部族長が驚きや戸惑いの声を上げた。そして向こうの老紳士も告げられた肉の種類に驚いたような顔をしている。
「ま、まさか…」
そう呟いてこちらに視線を向けた。一方、僕はザンユウさんのあまりの迫力にほとんど鸚鵡返しのような形で返答えていた。
「お見事!正解です!実は昨日、知り合いの狩猟士さんからとても良い猪が手に入ったと知らせがありまして。それで元々は鳥の肉を使う予定でしたがそれを変えて猪の肉を使う事にしました」
「ほう…?では、なぜ猪の肉に変える事にした?元々使う予定であった鳥を用意はしてあったのだろう?」
「はい」
ニヤリ…、ザンユウさんが口元と眉をわずかに動かすくらいの笑みを浮かべるとさらに問いかけてきた。
「ならばなぜ鳥の肉を用いる事をやめた?我らエルフ族は鳥の肉を食べる機会はままある事だ。だが、猪では脂が強くこの香辛料の香りを抑えた調理には向くまい。風味を合わせ鳥をそのまま使うという選択もあったろうに?」
「はい。実は当初の予定では鳥の肉を一度蒸してからサッと焼いて軽い食感を出すつもりでした。これならエルフの皆さんにも敬遠しがちな脂を極力落として具材に加えられます」
「うむ、そうだろうな…。ならば、なおさら聞きたい。なぜ猪に…」
「お、お待ちなさぁいッ!!」
ザンユウさんの話に横合いから待ったがかかった、白い髭の老紳士だ。近くに来るとさらに様子がよく分かる、今回のハイソな正体客の中でも一際上質な服を着ていた。それに上着というか…とにかくその色は紫色、ここ異世界ではたしか一番染色するのが難しかったり材料が高価だったりでとにかく貴重であるとの事…。この人がいったいどういう立場かは分からないけどその社会的地位は相当高いものだろう。その老紳士が
「よ、横から口を挟んで申し訳ない。しかし、しかァしッ!!こ、これが猪の肉ですと?旨味と脂が強いのが特徴の猪の肉、熱を通し過ぎれば固くなってしまうはずです!そ、それがどうして…」
「あ、それは…」
老紳士の問いに僕が答えようとすると代わりに返答える声があった。
「たしかに…、だがこの肉は肩肉でもバラ肉でも…腿肉でもない…!いや、そもそも身の肉ではないのか…。身の肉ならば長く熱を通せばどうしても肉は固くなるはずッ…!!おのれっ、またしてもッ!またしてもこのザンユウの舌を試そうというのかッ!?」
キッ!!席から立ち上がりながらザンユウさんがこちらを睨む、そして再び立ったままの姿勢でカレーを口に運んだ。マナーも何もあったモンじゃない、だけど普段ならザンユウさんはマナーを守る人だ。きっと自分でも想像がつかない部位の肉に苛立ちと好奇心が勝ったのだろう。その間にもザンユウさんは口の中で肉の正体を突き止め用とさぐっていた。そしてカッと目を見開いた。
「固くならず柔らかさを維持すると共に…弾むような食感もある!…ッ、弾むような食感!?そうかこれはッ、これは弾むような部位…、腱やスジの部分ではないのかッ!?」
「は、はいっ!これは猪のスジ肉です!!」
「な、なんですとおっ!?そ、それはどういう肉なのです!?」
老紳士はスジ肉の事を知らなかったようで問いかけてきた。
「固くてそのままでは食べられぬ部位だ、それゆえ捨値とも言うべき安値で取引される。その為、猟師や狩猟士は毛皮や美味い部分の肉は売却し、自分たちはスジ肉を食べると言う…。だが、とても固いゆえ子供などは嫌うという。固いよ…不味いよ…とな」
「そうなんです」
料理長さんも近くに来て話し始めた。
「本来ならお目にかかる事もない素材だと思われます。特に皆様のような方々には…。ですがこちらのゲンタさんがこれを柔らかく、そして美味くする方法を与えてくれていたのです。そうなると我々料理人としては用いたくなる、そしてあの様々な香辛料と競いたくなる。確かに今回の料理、鳥の肉を用いた場合も美味いものでした」
そうだった…、当初料理長さんは鳥の肉を入念に処理してカレーを作ろうとしていた。香辛料もだけど脂っぽい肉を苦手とするエルフの皆さんにも食べてもらえるように…。だけどそれにはひとつ物足りなさが生まれた。
「しかし、鳥の肉の味がどうしても軽くなり過ぎるのです。この風味豊かな香辛料の風味にはあまりに釣り合わない、まるで腰砕けのように感じてしまいました。それゆえ他に何かないかと…、香辛料の風味に負ける事なくそれでいて脂も少なく煮込んでも固くならず柔らかさも両立できる肉…。その肉と調理法をゲンタさんが教えてくれた。それで最終的にスジ肉を選んだのです」
「…お見事です。はっはっはー!!」
肉の正体を知った老紳士はまるで水戸のご隠居さんみたいな見事な笑い声を上げた。料理長さんの説明は言葉にすれば一分やそこらで言える事だ。しかし、そこに至るまで神経を研ぎ澄まし努力をしていたのを僕は知っている。そして質問の声はまたひとつ上がった。
「そこまでは良い、そこまでは…。肉だけではない、野菜も吟味してよく調理されておる。味付けに香辛料と生乳の比率も申し分ない。だが、だがっ!!これはなんだ!生乳は皆が考えているよりも遥かに脂や風味が強く、肉ほどではないがエルフ族には苦手な者も稀にいる。それなのに…、それなのに…!!」
ウオオォォッ!!
ザンユウさんが獅子が吠えるかのように叫んだ。
「この生乳はなんだァァッ!?わずかにだが様々な風味が感じられる、これは強い陽光か…、そして強き風雨もものともしないしなやかさ、そして信じられぬのはこれが獣でも魔物でもない植物の風味がある事だ!!」
「え!!ええっ!?ミルクなのに植物ッ!?」
周りの人々が驚く。
「そんな摩訶不思議な材料を加えたのは…、この材料はなんだッ!?」
ザンユウさんがこちらを見た。
「は、はい。僕です。ココナッツミルクという材料です。南国の…一年中夏のような陽気の土地で取れる果実から得る素材です。それをスプーン一杯ほど…仕上げに使ってもらいました」
「な、なんと、果実…」
「木の実から得るミルクなのか…」
周りからの呟きが聞こえる。
「ふ、ふふふっ、ふわーはっはっはっ!!!」
ドッカリと席に座り直してザンユウさんが笑った。
「果実から得た生乳とはな…。これは一本取られた、相変わらず生意気な店主め…。だが今は…」
ザンユウさんは再び食事に手を伸ばし始めた。
「せっかくの料理だ。冷める前にいただくとしよう」
そして見事な作法で食事を再開する。そしてそんな中、僕に声をかけてきたのが…。
「もし…、お若い方」
先程の老紳士だった。
「はい。なんでしょうか?」
僕はその老紳士に応じた。とても優しい穏やかな笑みを浮かべた老紳士は言葉を続けた。
「もしや貴方はナタダ子爵邸の館で夜会の時におられた方ではありませんか?」




