第46話 これからのパン販売と命名(下) 『乙女のジャム』と禁則事項です
「そこで『エルフのジャムではない、新しいジャム』を使ったパンであるというのを広めてはどうでしょうか?」
シルフィさんの提案に僕は一旦考えてみる。なるほど、確かにそれを広められれば『これはエルフのジャムか?』と問われる事は無くなるだろう。
しかし、ただ単に『違う』と言っているだけでは、いちごジャムが『エルフのジャム』の代用品ぐらいにしか思われるかも知れない。その懸念をシルフィさんに伝えると、彼女もまた『その可能性はありますね』と応じた。
それならばどうしたら良いだろう。エルフのジャムとの違いを示し、かつ『代替品』みたいなイメージを払拭するような方法…。
「私は新しい言葉を作ってしまえば良いのだと思います」
「新しい言葉?」
シルフィさんの発言にそのまま鸚鵡返しで聞いてしまう。
「ええ、『エルフのジャム』のように、何々(なになに)のジャムというような呼び方をしてみてはどうでしょうか?」
そう言われて僕は手に持っているパンを見る。偶然というかジャムパン。このジャムパンを『エルフのジャム』みたいに何か枕詞を付けて売り出す…。確かにそれが広まり一般的になれば、一々(いちいち)聞かれる事もないし独自のブランドのような強みになるかも知れない。
その当のジャムパンだが、包装に使われていたビニールをポテトチップスの袋でいう所のパーティ開けにしてジャムパンの真ん中あたり…、ジャムが多くある所を千切って分けたのを光精霊サクヤが美味しそうに頬ばっている。水果の缶詰を昨夜喜んで食べていたから、いちごジャムもどうかなと思ったら嬉しそうに食べている。もしかしたら果物が好物なのかも知れない。
「なるほど…。例えば、サクヤが嬉しそうに食べているから精霊も喜んで食べる『精霊のジャム』パンみたいに…ですかね?うーん、でも『精霊の』だと少し仰々(ぎょうぎょう)しいかなあ…。マオンさんはどう思います?」
「うーん、そうだねえ…。儂もこの歳まで生きてきたが精霊を見たのは昨日が初めてだし、生涯一度も目にしない人がほとんどだよ」
マオンさんがそう言うなら『精霊のジャム』という命名はやはり合わないだろう。だとすれば、どうしたら良いだろうか。あまり関係ない名前を付けるのもおかしな話だし…。
「私は『とチおとメのジャム』パンではどうかと思います」
「『とちおとめ』のジャムパン…」
「はい。この『とチおとメ』はとても素晴らしいものです。唯一無二!これは私の知り得る…、いえ世界広しと言えどもこんな苺を知る者はいないでしょう。それは森と共にあり、草木を友とする我らエルフ族とて例外ではありません」
シルフィさんが熱く語る。クールな知的美人の彼女だが、性格は意外と熱い。その彼女がここまで推す栃木名産『とちおとめ』、確かにとても美味しい。しかし…。
「でも佐賀とか福岡とかにも有名な品種あるしなあ…」
「サガ?フクオカ?ゲンタさん、それは一体…?」
「え?ああ、地名です、僕の故郷の。そこにはそれぞれ他の品種の苺があって…」
「まさか…それらも素晴らしい苺であると…」
「え、ええ。詳しく説明は出来ませんが美味しいです」
「な、なんという…」
シルフィさんは言葉を失ってしまい、それ以上は言葉を続ける事が出来なくなってしまった。『とちおとめ』以外にも美味しい種類の苺があると知り驚きを隠せないようだ。
「自然と親しみ時に精霊の声を聞く、悠久なる時を生きる我らエルフが聞いた事すら無い植物を知る貴方は一体…?」
シルフィさんのその声は何とも形容しがたい複雑な思いがこもっているようだった。
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結局の所、このジャムの命名は『乙女のジャム』に決まった。『とちおとめ』の『おとめ』の部分を抜粋した訳だ。
理由としては、ジャムパンのジャムはいちごジャムを使っているけど品種は何を使うかは分からない。そこでとある品種だけを特定して固有名詞を冠したジャムと名乗るよりは、『エルフのジャム』の複数の果物を素材に煮詰めて作った複雑な味わいのある意味老成されたジャムに対し、いちごジャムのいちごのみを使った爽やかな酸味と甘味に着目した。
その甘酸っぱさが何ていうか…青春とでも言おうかフレッシュな感じがしたので、若さとか新鮮さみたいな物をイメージし『乙女のジャム』と名付ける事にした。
「良いんじゃないかい。このスッキリとした味わいには合ってるような気がするよ」
マオンさんも問題無いと言ってくれている。
ちなみに今、僕は商品説明の札を新しく作成中だ。
『おとめのじゃむぱん…はるかひがしのくにのおとめがつくったじゃむをつかったぱん(乙女のジャムパン…遥か東の乙女が作ったジャムを使ったパン)』
うーん、こんな感じかな。マス目の入った方眼紙タイプの紙に書く。これなら字も曲がらずに書いていけるし、画用紙くらいの厚さがあるので丈夫だ。これも百円ショップで買ったものだが中々便利だ。
「へぇ〜、ゲンタの旦那は字も上手いんだな」
僕の書いている値札を見ながらマニィさんが唸る。
「いえ、この紙に線が引いてあるので字が曲がらずに書けるんですよ」
「それにしても、この字が書かれている薄い物は…。それにこのペンといい…」
シルフィさんが僕の手元を興味深そうに見ていたその時、ギルドに立て続けに二人の人がやって来た。冒険者のような風体ではない。朝食の手を止めマニィさんとフェミさんが対応に向かう。
様子を見るに何らかの依頼をしに来たのであろう。
テーブルが僕とマオンさん、シルフィさん。そして、サクヤだけになる。そして、依頼人と思しき二人から十分に離れている事を確認すると声を潜めて話し始めた。
「ゲンタさん、この品はあまり表に出さない方が良いですよ」
油断なく辺りの気配を探りながら、シルフィさんが小声で話す。自然と小さな声を聞く為に僕もマオンさんもシルフィさんに顔を近づける事になる。そんな僕らの様子を真似するかのように視界の隅でサクヤも耳を近づけるような様子を見せている。
「この品物は明らかに私達の常識の範疇を越えています。本来、町中での暮らしに文字はそこまで必要ではありません。話し言葉だけで十分に事足ります」
形の良いシルフィさんの唇が紡ぐ言葉は謹んで聞くべき警告であろうと簡単に予想できるのだが、その美貌を間近で見ている僕にとっては甘美なささやき以外の何物でもない。密やかなときめきを胸に宿しながら僕はシルフィさんの言葉を聞いている。
「ただ知っていると便利なのは確かで、ここはそれなりに交易もあります。人族以外にも多数の行き来があり、商業も町の規模以上に盛んです。それ故に商店の看板をはじめとして目に付くように文字が書かれています」
確かに町中の看板には文字が書かれている事がある。古い看板だと絵が描かれていて、それから文字を書き足したような物も少なくない。もしかすると町として発展していく中で識字率が上がっていき、商取引を生業とする人だけでなく町中の人々も文字に親しくなる事が増えてきたのではないだろうか。
「このギルドでもあの掲示板に依頼を出しますが、薄い木の板に木炭で書きつけた物です。このように薄く軽い物に書くと言うのは…。おそらく、宮廷でも無いでしょう…。これをあなたが持っていると知られるのは必ずしも良い結果だけを残すとは思えません。場合によってはその身を狙われる事もあるかも知れません」
シルフィさんの声に重みが増していく。なるほど…、シルフィさんは僕が日本で手に入れてきた物を用心もなく出すなと言ってくれているのだ。命や身の安全に関わる重大な事を引き寄せるかも知れない、言わば禁忌であると。
その事を肝に銘じながらこれからの事を考えていく事にし用心と心に決めた僕であった。




