第45話 これからのパン販売と命名(上) これはエルフ(のジャム)ですか?
日本で仕入れてきたパンを冒険者ギルドで販売するにあたりお世話になった皆さんや、マオンさんにプレゼントする毛布を購入する際に知り合い値引きなどしてくれた雑貨屋のお爺さんを招待した夕食会は最後に小さなトラブルがあったものの無事に終了した。
帰り際にウォズマさん夫妻の一人娘アリスちゃんから『大人になったらゲンタさんのお嫁さんになるね』と言われた時には、一瞬どうなる事かと思ったが幼稚園ぐらいの年頃の頃にそんな事を言ってる女の子もいたよなとか思い出し平静を保つ事が出来た。
意外とアリスちゃんは『おませさん』なのかも知れない。一方でウォズマさんは多少のショックがあったようだ。いつも冷静沈着なウォズマさんがこうなるのはかなり珍しいと言うのはナジナさんの評。まあ、確かに父親としては愛娘が目の前でそんな事を言ったら動揺するのが一般的なのかも知れない。
また、この異世界では十五歳が成人とされる。日本の戦国時代なんかも十二、十三歳とかで元服していたんだから不思議じゃないのかも知れない。
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宴会終了後、竈の火を落としゴミ袋にゴミをどんどん入れて後片付けをする。基本的には料理と言う程の事はしておらず、ハンバーグを湯煎にかけるとか缶詰の桃を一口サイズに切るとかしかしてないから、もっぱら僕の作業は食品の入っていたパッケージなどをゴミ袋に入れていくだけの簡単な作業である。
ちなみに光精霊のサクヤには辺りを照らしてもらっている。本来であれば真っ暗な異世界の夜だけど、彼女がいてくれる事で手元足元がおぼつかない…なんて事はない。
マオンさんには敷き物にしていたブルーシートを片付けてもらう。またこんな風に宴会があるかもしれないから、納屋に置いてもらう事にした。
後片付けも終わり、マオンさんと納屋に入って二人座って少し休む事にした。時計を確認すると夜八時半、異世界は音も無く静かな夜である。サクヤも一緒にいて納屋の中は十分に明るい。
「ここで人をもてなす事が出来るなんてねえ…」
緑茶の入ったペットボトルをハンバーグを湯煎した際に使ったお湯の入った鍋に入れて温めたものを紙コップに注ぎ、僕たちはそれを飲みながらしばし談笑する。
火事で家を失いこれからの生活もどうなるか分からなかったマオンさんにとって、自分の食べるに事欠く事は有るとしても場所を提供しただけとはいえ他の人に食べる物を出して饗応なせるなど思いもしなかったという。
「ゲンタは凄いねえ…、この町に来たばかりだと言うのに」
「僕はたまたま持ち合わせていただけで…。実際にこうやって冒険者ギルドで販売出来たり、色々な人と知り合いになれたのもマオンさんと第一歩を踏み出せたからです」
しばし話した後、僕はマオンさんに挨拶し日本に戻る事にした。サクヤにはマオンさんについていてもらう事にした。大丈夫だとは思うが、火事や泥棒は怖い。用心はした方が良い。
「じゃあマオンさん、また明日の朝に」
そう言って僕は異世界から日本へと戻る事にした。
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学生街であるからだろうか、百円ショップも夜十時まで営業している。普通の百円ショップなら夜七時か八時くらいが閉店時間の印象があるが、結構遅くまで店が開いている。
まずは先割れスプーンをあるだけ買う。今朝のパンの販売でまだ軍資金は二万円はある。何か他にも役立ちそうな物を数点ずつ購入しておく。
時間も十時過ぎになったので、駅前スーパー回りを開始する。半額パン、物によっては二割引き三割引きくらいでも購入する。今日は94個のパンが売れた、初日でこれくらい売れたのだから明日はもっと増える気がした。例えば、今日は買う気は無かったが、今日食べた人から噂を聞いて食べてみようかと考える人が出てくるんじゃないかというのが僕の印象である。だから、昨日よりも強気に買っていく。
原付があるので部屋とスーパーを往復するのもそこまで苦ではない。やはりスーバーカプは偉大である。僕が今住んでいる所の最寄り駅周辺をさらっていけるし、さらに隣の駅のあたりにも行ける。一部報道では、小中学校の登校を見合わせる為に給食が無くなり、児童生徒の昼食が家での食事になるともあった。
そうなれば、手軽に食べられるインスタント食品や袋麺、パンなんかも購入が難しくなるかも知れない。皆が買えば売れ残る可能性も減るし、売り切れして購入出来なくなるかも知れない。そうなる事も考えれば、仕入れ先は多いに越した事はない。近隣の駅付近のスーパーとかも場所や営業時間を調べておこう。幸い交通手段となる原付はあるのだから。
あと、食パンも買っておく事にした。ジャムパンをはじめとして菓子パンが入手しにくくなったらジャムやマーマレード、ピーナッツバターを塗って販売したり、あるいは何かハンバーグとかを合わせて売っても良いかも知れない。不測の事態に備え準備だけはしておこう。
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「ゲンタさん、少しよろしいですか?」
二日目のパンも無事に完売し、販売スペースの片付けや売り上げ金の集計を終え受付カウンターで今日の販売スペースの利用料金白銅貨10枚(日本円にして千円相当)を支払っていた時、シルフィさんから声をかけられた。
「はい。どうしました?」
「ゲンタさんのパンの販売を見ていて気付いた事がありまして」
なんだろう?売ってはいけない物とか、控えた方が良い物とかあったのかな?僕が売っているのはパンだから、食べ物の事…、例えば食材についてとか…。地球でも宗教によっては牛肉や豚肉を食べてはいけないとか、菜食主義者の方もいる。
なんたってここは異世界だ。地域や宗教、人間以外の種族の方もいる。色々な違いだってある筈だ。もしかしたら、僕が普通にやっている事が、ある人から見れば耐えられない禁忌である事も考えられる。
「なんでしょう?是非、教えて下さい」
僕は素直に聞いてみる。異世界に来てまだ三日目、まだまだ僕はこの世界の初心者だ。習慣や常識など、まだまだ疎い。学べる時に学んでおきたい。
「ジャムの事です、『トちオトめ』のジャムを使ったパンについてなんですが」
シルフィさんがジャムパンについて何か気付いた事があるようだ。日本語の固有名詞である『とちおとめ』の発音については、相変わらず発音が片言になっている。異文化どころか異世界コミュニケーション、それができているのだからその時点で凄い事なのだろうけれど。
「ジャムパンに…」
「そちらのテーブルで朝食を摂られますか?もし良ければご一緒しながらでも…」
「分かりました。よろしくお願いします」
そう言って、僕らはテーブルの準備を始めたのだった。
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「ゲンタさん、パンを販売している時…、ジャムパンについて『これはエルフのジャムか?』と聞かれる事が何回かありましたね」
僕とマオンさん、受付嬢の三人とテーブルを囲みながら朝食を摂る。冒険者ギルドの忙しい時間帯は、夜明け頃から早朝にかけてと日没前。
早い時間帯は依頼を受ける冒険者が集中するからである。冒険者と言えども常に戦闘をしている訳ではない。依頼には様々な物があり、中には達成出来れば偉業となるような一躍英雄の仲間入り、『富も名誉も思いのまま』みたいな複数の犠牲者が出るような物もあるという。しかし、そんな依頼はごく一部。
日本人で例えればなんだろうか…。例えば野球選手をしていて、アメリカに渡り大活躍、五年総額120億円の契約を勝ち取りさらには野球殿堂入りを果たす…みたいな感じだろうか。
そんな選手がいったい何人いるだろう。何年かに一人、あるいは十年二十年に一人の逸材と言われるような選手、そんな人が致命的な故障をせず調子を維持し日本よりも試合数も多く、移動距離が長い、さらには異国という不慣れな場所で試合以外にも練習や生活、人間関係を上手くやりながら戦うのだ。その苦労と単純に比べるのは不適当かも知れないが、僕に思い付いたのが野球選手の事だった。
話は逸れたが冒険者ギルドには様々な依頼があり、それらを掲示板に張り出し個々の依頼を冒険者が受領けていく。異世界で様々な活動をするにあたり明るい時間は限られている。ゆえに冒険者に限らず大多数の職業の人が朝早くから働く。早い時間から始めれば活動時間はそれだけ伸びる。
「だから、ギルド開けてすぐの時間は結構さあ…、殺伐としてたんだぜ」
朝食を囲みながらマニィさんが言う。彼女はあんパンが大のお気に入りだ。フェミさんはジャムパンが、シルフィさんは今日たまたま手に取ったうぐいすあんパンが思いの他ヒットしたらしい。エルフのシルフィさんは肉も食べるが、どちらかと言えば野菜や果物のような物が好みらしい。
「そうですよぅ。順番待ちの間に機嫌が悪くなって、並んでる冒険者同士でケンカになったりする事もあるんです」
フェミさんがため息混じりにマニィさんの言葉の後を継ぐ。受付嬢あるあるみたいな出来事のようだが、なかなかに厄介事のようだ。そして、冒険者の依頼受付を終えて朝食、その後に受領された依頼の事務処理をしていくのだという。
そして日没前、僕の感覚で言えば午後三時から四時くらいに冒険者の帰還ラッシュが来る。依頼の完了報告とか報酬の支払い等が行われ冒険者達は町へと消えていく。彼らは飲むなり食うなりして過ごすだろうが、その頃の受付嬢達は一日の締めくくり作業の真っ最中だ。早く終えて明日に備えて休む、そんな毎日だと言う。
「ところで…、ジャムパンの件なんですが…」
シルフィさんに尋ねる。シルフィさんの気付いた事を教えてもらおう。
「ゲンタさんはジャムについて時々聞かれていましたね。『これはエルフのジャムか?』と」
「はい、確かに何人かの人に聞かれました。違うと返答えると落胆する人も多かったですね」
確かに結構聞かれた。
ジャムと言ったらエルフのジャム、森の民とも称されるエルフ族が果実を集めて作った秘伝のジャム。小さな入れ物に入った量のものでさえ購入するには金貨(一枚十万円相当)が必要になる事も珍しくないという。
そんな訳で『エルフのジャムではない』と知るとあからさまに落胆している人もいる。『偽物だ』と騒ぎ立てるような事はないが、世の中には良くも悪くも色々な人がいる。今日はそういう事が無くても、今後起こる可能性は十分ある。
「そこで、『エルフのジャムではない、新しいジャム』を使ったパンというのを広めてはどうでしょうか?」
シルフィさんの提案であった。




