第293話 母と子と(前編)。〜僕なりの返答(こたえ)〜
ゴクキョウさんは本気だ…。本気で僕を採用りにきてる。
石木のテーブルに大きな革袋が五つ。合計せて銀貨一万枚。日本円で一億円に相当する…。
ゴクキョウさんが理想とする宿屋に近づく為に僕が必要なのだと言う。そしてその為にこの大金を用意した、どんなら言葉より態度より商人の誠意だと言って。
「引け目を感じる事はおまへん。この金はあんさんへの投資や。もし商都に来てもろたら仰山稼いでもろたら良えんや、それで取り返せる!」
ゴクキョウさんの目にはいささかの揺らぎも無い、自信そのものがその目に宿っているように思えた。
「それにな…、もし失敗しても…。ほしたらワイの目が節穴やった言う事や。散々目利きや言うといてあんさん一人の実力を量れんかった言うだけや」
ぐぐっとゴクキョウさんの目元に力がこもった、まるで僕の心の奥底まで覗き込んでくるような鋭い視線だった。まるで僕を値踏みするような…、いや僕そのものを見透かすような底知れぬ眼力…。
かさ…。
僕の左胸のあたりに不意に何かが触れる感触、シャツの左胸ポケットによく入っているカグヤが体でも動かしたのだろうか、自分以外のものが触れる感触に少し冷静になれた気がする。
「ふむ…」
ゴクキョウさんが息をつく、力を抜いたようだ。
「よう考えたらこないな大事な話、すぐに結論求めるモンやないな。エルフのワイとした事が、ついつい急いてしもうたようや…」
ゴクキョウさんは表情を崩し、スキンヘッドの頭を撫でながら『すまんの』と言っている。
「ゲンタはん。しばらく考えて返事をもらえるやろか?ワイ、しばらくこの町におるさかい」
こうして僕は数日の猶予を得た、大きな一つの決断をするまでの…。
□
三日後の夕方…。
僕はゴクキョウさんを再びマオンさん宅に招いた。先日の返答をする為である。石木のテーブルにゴクキョウさんを案内し座ってもらった。主人を運んで役目を果たした馬車が道の端に停車まっている。
「ゲンタはん、お招きおおきに。…して、あんさんの肚は決まったんかいの?」
少し離れたところにマオンさんがいるが、テーブルには僕とゴクキョウさんの二人だけ。いわゆる一対一のサシでの対面である。
「はい。しかし、僕はまだ若輩の身…。こういった時にどう述べていけば良いか皆目見当がつきません。こういう事となれば特に…。そこでこんなものを用意しました、僕なりの返答として」
そう言って僕は片手持ちの雪平鍋を取り出した。五徳に付随させ卓上に置いて使えるようにした一豊石の上に鍋をそっと置いた、蓋の下からは漏れ出る湯気と共にくつくつと音を立てる。
「これは…、鍋…かいな?珍しい形やが….美しいで…」
眼鏡に右手を添えてやや前のめり、さすがにゴクキョウさんは商人だ。見慣れない鍋に興味を示している。そして僕は徐に蓋を開けた。
「こら丸鳥の肉かいな?亜麻色の汁で柔らかそうに炊いて…。良え香りや…、海のモンも何か入っとるな…。煮物っちゅう事かいの?」
「はい。煮て作る料理ですが、これからが仕上げです」
そう言って僕は鍋の中に溶き卵を回しかけた、ふんわりと仕上がるように。そして蓋をする、鍋の中で蒸すように…。
「な、な、なんやてえっ!?た、卵かけるんかいなっ!!」
待つ事しばし…。卵の固まりきらない半熟な部分がトロリと流れるくらいで小鉢に少し盛り付けて三つ葉を添えた。丁寧にゴクキョウさんの前に配膳する。
「僕の故郷の料理です。どうぞお召し上がり下さい」




