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74話 公開惚気

 結局妹さんとの対面は美園の部屋ではなくリビングでという事になった。

 美園の実家のリビングは、ダイニングキッチンと仕切り無く繋がっており、想像以上の広さ――多分僕の実家の1階部分が丸々入る――で、ソファーとテーブルは10人以上が余裕で座れる程の数があった。


 リビングを照らすメインの照明器具はシャンデリアを模したような形をしており、テレビはホームシアターかと思うレベルに大きい、大きさだけならベッドに出来る。庭に面した大きな窓の近くにはピアノまで置いてある。調度品に関しては絶対に近付きたくない。


「牧村智貴です。お姉さんとお付き合いをさせてもらっています」

「お姉ちゃんの妹の乃々香です」


 自己紹介の後、互いにぎこちなく頭を下げる。

 向うがぎこちないのは仕方ない事だと思う。中学3年生だという彼女は、中高一貫の女子校――美園の母校――に通っていると言う。年上の男と接触する機会などほぼ無いであろうし、5歳年上でしかも姉の恋人という僕への接し方が難しいのはわかる。


 対して僕の方だが、先程の一件を抜きにしても、情けない話こちらも接し方がわからない。僕のような人間が一番接しづらいのが、年下だ。距離感の分かりやすい目上の人は一番接しやすい。大学の後輩という風に、お互いの立場がはっきりしていればまだ話しやすいが、彼女の妹にはどう接していいか冗談抜きで全くわからない。


「あの。今回はすみませんでした」

「え。何が?」

「私が余計な事言っちゃったばっかりに、無理に来てもらう事になっちゃったんで」

「ああ、それか。いやむしろありがとうと言いたい」


 謝ってくれる乃々香さんだが、そのおかげでキスまで出来たのだから感謝しなければならない。


「え?」

「あ、いや。とにかく僕は全然気にしてないので、大丈夫」

「そうだよー。乃々香のおかげだもんね。美園、牧村君?」


 花波さんが助け舟を出しつつ僕を海の底へと沈めに来た。


「本当?お姉ちゃん」

「う、うん。本当だよ。乃々香のおかげで、ね」


 動揺しつつも流石はお姉ちゃんというところか、美園が優しく笑って頭を撫でてあげると、乃々香さんはほっとしたような笑顔を見せた。

 外見だけでなく内面も、少し幼い美園と言った感じで可愛らしい。


 対して顔以外は美園とあまり似ていない花波さんは、「私のおかげで上手くまとまった」と言いたげな顔をしている。ご両親がまだ来ていない為、この場を上手く取り持とうとしてくれているのかもしれない。


「何はともあれ花波さんと乃々香さんのおかげで色々上手くいってます。ありがとうございます」

「んー。どういう事?」

「こっちの話なので、感謝だけ受け取っておいてください」

「まあそう言う事なら貰えるだけ貰っとくよ」


 花波さんは「いつか物でちょうだい」と付け加えてニヤリと笑った。


「あの、牧村さん。私の事は乃々香でいいです」


 おずおずとそう言う様も美園によく似ている。とは言え接し方まで同じにする訳にはいかない。


「ちょっとハードル高いからまた今度で」

「えー」


 正直なところを告白すると、乃々香さんは不満顔だし花波さんはケラケラと笑っている。


「牧村さん、カッコいいですけどお姉ちゃんから聞いてた感じとはだいぶ違いますね」

「君のお姉さんは世界で一番僕の事過大評価してるからね」

「そんな事はありません。世界で一番牧村先輩の事をしっかり見ているのが私です」


 カッコいいと言われて照れ隠しを口にしたら、もっと恥ずかしい事を言われてしまった。花波さんはニヤニヤしているし、乃々香さんは少し顔を赤くして目を逸らした。まさか姉が自分の前でストレートに惚気るとは思っていなかっただろう。

 当の美園は先程のショックで羞恥心メーターが壊れてしまっているのか、姉妹の反応を見てなお堂々としている。ご両親が来る前に何とか直しておきたい。


「じゃあ乃々香、お父さん達来る前に聞きづらい事聞いとこうか」

「そうだね」


 いたずら心満開の花波さんの笑みに、似たような笑いを返す乃々香さん。美園とよく似ているという認識は改めなければならない。この子は二人の妹だ。

「馴れ初めは?」「初デートの場所は?」「告白のセリフは?」「相手のどこが好きか?」などという質問を、美園と二人で答えていく。僕が多少誤魔化しながら答えているのに対して、美園はバカ正直に答えているので姉妹の反応もいい。


「じゃあ、キスはもうしましたか?」


 乃々香さんが少し恥ずかしそうにした質問は非常にタイムリー。


「キス…………」

「あっ」


 自分の唇に触れ、頭から湯気が出そうになっている美園の羞恥心メーターはどうやら正常に戻ったらしい。代わりにだが、乃々香さんも何やら察したらしい。

 その後しばらくは恋人の姉と妹に、ニヤニヤとした視線を送られるハメになった。



「それでは改めて。牧村君、よく来てくれた、ありがとう」

「いえ、こちらこそ。お招き頂きありがとうございます」


 美園の顔色が戻ってすぐ、ご両親がリビングへと現れた。お母さんは普通の――それでも高そうだが――服に着替えてくれている。

 六人でソファーに――僕と美園が隣り合って、向かいにご両親、お誕生日席の位置に姉妹の二人――座りつつ、お母さんと美園が用意してくれたお茶と僕の土産の大福を楽しんでいるが、花波さんの宣言通りに乃々香さんの分だけ大福が二つになっている。


 お母さんは「どうして乃々香の分だけ二つなのかしら」と首を傾げていたが、花波さんが「妹とその彼氏の名誉を守る為」と返すと、「それなら仕方無いわね」と笑っていた。喋り方といい天然お嬢様系主婦である。

 因みに大福は、お世辞かもしれないが好評でとりあえず安心した。


「それで牧村君。大学での娘はどんな様子かな? あまり話をしてくれなくてね」


 お父さんは一瞬だけちらりと美園に視線をやった後、穏やかに笑いながら答えやすい質問をしてくれた。


「そうですね。僕は学年も学部も違うので、大学では文化祭実行委員での美園さんしか知りませんが、それで良ければ」

「大学以外の美園さんはよく知ってるみたいな言い方だね」


 余計な茶々にお父さんの肩がピクリと動いた。唇までしか知りません。美園も恥ずかしそうにこっちをちらちらと見ないでくれ。可愛いけど。


「ええと。実行委員の彼女ですが、まだ1年生の前期でしたのでメインになる活躍はありませんが、非常に真面目で頑張り屋です。みんなに愛される優しい子だと思います。これから文化祭本番に向けて仕事も増えてきますが、美園さんなら自分の仕事はもちろんですが、きっと周囲を支えて良い環境をもたらしてくれると信じています」

「そ、そうか。ありがとう」


 やはり娘を褒められるのは嬉しいのか、お父さんは少し気恥ずかしそうに笑っている。お母さんは「うふふ」とでも言いそうな笑みを浮かべ、姉と妹はお父さんと似たような表情で視線を逸らしている。美園はと思い視線を横にずらすと、何故か俯いていた。


「一人暮らしの方はどうかしら? 花波は家から大学へ通っているから、親としても子どもの一人暮らしは初めてで、少し心配しているの」


 とてもそうは見えない柔和な笑顔でお母さんは尋ねるが、実際にはかなり心配しているのだろう事が伝わる。


「美園さんはお料理も上手、いえ、とても上手ですし、部屋も整理整頓が良く行き届いていて、いつ伺っても塵一つ無い程綺麗です。後期や進級後は授業や課題も増えるかもしれませんが、美園さんならば両立に不安は無いと思います」

「いつ伺っても、ね」

「あ」


 花波さんの苦笑しながらの呟きで、自分の失言に気付いた。ご両親は付き合って以降僕が美園の部屋に入り浸っているように受け取るかもしれない。実は付き合う前から割と入り浸っていたが、僕の家にも呼んでいるので、寄生彼氏な訳ではない。

 お父さんは何も言わないが、湯呑の中が空になっている。他の人はまだ半分以上残っている。


「それなら安心したわ。家事はここでもよく手伝ってくれていたから、腕前についてはあまり心配していなかったのだけど、全部一人で出来るかしらという部分が心配だったの」

「じゃあ美園さんの料理の腕はお母さん仕込みという事ですか?」


 話題を流したくて、安心したような様子を見せたお母さんに話を振る。


「ええ。一般的なお料理に関してはもう私より上手なんじゃないかしら」


 美園の料理の腕に関しては相当なものだと思っていたが、お母さんのお墨付きらしい。しかし、一般的じゃないお料理って何でしょう。


「やっぱり凄いんだな」


 横を向いてそう言うと、美園は「私なんてまだまだです」と謙遜して見せたが、美園に遠く及ばないであろう僕の母親が可哀想になるのでもっと自慢してもいいと思う。


「でも、牧村先輩の好みは覚えましたので、これからはもっと美味しい物が作れます」


 少し誇らしげに言う美園は、料理の腕よりも僕の好みを覚えた方を、自己評価において上にしているらしい。嬉しくてニヤケそうになる顔に力を入れざるを得ない。


「そう言えば、牧村君の下の名前はトモタカ、君で良かったかしら」

「はい。知るに日と書く智に、貴重の貴で智貴です」


 お母さんが唐突にそう聞くので、自己紹介では音だけしかわからないなと思い、ついでに漢字も伝えた。トモキトモキと誤読され続けてきた名前だ、音だけ聞いても絶対に智貴の字は出てこない事はわかっている。


「美園は下の名前で呼ばないのね」


 それは、キスまでしておいてなお、僕が美園に聞けなかった事だった。

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