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21話 口を衝いた言葉と嘘の吐けない後輩

 6月最初の木曜、この日から文化祭関連の告知が本格的に開始される。

 大学構内における看板とポスターの掲示、先んじて1日から掲載された実行委員のHPでの告知が主な手段だ。

 内容については、文化祭の日程そのものの告知と、9月1日から参加申し込みを受け付ける旨の告知がメインになる。


 授業の無い木曜の午後を利用し、文化祭実行委員がポスター貼りと、5月の実務で作成した看板――小型の木製看板と紙看板――を設置していく事になっている。

 因みに僕は13時からバイトが入っていた為参加できなかった。



 時刻は16時30分。来店した五人の内一人はよく知った顔、二人は名前を知っている、もう二人は顔を見た事がある。全員が文実の後輩の女の子たちだ。

 よく知った一人、美園は店の入り口から少し離れた位置にいた僕に気付いて申し訳なさそうな顔で軽く頭を下げた。今日の作業後に寄ってくれたのだろう、サークルに行ったのか志保はいなかった。


 軽く笑って「気にするな」という意味を込めて、顔の前で小さく手を振る。それを見た美園がホッとしたように笑ってくれて、伝わって良かったとこちらも安心した。

 バイトの同僚が美園たちを六人掛けのテーブルに案内し、メニューを渡したところまで見て、僕は自分の仕事に戻った。


「牧村。すげー可愛い子来たぞ」


 案内した同僚が僕とすれ違う際に、美園たちの方を目線で示しながらハイテンションでそんな事を言ってきた。「知ってる」と言いたいのを抑えて「そうだね」とだけ答えた。

 同僚はどうにかして美園たちの注文を取りに行きたかったらしく、五人組のテーブルの比較的近くをウロウロしていたが、丁度リーダーが手伝いを探していたので「あいつ手が空いてるっぽいですよ」と声を掛けておいた。

 件のテーブルの呼び出しボタンが押されたのはそれから少ししてだが、無事女性スタッフが注文を取りに行った。


 夕食には早いので軽食とデザート類ではあるが、五人分の注文となるとそれなりの量がある。僕は美園たちのテーブルへの料理運びを手伝っていた。


「ご注文は以上でよろしいでしょうか」


 美園は露骨に僕から目を逸らしてそわそわしている。嘘のつけない性格だという事がよくわかって微笑ましいが、隠してくれるつもりなら逆効果だ。僕としては別に隠している訳では無いので――そもそも隠したかったら大学の近くで働かない――バレたところで構わないのだが。


「あの。会った事ありませんか?」


 名前を知っている二人の内の片方が、僕の顔をマジマジと見ながらそう言った。


「逆ナン?」

「違うって。文実の先輩だよ。ほら、2ステのマッキーさん」

「え? う~ん、言われてみればそんな気もするかなあ」


 文実への出席率を考えても週に一度は顔を合わせている。多少髪型を変えたところで近くで見ればわかってもおかしくはないし、むしろ1年生にちゃんと覚えてもらっていた事に少し安心した。


「ああ。2年の牧村だよ」

「ほらやっぱり」

「雰囲気全然違いますねー」


 名前を知っていた二人は出展企画の後輩、もう二人は他部なので顔くらいしか知らないが、それは向こうも同じようで、僕が名乗った後も「誰だっけ?」というような表情をしている。


「髪型普段からそうしないんですか?」

「絶対こっちの方がいいですよ。普段はなんか地味ですし」


 ほっとけ。


「考えとくよ。ありがとう」


 長く話していると気圧されそうなので、それだけ言ってテーブルを離れた。

 実際に僕としても、美園と志保が初めてここに来た日に褒められて以降は、髪型変えようかなと何度か思った。ただ結局機会を逸し続けているのが現状だ。

 一人称の「僕」もそうだが、変えようと思った事はあっても変えるタイミングがわからずに結局そのままだ。そんな間に「僕」は僕に定着してしまったので、もう変える気は無いが、髪型の方はいつか変えたいと思っている。

 いつか機会があれば、結局そう言い続けて変えられないのが僕なのだろうとも思うが。



 今日のバイトは19時まで。打刻をして着替えてからスマホを見ると、1件のメッセージが来ていた。


『一緒に帰りませんか? お仕事が終わったら連絡ください』


 ペンギンがスマホを持っているスタンプと一緒に送られてきた文面に、了承の旨を返して急いで店を出る。

 メッセージが来たのは17時頃だ。忙しくなり始めた頃だったので正確には覚えていないが、美園たちは18時30分頃には店内で見かけなくなっていたはずだ。

 裏口から出て正面まで走ると、予想通り美園は店の外で待っていた。


「牧村先輩」

「ごめん。大分待たせたよな?」

「私が勝手に待っていただけなので、気にしないでください。むしろ牧村先輩に気を遣わせてしまって、すみません」

「僕はバイト終わって普通に出てきただけだから全然構わないよ。それより中で待っててくれればよかったのに」


 店の目の前なので明るくはあるが、日の入り過ぎの屋外に女の子が一人でいるのは安全だとは言えない、特に美園はとても可愛いのだから尚更心配になる。


「みんなも帰るって事でしたし、お店も混んできていましたから。それにお仕事終わりが9時くらいかなって思っていたので、あんまり長い間お店の中で待つのも悪いかなって」

「最悪あと2時間もここで待つ気だったのか? 声かけてくれれば良かったのに」


 事も無げにそう言う美園に、今日のバイトが19時までで本当に良かったと心から思う。


「今日は突然お邪魔してしまいましたし、お仕事中に話しかけるのもご迷惑かなと思って」


 申し訳なさそうにそう言われて思い出すのは焼肉の時。いつでも話しかけていいと言った「いつでも」からバイト中は除外した気がする。


「いつでも話していいって言っただろ? バイト中とか色々除外したけど、本当に『いつでも』いいよ。応じられない時もあるだろうけど授業中でもバイト中でも。本当に必要な事なら深夜でも早朝でもいいし」

「でもご迷惑じゃ――」

「そんなこと無いって。今日だって別に来られても何も困ってないよ」

 

 こうやって相手を気遣えるのはこの子の美徳だ。ただ、そうやってばかりでは疲れてしまうのではないか思う。僕にくらいは気を遣わなくてもいいだろう。


「それに、お客さんに来るなって言ったら店長に怒られるだろ?」


 冗談めかしてそう言うと、美園は目をぱちくりとさせた後に「そうですね」と言って笑った。


「じゃあ行こうか」

「はい」


 美園を促して歩き出し、先程考えた事を伝えようと思ったが、何と言えば上手く伝わるものかと迷ってしまう。言われてそれが出来るなら、僕は20年近く消極的に生きてきていない。


「美園。あんまり僕に気を遣わなくていいから。なんて言うか、こう、僕に迷惑じゃないかとか、そう言うのは気にしなくていい」


 結局言えたのはそんなありきたりな言い方でだ。案の定、美園は少し困惑したような表情で僕を見ている。そういう顔をさせたくなくて言った言葉だと言うのに。


「笑ってる方が可愛い」


 思わず口を衝いた言葉に自分でも驚いた。困惑していた美園は、顔を赤くして何かを言おうと口をぱくぱくとさせたが、結局黙って俯いてしまった。


「あー。その、話が飛んだけど、これから少なくとも文化祭まで一緒にやっていく訳だしさ。気を遣ってばかりじゃ疲れると思うんだ――」

「少なくとも、ですか」

「え?」


 俯いたまま呟いた美園に、聞き返してみるも反応は無い。様子を窺っていると、美園は顔を上げた。


「交換条件です」


 ぴっと人差し指を立て、美園は笑った。


「牧村先輩も私に気を遣わないでください。長いお付き合いになるかもしれませんし、お互いにという事で。どうでしょうか?」

「僕はそんなに気を遣ってないと思うんだけど」

「無自覚だったらちょっと心配になります。他の子にも――いえ」


 美園は一瞬不満げな顔を見せたが、すぐに笑顔に戻って控えめに小指を差し出して来た。


「またこれ?」

「大事な約束ですから」

「了解」


 苦笑しつつ僕も小指を差し出す。2回目だけどやっぱり少し恥ずかしい。美園も多少はそう思っているというのが表情からわかる。

 お互いに気を遣わないと約束したからといって、美園はまだ僕に気を遣ってくれるだろう。でも今は、小さな一歩を踏み出した事で満足だった。

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