第九十二話・緒戦と続報と(地図有)
伊賀村井家、兵二千。もう一千集められると思っていたが、百地丹波が率いる南部伊賀衆が柏原城に籠り、甲賀郡の早々の離脱があったことで一千減った。しかし、予想の範疇ではある。
嘉兵衛以外の全ての幹部連中と、ほぼ全軍を率いて南下を開始した。目的地の方角は南西であるが、城を出てまず向かったのは東だった。日が落ちて、何も見えなくなった山道を伊賀忍の先導に従って進む。一刻ごとに小休止を取らせ、簡単な糧食を全員に食わせた。このまま眠ることなく戦闘まで行う予定だ。可能な限り疲労は少なくしたい。
行軍中は皆無言だった。深い山中の移動は馬では却って遅くなるため俺も含めて全員が徒歩だ。敵に発見されないことが勝つ為の全て。故にかがり火もない。山中や足場の弱い場所での戦闘であれば織田家中で俺達より経験を積んだものはいない。夜明けの奇襲であれば倍や三倍の敵であっても勝てる筈だ。
出せる兵はほぼ全軍引き連れて来た。甲賀郡を除き、伊賀国人達が織田家に反旗を翻す様子は見えない。南さえ押さえておけば、大軍が突如丸山城を落とすなどということはあり得ないはずだ。そう分かっていながらも、留守にしてきた丸山城の事が気になった。
「殿、何かお考えですか?」
並んで行軍している古左に聞かれた。暗闇の行軍故、何も見えていない筈なのだが、息遣いのせいか、それとも星の光で僅かに俺の表情が見えたのか。
「大事ない」
短く答え、歩を進めた。途中何度も五右衛門から急ぎ過ぎと注意を受けた。速く進んでも早く敵を倒せるわけではない。それどころか無理に行軍させれば味方を弱らせてしまう。分かっているのにどうしても焦ってしまった。
「東の空が白んできたな」
「間もなく到着にございます」
五右衛門がそう言ってからほんの僅かの後、向かって正面に柏原城を見つけた瞬間は、まるで手品を見せられているかのようだった。どこを歩いているのかなどずっと分かっていなかった。計ったように、いや勿論計っていたのだろうが、それにしてもぴったりと目の前が柏原城だ。
「相手方も、ご到着のようですな」
珍しく少々興奮した様子の五右衛門が言う。柏原城の周囲には、約五千の敵兵が犇めいていた。
大和の南部から伊賀の南部へと攻め寄せるには、大和南部の桜井と呼ばれる辺りから山間を進み北東へ通る道が最も行軍に適している。山間ではあるものの道幅が十分にあり、数千の軍が通ることが可能だ。又馬が進めないような起伏がある道でもない。宇陀川に沿い、更に北東へと進めば、やがて伊賀の最南端へと到達する。そしてそこから半里にも満たぬ距離に百地丹波の居城柏原城がある。
かつて大和の地の利は古墳を利用することだと弾正少弼殿が仰ったのと同様に、琴平山の古墳を利用して建てられた居城は、伊賀国の中で第三位程度の実力であった者が持つには不自然だと思える程堅城である。だがさしもの堅城も、先手衆だけで五千、六倍を超す兵に攻め寄せられれば落城は必至。
敵の姿は見えた。こちらに気が付いた様子はない。柏原城の東から南にある山間にて身を隠している俺達は、遠巻きに城を囲む笹竜胆の家紋に狙いを定めた。笹竜胆の家紋は即ち北畠家だ。先々代当主北畠具教の息子具房は俺が殺した。さぞかし恨みに思っているだろう。この男が生きている限り伊勢の真なる安定はあり得ない。こちらとしても是が非でも首を取っておきたい相手だ。
「兵を分ける。後は手筈通りにだ」
奇襲にて機先を制し、そして直ちに撤退する。その為には相手に気取られてはならない。俺は予め決めておいた通りに動けと全軍に伝え、最小限の動きで部隊配置を進めた。
“本当に、気が付かれていないのか?”
軍を動かし、いよいよ戦いだという頃合いになって、強烈な不安が身を包んだ。
“既に伊賀忍が裏切っており、上手く釣り出されたという可能性はないのか?”
自分の思考に、自分で怯えて唾を飲む。これまで、名目上の大将として据えられたことはある。実際に指揮官として戦ったこともある。だが思えば名実ともに戦場大将として指揮を執るのはこれが初めてだ。
“大軍の機先を制するための迎撃はすでに宇佐山で行った事だぞ。読まれているとは思わないのか?”
不安の種は尽きず、考えることを止めようとしても次々に湧いて出て来た。
“大軍相手の奇襲など父上がとうの昔にやっておられたではないか。その父に敗れた者達がそれを警戒していないと思うのか?”
音もなく、兵が動いている。蔵人が率いる前田勢は既に配置を終えた。最も遠くに布陣する弥介の部隊も間もなくだろう。
“空を見てみろ、桶狭間では天が味方し、雹交じりの雨が降った。今日は快晴だ”
「煩い!」
自分の不安に負けて、思わず声を出してしまった。傍で控えていた五右衛門が俺のことを驚いた視線で見つめる。布陣はまだ終わらぬかと、何事もなかったかのように問うた。
「たった今、大木様より準備が万端整ったとの報が」
言われ、分かったと答えた。やれ。と一言指示を出す。五右衛門が頷き、手を口に当てて鳥の鳴き声のような声を出した。その声が山間に響き、やがて遠くでも聞こえ、そして、
「始まったか」
歓声が聞こえて来た。朝日はまだ完全に山すそから顔を出してはおらず、早暁よりも僅かに早い刻限。柏原城の北側で、蔵人・慶次郎・助右ヱ門が指揮を執る兵九百が攻撃を仕掛けた。揺れる敵陣。笹竜胆の旗が動き、その内の何本かが倒れる様子が見えた。反撃らしい反撃はされていない。一方的に押し込んでいる様子だ。勝っている。
やがて、北側から攻め寄せる前田勢が城の西側にまで到達し、城内からも伊賀衆が打って出た。僅かに抵抗の姿勢を見せようとしていた敵本陣が崩れ潰走。柏原城の南方にある森へと逃げようとした。その森に北畠軍が逃げ込もうという丁度その時、景連が率いる三百が村井の旗を立て、気勢を発しながら逃げてくる敵を迎え撃った。
城方も含めた三部隊は、それぞれの方向から攻撃を加え、宇陀川の流れる方向、北東から南西へと押し出してゆく。体勢を立て直す暇を与えず、俺が率いる七百が攻撃を加える。
「正面から押し包むな。真横から襲い掛かり、逃げてゆく敵を追撃すれば良い」
味方に、というよりも自分に言い聞かせるように言う。今は一方的に押し込んでいるが敵方が味方の倍は多いという事実に変わりはないのだ。四方八方を取り囲み最早敵を打ち破る以外に生き残る術はなし。と思わせてはならない。
敵の旗が近づいてきた。先頭に、見事な葦毛馬に乗る武将の姿を見つける。恐らく北畠具教であろう。表情には恐怖の色がありありと見え、同時に屈辱と怒りがあった。その北畠具教が正面を通過したのと同時に、かかれと叫び、いの一番に駆け出した。
「殿、危険なことはなさらないで下さい!」
追いついてきた五右衛門と伊賀忍達に囲まれた。歩速を緩めると、兵達が次々に俺を追い抜いてゆく。帯刀様に後れを取るな! と叫ぶ古左も又、俺の横を通過し敵とぶつかった。
駆ける。側面攻撃を受けた敵の兵の姿かたち表情まではっきりと見えた。皆一様に悪夢を見ているような顔をしている。反撃しようという者はなく、とにかく一刻でも早くこの場から逃げたいと思っている様子だ。俺よりも年下だと思われる兵が一人、村井兵の槍を胸元に受け、倒れた。倒れた瞬間、何か呟いた。その口の動きを見て、束の間動きが止まる。『かあちゃん』と言ったのが分かった。
「斬れ! 一人でも多く討ち取れ!」
振り切るように、声を荒らげた。俺の前には常に複数名の味方が陣取り、俺が直接敵を切ることは無かったが、それでも腕を伸ばせば掴めるような距離を敵が通過してゆく。前軍と中軍が通過し、残された僅かな後軍が孤立して離散。てんでんばらばらの方向へと散らばっては個別に討ち取られてゆく。纏まった敵が体勢を立て直すことの出来ぬよう、味方がさらに追撃を加える。いつの間に敵の馬を奪っていたのか、慶次郎が真っ赤な槍と共に先頭を駆け抜け、敵を打ち砕いて行った。
「殿!」
「味方の被害を確認する。治療が必要な者はすぐ柏原城へ」
勝利を喜び近付いてきた蔵人に、まず指示を出した。相手の本隊がやってくればこの倍以上となるのだ。数に劣るこちらは味方の一人ひとりを大切にしなければ。
「お見事な、そして冷静な采配でございましたな」
勝利に高揚しているのか、普段よりも表情が豊かな景連から言われた。そうか? と答える。謙遜ではない。一晩ずっと不安に押し潰されそうであったのだ。予めこうしておくべきだと、全ての行動を決めていたからこそそれをなぞることが出来た。乱れはなかったのかもしれないが、冷静であれたかは分からない。
「初戦は、勝利か」
「これ以上ない鮮やかな大勝であります」
頷いた。体の疲労などよりも心労の方が余程大きいが、それでも勝てたという理由でそれらの苦労が解けてゆくようだ。
「後は慶次郎が追い過ぎないか、弥介が上手くやるかだな」
無理はするなと伝えてはあるが、あの二人が大人しく敵の様子を窺って戻って来るとは思えない。
「殿、百地殿が御目通りを願いたいと。一旦柏原城へ」
蔵人が馬を一頭連れてやって来た。鹵獲した馬だろう。他に四頭ほど捕まえたという事であったので、蔵人・景連・助右ヱ門・古左に騎乗するよう伝えた。
「お味方の戦死者、僅かに十七名。討ち取りし敵兵は五百を越えまする」
満足気に蔵人が言った。儂もまだまだ戦場働きが出来ますなと上機嫌だ。たまたま弟が当代有数の豪傑であったから『生来病弱につき』という理由をつけられて家督を取り上げられてしまった。俺が家臣としてからも、これまで他に内政手腕を持つ者が少ないという理由で戦場には出なかった。そんな蔵人であるから戦場での武功が嬉しいのだろう。
「十七のうち、十名が前田勢か。危険な場所に配置をし過ぎたかもしれんな」
最初にぶつかった場所だ。僅かながらも抵抗の気概を見せる者がいたとすればここだったであろう。
「何を仰せになります、大勝利にございますぞ!」
意に介していない様子で蔵人が笑い、脇に座る助右ヱ門が然りと頷いた。確かに大勝利であるし、俺も嬉しい。
「だが、前田勢にはこれから慶次郎が追いかけて行った分の死者も加わるからな」
「その分、武功も加わりますれば」
蔵人に言われて、頷いた。居並ぶ者達の表情は一様に明るい。百地丹波ですら、表情を緩めている。
「前田慶次郎様、大木弥介様、お戻りになられました」
丁度その時五右衛門の声が聞こえ、一同が騒めいた。どれほどの武功を重ねて二人が戻って来たのか、全員の期待が集まる。
「申し訳ござらぬ父御殿。見事にしてやられ申した!」
しかし、返り血も拭かず、皆朱の槍を更に赤く染め上げた慶次郎がまず放った言葉は蔵人に対しての謝罪だった。
「手柄首に手が届くところまで追い詰めながら、その首見事、大木殿に掻っ攫われましたわ!」
言った慶次郎が頭を下げたのとほぼ同時に、弥介が姿を現した。慶次郎とは違い、水洗いでもしたのか多少は身綺麗である。そして、小脇に抱えるような一枚の白い布風呂敷。下部が赤く染まっている。
「敵将長野具藤が首、取って参りました」
味方が快哉を挙げた。長野具藤。長野工藤氏の養子に入っていた北畠具教の次男だ。
「拙者が挙げた首はいずれも小者にござる。この慶次郎が武功一番を逃すとは無念至極」
「慶次郎殿が波を切り裂くように敵を討ち取って行きましたのでな、その後ろを追いかけ、最も身なり良さげな者一人を討ち取ったのでござる。拙者が此度の戦で倒した敵は長野具藤ただ一人」
かっかと笑う弥介を見て、してやられたのう、と蔵人が笑い、弥介殿お見事! と、助右ヱ門が褒めた。波を切り裂くと弥介が表現した慶次郎の活躍も又嘘ではなく、後に大河内教通、波瀬具祐、岩内光安、坂内具義といった名だたる武将が慶次郎に討ち取られ、首も取られず打ち捨てにされていたことが分かる。
「皆、此度の武働き大義であった。武功第一は弥介。だが、主力を率いて敵本隊を打ち破り、多くの敵将を討ち取った前田勢の働きもこれに劣らぬ。更には諜報や行軍に多大なる貢献があった伊賀忍達の働きにも感謝しておる。百地丹波も、我らの攻撃と呼吸を合わせ柏原城から打って出た采配見事」
働きを褒め、戦後の報奨を約した後、今後どう動くかが話し合われた。この攻撃で敵の進軍を数日遅らせることは出来るだろう。だがそれだけだ。いずれ敵勢は一万を超す大軍で攻め寄せて来る。柏原城は良い城だが、丸山城の方が大軍を迎え撃つには適している。少しでも敵方の補給線を伸ばした方が有利でもある。
「御言葉御尤もなれど、兵の中には柏原城を捨てる事を肯じられぬ者もおり、某はその兵共を見捨てる事能わず」
敵が引いている間に全軍丸山城へ撤退すべしという俺の提案に対し、反対を述べたのは百地丹波ただ一人。だがその意見を無視することは出来なかった。百地丹波は伊賀南部の国人を糾合し、合計で八百もの兵を率いている。現状単独としては村井家最大勢力だ。この意見を無視して俺達は帰るぞとは言えない。
「殿におかれましては南伊賀の国人衆を見捨てず、二千もの兵で御助力くださいましたこと、国人衆を代表して御礼申し上げます。これよりは我ら独力で一戦し、敗れし折には丸山へ合流いたします故、殿はどうぞご帰還くださいませ」
柏原城に固執することが戦略上の不利を招くことを、百地丹波も理解しているのだろう。そのように提案されたがそれも又、素直に頷くことが出来ない。籠城している軍が敗れた時など、即ち降伏か壊滅した時だ。それでむざむざ兵八百を見捨てたとあっては丸山城の士気にも関わる。
「撤退出来ぬという者を連れて参れ。俺が説得する」
そう言うと百地丹波の視線が一瞬泳いだ。百地丹波自身も、本音では柏原城を動きたくないのだろう。忍びとは、特に伊賀の忍びとは感情を排し任務遂行に徹した冷酷無比なる者らと思われることが多いが、それも伊賀という土地を守らんとするが故だ。故郷を愛する気持ちを持つが為、それを奪わんとする外敵に対してはどこまでも非情になれる。だからこそ故郷を捨てよという命令には従えない。理屈は分かる。心情も分かる。だが、この状況においては愚かだ。負けてしまえば大切な故郷を永遠に失う。故郷を守る為、最も有利な戦場が丸山城であるのだ。
「二日、説得にあてる。それでも従わぬようであれば本隊は撤退する。丹波。貴様が丸山城へ引かぬことは許さぬ。もし丸山城に引けぬというのであれば敵に降れ。それで伊賀南部の国人衆は助かる」
中途半端に言うことを聞かない味方を懐に入れようとは思わなかった。思い切った俺の言葉を受けて、百地丹波の表情が揺れる。睨み合った訳ではない。俺は百地丹波の、百地丹波は俺の、心情の奥底までを読み取ろうと覗き合う。
「……殿に対し、我ら伊賀南部国人衆は感謝をしておりまする」
結局、百地丹波が絞り出すようにそう言ったところで、話は終了した。それから二日、父の生死についての続報はなかった。最早味方に対してすら、その死を秘匿しているとしか思えない情報の遅さだった。俺達が初戦を勝利したことも又畿内や織田領に伝えられ、それと同時に各地での戦いの様子も伝えられた。
紀伊戦線。熊野速玉が陥落、紀伊国人衆及び熊野三山の兵は紀伊東岸を北上しつつあり。
大和戦線。雑賀衆・根来寺・粉河寺の軍に一部本願寺勢力が合力。筒井順慶殿はこれを支えきれず、敗北。
畿内戦線。河内・和泉・摂津において反織田勢力が蠢動。三好勢再び畿内に上陸するに至り戦局極めて不利。
若狭戦線。若狭一国を統治する丹羽長秀殿が丹後及び丹波の反織田勢力と対峙。若狭・丹後国境にて睨み合いが続く。
近江戦線。六角親子と藤林長門らが協力し近江南部甲賀郡の反織田勢力を扇動。両国の国境線は遮断され、情報及び物資の輸送極めて困難。
そして。
去る五月十四日。武田信玄、織田家に対し挙兵。




