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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第九十話・庶子の決意

 その報告を受けた時俺は執務の真っ最中であった。


『教武和合』と呼ばれ始めた織田家と石山本願寺の本質的な和睦の後、畿内では早くも石山から出る信者が現れ、教如も又、僅かに八百ではあったが門徒衆を連れて長島へと移住した。村井の親父殿は『お前のせいでまた仕事が増えた』などと言ってはいたものの、実際のところは親父殿も仏教徒だ。不満を零しながらも嬉しそうにしている様子を見られて良かったと思う。


そうした様子を確認しつつ、俺は領地経営に精を出した。様々に努力を続けてはきたもののわずか半年や一年程度で新しい領地の経営が劇的に回復する筈もなく、伊賀はまだまだ貧しい。領民を飢えさせない為、家臣を養う為いよいよ誰かに借金をしなければならないかと溜息を吐いていた。



 「殿」



 三人いる父親か、或いは三人いる領地持ちの弟か、そんな事を考えている時に五右衛門が突如部屋に入って来た。俺は五衛門に対して無礼者、などと言って怒りはしなかった。本当に火急の用事がある際にはいついかなる時であっても報告しに来るようにと伝えてあるからだ。


 「重要な話か?」

 「極めて」


 その場には丁度景連ただ一人がいた。景連は『話はまた後程』と言って、冷めつつある茶を一口啜った。


 「これを」

 その手紙を読み、暫く固まった。手紙には簡潔に事実だけが書かれていた。本日の昼過ぎ、父が京から岐阜へ帰る途中、狙撃を受けた。極めて重篤。




 「父上のご容体は?」

手紙を読んだ俺は、それを景連に渡しながら質問した。手紙には宛名もなく、そして宛先となる相手の名もない。五右衛門の、百地丹波の手の者が急ぎ最も重要な点だけを書き、ここへ回したのだろう。日付が今日であることに、兎にも角にも速報をと考えた忍び達の努力が窺える。


「分かりませぬ。ですが、それを見ていた者が言った事には、撃たれた弾正忠様は、受け身すら取れず糸が切れたように落馬なさり、そのまま織田家の方々が身柄を岐阜へとお運び申し上げたとのこと」


ならば、死んだと決まったわけではないのだな。そう言いかけて、言えなかった。撃たれて何の反応も出来ず馬から落ちた。その様子から察するに、頭部を撃たれて即死という可能性が極めて高い。仮に生きていたとしても、何の緩衝もなく、馬から転落したと言われた。例え狙撃自体では無事であったとしても、落ちた衝撃で首の骨を折り死んだという可能性も十分にある。頼朝公の先例を挙げるまでもなく、落馬は簡単に死の原因となり得るのだ。極めて高い確率で、父は死んだ。


「今わかる情報はそれが全てであり、その情報に間違いはないのだな?」

「はい」

「誤報であった、では済まされない話であるぞ」

「承知しております」


二度念を押して、それでも五右衛門は間違いないと言い切った。

喪失感や悲しみ、焦りや恐れ、様々な感情が身体の中で渦巻く。読み切るのに瞬く程度の時間しか要しない手紙は既に景連も読み、俺の様子を窺っている。


「殿」

「馬鹿が!」


様々な感情の中で、最初に噴出したのは意外にも怒りだった。抑えがたく熱く、己の理性を全て飲み込む圧倒的な感情の塊が、口から悪罵として噴出した。


「今更父上を殺して天下がどうなると思っておるのだ! 織田が滅びれば再び畿内で勢力争いが起こるぞ! また天下に大量の血が流れる! 折角統一が進んできたというに! どこぞの考えの足らぬ馬鹿が! 馬鹿めが! これで全てご破算だ!」


拳を振るい、地面に叩きつけた。歯が砕けそうなほどギリギリと鳴る。握り締め過ぎた手は震え、全身も震えた。


「たかだか銃弾一発で、これまでの努力が全て水泡と帰したわ! あの公開討論の意味など何もなくなった! 叡山などは大喜びで織田家打倒に力を注ごう! そして織田家はそれを叩き潰さねばならぬ! 最早決着は皆殺し以外になくなるぞ! 最後の機会であったというのに! 最悪の潰しあいを避けることに成功したというのに!」


景連が何か言っているが、俺の耳には届かない。頭が沸騰し、顔面から血でも垂れてきそうだった。


「滑稽だな! あれほどのことを行っておきながら、高々父上一人が死ぬだけで最早未来は闇よ! 後世にて人はどう言うであろうな!? 無駄な努力に力を注いだ馬鹿者と俺を笑うか!? であろうな! 俺も俺が哀れでたまらぬわ!」




怒り狂う俺の視覚が、一瞬消えた。次の瞬間ハッと気が付く、顔面に大量の茶をかけられていた。




「ご無礼を」

見ると、景連が刀を俺の前に差し出しながら平伏していた。膝の横には空になった湯飲みが置かれている。


「殿、今は一刻も早く行動を。大殿がどういう状況であれど、手傷を負ったことは確実。となれば、ここ伊賀は決して安全とは申せませぬ」

平伏したままの景連が、淡々と俺に言った。俺は確かにそうだなと頷く。


「お前の申す通りだ。頭が冷えた。礼を言う」

「手打ちとされて当然のご無礼を致しました」

「茶を浴びせかけられなければ分からぬほど取り乱したのは俺だ、景連の行動に落ち度はない。狭量な主を持ったせいで苦労を掛ける」

「とんでもございません。教武和合の為重ねて来た殿の努力を思えば、当然のお怒り」


頷いた。そうして俺は五右衛門と外に控えている蘭丸らの小姓達に、家臣のうち主だった者らを集めてくれと頼んだ。




「凄いことになりましたなあ」


話を聞き、最初に軽い口調で言ったのは大木兼能、弥介だった。弥介が俺の家臣となった理由は端的に雇用条件が良かったからだ。妻子を持ち安穏に暮らしたい。その願い通り弥介は伊賀村井家において槍術の師範を務めつつこの程妻を娶り娘が産まれている。織田家にも、そして父にも大した思い入れが無い分、父の死に対しても又それ程の思いが無い。


「本当に、確実と言い切れるのでしょうか?」

一方で、若い頃から父の家臣であり、織田家に対しての思い入れも並々ならない古左はいつものひょうけた様子を見せず狼狽していた。


「五右衛門が間違いないと言っている。これを信用せぬようでは何も信用出来ぬ」

「殿はどのようにお思いですか?」


 質問に答えると、古左から更に質問が加えられた。分からぬと答えると、古左は下唇を噛んだ。


 「不遜ながら、今は最悪の状況であることを前提とし手を打っておくべきでございます」

 冷静にそう言ったのは蔵人だった。流石はかつて前田家の家督を担っていた男だ。混乱を防ぐ為にと、慶次郎、助右ヱ門の両名には兵を連れて領内の見回りに出掛けさせている。


 「仰せ御尤も。して、蔵人殿、打っておくべき手とは何がござろうか?」

 筆頭家老の嘉兵衛が言った。嘉兵衛は織田家全体としても珍しい文治一辺倒の人間で、武働きはしない。有事の際において筆頭家老は前田蔵人利久であると言って憚らない。


 「何よりもすべきは情報の収集。それ以外であれば街道の封鎖と、伊賀国人衆の掌握。大殿が討ち死にとなった場合は勿論の事、重篤なるけがを負った場合においても、間違いなく南から攻めのぼって来る者がおります。道を塞ぎ、少しでも時を稼ぐこと。そして伊賀国人達の離反を少しでも食い止める事」


 嘉兵衛が頷いた。蔵人が話を続ける。

 「敵味方定かならぬ者達がどう出るかも考えなければなりませぬ。敵に回って最も手強きは、当然石山本願寺」


 今度は俺が頷いた。此度の狙撃、黒幕が誰なのかはまだ分かっていない。仮に浄土真宗の人間が行っていたのであればその裏に顕如がいようがいまいが関係なく石山本願寺とは敵対することになる。武家の常識として、親の敵を討たずその相手と和睦するという行為は許されない。例え親を討たれた側が恨みに思っていなかったとしても、敵を討たないという選択をした時点でそのような主には誰も付いてこなくなる。


 石山本願寺と全く無関係なところで今回の襲撃が進められたというのであっても、今回の教武和合は一旦ご破算となる。顕如らが織田家に石山本願寺を明け渡すことを認めたのは織田家の強さがあったればこそだ。織田家が認めているのであるから、他宗派の人間は浄土真宗に対して攻勢に出られなくなったのだ。その織田家が当主を失い他の者にかかずらわっている暇もなしとなれば、本願寺はどうやって門徒を守るというのか。再び大坂城に籠って他宗派や大名達相手に立ち回ることになるだろう。


 「一体誰がこのようなことを……」

 「今はまだ分からぬ」


 珍しく、古左が何の役にも立たない呟きを漏らした。古左の心中は察するに余りあるので、ともかく続報を待てと伝えた。実際、今の段階では容疑者が多すぎるのだ。


 まずは上杉武田毛利三好などの大名達。教武和合が成立し、紀伊までが織田勢力になれば、最早独力で織田に対抗出来る勢力はなくなる。それよりも先にともかく父を殺してしまいたい。そう考える大名は幾らでもいる。


 表面上は友好関係にある公方様や石山本願寺も容疑者足り得る。父が公方様に対して抱いている危険性をひっくり返せばそのまま公方様が父に対して抱く危険性となるだろう。満を持して、狙いに狙っていた千載一遇の好機を逃さなかったのだと言われても納得がいく。


 石山本願寺の場合は、顕如上人も教如も下間頼廉殿も、誰もが関知しないところで起こった門徒衆の暴発という可能性が多分にあり得る。

 俺はないと思っているが織田家家臣がという理屈も成り立たぬではない。村井重勝が下手人では、と疑っている者もいるだろう。勿論俺はやっていないが。


 「今後の方針としては」

 俺が口を開くと、皆が俺の事を見た。時間を置くことが出来たおかげで、多少は考えが纏まった。


 「我が伊賀村井家は伊賀一国を守る為に攻め寄せてくる敵を迎え撃つ。敵が紀伊勢であろうと畿内からの兵であろうと、又伊賀国人衆であろうと、この地を死守し織田本家よりの沙汰を待つ」


 今回襲われたのは父だけであって勘九郎は無傷であることが織田家にとって不幸中の幸いであった。勘九郎は岐阜城におり、京都には父の名代として信広義父上が、そして村井の親父殿がいる。


 「伊勢には三介や彦右衛門殿がおり、近江には羽柴殿もおる。彼らと連携を取り、この危難に当たるに如かず」

 「その後、はどうなさいます?」

 大まかな方針を述べると、景連から聞かれた。その後という言葉の意味がよく分からず、父上次第だと答えた。


 「大殿がお亡くなりになられていた場合には?」

 「勘九郎、いや、勘九郎様をお助けし、織田家を立て直す」

 答えると、景連が俺を見据えたまま黙った。何を言いたいのか、暫く黙ってから、一度だけお伺いしておきますと前置きをし、言った。


 「殿が、織田家を纏めるおつもりは、殿が、天下を獲られるおつもりはございませぬか?」


 この火急の時に、極めて危険な問いかけであった。その眼はどこまでも真剣であり、揺るぎない。そうなったとしても付いて行きますと言っているのではなく、そうすることが貴方には出来ます、と景連は言っている。


 考えてみれば、景連は父に主家である北畠家を乗っ取られ、俺の誘いに従って家臣となった人物だ。織田家に思い入れがないどころか、本来恨みすらあって当然な男である。好機にさえ恵まれれば、頼朝公や尊氏公の如くに天下取りに乗り出したいと思うことは、武士としては当然の事であるかもしれない。


 「勘九郎様が健在であられるのであれば、俺に織田家の家督を奪うつもりはない。理由は明白である。争っても勝てぬからだ。俺の名が多少上がったところで勘九郎様が正嫡であることに変わりはない。勘九郎様は何一つ落ち度なく織田家の跡取りを務めておられるのだ」


 忠義や兄としての気持ちではなく、不可能であるという点を強調した。今回は好機ではない。織田家の中で手柄を立てるのが最も上策であると景連が理解するように。


 「では、もし仮に、勘九郎様すらも討ち死にとなられた場合、殿は如何なさいます?」

 「景連殿、一体何を!?」


 古左が珍しく声を荒げた。平伏する景連はしかし、引くことなく低い体勢のまま、一度だけのお伺いにございますと繰り返した。ふと周囲を見回す。蔵人が、弥介が、嘉兵衛が、皆俺の存念を聞きたいと、真剣な表情で見据えてきている。


 「……貴様ら皆、戦国の男であるな」


 苦笑と共に、呟きが漏れた。総大将の訃報を受け、悲しむのと同時に自らの主が出世するかどうかを考えてしまう。そしてあわよくば自らも、今よりも良い席に座れるよう行動する。今の世を生きる男子全員に天の時有。かつて弾正少弼殿が仰った言葉が思い出される。


 「一度だけ言っておこう」

 そうして前置きをし、俺は話した。


 「もし勘九郎様すらも討ち取られた等ということになれば、織田家は俺が獲る」


 三介でも三七郎でも、織田家の者達は納得しない。余りに不安定な能力を持って生まれてしまった三介に一家の主たる適正はない。それでも多芸であり、周囲の支えと生来の明るさがあるから伊勢一国が何とかなっているのだ。後ろ盾なく織田家の当主になったところで纏められる筈もない。


 だからといって三七郎では三介派閥の人間が納得しない。伊勢と、吉乃様の生家である生駒家が全力で反発することだろう。三七郎の器量に関わらず、どうしても争いになってしまうのだ。


 「そうなった場合、俺は養華院様に働きかけ、俺を養子として迎えて頂く。その上で、もしその段階にて勘九郎様に御嫡男があれば、御嫡男を織田家の次期当主に担ぎ上げつつ俺が陣代として織田家を実質統治する」


 養華院様、即ち尼となった濃姫様だ。勘九郎と同じように養子として貰った上で勘九郎の子を立てる。三介派閥も三七郎派閥も、それであれば納得するだろう。


 「それで、三介様や三七郎様が納得しなかった場合は如何なさいます」

 景連が更に問うてきた。俺が織田家を獲ると言って嬉しいのか、僅かながら頬が紅潮している。


 「その場合は戦い、両名を降す」

 殺す、とは流石に言えなかった。多くの強敵と戦ってきた。多くは負けたが互角に渡りあえたことも、何とか勝利をもぎ取れたこともある。それでもまだ身内との戦いの経験はない。


 「無礼なる質問の数々、平にご容赦を」

 納得した景連が、改めて深く頭を下げ、漸く引き下がった。嘉兵衛も蔵人も弥介も納得した表情だ。今話しておいて良かったのかもしれない。古左だけは哀れな位に落ち込んだままだ。


 「だが、繰り返すがまだ情報が足りなさすぎる。最も良き可能性として、父がご健在であるということも全く無いではない。最悪であるのは、父は既に亡くなっており、下手人は公方様。その命を受けた幕臣達は皆敵に回り石山本願寺も含めた宗教勢力がこぞって織田家を潰しに来るという可能性だ。その場合に備え、籠城の支度を進める。嘉兵衛、出来るか?」

 「はっ、現在丸山城にある兵糧は兵三千がひと月といったところでございます。取り急ぎ兵糧をかき集めます」

 「国人衆は如何致しますか? 情報は伏せまするか?」

 「いや、逆に開示しよう。どう隠してもいずれは露見する。こちらから正確な情報を伝えた方が心証も良かろう」


 蔵人の質問に答えると、畏まりましたと頷かれた。外で控えている五右衛門に声をかける。


 「籠城するにあたり、女子供は尾張に逃がしたい。今ならまだ伊勢から船で尾張に行くことが出来る筈だ。護衛の準備を。弥介も古左も、女房子供に急ぎ話を伝えろ。早ければ明日にも出発させるぞ」


 古左は後継となる嫡男が産まれ、弥介は娘がいる。ともに妻を大変可愛がっている愛妻家だ。嘉兵衛にも長女おりんを筆頭に三人の娘がいる。


 「情報が命だ。五右衛門、百地丹波にも伝えよ。方々に人を放てと。最も知りたきは父上の生死。次いで公方様、石山本願寺、紀伊勢力の動き。下手人や黒幕探しなどはせずとも良い」


 誰が敵で誰が味方であるのかがはっきりすれば、何となくでも誰がどういう絵図を描いたのかは分かる筈だ。


 その日、早馬が三度跳び込み、それから三日間は既に伊賀一国が戦場となったかと勘違いしてしまうような慌ただしさと共に過ぎ去った。公方様は織田家打倒などという旗を振ることは無く、むしろ幕臣は混乱しているようであった。同じように、石山本願寺もこれまでの話を御破算として織田家ともう一度対決姿勢を見せるような真似はしなかった。どちらも朗報ではあったが、肝心の父上の容態については、確たる答えを貰えぬまま時が過ぎた。そして、




 「高野山・粉河寺・熊野三山・雑賀・根来・その他反織田勢力が紀伊を中心に兵を挙げ、大和・伊賀・紀伊に攻め登る構えを見せております。三好家と毛利家もこれに呼応。丹波・丹後の国人衆の中にも不穏な動き有りとのこと」




 最も望んでいなかった情報が舞い込んできたのは五月の十二日、何とも皮肉な日付であった。


今更ですが、いつも読んで頂きましてありがとうございます。

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この作品の世界線でも信長死んでもうた。 いつも先鞭、次代への橋渡し役。 可哀想に。
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