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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第八十八話・戦いの結末へ

 日が、傾きかけていた。


 今更情けない話だが、この時の俺は一度固めた筈の覚悟が緩くなり、出来ればこのまま何事もなく、穏便に討論が終ってくれれば良い。等と思っていた。これまで周囲には『負けたら腹を切る』などと嘯いており、討論が始まってからも、万が一のことがあれば腹を切ればいいだけだと開き直っていた筈なのに、状況が好転するとすぐに気持ちが浮ついてしまう。


 何とも浮気がちな自分の心に苦笑しながら、俺は人々の視線を集めるように前に出、もう一度覚悟を決める。


 これまで、俺は予め構築してきた理論は話してきたが、こうであって欲しいという理想や意見を述べてきてはいない。一方で、教如は先程から自分の気持ちを、心を述べて来た。駄目な奴から順に救ってやりたいと、そう考えることはいけないことであるのかと、それは恐らく教如だけでなく、織田家と戦ってきた多くの門徒達が思ってきたことなのだろう。


 ゆっくりと、周囲を見回す。教如が俺の事をまっすぐに見つめていた。何かを期待しており、そして何かを不安視しているような、そんな視線だ。


 怪鳥笑いを収めた父は、ニヤニヤと意地の悪い笑顔で俺を見ている。さあどうするつもりだ? と言っているのが表情から聞こえてきそうだ。完全に楽しんでいる様子だが、自分がこの公開討論の仕掛人であり、一方の大将であるという自覚はあるのだろうか。高きは帝から、関白経験者が二名に天台座主。低きは名もなき遊女や奴婢。それぞれがそれぞれに思うところはあるだろう。だが、そんな中己の心を述べてくれと求められているのはただ一人、この俺ただ一人。


 「そも、仏教とは何のために存在するのか?」


 そうして、俺は問うた。この場にいる、全ての仏教徒に対して。投げかけた問いは波紋を広げながら場全体に浸透し、それまでの喧騒が嘘のように束の間、静寂の帳が下りた。


 「仏教の根源的な目的、そして最終的な答えと申すのであれば、苦しみの輪廻から解脱するためであるとお答えいたします」

 下間頼廉が答えた。頷く。そうして、次に同じ質問を行う。


 「キリスト教とは何のために存在するのか?」

 視線を、ロレンソ了斎、ルイス・フロイスへ向けた。目を隠しているロレンソ了斎が、はっきりと俺の視線を受け止めたのが分かった。その表情にはうっすらと笑顔すら浮かんでいる。まるでこれから俺が話そうとしている内容を既に理解しているかのような、超然とした笑顔だ。


 「主は、私達の親でゴゼマス」

 やがて、俺の問いに答えたのはロレンソ了斎ではなくルイス・フロイスの方だった。


 「主は私達を愛してゴゼマス。そして私達のことを一人前の大人に育て、天国に迎えることを喜びとしてゴゼマス。私達は、それをより多くの人に教えマス。一人でも多くの人を天国に迎えマス。これ基督教の目的でゴゼマス」


 うむ。と頷いた。思っていたより、上手に言葉を話す。話を聞いたロレンソ了斎が、満足そうにルイス・フロイスの肩を叩くと、ルイス・フロイスがはにかむように笑った。


 「ならば同じ質問を神道に問おう。神道とは何のために存在するのか?」

 これといった代表者を用意せず、論を戦わせるという事を本意とせずに集まった神道家に対しこの質問をするのは些か申し訳ない気はした。問うたところで誰が神道の棟梁という訳でもないのだ。誰が答えれば良いのか、よく分からないだろう。


 「憚りながら、神道家を代表してお答えさせて頂く!」

 やがて立ち上がった一人の男が、周囲を見回しながら言った。多くの神道家らしき者らが頷く。壇上に座る父や何名かの立場ある者らも頷いているので、伊勢神道の関係者であろうか。


 「神道が持つ意味とは生きることそのものであります! より良く生き、子や孫を育み、次代を少しでも良きものとする! 人が人らしく生きる為、神道が存在していると申せましょうぞ!」


 言葉を選びに選び、様々な場所に配慮しながら、といったその言い方に失礼ながら笑みが零れた。

 少々小難しい言い方をすれば、仏教は現世利益。即ち生きている間の救いが重要視されている。対して基督教において現世はそれほど重要視されていない。死んだ後の、天国なる場所にどうやって行くのか、その為の現世という事だろう。神道も現世について語ってはいるが、自分が死んだ後の現世について触れているのが特徴的だ。彼らにとって人生とは恐らく、自分が生を受けてから土に還るまで、という短い期間の事を指しはしないのだろう。


 三宗派から一言ずつを頂戴した上での比較検討など今は重要ではない。今俺が考えたことなどは後で随風辺りに語って、そして否定されて喧嘩をすれば良いのだ。


 「宗教とは何のために存在するのであろうか?」

 そうして俺は最後に問うた。仏教徒に、基督教徒に、神道家に、その他の宗教の者に、宗教を持たぬ者に、生きとし生ける全ての者に、俺は問うた。


 「俺の答えを述べよう。すべての宗教とは、人を救う為にある」

 これだけの大人物の群れを前にして、俺如き若輩が己の意見を尤もらしく述べるなど、恐れ多くて潰れてしまいそうだったが、それでも俺は言う。自信満々に見えるよう。


 「仏教が苦しみを逃れ解脱を求める事、それ即ち人を救うことだ。幸せに生きよ。人は誰もが、幸せに生きる事を許されている。教如殿、貴殿の父君が織田家に反旗を翻したことも、根本を辿ればそういう事であろう」


 こんな言い方を、本来してはならないことは重々承知していた。敵の行動理由を俺が説明する。どこの世界に敵方の正しさを認める大将がおろうか。織田家に負けはなく、自身の父親が総大将で、その父親が笑っているのが見えていなければ決して出来ない事だ。もしこれで織田家に不利益が出るのであれば、腹を切るよりも先に父に直接頭を下げ、責任をどうとれば良いのか問おう。笑ってひっぱたかれるだけな気もする。


 「基督教においても同じだ。天国に行く為、主を見本としてより良く生きる。より良く生きる為の見本となるのが聖書であるのなら、その聖書は人を救う為の書、基督教とは人を救う為の教えである」


 反論ないしは意見を貰うための間を少しだけ開けた。もしロレンソ了斎が『全く違う』と言い出したら俺に彼を封じ込めることは出来ない。内心おっかなびっくりであったが、ロレンソ了斎はすぐに頷いてくれた。間違っていなかったのか、それとも間違っていたとしても否定する必要はないと判断したのか。


 「仰せ御尤も、太古の昔、人が今よりも自然に近しく共存していた頃、生きるという事は果てしなく困難なものでありました。神道とはそのような中で人と人とが支え合い、己だけでなく、子供や孫、五代や十代先の者らまでが、幸せに生きることが出来るようにあるものにございます。これ即ち人を救う為と言うことも出来ましょう」


 俺が言及するよりも先に、神道家の者が答えてくれた。神道については、元々織田家と関係が良好であるだけに否定的なことは言われないだろうと高を括っていたものの、諸手をあげるような賛意はありがたいものだった。


 「かように、宗教とは人の為に存在する。この点において少なくとも今この場に存在する三つの宗教は同質であり、異なる教えを信ずる彼らが、この日ノ本において共存出来ると、拙者は信じておる」

 宗教とは人の為、この点を俺は強調した。


 「故に、宗教の為に人が存在するようなことがあってはならぬ。教如殿、信者を守らんとするその志、誠に気高く法主に相応しい。だが、教えを守る為に砦に籠り、御仏の名のもとに武器を取る。これでは主客転倒であろう。石山本願寺を守る為に、信者が財産をなげうって戦いに身を投じるなどということはもってのほかであった。それでは私利私欲の為の戦いと言われて言い返すことなど出来まい」

 「それやったら……!!」


 俺の言葉に、噛みつくように言い返しかけた教如が、途中で言葉を区切った。


 「いや、その通り、文章博士はんのいわはる通りや」


 言いながら座った教如を見て、下間頼廉が笑った。顕如の行動に一定の理を認めてしまった俺が言うのもなんだが、教如も又阿呆だ。言われたことを認め、その場で反省してしまっている。勝ちに来ていない。それを見て笑っている下間頼廉が抱く気持ちは、恐らく父が俺を見てニヤニヤと笑っているそれと同じような気持ちだろう。


 「世に土着の信仰など数数え切れぬほどある! 石山本願寺などという砦に頼らずとも、浄土真宗の灯火を消さぬ方法は必ずあった! 石山本願寺退去を織田家が命じた折、信者一人一人の生活の為にその財を使うことが本願寺には出来た筈だ! 織田家は武力を扱わぬ教えに対しては寛容だ。神道然り基督教然り」

 「けどやな、それでもし、石山本願寺を無くして山科みたいな、天文法華みたいなことになったらどうすりゃええねん。生きる為に、纏まって戦うことは必要や。お題目や念仏きいて、『わかった!』言うて引いてくれる坊主はおらへんかったんや」

 「これ以降はそのようなことには成り得ぬ!」

 「なんでや!?」

 「織田家がある!」


 これまでで一番大きな声で、俺は叫んだ。


 「ここに今、織田家がある! 足利幕府を中興し、帝の権威を復活させ、仏教を元のあるべき姿に戻し、そして天下を武で平らかにする! 織田家がある限り、最早神社仏閣が相争い伽藍を焼き合うなどということにはならぬ!」


 傾いた日が、いよいよ遠くの山並みに触れようとしていた。もう少し、あと少しだけ保っていて欲しい。俺も平氏の末席に座るものなのだから、一寸上に持ちあがれとまでは言わないが少しくらいゆっくりしてくれ。


 「我ら織田家の存在する理由も貴僧らと同じだ。武家は武でもって天下を治める。天下を治める理由は、天下万民の安寧たる生活の為、即ち人を救う為に存在する。教如殿と何も変わらぬ」


 睨みつけるように、グッと正面から見据えられた。その視線に何の意味が込められているのかは俺の関知出来るところにないが、恐らく逃げてはいけないのだろうと、しっかり見返す。


 「だから、本願寺を出ていけと?」

 「然り。大坂の城を前線基地とし、我らは公方様弑逆の大罪を未だ償っていない三好を討伐し、そのまま四国を制圧する。紀伊や大和におる武力持ちし僧兵達も鎮圧し、更に北陸の暴徒と化した者らも抑える。ゆくゆくは中国に九州、そして東国まで、その悉くを治めて百年続いたこの乱世に決着を付ける。足利の臣として、武家として、我らの存在理由はそこにこそあるのだ」


 それこそ、俺達織田家の大義だ。天下の為の戦。石山本願寺は、これを超す大義を見つけられるか? 納得がいかないのなら兵馬にかけて是非を問うしかない。そうなれば優位に立つのは常に織田家だ。


 「素晴らしいお言葉にございます。我々切支丹一同は、織田家の天下を祈り、武力に頼ることなく、天下万民の為に尽くしてゆくことを誓います」


 ロレンソ了斎が言って頭を下げた。流石に機を見るに敏だ。今ここで明言しておくことが今後も織田家からの保護を得るのに最上の策であると分かっている。周囲を見れば、神道家の者らが賛意を表すかのように頭を下げ、そして延暦寺の者らも、渋々といった感じであったが頷いている。


 二転三転し、随分と肝を冷やしもしたが、それでもことここにおいて、俺は問いに答えた上で織田家の大義を示し、周囲からそれなり以上の賛同を獲得した。父に対して調子に乗ってしまいましたと謝りに行くことくらいは必要かもしれないが、少なくとも腹を切る必要はなさそうだ。


 「悪かったな」


 随風にだけは、先に謝罪した。この着地点が悪いものであるとは思わないが、それでも俺がしゃしゃり出てくることなく、ただただ本願寺を叩き潰すことにのみ注力しておけば、論戦においての織田家の勝利と本願寺の敗北という形はもっと顕著であっただろう。随風という僧の名も、畿内全域に広まった筈だ。


 「いえ、良きものを見せて頂きました」

 だが、随風の表情は明るかった。寧ろ感謝をされてしまい、珍しい日もあるものだと思う。


 「その織田家の天下、成し遂げるまであと何年や!?」

 二転三転した論争が、漸く決着の時を見ようとしたその時、教如が荒々しく俺に問うた。


 「十年」


 答えた。不可能なこととは思わない。大坂城を手に入れることが出来れば、雑賀衆や根来衆の多くが降伏するか味方に付くだろう。そうなれば今の阿波三好など一年かからず滅ぼせる。そのまま四国を統一し、紀伊まで全て飲み込む。上杉を浅井に、武田を徳川に任せている間に山陰山陽を攻めくだれば、毛利家単独で織田家を抑えることなど出来はしない。小早川隆景の軍略がどれほどであったとしても最終的には織田家が勝つ。西国を支配した織田家であれば、例え九州が一塊になって抵抗してきたとしても負けはしない。そうして九州から尾張まで、日ノ本の西半分を征した後に東国へ。その段階ともなれば戦術や戦法など一つも必要ではない。兵糧が尽きぬよう輸送を十分にした上で大軍を前線に送る。それで終わりだ。


 「分かった! 出ていったる!」

 「えっ?」


 これまで割と格好つけて話をしてきたのに、教如の一言で素が出てしまった。今なんて?


 「大坂城出ていったるわ!」


 カカッと笑いながら言い切った教如に、さしもの下間頼廉も驚いていた。勿論俺は阿呆な表情を見せていたし、遠くでは父すらも驚いて杯を傾けたまま止まっていた。父を驚嘆させるだなど、そんな偉業を達成した者が今までに何名いただろうか。


 「オヤジが何ていうか分からへんけどな! オヤジが残る言うなら俺は連れていけるだけの信者連れて出て行く。支度に時間がかかるかもしれへんから待っててもらわんといかんけどな」


 どういうことなのか分からず思わず視線が泳いだ。それでも何とか、慌てていることを周囲に悟られまいとしていると、そっと随風が俺の耳に口を近づけて来た。


 「帯刀様の弁舌により、戦わずして敵を降しました。これ即ち大勝利以上の価値。帯刀様、大手柄にございます」


 後の世に『室町小路の論戦』『三宗教会談』『帯刀問答』『元亀五年の巷談』などと、多くの名で呼ばれることになり結局衆目の一致する名が定まらなかった死者なき戦は、結果として織田家の勝利、そして敗北者なしという、稀有なる決着を見る。


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― 新着の感想 ―
うーん、教如はんカッコええわ!
こんな決着を現実世界で現代でも近代でもどこかで出来てればカルト教団ものさばらなかったろうし、一神教への牽制にもなったろうとは思いました。
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