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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第八十四話・理の戦場へ(地図有)


挿絵(By みてみん)


元亀五年、三月十五日。

京の花が正に満開となるこの日を、父は戦国最大の言論合戦の日に決めた。


 基督教・神道・延暦寺・曹洞宗・浄土真宗高田派の者らはそれぞれ父が軍勢でもって迎えに行き、派手に入京させた。浄土真宗本願寺派の者達だけは唯一、下間頼廉と本願寺教如が三千の兵を連れて入京。父は手勢二万と共にこれを迎え入れた。


 「赤母衣衆と黒母衣衆がほぼ総出で京の警備に当たっておるそうです。赤母衣衆筆頭たる叔父御は一世一代の見せ場でしたな」


 串に刺さった団子を一つ齧り、手に持った冊子を読んでいるのは慶次郎。昨日までにあった出来事のあらましは早速父の手によって京都至る場所へ板が立てられた。字が読めない者であっても問題はない。今の京都には字が読める坊主が掃いて捨てるほどいるからだ。勿論字を読めない似非坊主も多くその数は掃いても掃除し切れないほどにいるのだが。それでも、常に板の前には人がおり、大声で読んでやるからその代わりおひねりを寄越せと、辻朗読が俄かに商売と化している。


 「親父殿は京都所司代。原田家の面々も母衣衆は多く、当主たる伯父上も様々に働きを見せたと聞く。まずは吉報」


 三月十五日に至る以前、十日頃から既に祭りは始まっていた。大小様々な宗教勢力は己が正しさを主張する為上京下京に大挙して押し寄せ、彼らから金を得ようと大量の商人達も押し寄せ、そして祭りを見たいと近隣に住む者達も大挙し、正に人が人を呼ぶ状態であったらしい。万が一にも騒ぎが起こらないようにと、角一つごとに歩哨が立てられている。


 「今のところ、いずれの方が優勢か?」

 俺達は上京と下京、そしてそれを繋ぐ室町小路から僅かに離れた南西の本能寺にて駄弁っていた。ガラの悪い連中がたむろしている。まさにそんな風体であると思う。


 「まずもって意気盛んは、相変わらずの日蓮宗にございますな」


 門の前で、茶を野点にして振舞っている古左がいる所から戻って来た随風が言う。その手には何枚かの紙が握られている。古左の所に来た者が口々に新しい情報をもたらしては、それを家臣達に書き出させているのだ。お陰で俺達は特に動く必要もなく新しい情報を手に入れることが出来る。古左には良い茶道具を使わせてやっているので楽しそうにしている。春のうららかな日差しの下で野点、好きものの数寄者には堪らないだろう。


 「日蓮宗か、開祖が開祖であるからな。攻撃力はさぞかし高いであろうよ」

 日蓮上人によれば、真言宗は亡国、亡家、亡人の教え。禅宗は天魔の所業。念仏を唱える、即ち浄土宗系統は無間地獄に落ちる。律宗は国賊行為。だそうだ。よくそこまで批判の言葉が湧いて出て来るものだなといっそ感心してしまうくらいに多宗派を攻撃している。四箇格言と呼ばれる勇名も悪名も轟く御言葉である。


 「そうですな。今も門前で少々鬱陶しかったので黙らせてきました」

 何でもない事のように言われてしまったので聞き逃しかけたが、聞き捨てならない事を言っていると気が付いて顔を向けた。


 「随風お前、こんな短時間で論破して来たのか?」

 「少々質問をしただけにございます」

 「どのような?」


 聞きたいような。あんまり聞きたくないような。


 「日蓮上人は政治の主体を帝としているが、同時に仏法絶対の立場を取り天皇家たりとも権威を一切認めないとも言っている。これは矛盾ではないのかと」

 「……それで?」

 「この程度の質問にも答えられない不勉強者でありましたのでな。日蓮上人が仰せになった言葉について説明をしてやっていたらその場にて騒いでおった日蓮宗の者らが皆すごすごと帰ってしまいました」


 いきなりひょろりと現れた男にそんな事を言われ説教されればそりゃあ逃げるだろうなと、顔を見てもいない日蓮宗の者らに同情しつつ、花を見る。うん、いい天気だ。緊張がほどけて来た。


 「随風、本当に、俺に付き合う必要はないぞ?」


 命を助けられた恩を返す。そう言ってやって来た随風はあの日以来俺に対して宗教論争についての稽古をつけてくれた。以前のような喧嘩腰ではお互いになく、時にぶつかり合う(そして俺が負ける)程度には冷静な話をすることが出来た筈だ。お陰で、俺の宗教に対する理解力はそれなりに高まった。


 「御言葉忝く」

 「何度も言うがな、命の恩などと思う必要はどこにもない。おれはお前の命を掬ってやったとは思っていないし既に十分なものは返された。自儘に、風の(まま)にして良いのだ」

 「故にここにおりまする。出ていけと仰せでしたら出てゆきますが」


 そんな風に言われると何とも返し辛く、俺は有り難いと言うに留めた。


 「因みに、どういう答えが正解なのです?」

 団子を食い、今暫くこのままでと思っていると、俺達の会話が途切れたのを確認した疋田殿から聞かれた。


 「正解とは?」

 「先程の日蓮上人の件です」

 聞き返すと短く答えられ、俺はああ、と頷いてから同様に短く返す。


 「認めないのは『宗教上の』権威であって、政治の主体とすることは認めているのです」

 「成程、分かりませぬな」

 「偉い王がいて、彼が勝手に法を作るのではなく、正しい法があって、その下に王を含めた全ての人がいる。例えば王が法を犯したならば、王とて処罰の対象。ということです」

 「では、その法はどうやって作るのです?」


 続けざまの質問に、俺は随風上人様を手で示し、詳しい説明を頼んだ。説明出来ないから逃げたわけではない。誰ぞが来た様子であったからだ。


 「殿」

 「客か?」

 「蒲生、忠三郎様が」

 「もう来たのか」


 俺が本能寺にいることを知っている者は少ない。その少ないうちの一人が蒲生忠三郎、我が義弟だ。本日の公開討論において俺を先導し、護衛する任を承っているからして。


 「俺は緊張のあまり腹痛を起こしており、本番の直前まで寝ていると」

 「元気そうで何よりでございます義兄上」

 逃げ口上を考えている間に当の忠三郎が来てしまい、俺は逃げる機会を逸した。


 「久しいな忠三郎。さても今日は良い天気にて、絶好の花見日和である。誰ぞ酒でも」

 「身体を動かすには絶好でござる故、一手ご教示願いたい」

 「おお、それは良いな、偶然にも当家に今剣術の達人がおられてな」

 「義兄上にお願いしとうござる」


 俺は縁側の、一段高い位置に座り、家臣達を連れて来た忠三郎は俺よりも頭の位置を低くして立ったまま話をする。絵面だけみれば、偉そうにふんぞり返って座る俺に腰を低くして頼み込む忠三郎であろうが、下から見上げられ、いっそのこと睨み付けられている俺としては心休まらないにも程がある。


 「しかしなあ、知っての通り今日の俺はしなければならぬ仕事がある。一世一代の大仕事だ。万万が一にも今怪我をするわけにはいかぬのだ。木刀を扱おうと刃引きをしようと、剣の稽古は危ない。分かるな」

 「で、ございましたら以前行った手押し相撲に手の勝負でも構いませぬ。それがしほんの少々ではございますが訓練して参りました」


 何下らないことをしているんだ虚けか。と言いかけて止めた。ほんの僅かな時間会っていなかっただけであるのにまた強そうになっている。忠三郎の年齢は俺より二つ下であったと記憶しているが、俺は二年前にあんな風に成長しただろうか。最早まともにやっては全く勝てる気がしない。俺は卑怯な手など使いたくないというのに。使わなければしょうがないじゃあないか。


 「ふむ……忠三郎よ、随分と家臣も増えたな。また、見たところ居並ぶ顔も皆一様に精悍である。良き武士なのであろうな」


 何とか逃げ道は、と思って周囲を見回す。ニヤニヤと笑って俺達のやり取りを見ている慶次郎は置いておき、忠三郎の家臣に目を付けた。家臣を褒められた忠三郎は嬉しそうに微笑む。家臣を褒められ我が事のように喜べるのは良いことだ。俺は古左が褒められても別に嬉しくない。かといってけなされたら許さないが。


 「主の強さとはつまるところどれだけの家臣を持っているか。ここは一つ、家臣達に勝負してもらおうではないか。刀と、それと弓、それに武士は知略も優れていなければならぬ。何かお題を決めて問答などの勝負はどうだ?」


 疋田殿、景連、そして随風を見た。慶次郎がふはっと笑い、良い性格をしているなと言われた。まあね。


 「勝負は、余り気乗りいたしませんが」

 「拙者は、殿が仰せなら従いまするが」

 「拙僧、帯刀様の家臣ではありませぬ」

 「ちょ、ちょっと待ってくれる?」


 三人中二人から不同意が来て焦る。こちらの面子を見てビックリしていた忠三郎が、好機あり、という表情を作る。


 「疋田殿、又ピザを作りましょうぞ」

 「醍醐が無くなり作れなくなってしまったではないですか」

 「直ちに取り寄せまする。古渡か、東美濃か、或いは彦右衛門殿の所より、すぐさまに」


 確約すると、ならばと疋田殿が頷いた。これで二人。勝ち越しには成功した。


 「随風、今は客人として遇している訳であるから、家臣扱いされてくれても良いだろう?」

 「ならば家臣として忠言させて頂きますが、義弟様の仰せの通り直接の勝負を」

 「命を助けてやった恩を返してくれないのかなあ!?」


 大きな声を出して押し切る。随風が黙った。随風を黙らせた経験など今日までに数える程度しかない。俺も口が強くなったものだ。


 「帯刀様、先程と仰っていることが」

 「無駄だ御坊、我らが殿は御弟妹の事になると途端に阿呆にも卑怯者にもなる。開き直られると最早理屈は通じぬぞ」


 慶次郎が言う。その通りだ。俺は最早直接戦っても忠三郎に勝てぬことを既に相には伝えてある。だが負けたとは伝えていない。そう、俺は負けていないのだ。妹婿に、俺は負けてない。負けたくない。


 「……恩は返しますが、別に一度負けたからといって何が変わるでもないと思いますぞ。むしろ負けてしまった方が今後楽なのでは?」

 近づいて来た随風に小さく呟かれた。


「甘いぞ随風。たとえこいつをやり過ごしたとしてもすぐ第二第三の忠三郎(いもうとむこ)が現れる。既に藤を含め相の下には三人の妹がいるのだ。今後妹が増える可能性も多分にある。その時俺は毎度負けてゆくのか? 『兄より弱い奴と結婚するな』と言った俺が? そのようなことを肯じられるわけもなし」

「質問なのですが、その、帯刀様より弱い男との婚姻を禁ずるという話をそもそもせねば宜しいのでは?」

「随風は鳥に飛ぶなと言うのか?」


即座に切り返すと絶句された。慶次郎は腹を抱えて笑っている。忠三郎は何やら家臣達との会話をしているようだが、こちらの話が終ったのを見て義兄上、と話しかけて来た。


「武家なれば、馬や鉄砲での勝負も加えるというのは如何でしょう?」

「いや俺そういうんじゃないから」

「俺そういうんじゃないから?」


慶次郎は馬に乗ること自体は得意だが体がでかすぎて速駆けは不利だ。古左は何でもそこそこできるが何でもそこそこしか出来ない。屈強そうな忠三郎の家臣達には敵わなかろう。となると残りの三人のうち誰かがまかり間違って負けてしまうと俺の負けとなる。


「馬とか、鉄砲とかあれだろう? 危ないからあまり良くないだろう」

「弓も刀も同じではないですか!?」

愚にもつかない言い訳をしてみると、忠三郎に反論された。


「馬とか鉄砲とか、あまり聞いたこともないしな」

「聞いたことが無い筈が無いでしょう!」


もうなりふり構わず言い訳し、結局『馬を走らせる場所がなく鉄砲は音が大きいので今日は使えない』という話で何とか押し切った。今日は最早時間も無いのでまた後日。だがその代わり、今日の公開討論が終ったら直接の立ち合いも含めての勝負をすることを約束させられてしまった。くそう、卑怯なり。




「しかしまあ、演出の為とは言え我ながら面白いいでたちになったものだ」


戯れている間にいよいよ時間となり、俺は改めて自分の格好を見る。見慣れていないでもない。かつて又左殿が、最近でも慶次郎が偶にしている服装だ。否応にも目を引く真っ赤な外套に、虎の毛皮を使用した袴。顔には化粧を施し、まるで舞台にて一席演じる役者のようだ。腰に差している刀は誰が扱えるのだこんなものを、と思うくらいに分厚くでかい。その恰好のまま馬には乗らず人が担ぐ御輿の上に乗って移動する。その御輿は俺一人が乗る二畳ほどの大きさのもので、前後左右に二名ずつ、計八名が担ぐ。天鵞絨(ビロード)の敷物で、これまた極彩色が目立つ。


「後世に今日という日の様子が残ったら、俺は派手好きの傾奇者として歴史家に描かれるのかな?」

慶次郎に問うと、そうでしょうなあと返事された。


「幼き頃より、筆頭家老を論破して追放するなど気性は荒く、又不可思議な行いが多い人物であった。成人してからも織田家の戦いにおいて前線で戦っており、非常に戦闘を好む人物でもあった。と、このような風でありましょうな」

「そこだけ切取られるのは嫌だな」


神輿に乗る。演出用に用意した大きな扇子を開き、扇ぐ。特別暑いわけではない。寧ろ涼しい。


「しかしまあ、やるのならやるで、思い切り役に成りきらなければな」

神輿の上に乗り、担ぎ上げられ、俺は腹を括った。周囲に居並ぶ者達を見回し、言う。


「一同大義。この村井伊賀守、お前達の忠義に対し、常に感謝しておる。蒲生忠三郎殿も、拙者の迎え役に自ら立候補して下さったと聞いておる。深く感謝しておる」

真面目に言うと、皆が真面目な表情となり、忠三郎がはっ、と頭を下げた。


「兼ねてから言っている通り、拙者もし本日の論戦にて大敗し、天下に織田の恥をまき散らすようなことがあらば、その場にて割腹し殿に、ひいては家中の方々にお詫び致す所存。場合によってはこれが今生の別れとなることもあり得よう」


嘘ではない。そうならない為の準備は全てしてきたという自負はあるが、それでも負けたなら生き恥を曝すつもりもない。


「忠三郎殿」

声をかける。忠三郎は返事をせず、ただ深々と俺に頭を下げ、そして俺を見据えた。


 「妹婿である貴殿にこれ以上何かを頼むは大変に心苦しいのだが、もし万が一のことがあった場合には我が家臣達に心を砕いてやって欲しい。皆忠臣であり有能であり我が王佐たること甚だしき者らだ」


 随風にあれをと言った。漆の箱だ。中には手紙が入っている。主だった家臣達の美点だけを書き出し、このような者であるから是非貴家にて迎え入れてやって欲しい。と書かれた物だ。茶化すようなことは一切書いていない。家臣もいつの間にか随分と増えたので、数も多くなってしまった。


 「これを使うことは無いと確信しておりまするが、しかしご安心下さい。義兄上の頼み、某が疎かにすることは決してありませぬ」

 精悍な顔つきで答えてくれた忠三郎は、やはり強そうだ。うむと頷き、扇を掲げた。神輿が動き出す。


 「出陣だ」


 一陣の風が吹き、桜の花びらが何枚か天鵞絨(ビロード)の敷物に乗った。


宗教観に関しましては、どう描いても不満に思われる方は出てくると思います。

可能な限り特定の宗教に対して差別的な表現は使わないつもりですが、

それでも筆者の無礼や不勉強が露わになった場合には、

エンタメ小説であるからと、笑って許して頂けましたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「いや俺そういうんじゃないから」 「俺そういうんじゃないから?」 このくだり好き たまに入る漫才がたまらない
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