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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第六十五話・亡くす命/生まれる命

 燃え盛る屋長島・中江両砦を見ながら、俺は一つの戦いが終わったことを実感していた。


 「殿、傷に障りまする、そろそろ陣を引き払われては如何でございましょうか?」

 景連から言われ、俺は吊り上げた腕を見た。これしきの傷何程のことであろうか。


 「大事ない。手当はした。今はこの光景を見ておきたいのだ」

 長島城の虐殺戦はその目的を達成した。だが、過剰とも取れる戦いのせいで、織田家は手痛いしっぺ返しを食らうこととなる。


 東側、父が布陣していた部隊では父上の従兄弟である信成殿と信昌殿が殺された。北、三七郎の陣では秀成叔父上が討ち取られた。父には弟が十人いたが、これで残るは四人だ。失った六人のうち、仏教徒に殺された弟は三人。いかに信仰を敵に回すのが恐ろしいことであるのか、身をもって知らされた。


 証意や下間頼旦は死んだ。乱戦の中、銃殺されて死んでいるのが発見された。主だった坊官達もその悉くが死に、長島周辺は陸地には銃殺された死体が転がり、川には溺れるか凍死した水死体が浮かんだ。夏であったら疫病が発生したことだろう。尾張側の戦場では早くも死体の回収が始まっている。


 一門衆が三名も殺された事を受け、父は屋長島・中江は外側から二重の柵で囲み焼き払った。中にいた二万の人々は城から脱出し、助けてくれ助けてくれと叫んだが織田家はそれを押し留め、遠くから射殺するか長槍で突き殺した。先程までは悲鳴が聞こえていたが今はそれもない。


 「大木兼能(かねよし)と言ったか、奴の様子はどうだ?」

 「大人しいものです。粟粥を食らい、先ほど見た時には寝ておりましたな」

 「豪胆であるな」


 フッと鼻だけで笑う。俺の右肩に一太刀入れた男だ。どういう因果であるのか分からないが、乱戦の中でなぜか一騎打ちとなり、俺は一撃を入れられたが兼能の槍が折れた。俺の方が強かったわけではなく、俺が身に着けていた武具が良かった。そして兼能は戦う前から満身創痍であった。腹も減っていたであろうし、体力も底をつきかけていたのだろう。


 武器を失い、味方も次々討ち取られているという状況の中、兼能は一目散に逃げだした。この状況下にあってなお狂気に囚われず、生きる為に走った兼能を見て興味が湧いた俺は、追撃するとともに、もし兼能が降伏するのであればそれを認めるので、一度だけ降伏勧告をするようにと伝えた。


 肩の傷が大したものでないことが分かってから暫く、兼能が捕縛されたと報せが入った。連れてこられた兼能は他の一向宗と同様に疲れ果てた顔をしていたが、他の一向宗とは異なり開口一番に『殺さないで下さるので?』と言って来た。


 聞けば、此度の伏兵、立案したのは大木兼能であったという。大木兼能という名もこの時聞いた。呼び名は弥介であるというので以後は弥介と呼ぶ。


 何故伏兵を置いたのかと聞くと、今更降伏を認めたのは恐らく罠であるから、どうにか反撃し船を奪えないかと考えた。と答えられた。

 船を奪ったらどうするつもりだったかという問いに対しては、そのまま伊勢湾に出、山中へと逃れ可能ならば伊賀から大和へ向かい、織田の追撃を逃れるつもりだったと答えた。


 逃れたら石山本願寺に助太刀するつもりだったのかと聞くと、そのつもりであったが先程理由が無くなったという返事があった。どういう事か問うと、元々、恩人に頼まれて長島に入っただけであり、一向宗ではないとの答え。恩人が亡くなった今、最早戦う理由もなし。だそうだ。

 織田家に恨みはあるのかという問いに対しては、無いこともない。だが命を賭けようという程でもない。折角拾った命であるのだから出来れば後は楽しく暮らしたい。


 面白い男だと思った。恩の為に命を賭けられる豪胆を持ち合わせている癖に、地獄の方が幾らかマシであろうと思えた長島において生きることを全く諦めていない。傷が痛むのも忘れ、思わず解放してやるから今は休めと言ってしまった。


 「殿は、陣を引き払ったか?」

 「はい。岐阜城へとお帰りになるとのこと。主力も引き払い、後事一切はお任せすると」


 頷いた。勘九郎も引き上げたと聞いた。多分父と共に帰ったのだろう。戦功著しく名を上げた三七郎も先程挨拶に来た。腕は大丈夫ですかと聞かれ、頷いておいた。大丈夫だ、死にはしない。俺は、死んではいない。


 「父上は、落ち込んでおられただろうなあ」

 「言葉数少なしと聞き及んでおります」


 思わず父上と言ってしまったが、景連はそこには触れなかった。決して許すことが出来ず、目に物を見せてくれようと行った総攻撃で又も家族を失ったのだ。後悔しているかどうかは分からないが、悲しんでいることは間違いない。


 「ともあれ一区切りついたのだから、休むのには丁度良かろう。二人も子供が生まれたのだ。間もなくもう一人産まれるようでもあるし、赤子の顔を見て癒され、妻達に慰めて貰えば多少は元気も出よう」


 昨年、父に子が二人産まれた。男と女が一人ずつ、双子ではない。それぞれ違う腹だ。男の方は近江の国人高畑源十郎という人物の娘で、お鍋の方と呼ばれている。父が京に出向いた時から馴染みであったようだ。亡き吉乃様の計らいによって京での父上の世話を任されるようになり、男子を産んだことで今は岐阜城にいる。子の幼名は(ほら)と名付けられた。相変わらず父の名付けはよく分からない。


 女子を産んだのはかつて吉乃様の側女として世話をしていた女性、の娘だ。骨盤矯正腰巻を壊したあの女性は、勘九郎の乳母でもあった。その際に父の側室ともなったのだが父の子は産めなかった。勘九郎と一緒に乳を与えていた娘が代わりに父の子を産んだという事だ。何とも面白い縁である。乳姉弟ということで、この娘は勘九郎とも仲が良い。その上名前が徳である。徳が子を孕んだと聞いた時、俺と勘九郎は父上が実の娘に手を出したかと笑ったものであった。織田家では彼女をお徳の方と呼ぶことで妹の徳と区別している。


 臨月を迎え、間もなく産まれようとする子はまた別の腹から産まれる。譜代家臣である土方雄久かつひさの娘で、お土の方と呼ばれる女性だ。土方雄久殿は三介の家臣となったので、此度の戦でも話をする機会が多かった。才気煥発という訳ではないがこういう人物が側にいれば安心と思わせてくれる。父が言うところの武一辺倒ではない家臣の一人だ。恐らく、今後お土の方から男子が産まれることがあれば三介の、ひいては北畠家の譜代家臣として仕えさせるつもりなのであろう。


 「失われてゆく命も多いが、生まれる命も又ある。落ち込んでばかりはいられぬな」

 そう言いつつも、落ち込む気持ちを無くすことは出来ない。だが、それでも俺達は勝利したのだ。目の上のたん瘤は消えた。いよいよ大坂、石山本願寺攻めが本格的に開始される。


 「何を達観した事を言っておるか、まだ二十にもなっていない小僧が」

 バシンと頭を叩かれた。叩かれた頭以上に腕に響く。涙目になって叩いてきた相手を睨み付ける。見慣れた、影のある色男がそこにいた。


 「痛いではないですか、義父上」

 「お前がやせ我慢をしているから、我慢できず泣けるようにしてやったのだ、感謝しろ」


 父の名代として、後事一切を託された信広義父上。いつも通りと言えばいつも通り、父の代わりが務まる人物はこの人しかいないという事だ。


 「妻に慰められれば元気が出るだ? 息子が親父に対して言う言葉か? お前こそとっとと帰って恭に慰めて貰え」

 ガシガシと乱暴に頭を撫でられた、振り払いたいが、振り払うとその衝撃で腕が痛いのでされるがままだ。何だかこの感じは久しぶりな気がする。


 「わ、分かりました分かりました。分かりましたから止めて下さい。腕が痛いです」

 「さっき大事ないと言っていただろうが」

 「御免なさい嘘です痛いです」


 素直に降伏すると、信広義父上がようやく手を離してくれた。景連と古左に『そういう訳であるからとっとと連れて帰れ』と言い、二人が頷く。


 「貴様は貴様で家を残さねばならんのだ。恭を相手に最低一人、ハルを相手に最低一人、分かるか? 男だぞ。男が必要なのだ」

 強く言い含められ、俺は陣を引き払った。精いっぱい努力する所存ではあるが、この腕ではいかんともしがたい。




 尾張と伊勢の中間にある長島から古渡までは近く、古渡勢一行は翌日の日暮れ前に帰り着くことが出来た。


 「直子様にお会いしてゆかれますか?」

 利久に迎えられ、俺は首を横に振った。明日の朝で良いだろう。出来れば疲れた顔よりは朝一の顔を見せてやりたい。


 「蔵人、留守の間よくやってくれた。大義である」

 嘉兵衛とは違って生粋の文官という訳ではない利久はそれでも文句を言わずよくやってくれている。利久を慕って古渡にやって来た家臣達も、皆優秀だ。


 「勿体ないお言葉にございます。殿におかれましては此度の戦も武功著しく、織田家・村井家両家の名を大いに高められましたこと、某心底よりお慶び申し上げまする」


 頷き、嘉兵衛やその他家臣達にも一声をかけてから眠ることにした。帰宅を、母や恭には伝えていない。明日は驚かせることが出来るだろうか。余り腕について心配をかけたくはない。今日のうちに腕を吊る布は外しておこう。



 「お帰りなさいませ」



 部屋に戻ると、そこに恭がいた。待っておりましたと言わんばかりに正座をし、三つ指を付いて俺に頭を下げる。再び上げられた顔を見ると、肩口や膝から全身の力が抜けてゆくような気がした。



 「恭……」



 安心した。これ以上なく。最早戦場にも慣れたと思ってはいたが、そんなことは無かったようだ。まるで母の腹の中に戻ったかのように、緊張感がほどけてゆく、恭が立ち上がり、俺の頬に手を当てて言う。


 「泣かないで」

 「え?」


 気が付いた時には恭の顔が見えなくなっていた。ポタ、と音を鳴らして俺の涙が床に落ちる。止めようもなく、大粒の涙が両目から零れ落ちていた。


 「大丈夫ですよ。ここには貴方を虐める人はおりませんからね」


 そんな、童に言い聞かせるような言葉と共に、頭をグッと抱き寄せられた。膝を突き、その胸に縋りつく。何も言葉を発することなく、ただただ黙って涙を流す俺を、恭は抱きしめ続け、そして優しく背を撫でてくれた。



 「腕が痛い」

 「そうですね」


 恭が、赤子を抱きしめるようにそっと俺の腕を抱きしめる。


 一刻程も泣いていただろうか。心に溜まっていた膿のような物を、全て涙と共に吐き出した俺は、久しぶりに清々しい気持ちで床に着いていた。


 「恭、腕が痛いんだ」

 「お可哀想です」


 結局、俺は信広義父上が言うように、いや言われた以上に恭に甘え、弱音と愚痴を吐いた。我ながら情けないとは思うが、こうやっていられる時間がなければ、どこかで心が壊れてしまっていたような気もする。


 「昨日は、大殿も来られましたよ」

 「父上が?」

 「はい、お子様方と遊ばれて、直子様とお話になり、今朝早くに出ていかれました」


 考えてみれば、この城には勝子殿が産んだ相姫と於次丸、そして母が産んだ御坊丸と藤の四人がいるのだ。顔を出して声をかけてゆくくらいの事はするだろう。


 「父上のご様子は如何であった?」

 「随分と厳めしいお顔付きで、私や勝子様を含めて皆お声をかけることすら出来ませんでした。けれど、直子様が新しいお料理をお出しして喜んでおりましたね。代わるがわる御子達を抱き上げ、朝にはご機嫌も随分と宜しくなっておりましたわ」


 その新しい料理についてどのようなものであるか聞いてみた。鶏肉を一口大に切り、醤油や山椒などで作ったタレに漬け込み、油で揚げたものであるという。かき揚げとは全く違うものなのだそうだ。唐から来たものであるからと、唐揚げと名付けられたその料理は父の好物になったという。


 「ご一緒に来られた森様も、殿の御子達を見て楽しそうにしておられました。自分ももう少し子供を作ろうかと」

 「あそこは九人の子供らを全員一人の奥方が産んでおられる。これ以上は難しかろう」


 笑いながら言った。俺の言葉に恭も笑う。どうしたと問うと、漸くお笑いになられましたと答えが返って来た。


 「今日は腕が痛くて無理だが、近いうちに俺達も子が欲しいな」

 「はい、五人でも十人でも、殿の御子を見事産んでご覧に入れますわ」



 その日は恭に抱きしめられて眠った。翌朝は、遠くから聞こえる子供の泣き声と大人の笑い声とで目が覚めた。



 「お早うございます。母上、勝子殿」


 いつもの遊び場である中庭へ行く。目につくのは物干し竿から鎖を二本垂らし、その鎖を膝上くらいの高さで木板を使って纏めた遊具だ。後ろから押したり、乗って漕いだりすると前後に揺れて楽しい。母が言って作らせた遊具である。そして、その遊具の足元で泣いている童が二人。少し大きいのが於次丸。少し小さいのが同年生まれではあるが半年ほど年下の御坊丸。


 「お帰りなさいませ」

 「お勤めご苦労様でしたね」

 「はあ」


 死線を潜り抜けた先での感動的な再会であるはずなのだが、間抜けな声が漏れた。目の前で子供が二人泣いているのに楽しげに笑っている二人の母親。その横で、藤を後ろから抱きしめる相がおろおろとしている。その反応が正しいと思うが。


 「御坊丸が落ちましてね」

 理由を聞くよりも先に、母が教えてくれた。落ちた、というのは勿論遊具の椅子からという事だろう。


 「泣いた御坊丸殿を、於次丸が助けに行ったのです」

 「良い兄ではないですか」


 仲良きことは素晴らしきかな。それでどうして於次丸まで泣くのかは分からないが。


 「助けようとしてしゃがんだところに、揺れて戻って来た椅子がぶつかりましてね。綺麗にこめかみに当たってあのザマです」

 「それで笑っている場合ですか!?」


 思い出したのか、再びどっと笑いだした二人の母親の間を抜けて、二人の弟を抱え起こした。御坊丸は仰向けに倒れていたので、多分後頭部を打ったのだろう。瘤は出来ていないし、擦り傷もない。於次丸は蹲って泣いている。こめかみに手を当て、さすってやるとしがみ付いてきた。二人ともぐっと抱き上げ、両腕に抱えて縁側まで戻った。戻る先は母親達の側ではなく優しい姉の所だ。


 「ただいま、相」

 「お帰りなさいませ、兄上様」

 小さい御坊丸を膝に乗せ、少し大きい於次丸を相との間に置く。二人とも、スンスンと鼻を鳴らしてはいるものの少し落ち着いたようだ。


 「弟と妹の面倒を見ているのか? 偉いなあ、相は」


 言って、相の頭を撫で、藤の頬をちょんちょんとした。ここの所古渡にいられないことが多いので、下の三人は余り懐いてくれないが相は俺の事をちゃんと兄と認識してくれる。有難いことだ。



 「大変でしたね」

 暫く相と話をし、それから相の手習いの時間だという事で話を終えた。弟妹達もそれぞれ女中に連れて行かれた後、母が呟くように、俺に話しかけた。


 「大変でした。母上がどれだけの事をご存知であるのかはわかりませんが」

 「大体の事は、知っていますよ」


 大体の事、と母は言う。その大体の事というのがどれだけの範囲をどれだけの正確さでもって網羅しているのか俺は知らない。だが、確かに母は知っているのだろう。


 勿論、母は千里眼を持っている訳でもなければ地獄耳で全ての情報を集めているという事でもない。神通力で物を動かしたり、人を操ったり、ましてや狐火を熾すことなど出来ようはずもない。そういう点において、母は単なる人だ。当然、未来や異世界などから流れて来た者、という訳でもない。

 それでも母は、知っている。俺達では決して知り得ない事実を。恐らく、時を早められなかった先に何があるのかも知っているのだろう。


 母が知らぬこと、それは、俺が母の正体を正確に知っているということだ。俺はそれを伝えるつもりがない。それで良いと思っている。母を害するつもりなど、無いのだから。


 「ご心配をおかけしました」


 頭を下げると、母はにっこりと微笑み、下げられた俺の頭を撫でた。帰って来た。俺は生きて帰って来た。


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